愚有多楽日記

アウトドアと旅行,読書・映画の個人的な日記

明日は山へ行くぞ

2004年09月30日 20時46分55秒 | 登山
台風が通り過ぎて、明日は荒れるはずである。ただし、2日間だけ。
登山に出かけようと思う。
前回東北の山をめぐったが、登り残した山が2つある。
その、高松岳と甑山に登ろうと思う。
やっと、登山に行ける。うれしい。

どこへも行けない

2004年09月29日 22時30分04秒 | 日常生活
台風が来ている。西日本では大変な被害がでているようだ。今年は、本当に台風が本土を直撃することが多い。
山に登れない~~と叫んでいたが、考えてみたら、18日に丁岳に登っていたのだから、まだ10日しかたっていないではないか。
私は本当に、家にじっとしていることができない人間なんだと思う。
明日はこの仙台に台風がやってくるが、1日には通過して天気は回復するはずだ。そうしたら、近くの山に登ろうと思っている。
でも、家にいるおかげで、ホームページ作りはすすんで、今、20の山についてできあがっている。週2回のアップロードでは追いつかなくなってきた。

図書館で思った

2004年09月28日 13時24分11秒 | 日常生活
今日、図書館に行っていろんな雑誌をみていた。
なんかやりたいことがいっぱい出てくる。
今月の「山と渓谷」は大峰山の奥駈けの特集を組んでいた。私も大峰山の全山縦走をしてみたいと思っている。八剣山から南のコースに憧れてしまうのだ。
今年はもう無理だけど、来年の春に挑戦してみたい。でも、大峰山は世界遺産に登録されてしまったので、人出が多くなるんだろうと思う。それを考えるとちょっとおっくうになってしまうのだが。
「旅と鉄道」という雑誌があった。
私は鉄道旅行がけっこう好きなのだ。たくさんの山を登るためには車で出かけることが多いのだが、縦走で鉄道を使わなければいけないときは、極力各駅停車で出かけたいと思っている。私は、今、日本アルプス全山縦走を計画しているのだが、それは親不知から後立山の縦走から始めようと思っている。そして、仙台から親不知まで各駅停車で出かけようと思っているのだ。仙台を朝6時に出発して、親不知に着くのは夜の11時過ぎになる。楽しい鉄道旅行になると思うにだが、天気が晴れてくれない。
グズグズしていたら雪が降ってくるではないか。
テルテルボウズでも下げるしかないか。
図書館で雑誌を眺めながら、こんなことを考えていた。

チャットの設定をした

2004年09月27日 22時04分06秒 | 日常生活
今日も天気がよくない。台風も来ていて、これでは当分登山には行けそうもない。
寒くなる前に北アルプスに行きたいのだが、早く秋晴れがやってきてほしい。
今日は仙台に行って、マクドでインターネットをしていた。
その中で、Yayooメッセンジャーを使ってチャットができるように設定を完了した。
ともかく、山に行けないと暇で暇で気が狂いそう。

御手洗潔のメロディを読んだ

2004年09月26日 21時09分16秒 | 読書
島田荘司の生み出した名探偵「御手洗潔」にシリーズを、私はなぜか欠かさず読んでいる。
最近の推理小説は、こうした名探偵を登場させるというのはめずらしくて、それでいてこの御手洗シリーズは、けっこう本格推理小説なのだ。
名探偵といったら、シャーロックホームズやポアロとかが思い浮かぶのだが、日本でいったら金田一耕介や明智小五郎なんか。最近は漫画でもけっこう本格推理と思う作品もあって、金田一少年の事件簿とか名探偵コナンなんかがかなり面白い。
漫画はともかくとして、金田一にしろ明智にしろ、日本の生み出したこの代表的な名探偵というのは、原作を読むと、すごく風采があがらない容貌をもっている。
作者の横溝正史に言わせると、金田一は渥美清や西田敏行がイメージに近いというのだからその容貌がわかるというものである。
この御手洗潔は、容貌はともかくとして、すさまじいばかりの変人であることには間違いない。
私はこの変人ぶりが好きで、ついこのシリーズの本を見つけると買ってしまうのだ。
ただし、今回のこの本は内容が私の好みではない。
御手洗のプライベートな部分を書いた本で、私は推理小説が読みたかったのだ。
まあ、御手洗潔の圧倒的なファンもいるらしいので、そういう人が読んだら、ずいぶん楽しめる内容なのかもしれない。

[御手洗潔のメロディ

2004年09月26日 21時08分45秒 | Weblog
島田荘司の生み出した名探偵「御手洗潔」にシリーズを、私はなぜか欠かさず読んでいる。
最近の推理小説は、こうした名探偵を登場させるというのはめずらしくて、それでいてこの御手洗シリーズは、けっこう本格推理小説なのだ。
名探偵といったら、シャーロックホームズやポアロとかが思い浮かぶのだが、日本でいったら金田一耕介や明智小五郎なんか。最近は漫画でもけっこう本格推理と思う作品もあって、金田一少年の事件簿とか名探偵コナンなんかがかなり面白い。
漫画はともかくとして、金田一にしろ明智にしろ、日本の生み出したこの代表的な名探偵というのは、原作を読むと、すごく風采があがらない容貌をもっている。
作者の横溝正史に言わせると、金田一は渥美清や西田敏行がイメージに近いというのだからその容貌がわかるというものである。
この御手洗潔は、容貌はともかくとして、すさまじいばかりの変人であることには間違いない。
私はこの変人ぶりが好きで、ついこのシリーズの本を見つけると買ってしまうのだ。
ただし、今回のこの本は内容が私の好みではない。
御手洗のプライベートな部分を書いた本で、私は推理小説が読みたかったのだ。
まあ、御手洗潔の圧倒的なファンもいるらしいので、そういう人が読んだら、ずいぶん楽しめる内容なのかもしれない。

映画「砂の器」をみた

2004年09月24日 22時39分00秒 | 映画
これは昭和49年に封切られた松竹映画で、監督は野村芳太郎である。
最近、テレビの連続ドラマでもあったが、まったく比較にならない。
原作は松本清張の小説なのだが、映画が原作を超えたすばらしい作品だと思っている。
ヒットした小説を映画化するというのはよくあることなのだが、そのほとんどは原作を超えることはない。
この作品は橋本プロの第1回作品となっている。この橋本というのは、脚本家の橋本忍のことなのだ。私はこの橋本忍のファンなのだ。
たとえば「八甲田山」という映画が作られるが、これも橋本忍が脚本を書いているのだ。
黒澤明の映画には、この橋本忍がほとんどにおいてかかわっている。
ともかくすばらしい脚本家だと思う。
私は音楽についてはまったくドシロウトなのだが、昔こんなことを聞いたことがある。
音楽というのは、同じ曲であっても指揮者によってまったく別のものになるというのだ。
私には、その曲が「カラヤン指揮」とかいわれても、どこがどう違うんだと思ってしまうのだが、映画では思いあたってしまう。
松本清張の小説も読んだけれども、この映画は、原作とはまったく別のものだと言い切ってもいいくらいすばらしい。
後半で流れる「交響曲宿命」という音楽もすばらしいし、日本の四季をめぐる親子の旅の映像が美しい。
映画って本当にいい。

遠野物語を読んだ

2004年09月23日 13時46分11秒 | 読書
これは民俗学の大家、柳田国男が著した本である。昔読んだことがあるのだが、東北の登山旅行で遠野に立ち寄ったのでもう一度読んでみたくなったのだ。
遠野物語というのは、柳田国男が自分の大学の後輩である千葉某の話しと書き取ったものである。だから、小説でもなんでもなくて、その著作権が本当に柳田にあるのかと、疑ってしまいたくなるのだが。
この中に書かれているのは、遠い昔の話しではない。
この本の解説にも書かれていたが、今昔物語とは明確に違っている。今昔物語は「今は昔…」で話しが始まり、遠い昔のことを扱っている。
ところがこの遠野物語は明治の初めの、実際に体験したことについて書かれているのだ。
その不思議の体験者が実際に生きていたり、つい数年前に死んだとか、そうした間近かな出来事の話しなのだ。
その中には座敷ワラシもいれば、河童もいる。山人や山姥、天狗のこと、隠れ里、神隠し、そんないろんな不思議の体験談がつづられているのだ。
この本で書かれていることは、まるで「京極夏彦」の世界のようである。
何年ぶりかで、この本を読んだのだが、この異様な不思議な世界に引きずりこまれるのを感じた。
面白かった。

ただ、京極夏彦の小説のせりふで言ったら、「この世には不思議なことなど、なに一つないのだよ」ということになるのだが。
例えば、山人と天狗は西洋人が難破して、山に隠れ棲んでいたのかもしれないし、神隠しは人攫いとか記憶喪失によるものかもしれない。
理屈で考えていったら、いろんなことは考えられるのだが、それではちょっと…つまらないではないか。

仙台に出た

2004年09月22日 10時02分04秒 | 日常生活
今日は雨である。天気が回復するのは日曜日からになるらしいので、その間は家にいるしかないのだ。
仙台で、会社の先輩にあって、いっしょに昼を食べた。
会社を離れて、9ヶ月になるのだが、どこの業界も厳しいのにはかわりがないようだ。
日曜からはまた、東北の山を4日ほどでまわろうと思っている。

「恋を追う女」を読んだ

2004年09月21日 09時12分05秒 | 読書
山崎洋子著のこの本にはサブタイトルに「小説マリー・ローランサン」とつけられている。
マリー・ローランサンというのは1900年代の初め、巴里で活躍した女流画家である。
この本を読んで、あの絵を描いたのがマリー・ローランサンだったのかと、思いあたってしまった。けっこう私にとっては好きな絵だったのだ。
パステルカラーの淡い色で、その色彩の平面だけの構成で女性を描く画家である。
このマリー・ローランサンの活躍した時代に、重なるのがピカソであったりジリアーニ
であったりする。
私がこの本を読んで、けっこうあこがれてしまうのは、芸術家たちの集うサロンである。
若い芸術家たちが、絵のことだったり、詩のことだったりについて激論したりする。
私も昔、絵を描いたりしていたので、けっこう芸術論なんか好きなのだ。
なにかしら、歳をとってしまうと、そうした若かったときの芸術というか自己表現のための創作、そうしたものに対する情熱が、いつのまにか覚めてしまっている自分に気がついてしまう。
それに気づくと、本当に、寂しいという気がしてしまう。