BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

写本の系統 0413

2024-04-13 | 源氏語り 続
  



 
日本古典文学の享受には作品の形態を考える。書写とその過程にある本文のありようである。本が成立するために写本による編集また編纂が行われることがある。文学作品の継承にはいまの転写ということがあり、いまの時代のような活字出版による通行の成書とは事情を異にする。もちろん、原稿の段階では現在にも起こりうる。

それでは活字本となったいま手にする源氏物語はいつの時代に書かれた、いや、写されたものか。54帖になる長編であるからその経緯にはさまざまな状況があるだろうが、出版の底本となるもので、それは青表紙本と呼ばれ、なかでも三條西家の伝来のものである。一方で、青表紙の大島本の研究が進められてさらに本文が対比される。


ウイキペディアより
>三条西家本(さんじょうにしけぼん)は、室町時代に入ってから三条西実隆が「証本」を元に作ったとされる源氏物語の写本。現宮内庁書陵部蔵(三条西家旧蔵)のものと日本大学図書館蔵(三条西家旧蔵)のものがある。前者は「実隆奥書本」、「実隆加証奥書本」、あるいは奥書の言辞から「青表紙証本」、現所蔵者から「書陵部本」と呼ばれることもある。後者は「三条西家証本」「証本源氏物語」、あるいは現所蔵者から「日大本」と呼ばれることがある。
書陵部蔵本
本写本は全54帖が揃っている写本であり、実隆ほか複数の手による写本である。山岸徳平の校訂による(旧)岩波日本古典文学大系「源氏物語」(1958年(昭和33年) - 1963年(昭和38年))の底本になった。

https://japanknowledge.com/articles/koten/shoutai_21.html
辞書・事典検索サイト | ジャパンナレッジ > 知識の泉 > 古典への招待 【第21回:正確な本文】
> この事態が変る機運を作ったのは、池田亀鑑博士が、大正末年以来の文献学的研究の成果である『校異源氏物語』(昭和十七年、後に『源氏物語大成』校異篇)という校本を土台として、この校本の底本として用いた大島本を中心の底本として、「日本古典全書」の中に、『源氏物語』七冊(昭和二十一~三十年)という手ごろのテキストを刊行したことにあったと思う。
> この『湖月抄』から『首書源氏物語』、定家本青表紙本系統へと翻刻の底本が推移したことは、テキストの編者の本文についての反省――「本文研究」の結果がもたらしたことであった。
> 印刷における「校正」の目標も、いわば「原典の再建」であるが、この場合は、再建すべき原典に相当する「原稿」が存在するから、この目標の達成は不可能なことではない。だが、古典の「校合」「校訂」の場合には、「書本」は現存するが、「原典」は現存しないのが普通のことなので、「原典の再建」ということは、目標として掲げることはできるが、実際の作業は、目標の正体を見定めきれないという非常に困難な事態にあり、ほとんど達成することは不可能であるとさえいわれている。
 『源氏物語』でいえば、紫式部自筆の『源氏物語』が「正確な文章」の原典になるわけで、『源氏物語』の文献学は、この目標を目指して、鎌倉~室町末の間の約百二十部(五十四帖揃いの一部もあり、何帖かの欠本のある一部もあり、中には一帖で一部というものもある)の写本群の本文を資料として、努力してきたが、研究の実際は、諸伝本の本文の異同を一覧しうる「校本」が作られた段階で、足踏みをしている形である。





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