先を目指して歩いていたら、何やら小さな祠があります。しかも、個人のお宅の傍ではありませんか?
近づいて見ると、清正公という表札が架かっています。さらに、中を覗いて見たところ・・・
立派な位牌が安置されていました。このお堂は、果たして何なんでしょう?隣接するお宅で、お話を窺がうこともできず失礼しましたが、恐らくは清正公を信奉されているご主人が祀ったものと思われます。あるいは、加藤清正公の血筋かご縁のあるお方かも知れません。
そうこうする内に、大きな鳥居が見えて来ました。
ご覧のように諏訪神社とあります。
ここは東村山です。しかも諏訪町というので出来た諏訪神社なのでしょう。そこで、調べたところ当地の桜井利兵衛氏が勧請したと伝えられ、徳蔵寺に当てた文書に貞享2年(1685)とあることから、貞享2年(1685)に創建したといわれています。化成小学校建設に当り、現在地へ遷座、昭和初期に浅間神社を合祀したと、ありました。中へ進みましょう。
なかなか立派な拝殿ですね。
石灯篭は、相当古いもののようですが、狛犬は新しいものでした。それにしても怖い顔をした狛犬です。
誰か、中を覗いているようです。
この神社は、明治の神仏判然令が施行されるまでは市内にある徳蔵寺の管理下にあったそうです。昔は、この周辺には素晴らしい杉林があり、徳蔵寺の本堂もその杉材で作られているといわれます。また、化成小学校の建設に当たっては境内の大部分を敷地に提供したとのことです。この辺は、養蚕も盛んで、ご婦人による織物を使ったお神楽を奉納して、祭りばやしが行われ伝統として指定無形文化財にもなっているそうです。
つづく
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