いたりあ、いちば

イタリアでの白雪姫プロジェクトの応援、楽しい日常についてかいています。

A world without words 3

2014-01-31 11:08:10 | 白雪姫プロジェクト
グッドさんは3年間、最後の1年間は、ボランティアとして、病院に入って、風疹症候群の子供たちにかかわっていきます。エスノメソドロジーという方法の、研究の仕方です。つまり、風疹症候群にかかわっている人に、アンケートをとったり、インタビューをしていくのではなく、その子供たちと一緒に生活をすることで、子供たちの中に入り込むことで、子供たちのことを知る試みをする方法です。その中で、ケースワーカーさんと同じく、子供たちがおしっこを漏らしてしてしまった時に、着替えを手伝ったり、すべてのことを、できる限り、体験していきます。

彼にとって、病院の先生よりも、実際に、子供たちにかかわっている、ケースワーカーさんたちに、個人的に子供たちのことを知りたいときは情報を得ることにしていました。本当の、子供たちの、ことを、知っているのは、決して、偏見がなかったとはいえないにしろ、現場で長いこと子供たちと一緒にいて、働いている人たちです。医療専門家、の作ったファイルを見ることはなかったそうです。また、リハビリテーションのプログラムを作るときに、ケースワーカーさんたちの意見を全く、取り入れてないことにも、問題点を挙げています。子供たちのできること、できないこと、生活していくうえで、いかに困難か、そういったことすべては、現場の声が詳しく、一番助けになったと言います。でも、その中で、ケースワーカーさんたちは、常に教育して、正していく、役割を持っていたと言っています。お医者さんの、診断、治療という立場とは違って、ケースワーカーさんたちは、子供たちの監護、子供たちが、生活するうえで、基本的な技術を教育していくという任務を持っています。多くの子供たちが、食べたり、飲んだり、歩いたりとしたことでさえ、困難です。その中で、ケースワーカーさんたちは「人も時間も足りないのに、あまりに、多くの治すべき子供たちがある。」という視点を持っていた、と書いてあります。彼は、その立場さえ、本当かな?という、疑問をいれています。その作業は、あまりにも大変だったため、多くの人は、燃え尽きていったし(バーンアウト、燃え尽き症候群)、少し関心の高い人たちは、昇進して、労働条件のいい他の部署や病院へ移っていったそうです。

スタッフが次々と変わっていく中で、2つの子供に対する視点、社会的立場というものが、この病院の中では作られていっていると定義しています。一つは、お医者さんからの、やりにくい患者さん、もう一つは、ケースワーカーさんからの視点、監督するのがとても難しい生徒です。グッドさんは、普通の社会の子供に比べると、まったく子供たちの意見、意志、というものを考慮に入れてないことに気づきます。普通の社会では、子供たちは、話すこともできれば、知覚を使って、コミュニケーションします、その中で、子供たちの好み、というものも、確実に重要視されます。それは生まれたての赤ちゃんでも、この音楽を聴くと喜ぶ、とか、おむつがぬれてたら、嫌な気持ちがする、とか、お腹が空いているからからぐずる、など、子供意思を尊重して、どうにか、子供の気持ちを察して、家族は生活していきます。それは子供のためでもあるし、生活をスムースに、楽しくやっていく、方法ともいえるかもしれません。でも、病院にいる、子供たちは、そのことは、重要視されません。子供たちが、どのように、自分自身を感じているのかはもちろんのこと、子供たちが、モノや起こってくることに、どのような関心や興味があるのか、ないのかは全く考慮に入れられていません。そういう意味では、グッドさんは訓練中の動物と同じように扱われているように感じます。スタッフに、このことを指摘すると、「この子供たちは、考えも目標も持たないのだ」という、子供たちを間化する答えを得ます。もちろんこの子供たちは、私達が持っている、言語、言語的シンボルは持っていません。でも、子供たちの視点というのは、常にあるものです。子供たちは、いつまでも、行うことに対して、どういう意味があるのか、どういう目的で行っているのかということをわからずに、無理やり、行わさせられていきます。それを理解させようという努力は全くする必要はないことになっています。どうして洋服を着替えるのか、食事をするとはどういうことなのか、トイレになぜいかなくてはいけないのか、すべてのことを理解させる、必要はなく、することが必要で、それは子供が嫌がっても、どうでもいいこととして、日常は過ぎていくのです。

ヒューマニティー(人間性)を目的とする作業、をケースワーカーさんたちはしているとして、それが、非人間的行為を使用してしまっているということを前提に、子供を扱っているという、矛盾を持っていることを指摘していきます。
それは、目に障害を持っている子供たちが、食事をしていくうえで、必ずしも、フォークやスプーンを使わず、手で食べる傾向があること、それは、この病院の世界では、必ず直すべきこと、人間らしくみられるためには、その必要があるということを主に、とても厳しく教育されていきます。でも、グッドさんは、目の見えない人が、大人であっても、手で食べるという行為は、ごくごく、自然で、大切な行為であって、そのこと自体が問題なのではなく、そういったことを受け入れられない社会、ということが問題なんだと言っています。目の見えない方々が、食べれるかどうかを手にさわって、においをかいで確認することは、自立の一歩であるとのこと。つまり、レストランのメニューで、目の障害を持っている方用に、手で食べれるもの、たとえばおにぎりとか手で食べることができるように作ったメニューを、提供してもおかしくないし、そういう社会になることが理想だと言っているんだと思います。それは、目の不自由な方々が、お箸を使えないということではなくって、そういう選択もある、という、社会が、その幅広さを持つべきなんだ、ということを言っているように感じます。

グッドさんは、研究テーマを、言葉を持たない子供たちといかにコミュニケーションするかということ以上に、子供たちの意志や、目標をいかに理解するべきか、子どもたちがきわめて能動的な心的過程をもち、複雑な社会的参加をしているか、ということを重要な点としていきます。
その研究発表は、その時代には、他の研究者から受け入れられず、しばしば、「精神科医の診察を受けるよう」にと書かれた、匿名のメモを渡されることもあったようです。子どもたちが、かれら自身の視点をもって、出来事に接する、そうした視点に興味を向けるべきだとかという考えは、その時代、70年代前半には考えられないことだったようです。
その中でも、ケースワーカーさんたちの支持は、受けられます。
現場で働いている人たちは、何より、子供のことを知っていて,ある意味「賢い」子供たちの行動を理解していきます。


その視点を持って、グッドさんは、どのように、子供たちと付き合っていったのでしょうか?
まだまだ、グッドさんの研究は続きます。

A world without words 2

2014-01-28 11:38:05 | 白雪姫プロジェクト
まず最初に、グッドさんが、風疹症候群の子供たちを研究しようと思った時に、過去の文献を探したのですが、子供たちの生活を扱った研究は全くなかったとのこと。
統計学的に見たものや、障害について、などの研究、文献はあったとしても、
子供たちが、どのように、生活しているか、というものは全くなかったとのことです。
研究者の中で、そういう状況で、どのように、日々の生活を送っていっているのか、そういった情報、経験にはあまり重きを置かれていないようです。
これは、お医者さんの立場、というものにも関係しているように思えます。

グッドさんは、まず、病院に行って、実地体験をすることにします。
1年間、ケアスタッフの人と、仕事をしたり、子供たちに接したり、病院の中に住んでいる子供は、どのように、日々を生活していくかを観察します。
ビデオに録画することもしています。

その中で最初に観察したことは、病院の中での、専門家(医者)と、ケアスタッフさんたちとの、食い違いということでした。
「先生は半年に一度しか、子供に接することはないのに、どう扱うべきか知ってるってことになってるんだから、、、」
というようなことを、つどづど、ケアスタッフさんは口にします。

病院の、専門家、お医者さんは、まず、子供たちのことを患者という目で見ます。
その時に、お医者さんの仕事が、診断して治療することなのだとしたら、子供たちは、診察、診断するうえでも、協力的ではありません。
患者にすらなりえない、ものだったりもします。もちろん言葉による、コミュニケーションはできません。
どこが痛いとか、何ができないとかいう、お医者さんが望んでいる、彼らからの、メッセージは届きません。
診察や処置が難しく、なおかつ治療が不可能である、子供たち。
お医者さんとしての、専門的な役割から、欲求不満と、無力さを彼らが感じてしまうということを、グッドさんは理解できたと言います。

風疹症候群を持つ人が、お医者さんの立場からすると、「治癒する」ということはありえないのです。
それは、私達が、想像可能な医療的技術をはるかに超えていることになります。
お医者さんは、患者さんの病気やけがを治癒するのが仕事で、それについての知識はあるけど、
その、病気やけがを持っている状況で、生活していく、(快適に)生きていくということの知識はないわけです。
快適に過ごせるなら、病気は直す必要はありません。
もちろんその生活の中で、治癒していくという、ことも、お医者さんにとっては、考えられないことです。
生活していても、治療してないわけですから。リハビリ以前の問題です。りはびりさえできないということでしょうか。
お医者さんにとっては治癒できないことは、とても、不都合なことです。
しかも、その病気を治癒するのが、仕事なのですが、現代医学をもってしても、手の施しようが、医者にはない、という状況もあるわけです。
できる限りのことはする、でも、それ以上のことはできないのです。

お医者さんにとって、病気を治していない状況で、暮らしていくということは、不幸なことでもあるし、ある一定の社会生活をできないということになるわけです。

グッドさんによると、
その時代の公式リハビリプログラムは、その専門医(精神科医も含める)が、決めていくことになっていて、
やはり、それは、子供たちの、本当の姿、可能性からは、ほど遠いものになってしまっていたということです。

(本を読んだ私のフィルターを通した感想なので、読みずらいかもしれませんが、、、。
しかも、尻切れトンボな文章になってしまいますが、素晴らしい本なので、この調子で書いていく予定です。
次はケアスタッフさんたちの観察です。)

A world without words 1

2014-01-27 11:07:44 | 白雪姫プロジェクト
「A world without words」
The social construction of children born deaf and blind
作者は、David Goode です。

家の居間に、この本が置いてありました。英語の本です。私は、英語はほとんど読めないのですが、タイトルは、「言葉のない世界」うーん、すごく魅力的です。夫が仕事に必要なために、購入したらしいのですが、まだ読んでないとのこと、夫いわく、内容が内容なだけに、気軽には読めないな、と言っていました。

私は、言葉を使ったつながりも好きですが、言葉のないなかのつながりも、すごく好きです。言葉を使ってもある、もどかしさも、その人のしぐさや、表情、時には涙で、おぎなわれてもいきます。そのほうが気持ちは伝わるかな?
もちろん自分が、外国で暮らしていく中で、言葉を自由自在に使いきれない、不自由な、なかで、楽しく暮らしてもいけるし、コミュニケーションも、できるかもという経験があるからかもしれません。
ヨガのレッスンをしているときは、生徒さんの呼吸の動きや、体の動き方のみで、状況を見ていくのです。もちろん、教えるときだって、ほとんど言葉は使いません。目をつぶっても、実は、わかっちゃうこともあります。ヨガのレッスンで元気になれるのは、言葉のない世界で、元気になれるわけです。自分のためのヨガをするときも、自分自身とのコミュニケーション、でもそこには、言葉は介在しません。精神分析のような、言葉を使ってコミュニケーション、ケアーもあると同時に、言葉を使わない、ケアーもあるって思っています。

うわー、この本読んでみたい、英語で読み始めましたが、1ページ読むのにもすごく時間がかかっちゃう、、、。日本語にはないのかどうか、インターネットで調べてみると、日本語の本は出版されていませんが、この本を使った、セミナーをしている大学の先生がいます。樫村志郎先生という、とてもえらい大学の先生で、お忙しいとは思ったのですが、ダメもとで、「もし、翻訳をなさっていたり、その翻訳の出版を予定しているかどうか、教えてください。」というメイルを書いたところ、セミナーで翻訳した原本をダウンロードできるようにしてくださいました。感激です。しかも簡単に日本語で読めるわけです。個人的使用のみとのこと。

本の内容は、1960年代に、風疹症候群をもって生まれた子供たちの生活を研究したものです。親が、風疹にかかると、時に、子供が風疹症候群をもって生まれることがあります。風疹症候群では、ろう、もう、しばしば、精神発達遅滞や、そのほかの障害を伴うことのあるものです。その子供たちとある一定の期間、一緒に生活をして、言葉を持たない世界でのコミュニケーションを、言葉にする、という作業をしたものです。言葉を持たない子供たちと、どのように、接触し、また、それを、言葉に変換するか、その難しさ、ついても書いてあります。
その時代、つまり今から50年近く前の研究のため、今では当たり前になっていることもあるのかもしれませんが、とても面白い本だったので、本の感想を何回かにわたって、続けて書いていこうと思います。

なので、つづく。

やさしさ

2014-01-12 10:29:17 | 白雪姫プロジェクト
私が、
優しくなることが、かなりの苦しみを伴う、自分にとってのレボリューションウェイだったとも思う。
というメイルを友達に書いたら、
私は「優しい」の意味がよくわからない。どういうのが優しいことなのか。
人のありのままを拒絶、批判せずに受け入れる、ということか。どういうことなのだろうか、、、
こういう答えをもらった時、彼女なら、そうだろうな、って思った。

だって、彼女は本当にやさしい人だから、優しい人ほど、やさしさって、わからないかもね、って思った。
当たり前になってしまっていることは、自分にはわからない。もし、私だって、日本人とは何て言われたら、
どうすれば、日本人らしく振舞えるか?なんて考えないし、でも日本人でいてしまうから、それは努力してするものでもなくって、そこにあるものだから。
だから、優しい人ほど、やさしさって見えないかもね、って思った。

でもね、夏に、ある友達のご夫婦と旅行した時、彼達は、ずーとけんかしてて、とっても困った。
二人の間の会話は全くなくって、私達を通して会話をするって感じだった。
パートナーのことを話すときは、二人は鏡に映したように似かよっていて、お互いの批判をしていた。
私達には、とても優しくって、丁寧だったけど、自分のパートナーに対しては容赦なかった。
私と夫は、なるべく、楽しく滞在してもらいたいと思って、気を使った。
これは彼女たちが喧嘩しているとは関係なかったかもしれないけど、
例えば、車で移動するときは、私達がいつも先導して、駐車場を見つけてあげるとか。
そういう些細なことだけど。もちろんパートナーとは、そういう些細なことでも、いさかいになることもあるしね。
でも、数年にわたっていると思われる、彼らの不協和音は、そんな小さな、旅行では、晴れなかった。
私達も、少しフラストレーションを感じてしまったし、そんなとても複雑な二人を見て、自分の親たちが、繰り返していた、
いさかいの数かすを思い出して、子供のころの無力感を思い出した。

旅行が終わって、別れるとき
「この旅行では、駐車場が運よく、いつも見つかったなーーー。」
って旦那さんが言っていて、私と夫は、少し驚いた。私たちが、見つけても、あえて、そこに駐車してないことに、気づいてないんだ、って。
自分がやさしくないと、人のやさしさには気付けないんだって。
すべてのことは当たり前で、ちょっと運が良かったってことになっちゃうんだ。
二人の間が暗礁に乗り上げているのは、お互いが持っているやさしさに、気づいてあげられてないのかもなって思った。
すべてあたりまえなんだなって。

私もやさしくするっていうのは、わかってないのかもしれない。

でも、パートナーと仲良くしていることも、家族と幸せに暮らしていることも、やさしさだし、
誰かと一緒にいるときに、楽しそうにしてくれていたら、それもやさしさ。
人がやさしくしてくれた時、それがすごい些細なことだったとしても、気づける心の余裕を持っているのも優しさだとおもう。
あたりまえなことは、何にもない。
そういうやさしさを持ちたいなと思ってる。やさしくしてくれているのは、人だけじゃなくって、自然とか、動物とか、すべてだよね。
娘たちも、やさしさに気付くことが、当たり前になってほしいなって思ってる。
たとえそれがすごく小さなことだったとしても。やさしさにあふれることは、そんなに難しいことじゃないかもね。



これなーんだ?

2014-01-04 07:56:49 | 料理
日本ではお正月には、鏡餅を飾って、家族で、お屠蘇と、お節料理、を楽しみますが、
イタリアでは、31日の夜に、年越しを、お友達と一緒に過ごすことが多い気がします。
クリスマスは家族、大みそかは、お友達、日本とは反対です。

私も、数年前までは、お節料理を作らないで、お正月をお祝いしないのは少し、残念な気がしていました。
夫と私のためにおせち料理を作っても、あんまり盛り上がらないので、お正月は
、特に何もしないことにしています。
娘たちも31日にはお友達のお家でお祝いをしたので、満足しています。
でも、もちろん祭日で、手持ち無沙汰。ということで、年末に、初めて、念願の麹を作ってみました。
麹ができれば、こちらでは手の入りにくい、日本料理の材料は作れる可能性も出てきます。
味噌、お醤油、お酢、みりん、お酒、お漬物、麹があれば、可能性が広がっていきます。
日本にいたら、簡単に手の入るものばかり、お味噌を麹から作ろうなんて思いもしませんでした。
不便なこともいいことだ、それも楽しまなくっちゃ。
それにしても、日本の食文化は素晴らしいなー、麹って、日本って菌文化だなーと思っていましたが、麹を作るようにならなければ、お話にならないしねえ、と思っていたのですが、思っていただけではだめじゃーということで、作ってみたのです。

麹はお米を水につけて、作り始めてから、3日くらいかかります。温度も湿度も管理しなくてはいけません。
発酵始めてから、2日目からは麹自体が生き始めて熱を持つので、熱を逃がしたり、空気も必要です、麹を作っている間は、家は空けられません。
生き物なので、できたら、すぐに、冷やして、発酵を止める必要もあるからです。
元旦に、ついにとうとうできたのです。カビの塊。だね。
次回の改善できるところは、真ん中のところは、熱が上がりすぎて、少し発酵しなかったので、あぜ道を作って、熱を逃がすことと、麹菌はなかったので、乾燥麹を粉末にして使ったのですが、小さじ半さじでいいところを、多く入れれば問題ないだろうと思って、大匙2杯くらい入れて、みたら発酵しすぎて、ちょっと黄緑色になっちゃったので、次回は量を守ること。

きちんとできているかは、納豆の好きな娘クロちゃんに鑑定してもらうと、
「ねえ、これ納豆のにおいする?」と聞くと、
「ううん、他のにおいはするけど、納豆のにおいはしない。」とのこと。
麹は33度くらいが適温、40度の状況で作ると、納豆になってしまうので注意なのです。

ということで、今年の元旦はみそ造りと、塩麹を作りました。