また、小さな鳥居と祠がありました。
池の周囲の傍に面している水神社という神社でした。
それを表した石碑です。
きれいですね。素晴らしい紅葉です。
何やら、木の根元に小さな祠があるようです。
姫塚の由来という立て札もあります。
こちらには石柱があります。
こちらは、殿塚の由来という立て札です。いったいどういうことなのでしょう?調べて見ました、すると、この場所には昔、お城があったのですね。その城は石神井城といったそうです。石神井城は、秩父平氏の一族で、石神井川流域を中心とする現在の東京都区部北側の地域に平安時代末期から室町時代中期頃まで勢力を持っていた、豊島氏の居城でした。石神井川と三宝寺池に挟まれた標高約四九メートルの舌状台地上に所在し、東西約三五〇メートル、南北三五〇メートルの規模の主廓と外廓からなる、比較的単純な構造の中世城郭です。昭和三一年(一九五六)以降の数次の発掘調査によって、主廓や土塁築土から一二世紀から一六世紀前半までに属する陶磁器が出土しています。文明八年(一四七六)の長尾景春の乱の際、当時の城主豊島泰経は景春に与したので、扇谷上杉氏の家宰太田道灌に攻められることとなり、翌年、石神井城は落城しました。落城後、泰経が白馬に乗って三宝寺池に深く沈み、長女照姫も後を追って入水したなど、落城にまつわる伝説が伝えられています。とありました。
つづく