いたりあ、いちば

イタリアでの白雪姫プロジェクトの応援、楽しい日常についてかいています。

こども犬にかまれちゃった話。

2013-06-20 10:53:49 | 子育ておやそだて
家族4人でお散歩をしているときに、一番後ろで、歩いていた、上の娘のクロちゃんが、いきなり「うわーん」と泣き始めました。
どうしたんだろうと、振り向くと、
「かまれちゃったー」
と叫んでいます。
どうも、今走って通り過ぎた、2人組のやんちゃなお姉ちゃんと弟ちゃんにかまれちゃったみたいです。

お母さんが飛んできました。
「うちの子何したんですか?」
「かまれちゃったみたいなんです。」
「ダメじゃないの!」
ばちっ、弟ちゃんの頭をはたきました。
「あー叩かないで」と私が言ったのですが、時すでに遅し、
すぐに、居心地悪そうに、子供を引き連れて、逆方向に行ってしまいました。このお母さんの気持ちもよくわかる、、のです。
私も何度もいたたまれない思いをしながら、子供を引き連れて退散したことか。

クロちゃんは茫然です。
お家につくと自分のベットに座って、一点を凝視しています。
下のマルちゃんに、
「ちょっと勇気づけてきてあげてよ。」と言うと
「ママ行ってよ」
逆に、指名されてしまいました。
「じゃあ一緒に行こう。」

「クーちゃんどうしたの?まだ痛い?」
「どうしてあの女の子、私のこと咬んだんだろう?」
「えーお姉ちゃんのほうだったの?」
「そうだよ、弟ちゃんのほうも噛もうとしたけど、それは避けられたの。」
「きっと、クロちゃんの腕がどのくらい柔らかいか、知りたかったんじゃないの?」
とマルちゃんが言うと (マルちゃんが噛むときはそういう理由なのか、、、と今わかりました。噛んで確かめたいのか、、)
「違うと思う、だって、こうやってつまんでみれば、柔らかいかどうかわかるもん。」
と自分の腕をもう片一方の手でつまみながら、クロちゃんは答えます。

私だって、わかりません。確かにマルちゃん説があってればいいのだけど、クロちゃん同様、信じがたいのです。
「うーんママに怒られて、怒ってたとか?」と私 (私が噛んじゃう時はそう言う理由かな?)本には、よく母親の愛情が足りない子が噛むとか書いてあるけど、、、
「だって、私だってママに怒られるけど、そんなことしないよ」とクロちゃん (愛情が足りなくったって、クロちゃんは噛まないみたいです)
「そうだよね。そうだけど、、、、でも、もう過ぎちゃったことだし、他のことしたら?」
「うーん、でもどうして咬んだのかな??」クロちゃんは納得しません。
「今度咬まれそうになったら、押しちゃったりしてもいいから、避けることも重要だよね。」と私が言うと
「押すのはいけないよーーただ、よければいいことだけなんだから。」
とまたまた、平和主義のマルちゃんにお叱りを受けてしまいました。マルちゃんは身振り付きでよけ方を教えてくれます。そうだった、そうだった。
「どうして、咬んだんだろう???あの女の子の髪、赤くってまっすぐで、目は青かったなー。弟ちゃんも髪は赤かったけどくるくるだった。目はお姉ちゃんと同じ、、」
微細に思い出しています。クロちゃんにとっては、とても重要なことのよう。

「いたずらっ子だったんだよ」マルちゃんが言うと
「そうだと、私も思う。」とクロちゃんはやっと納得したよう。

ママもそう思う。ただ、ただ、いたずらっこなだけ、、、。でも大人はいろいろなレッテルをはめてしまうのです。
子供だって噛みたいこともあるよ。大人だってあるんだから。

少し大人になったクロちゃんは、またマルちゃんと遊び始めました。







母来伊

2013-06-18 16:10:51 | 白雪姫プロジェクト
今週末から3週間近く、私の母が日本からイタリアへやって来ます。
今73歳。東京からローマまで、一人でアリタリア航空の直行便の乗って来ます。数年前までは、フィレンツェに住んでいたこともあって、乗継便などでも来ていたのですが、今は直行便で12時間かけてきてくれます。飛行機の中では、数独をしたり、編み物をしたり、映画を見たり、本を読んだりしているようです。いつも手荷物も沢山です。

母に会えるのもうれしいですし、娘も私も、既定重量ギリギリまでトランクに詰めて持ってきてもらう、日本からのお土産も楽しみです。
私は、数か月前から、アマゾンなどで買い物をして、実家へいろいろなものを送ります。それをトランクに詰めて持ってきてもらいます。

今日はお買い物ができる最終日、買い忘れていた、玄米麹を買いました。お味噌を作るためです。
お味噌も持ってきてもらうのですが、自分で作ると、ちょうど前のお味噌が終わる時期に出来上がって、常に新しいお味噌を食べれるのです。
日本のようにどこに行ってもお味噌が、買えるわけではないので、とてもいい方法だと思っています。もちろん毎回同じようにはできないのですが、それも面白味の一つです。
あとは納豆菌、これも持ってきてもらいます。私は納豆はあまり好きではなかったのですが、こちらで妊娠中、胎児にいいというのを読んで、自分で作って食べていました。そうしたら、上の娘のクロちゃんの大好物になってしまいました。下の娘の時は食べてなかったので、下の娘は鼻をつまんで食べません。月に数回、ヨーグルトメーカーで作って、冷凍庫に保存しています。これも日本にいたらしてなかっただろうなー。
それと、本。いくら電子本ができても、ブックオフで買う楽しみには代えられません。電子本になってないものも多いし、まだまだ何冊も持ってきてもらっています。これはすごく重いので、あまりお友達には頼めないのですが、やはり母には、山と持ってきてもらっています。孤独な時間が多い海外の生活で、どれだけ本に助けてもらったでしょう。

母もいつも、いろいろなものを工夫を凝らして持ってきてくれます。冷却剤を詰めてこちらではなかなか手に入らない、新鮮なお魚をもってきてくれて、こちらにつくと、お寿司を作ってくれたこともありますし、冷奴や、明太子はいつも持ってきてくれます。お弁当を作ってきてくれたこともありますし、中華ちまきを作って持ってきてくれたりもします。

私は母とは遠くに住んでしまっているので、普段会えないのですが、1年間に数週間は一緒にいることができます。もしかしたら、日本にいる、姉や兄より、大人になってから母と一緒にいる時間は多いのかもしれません。

母と会うといつも、お互い元気でいれるといいね、そうしたらまた一緒に旅行できるから、と言いながら過ごします。母は、元気で毎年、孫たちに会いに行けて、幸せだと言ってくれています。
母のお金の使う時の口癖は、「健康だから、できることよね。お薬や、お医者さんに払うと思えば、楽しいことに使えるんだから」といって、喜んで使っています。
好きなコンサートに行ったり、お芝居に言ったり、日本でも元気に遊んでいます。数か月前は一人で、タヒチに行ってきたそうです。私達には、こちらに来ると、旅行をプレゼントしてくれます。今年は母とオランダに行きます。きっとまたオランダへ行くときあの決まり文句を言ってくれるんだろうな。
母は、73歳で生まれつき気管支が弱い以外はなんの、病気もなく、薬も飲まずにいる健康法を、自分の手料理で生活する、食生活健康法を体現している人です。
今から一緒に過ごすのが楽しみです。

お別れ会

2013-06-17 12:04:09 | 子育ておやそだて
夏休みになりました。5月は天候不順が続いていて、みんな夏を待ち遠しく思っていたのですが、いきなり夏、あつーくなってきました。
今週末は、夏休み前のお別れ会の連続で、大忙しでした。
幼稚園のお別れ会は、エコエネルギー公園への遠足でした。ウンブリア地方の森の中にあるソーラーパネルが連立している施設へ、子供と親をふくめて、40人ほどで訪れました。
朝は、子供たちのワークショップ、ひんやりとした森の中を探索したり、イノシシの牙や蛇の抜け殻をみたり、ハーブの香りを目隠しをしてあてっこしたりしました。

おひるごはんはお弁当持参なので、みんなで一緒に、お弁当を食べました。
日本ではおにぎりと、麦茶なのですが、こちらではサンドイッチと、お水、が主流です。
サンドイッチも、ハムと、パンをもってきて、目の前でパンにはさんで食べる、というシンプルさ。お母さんが朝5時起きでお弁当を作る、というようなことはしません。私は、朝サンドイッチを作るのさえ面倒だったので、グラタンを前日に作って、朝オーブンに入れて持っていきました。上の娘はみんなサンドイッチを食べている中、お皿に入った、グラタンを食べるのは恥ずかしかったようで、最初は、私は食べないと言っていたのですが、おなかがすいていたので、武士は食わねど高楊枝というわけにはいかず、食べていました。

食べていると、下の娘のお友達のエレナちゃんがやって来て
「マルちゃん、もう私とはお友達ではないのね、、」としくしく泣きながら訴えてます。
よく聞いてみると、マルちゃんと一緒にお弁当を食べたかったのに、マルちゃんは勝手に、違うところで食べてるから、悲しいとのこと。
エレナちゃんのご両親も遠くから心配そうに見守っています。
下の娘は、とりあえずおなかがすいていたので、バクバク食べていて、お友達との約束を忘れちゃったみたいです。
マルちゃんは、グラタンの入ったお皿をもって、
「ごめんねー。」と言いながら。
エレナちゃんの隣の席へ移動していきました。
一件落着。

マルちゃんのきまり

2013-06-13 16:33:36 | 白雪姫プロジェクト
下の娘マルちゃんは昨日、幼稚園のお庭で遊んでいて、お友達のシモン君に押されて、ポールに顔をぶつけてしまいました。
帰り道に、歯が痛いと言っていました。
歯を見てみると、前歯が少しだけぐらぐらしています。
うーん、、、母親としては、歯がぐらぐらするくらいぶつかったのなら、すごく痛かったはず、まだ痛いのか――。少し心配です。

「ねえ先生に話した?」
「ううん、だって、シモン君わざとやったんじゃないから。それにいつも、オシオキ(ある程度の時間一人で座ってなきゃいけないそうです。)を受けてるから、一日中オシオキを受けてることになっちゃう。」
「でも痛かったんでしょ。」
「うん、泣いちゃった、そしたら、リカルド君が先生に、言っちゃって、結局、一日中オシオキ受けてたの」
「そうか、」
「でもわざとやったんじゃないのに、一緒に遊んでただけで、まだまだ一緒に遊びたかった、、。」

親はいつも心配で、やっぱり元気すぎる子は、きちんと先生に、見てもらいたい、叱ってもらいたいと思ってしまうのです。
先生も、私たちもどこかで、オシオキは必要って思ってる、でもそれはほんとかな?他の選択はないのかな?

娘の言っているように、シモン君、わざとやったんじゃないし、何度罰を受けても、繰り返してる、ということはオシオキは良い結果を生んでない。

私達は、ある意味、行動を繰り返してるのなら
行動⇒結果⇒良/悪⇒痕跡⇒しるし⇒動機⇒衝動⇒行動

大人は
遊ぶ⇒事故⇒悪⇒叱る⇒オシオキ⇒面白くない⇒もっともっとやっちゃおう⇒遊ぶ

マルちゃんは
遊ぶ⇒事故⇒良⇒話す⇒許す⇒してしまったことを理解する⇒もうやらないようにしよう⇒遊ぶ

という、選択をしたいのかなって思う。

母親が、子供達に起こったことを許すことはすごく難しい、でも子供は、いまだに歯が痛くっても、すでに許してたりするんだよね。
いつも後れをとってるのは、私たちだったりする。



子供を捨てよ、町へ出よう

2013-06-10 14:47:08 | 白雪姫プロジェクト
昨日の日曜日は、瞑想のセミナーが朝の9時から午後の2時半まであったので、行ってきた。楽しかった。

子育てを始めて、一番大切なのは、私たちお母さんが、元気なことなんだなって、実感して、子供をほっぽいても、それ以上に大切なのは、自分。私が元気じゃなきゃ、子供は、元気になれないし、愛せない。

お母さんていうのは、子供が生まれて、病院を出た次の日から、お母さんのプロになることを、求められる、授乳だって、おむつ替えだって、入浴だって、着替えだって、一度もしたこともないのに、いきなり、これはお母さんだから、できること、ということのもとに、子供と一緒に暮らさなくちゃいけない。これには驚いた。だって、ほんとに何も知らないのよ、でも、子供は私がいなくちゃ生きていけない、逃げられない。特に、私は親兄弟が遠くにいたため、すべて一人で、こなさなくちゃいけなくって、24時間365日、子育てに没頭しなくちゃいけなくなった。当たり前のことだけど、母親になるって、すごく難しいことだったのと、みんなやってるから、できると甘く見てたけど、子育てはそう甘くはなかったな。

一瞬たりとも、というか、常に、何かを要求してくる子供と、一緒に暮らしていくのは、並大抵のことではなかった。特に甘やかされて育てられた私にとっては、誰かに何かを与えるだけの仕事なんて、すごくつらかった。これは私だけの話で、子育て本とかには、こんなに素晴らしい仕事はありません、とか、子供の愛情に勝るものはないとか、いろいろきれいな言葉が並べられているけど、子供がおなかにいるときから、1年以上睡眠時間を最小限に削られて、3時間おきに起きて授乳をしたりしていると、子供ってかわいいな、という感覚は、自然なものじゃないんだなって、常に文化的なものなんだなとか、そういうことを考えてしまう自分が、なさけなかったな。自分がほしくって産んだ子供さえ、十分に愛せないのって、何てだらしないんだろうって、常に思ってた。普通に仕事をすれば、それなりに、お金ももらえて、認められてもらえる。でも、子育ての仕事はやって、当たり前。常に休日返上で働かなくちゃいけない。しかも、次々に、新しい難題が出てくる。ありがたいことに子供が育ってるから、問題は変わってくものだけど、答えもなかったり、時間が解決してくれたり、いまだに問題を抱えて生きていかなくちゃいけない。わからない、できない、そんな感じで、それでも、どうにか、こうにかその場をとり作って、日々暮さなくっちゃいけない。そんなことより、やらなくっちゃいけない仕事は山積みで、終わりのない、日常を送ってく。

他のお母さんは、あんなに子供を愛しているのに、「自分は何てなさけない母親なんだろう」なんて、意味のない、劣等感を抱えて、子育てをしていくのはつらかったなあ。

二人目の子供が生まれて、うれしい以上に、大変だーという気持ちを持っている時間が多かった時に、どうにかこうにか、子供と一緒にいて、楽しいって思えるのは、どうすればいいんだろうって、本気で考えたし、落ち込んだ。それから、子供のためのマニュアル本や、雑誌は、シュタイナーだろうが、魔法の言葉だろうが、すべて捨てた。だって、こんなに疲れてるのに、「お母さんの気持ちはぜーんぶ子供たちに伝わっています。おちついて、愛をもって子供に接してください。」とか書いてあるんだけど、意味は分かるけど、疲れているおかあさんには意味のなさない言葉で、逆に子供って、霊能力者じゃないんだから、そこまで、突き詰めて、お母さんの愛情を搾り取らなくってもいいんじゃないかなって今でも思ってる。お母さんだって人間だから、どうしよもなく、なることもあるよ。
例えば泣き方で、子供の欲求が分かるとかよく言うけど、2人の娘を育てて、私には最後まで、おなかがすいてるのか、おむつをかえてほしいのか、抱っこしてほしいのかなんてわからなかったから、とりあえず、思いつくものはすべてしてた。今でも、なんでこんなに子供が泣くのか、わからない時もあるし、途方に暮れることもある。感受性に欠けていたかもしれないけど、子供はどうにか育ってくれたもん。

例えばよくある状況として、下の娘に、授乳していると、上の娘が、台所で、箱に入ってる2㎏お米をぜーんぶ、テーブルの上にぶちまけて、お水の入った、ペットボトルが傾いて水がぜーんぶこぼれ出てて、テーブルの上はぐちゃぐちゃで、夕ご飯の準備は8時近いのに何もできてなかったりして、そうこうしているうちに、旦那さんが返ってきて「まだ夕飯できてないの? 汚れたおむつが、まだ部屋に転がってるよどうして?」と聞かれて、
それでもお母さんが、笑ってられる、なんていうのはありえないと分かったから。
そういうのが、子育ての日常で、ゆったり、楽しく、子育てなんていうのは世間の常識だってわかったから。私の常識はちがくっても、それはそれでいいのである。

あとは、母親が、子供を育てなくてもいいんだってわかった、大変だったら、ベビーシッターさんでも、親でも、兄弟でも、保育園でも、子供がいくら離れたくなくて泣いても、どんなに小さくっても、預けたほうがいいんだっていうことはわかった。母親が育てることが最良なことでもなくって、逆に、害をなすこともある、母親だけじゃなくって、多くの人と一緒に子供は育てなくちゃいけない。そこに変な罪悪感とかをもっちゃいけないよね。もしパチンコがしたかったら、いくらお金がかかっても、ベビーシッターを雇ってでもしたほうがいい。これは子育てより大切とか、大切じゃないなんてどうして決めれるんだろう。仕事をしなくてもいい専業主婦や、子育て中のすべてのお母さんが、もっともっと、簡単に子供を預けれる、社会になってくれれば、いいのにっ。実際には、子供を必要なく怒ってしてしまうお母さんだって、すごく苦しんでるんだから。
もちろん助けを求めたときに、政府や、国は何もしてくれないかもしれない、ボランティア団体だって、何もできないかもしれない、近くにいる人も何もできないかもしれない、でもね助けは求めなくちゃ、やってこない。
私の子育ては惨敗だったかもしれない、でも、逆に、できることは助けてあげれることは、何でも率先して口にして、してあげたいなって思えるようになれた。どういうことがお母さんが必要としているかもわかるようになれた。

私は、子育てを始めてから、ヨガの先生になるセミナーに通ったり、そのセミナーが終わった後も、常に、講義に行ったり勉強を続けている。それは自分のため以上に、家族のために最良なことをしてるんだっていうことが分かってる。ヨガ自体がどうのこうのじゃなくって、自分らしさを見つけてとかでもなくって、ただ単に、私に家族以外に行くとこや、やることがあって、私が元気になって帰ってくれば、娘たちも元気になれる。日曜日にママがいなくったて、パパもいるし、映画に行ってもいいし、違う日曜日が味わえる。
がみがみ言ってる暇があったら、子供を捨てよ、町へ出よう、いつもそう思ってる。