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モハ1005ーモハ1006ークハ2003 が 好き

大好きな伊豆箱根鉄道を中心に、思い出の電車のことや、「小さな旅」のことなどを書き綴りたいと思っています。

101系の方向幕

2012-04-26 19:19:00 | 国電 101系
通勤型国電の方向幕、79形の末期から登場しましたが、101系のものは103系と比べ、やや横幅が狭かったです。
また、101系の幕は布製のものもあったり、当時は中距離の臨時対応のためなど、様々な行き先も入っていました。

支線のように両行き先を矢印表記したものは、狭い方向幕ではかなり苦心が見られるようでした。
赤羽線の『池袋⇔赤羽』には2種類のタイプが存在しました。


   ↑  池袋・赤羽が縦向き文字
   ↓   池袋・赤羽が横向き文字


書体もずいぶんレトロなものでした。
山手線が103系された後も、この赤羽線だけは101系8両×5編成が残され、南武線の新性能化まで活躍しました。


武蔵野線には0番台よりA基準に改造された1000番台が活躍していました。
当初は、府中本町⇔新松戸間でしたが、方向幕を見るとまるで『府中⇔松戸』のように一見見えました。
この辺は、京急の『神奈川・・・』を省略するのと同じ発想のようです。




更に、南武支線『尻手⇔浜川崎』にも、『尻手』と『浜川崎』が一段のものと、二段のものがあり、矢印の形状も違いました。両先頭車で前後で違う編成もありました。


   ↑  クモハ101-130 1996年3月2日 浜川崎駅
   ↓  クモハ100-178 1996年3月2日 尻手駅


武蔵野線と南武支線では、ローマ字が併記されていませんでした。


今のようなデジタル時代では、このような変化が無いのも寂しいものです。
新しい駅名などにもすぐに対応できてしまいますし…

五日市線や相模湖臨で、幕が無いため方向板を助手席編成番号部に掛けていたのが好きでした。
そんな時は、101系の方向幕に白幕が無かったのか、行き先の真ん中で止めていて半分他の行き先が見えているのも何だか面白かったです。

京浜東北線 101系

2012-04-25 20:33:00 | 国電 101系
西武電車を見て育った私にとって、家の都合で沿線を離れ、引越先の京浜東北線は全く別の世界でした。
とは言っても、当時はまだ73系が健在でした。その吊り掛けモーターの音もやがて聞かれなくなり、103系ばかりの京浜東北線に、50両の101系が中央線・総武線からやって来た時は、103系の低い喧しい音に比べ、高く軽い音は心地良いものでした。
線路沿いにあった中学の教室の窓からよく眺めていたものでした。
授業中も、101系の音に、席の離れた101系好きの友人と相槌を打ったものでした。

そんな中、特に好きだったのがクモハ100-18でした。
初期製造車で、京浜東北線に移ってからも暫くはパンタグラフが唯一、PS-13でした。
写真撮影時は残念ながら、PS-16化されていましたが…

1976年1月22日 浦和電車区 クモハ100-18他


わずか50両しか無いにも関わらず、編成には10両貫通あり、横浜側先頭がクハ100のものあり、サハ101-200 の2両続きなど、結構いろいろと楽しませていました。
たまには10両貫通編成と3+7編成を繋ぎ代えた変則編成が走ったり、入場中のサハに変わってMc-M’の入った8M2T変則編成が出たりと、なかなか興味尽きないものでした。
また、一次関西線の101系6両×2編成が借り入れられ、これを6+4の変則でウグイス色の101系が走ったのには驚きました。
ただなぜ関西線の車両がわざわざ上京したのか、今でも謎です。

そんな101系の変化を追いかけ、ウラ電(浦和電車区)にはよく行ったものです。
再三の写真撮影にも快く受けていただき、電車区内を歩き回ったものです。
当時の運転事務所の方には本当に感謝しております。

その101系も、南武線の新性能化などのため、数年で103系に置き換えられてしまいました。ほぼ同時期、私も西武沿線に引越すことになりましたが…

1977年2月20日 浦和電車区 クモハ100-120他


電車区内では実際には使用されなかった、こんな方向幕も見られました。