いたりあ、いちば

イタリアでの白雪姫プロジェクトの応援、楽しい日常についてかいています。

日本人になるって?

2013-09-30 10:34:38 | 白雪姫プロジェクト
先日、図書館で、外国人女性の集まりに参加しました。
お友達のモロッコのお母さんに何度か誘われたからです。
私はこういう会は実は苦手です。それは日本人としてふるまわなくてはいけないからです。

私はここで毎日、外国人だから、という感覚では暮らしてはいません。もちろん、見た目はイタリア人とは違います、でも、私には自分自身は見えないので、違いを感じられないのかもしれません。こちらの言葉を使って、こちらの小学校に子供たちは通っていて、イタリアに税金も払っていて、残念なことに、あまり日本との付き合いもありません。

外国に住んでいると、まず、私のことを説明するときに、日本人のお母さんとか、日本人の奥さん、とか、外国人の、アジア系の、中国人の(多くの人は、日本人と、中国人の見分けはできません。)、東洋人の、移民の黒丸さんということになります。日本にいると、、大半の人が日本人なので、日本人の、という見方はしません。当たり前ですが、、、。今となってみれば、イタリアに暮らしている

私と接するときは、そのことを踏まえて、あなたは日本人だから、という形で、接してくれているわけです。イタリア人にとっては、お客さんをもてなす側、私たち、外国人にとっては、もてなされているということを前提に、コミュニケーションをしていきます。助けてあげる側と、助けられる側と言っていいのかもしれません。それが逆転することはありません。施しをもたらす側と、施しを受ける側。でもそれって本当かな?
そういう役割をもって人と接するのは、私にとって、すごく不自然に感じるのです。もちろん自分自身にもそういう役割を求めるし、相手にとっても、そういう役割を求めます、それが大人の関係せいなのかもしれません。

でも、人間だから、その役割を超えたところに、つながりがあるのではないかなっと思ってしまうのです。私は人と接するときに、どこで働いているとか、どこの国から来たとか、昨日何話してたとか、何の宗教を信じているとか、以上に、この人はどういう人なんだろう、ということに一番興味があります。でも、往々にして、見た目で判断してしまうこともあります。
それは、ハンディキャップを持っている人や子供も同じなんだろうなって思います。ハンディキャップを持っている人が、どうしていつも、助けてもらう側にいるような、考え方を私は持っているんだろう、どうして、助けてもらわないと生きていけないか弱い存在でいなくちゃいけないんだろう。体が動かないから、目が不自由だから、足が不自由だから、耳が聞こえないから、ただそういった機能を持っていないだけで、どうして私たちは、不自由な弱い存在として、扱ってしまうんだろう、、、。一人の人間は、一人の人間で、何にも変わらないのに。もしかしたら、もっと大切な何かを与えてくれているのかもしれないのに。

親子の関係も、役割を考えると、私は親だから、あなたのことをだれよりも知っている、何をすべきかも、知っている、だからこうしなさい、ということになってしまうのだけど、本当の親子の関係を考えたら、やっぱり愛情にあふれたきずな、信頼以上に大切なものはないよな、型にはまった役割って最終的には機能しないかもなって思っているのです。子供から教わることだって、すごくあるのです、でも役割を考えて、心を閉ざしていたら、何も教われません。

私は外国人として暮らしていて、言葉は上手ではないかもしれません、もしかしたら、普通イタリアではしないこともたくさんしているのかもしれません、助けてもらうことも沢山あります、それに感謝していないわけではありません、でも一人のいっぱしの人間として、この国で生きていくには、まだまだ、お互い知らなくちゃいけないことがたくさんあるなーと思っているのです。
それは、日本という国を、ありきたりな文化を知ってもらうことではなくって、多くの違った文化を持った人や、育った環境が違う人や、ハンディキャップを持った人が、同じように、同じ場所を共有して、楽しく、より豊かに暮らしていけるしってことなのかもしれません。

外国人女性の会で、どういったことを伝えていくことが、お互いを尊重しながら、真の関係を築けるのかな、と思っているのです。


あき。

2013-09-25 11:51:10 | 白雪姫プロジェクト
夏休みのことを書こうと思っていたら、もう、9月の末。しかも、なぜか、秋はすごーく繁忙期なのです。私にとって、、。
というのは、娘たちも小学校戻ってくれたので、いろいろなものの、仕込み、をしなくちゃいけないのです。
夏の野菜で、瓶詰や、塩漬けができるものは、ストックを作って長ーい冬に備えます。
何十キロものトマトを買ってきて、トマトソースを作って、瓶詰にしたりしています。
これはイタリアのマンマたちは一年分、つまり来年のトマトが出てくるまで、の分を作るそうですが、私は数か月分しかできません。
それでも、トマトを洗ったり、瓶に詰めて、瓶を消毒したり、トマトの瓶詰を作ると、朝から、大忙しです。
10キロのトマトを使って、6キロくらいのトマトソースができるのですが、毎日パスタを食べる生活をしていると、1か月分あるかないかのような量です。
それから、バジリコも、もうすぐ、季節柄、なくなってしまうので、塩漬けにして、オイルにつけたり、少しでも冬が楽しく、おいしく過ごせるようにします。。
大根がたくさん手に入ったので切干大根を作ったり、白菜づけを仕込んだり。
猫の手も借りたいくらい、大忙しなのです。たべることばっかり、、、わらえるなあ。
というわけで、ブログはなかなか書けませんでした。
だって、10キロのトマトが腐らないように、すぐに、料理しなくちゃいけなかったりするし。
忙しい、忙しいとは言いたくないのだけど、酵母パン用の酵母の世話も、忘れられないし。

でもまた、ぶろくかくぞーー。
キッチンにこもって、実験ばかりしてるわけにもいかないよね。








モンテベルディにて。1

2013-09-05 13:10:15 | 旅行
トスカーナ地方にある村で夏休みを過ごしました。
モンテベルディ マリッティモ、海の緑山という意味の村です。海から、30分くらい、くねくねの道を登っていくと、ようやくつきます。うねうねの道のことを、蛇の道 (strada a serpentini)とも言うそうなので、バールのおじさんは、うねうねの道の先にある村に住んでいると言いたかったのかもしれません。海の村というよりは、緑の濃い丘の村でした。住民は1000人くらいの村で、みんな知り合い、みたいな雰囲気の中に、たくさんの外国人の観光客が遊びに来ている、という感じです。

借りたお家の前にあったのは、湧き水の出る噴水。噴水から出る水は冷たくっておいしかったー。毎朝、ガラス瓶にお水をくんできて、朝食の準備をしました。コーヒーを淹れたり、お料理をしたり、お野菜を噴水に持って行って洗ったり、贅沢に湧き水を楽しみました。井戸水の経験さえしたことがないので、お水が湧き出るのは、こういうことなのか、と実感しました。村の人たちは、一昔前までは、洗濯をするのに使ったりも、していたみたいですが、今は、時々、坂の途中に車を止めて水を飲んだり、体を冷やしたり、畑に使う水を汲んだりしていました。


夏休み 終了なり。

2013-09-04 21:04:54 | 旅行
夏休みのため、子供たちと海に行ってきました。
でも、なんと、すごーい田舎だったために、インターネットさえ使えないところなのです。
いまどきそんなところあるんだーっていうくらい、何にもない村でした。
というか、イタリアの田舎を甘く見てたみたい。

その村に着いた時に、村にある、唯一のバールに行って、
「えーと、Wi-Fiありますか?」 と聞くと、
「この村にはねえよ、おれたち蛇だからな・・・」
と、バールの店主は答えてくれたのですが、、、。
蛇ってどういうことよ?なんかのたとえ?と思ってイタリア人の夫に聞いてみましたが?
知らない、とのこと、、、。
この地方の、方言なのかしら?ゆっくりしている、という意味なのかしら?

ということで、蛇族村、楽しんできました。


↑海に行くときには、こんな松林を歩いていきました。