青梅街道を東へ東と進みます。
大きな神社の表示が見えて来ました。十二所神社という変わった名前です。どんな神社なのでしょう?
青梅街道から北方向へと入って行きます。
由緒書きがありました。それによると、十二所神社は、和銅年間(708-714)の創建と伝えられ、天神七代、地神五代からなる十二代の大神を祀っているといいます。明治39年山王社、愛宕神社、神明社を合祀したといいます。相当古い歴史があるようです。三ツ木村の鎮守で、社伝では奈良時代和銅年間(七〇八〜七一四)の創建といわれています。以前、幹廻り4メートルにも及ぶ栂の古木があったと伝えられ、今でも境内を囲む木々が古社をしのばせています。
境内に祀られている八坂神社は天王様とも呼ばれ、毎年七月十五日の祭礼には三ツ木地区を巡行する神輿とともに三ツ木天王様祇園囃子(市技芸)が古式ゆたかに奉納されています。祭神:天神七大地神五代之大神、大己貴命、加久津智命、素盞嗚尊
狛犬の形相や台座や石の古さが歴史を感じさせます。
本殿もきれいに清掃された境内など、地域の人々の信仰深さを物語るものがあります。ここには三ツ木天王様祇園囃子という行事が伝わっています。八坂神社の祭礼に奉納される音曲で、鳴り物には笛と太古が使われ、七節に分かれた曲を、太鼓に合わせて繰り返しながら神輿とともに三ツ木地区を巡行するものです。
この祇園囃子は明治二十五年頃、峰の比留間幸次郎が浅草から金村某なる人物を招いて伝授されたと伝えられています。その後、数名の有志によって継承され、現在では、「三ツ木天王様祇園囃子保存会」によって伝承されています。(武蔵村山市教育委員会掲示より)なお、八坂神社の祭礼は、元文元年(一七三六)すでに行われていたと「増尾家文書」には記されています。また、毎年七月十五日前の日曜日が八坂神社の祭礼でもあります。
つづく