熊本の川柳人 宮本美致代(1924~2018)
前回のプログで本研究協議会の「ひのくに」6号から、嶋本慶之介さんが書かれた「忘れられない 川柳人 冨安 清風子さん」を紹介しました。その最後には次のように書かれています。「私には川柳で清風子、宮本美致代さんの二枚看板は不動です」と。その宮本美致代さんについて紹介します。
美致代さんは大正13年(1924年)東京市生れです。小学校の時にお父様の里である熊本にご両親とともに帰って来られました。熊本城下の新町で町屋造りの家にお住まいになられていました。
美致代さんは、時実新子さんとも交友がありました。新子さんの「川柳大学」に参加されました。朝日グラフの新子座年間準大賞も受けられました。現代俳句の会にも所属されていた美致代さんの川柳はジャンルをこえたものがありました。粋でおしゃれでそしてぐさりと刺さる川柳を詠まれました。
愛憎やこわれやすきは砂糖菓子
雪月花大好き嘘はもっと好き
新子川柳の王道といえるような風を感じます。真正面から影響を受けられたことがわかります。
炎をつけるために花買う肉を買う
喪があける一気に鯖の首はねる
この鯖の句を知らない川柳人は熊本にはいないと言っても過言ではありません。
次の3句のように肩の力を抜かれた句もまた本当の美致代さんです。
生き方はあなたまかせの鍋つかみ
ところてんつるりと今日を言いぬける
おでん煮る厄介なこと引き受けて
お若い頃はご夫婦でガラス屋さんを営まれていました。
言いわけはよそうガラスは割れるもの
プラスチックザル積み上げて離婚する
美しくお辞儀をされて負けている
ユーモア、皮肉、穿ちなどという川柳の定義を忘れ、共感を得るということは遠くに置き、ましてや虚か実かなどは一笑に付した突き抜けた詠みがみられます。
次2句は俳句の章から引用しました。
春眠のドミノ倒しの途中なり
言葉尻のみこんでいる根深汁
俳句も何の違和感もなく川柳と繋がって読むことができます。
私が川柳を始めたころはすでに、美致代さんは大川柳作家でした。全国で名前を知られた数少ない熊本の川柳人といえるでしょう。そしていま、娘さんが川柳を継いでなさっていることが何より素晴らしいことです。
これからも熊本の宝であるところの川柳人を少しづつ紹介していきます。(Y)
川柳と写真の引用は『句集 新町四丁目』宮本美致代 平成22年4月20日発行から