【僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る】
高村光太郎の『道程』の中の一節です。
確か、高校時代の友人がこの言葉を文集に書いてたような。
何気に覚えてた言葉なんですが、最近ふとこの言葉を思い出しては心の奥でつぶやいています。
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
原型は随分と長くて102行もあったとか。それをここまで削って凝縮された言葉に作り上げたそうです。原型も読みましたが、この詩の言いたいことには、こんなにも深い背景と思いがあったんだと思いました。
この詩にでてくる「父」とは、自然のことであり、「道程」とは人生の道のりということのようです。広大な自然に支えられ、人生の道程を歩いて行こうということなんですね。
『道程』という詩の背景は、もっとストイックで深くて重いものなので、筆者の人柄には似合わないかしらんと思いつつも、勝手に座右の銘にしてしまいました。
筆者の日常は、重くて深いものでもないし、のほほーんとしているんですが、怠け者だからこそ、少しでも前向きでありたいと思っています。
「自分は何のために生まれてきたのか?」そんなことは知りません。
「これから何が待ち受けているのか?」なんて、現時点では全くわかりません。
ただ、自らの存在が、何となくでいいから誰かの役に立っていればそれでいい。
時に、自分の過去の行いや置かれている状況を悔やんで、否定したり、悲観的になったりする事もあるかも知れませんが、自分自身が歩いてきた道(過去)を変えることなんて出来ません。変えることが出来るのは未来だけ。全ては自分の心がけ次第。
だからこそ今、どうにか前に進むことを考えないと・・・。
時に、疲れたら休んだらいい。そして、そのうちまた歩き出すことになるでしょう。
筆者は、また新たにこんな言葉も思い出しました。
【歩いて歩いて 歩き疲れたなら からっぽの心で空をみればいい そこがどんなところか】(『からっぽの心で』より)
高村光太郎の『道程』の中の一節です。
確か、高校時代の友人がこの言葉を文集に書いてたような。
何気に覚えてた言葉なんですが、最近ふとこの言葉を思い出しては心の奥でつぶやいています。
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため
原型は随分と長くて102行もあったとか。それをここまで削って凝縮された言葉に作り上げたそうです。原型も読みましたが、この詩の言いたいことには、こんなにも深い背景と思いがあったんだと思いました。
この詩にでてくる「父」とは、自然のことであり、「道程」とは人生の道のりということのようです。広大な自然に支えられ、人生の道程を歩いて行こうということなんですね。
『道程』という詩の背景は、もっとストイックで深くて重いものなので、筆者の人柄には似合わないかしらんと思いつつも、勝手に座右の銘にしてしまいました。
筆者の日常は、重くて深いものでもないし、のほほーんとしているんですが、怠け者だからこそ、少しでも前向きでありたいと思っています。
「自分は何のために生まれてきたのか?」そんなことは知りません。
「これから何が待ち受けているのか?」なんて、現時点では全くわかりません。
ただ、自らの存在が、何となくでいいから誰かの役に立っていればそれでいい。
時に、自分の過去の行いや置かれている状況を悔やんで、否定したり、悲観的になったりする事もあるかも知れませんが、自分自身が歩いてきた道(過去)を変えることなんて出来ません。変えることが出来るのは未来だけ。全ては自分の心がけ次第。
だからこそ今、どうにか前に進むことを考えないと・・・。
時に、疲れたら休んだらいい。そして、そのうちまた歩き出すことになるでしょう。
筆者は、また新たにこんな言葉も思い出しました。
【歩いて歩いて 歩き疲れたなら からっぽの心で空をみればいい そこがどんなところか】(『からっぽの心で』より)