熊本県川柳研究協議会(熊本川柳研)

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「壺」19号(2020.1.10発行)から

2020-06-13 11:40:12 | 川柳一般

「壺」は熊本番傘お茶の間川柳会が年4回発行する柳誌です。「壺」19号からー私の川柳創世記⑭ーを転載します。なお、原稿は縦書きで、改行による空行も原稿どおりではありません。

◆◇ 私の川柳創世記⑭  ◇◆

玉名川柳会  中原 たかお

川柳は麻薬である。簡単に作れるし、やめられなくなる。そしてほとんどの人が中毒する。

定年後の惚け防止のため、何をしようかと考えていたとき、テレビの肥後狂句を知り投句した。初投句、初入選して面白くなった。肥後狂句なら熊日新聞がいいと聞き、早速新聞を換えた。新聞で川柳に興味を持って、これも我流で始めた。どちらも今も我流のままである。

初めて新聞に掲載された日は、晩酌が一本増えた。

  日曜大工段々低くなる机  森中惠美子 選

二年後、何と、県川柳協会大会に、何も知らずに参加したのである。今考えると、知らぬこととはいえ、冷や汗ものであった。その会場で、玉名から来たと知って、紹介されたのが、宮本凡器会長(当時) で、早速、玉名川柳会への入会を勧められた。

当時は、凡器会長の同級生八名を中心に、投句者もわせて三十四名の会員だった。川柳会はほとんど、凡器会長宅で開かれ、川柳談議で盛り上がった。数年後、凡器会長が入院されると、同級生が次々に退会した。その上、高齢の会員が相次いでやめてしまった。凡器先生の居ない川柳会はエンジンを失くした舟であった。平成二十~二十一年頃出席者五~六名の月もあり、存続か、解散かで話し合った。解散したら、玉名から川柳の火が消える。とにかく頑張って存続させようと決まり、皆会員増に奔走した。一人、二人と見学者が来て「面白うそうだから」と又、友達を誘い現在では、私が入会した頃とほぼ同じ会員数にまで回復した。しかし、安心は出来ない。高齢化の波は容赦ない。加えて病欠も数名あり、会員数は減少傾向にある。

これから先の玉名川柳会の活動方針は、前会長、井上孝幸氏(故人)の提案された「あ・な・た」=「あかるく」「なかよく」「たのしく」である。まるで幼稚園で見かけたようだが、まず「たのしく」なければ長つづきしない。他の会では、会員のレベルアップ策をいろいろやっているらしいが、玉名では会としてはやらない。やる気のある人は各自がそれぞれ勉強している。楽しむかレベルアップか、川柳に対する考え方はそれぞれだから、これでよしとしよう。

すでに会員は私も含めて、ほとんどが川柳に中毒している。もう回復は見込めないので、どっぷり浸かり、せいぜい子孫に遺す一句ができればと思っている。



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