本日は、2018.02.07に、久しぶりに訪問した越畑城について書きたいと思います。
越畑城に初めて行ったのは、1983年の晩夏だったと思います。
自転車で片道1時間近くかかる場所で、勇んで出かけたものの、なかなか場所がわからず、
日の暮れ時に地元の人に場所を聞いてやっと判明した・・・・こんなことが記憶に残っています。
以前は、城址碑もあったが、関越自動車道工事のおりに行方不明になった・・・どこにあるのかわからないとの
事でした。城址のふもとの民家の方に伺ったのですから、城址碑は本当になくなってしまったのだと、
残念な気がいたしました。
二度目に尋ねた時は、晩秋・・・その時も、夕暮れ時でした。
下の写真は、おそらくその時に撮影したものだと思います。
わたしの記憶では、もっと写真があったようにも思ったのですが、見つかりません。
さて、今回は、久しぶりに越畑城を訪ねようと思い立ち、2月7日に奈良梨陣屋、越畑城、杉山城の順に回ってみました。
越畑城は関越自動車道の工事に伴って、本丸を失い、現在残っているのは、愛宕神社を祀った二の丸と、その周囲だけです。
今回は、周囲の現況を含めて、探索したいと思いました。
越畑城の周囲には、山仕事で利用された旧道が残されており、そうした場所や二の丸以外の山腹の平場を確認することも
目的となっていました。
越畑城に登るルートは、関越自動車道の北側の陸橋を利用して登るのが一般的になっているようですが、
わたしは、ずっと南側の二の丸側からのルートを利用しておりました。
ですが、前回の訪問から長い年月が経過しているため、いざ現場に立ってみると、記憶がかなりあいまいになっていました。
とりあえず、関越の南側に沿ったルートを登り始めました。ところが、以前・・・といっても、30年近く前のことですが、
以前利用できたはずの道はすっかり篠やぶになって、入ることができません。
いや、実際には、無理をすればはいれたのですが、崖ギリギリの山道になっており、
足を踏み入れた先に地面がなかったので、びっくりして引き返さざるをえなくなりました。
状況から見て、この山道は、ほぼ完全に利用されなくなっているようでした。
そこで、ふもとで道探しをしました。
何か所か登れそうな道がありましたが、ここでは私の記憶に一番近い、沢筋の道を登ることにしました。
いきなり倒木があって進行を遮られます。
ところがこのルート、途中で樹木が道を遮るようにして倒れているのです。
1人で山道を登っているとき、こうした意味ありげな倒木に出会うのはかなり恐怖を感じます。
構わず、のりこえ少し行くと、また1本・・・・また1本・・・・。
この写真の辺りに来ると、人為的に削平した平場があって、興味を惹きますが、沢筋の道がどんどん険しくなり始め、
一度引き返すことにしました。
下に降りると、年配の方が畑仕事をしていました。
何だか、初めて越畑城に来た時とほぼ同じ展開・・・・30年前と同じように道を尋ねることにしました。
その方によれば、私の選んだ沢筋ルートは、イノシシ、シカが出現するかなり危険なエリアで
イノシシは襲ってくるうえ、道も途中で消滅するとのことでした。
関越道の反対側、北ルートを使って登ることを薦められました。
北側の関越道沿いに進み、関越の跨道橋を利用するルートです。
わたしには初めてのルートになります。
また、前回は地元の人に訪ねても所在のわからなかった城址碑も、関越道の反対側にあると教えられました。
まず、跨道橋手前から、関越道沿いに入って城址碑に向います。
30年前の高校時代にはたどり着けなかった、幻の城址碑はあっけなく見つかりました。
さて、次は、いよいよ残された城跡、二の丸に向い、跨道橋を渡りました。
つづく
越畑城に初めて行ったのは、1983年の晩夏だったと思います。
自転車で片道1時間近くかかる場所で、勇んで出かけたものの、なかなか場所がわからず、
日の暮れ時に地元の人に場所を聞いてやっと判明した・・・・こんなことが記憶に残っています。
以前は、城址碑もあったが、関越自動車道工事のおりに行方不明になった・・・どこにあるのかわからないとの
事でした。城址のふもとの民家の方に伺ったのですから、城址碑は本当になくなってしまったのだと、
残念な気がいたしました。
二度目に尋ねた時は、晩秋・・・その時も、夕暮れ時でした。
下の写真は、おそらくその時に撮影したものだと思います。
わたしの記憶では、もっと写真があったようにも思ったのですが、見つかりません。
さて、今回は、久しぶりに越畑城を訪ねようと思い立ち、2月7日に奈良梨陣屋、越畑城、杉山城の順に回ってみました。
越畑城は関越自動車道の工事に伴って、本丸を失い、現在残っているのは、愛宕神社を祀った二の丸と、その周囲だけです。
今回は、周囲の現況を含めて、探索したいと思いました。
越畑城の周囲には、山仕事で利用された旧道が残されており、そうした場所や二の丸以外の山腹の平場を確認することも
目的となっていました。
越畑城に登るルートは、関越自動車道の北側の陸橋を利用して登るのが一般的になっているようですが、
わたしは、ずっと南側の二の丸側からのルートを利用しておりました。
ですが、前回の訪問から長い年月が経過しているため、いざ現場に立ってみると、記憶がかなりあいまいになっていました。
とりあえず、関越の南側に沿ったルートを登り始めました。ところが、以前・・・といっても、30年近く前のことですが、
以前利用できたはずの道はすっかり篠やぶになって、入ることができません。
いや、実際には、無理をすればはいれたのですが、崖ギリギリの山道になっており、
足を踏み入れた先に地面がなかったので、びっくりして引き返さざるをえなくなりました。
状況から見て、この山道は、ほぼ完全に利用されなくなっているようでした。
そこで、ふもとで道探しをしました。
何か所か登れそうな道がありましたが、ここでは私の記憶に一番近い、沢筋の道を登ることにしました。
いきなり倒木があって進行を遮られます。
ところがこのルート、途中で樹木が道を遮るようにして倒れているのです。
1人で山道を登っているとき、こうした意味ありげな倒木に出会うのはかなり恐怖を感じます。
構わず、のりこえ少し行くと、また1本・・・・また1本・・・・。
この写真の辺りに来ると、人為的に削平した平場があって、興味を惹きますが、沢筋の道がどんどん険しくなり始め、
一度引き返すことにしました。
下に降りると、年配の方が畑仕事をしていました。
何だか、初めて越畑城に来た時とほぼ同じ展開・・・・30年前と同じように道を尋ねることにしました。
その方によれば、私の選んだ沢筋ルートは、イノシシ、シカが出現するかなり危険なエリアで
イノシシは襲ってくるうえ、道も途中で消滅するとのことでした。
関越道の反対側、北ルートを使って登ることを薦められました。
北側の関越道沿いに進み、関越の跨道橋を利用するルートです。
わたしには初めてのルートになります。
また、前回は地元の人に訪ねても所在のわからなかった城址碑も、関越道の反対側にあると教えられました。
まず、跨道橋手前から、関越道沿いに入って城址碑に向います。
30年前の高校時代にはたどり着けなかった、幻の城址碑はあっけなく見つかりました。
さて、次は、いよいよ残された城跡、二の丸に向い、跨道橋を渡りました。
つづく
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