BLOG 思い遥か

日々新たなり/日本語学2020

論理思考

2024-02-03 | 論理的思考2023
  
   
   


論理思考と言えるか。論理の思考、論理を思考する、と日本語では解釈ができる。

思考論理とすると、論理を思考すると読めるが、論理そのものの対象にこのように熟語になることはまれである。

検索をしてみると、論理・思考・分析という書名にヒットする。

ちなみに論理思考も検索ワードになると論理的思考がヒットする。

―的
論理的思考
論理思考


>名詞、特に抽象的な意味を表わす漢語の名詞や体言的な語および句について、体言、または形容動詞語幹をつくる。中国語の助辞の用法にならって、明治初期の翻訳文のなかで、英語の -tic などの形容詞的な語の訳語として二字の漢語につけて用いられ出したもの。
>漢語について、直接、または「な」をともなって連体修飾語として用いられるほか、形容動詞語幹として使われる。
(イ) そのような性質を有する、それらしい、の意を表わす。「貴族的」「悲劇的」「病的」「合法的」「平和的」など。
(ロ) それに関する、それについての、その方面にかかわる、などの意を表わす。「美的」「私的」「科学的」「政治的」「現実的」など。
出典 精選版 日本国語大辞典

―的はときに、ーな となるが、*論理な とは言わないので、論理的とする。
文学思考 哲学思考、経済学思考、社会学思考と、言ってみると、文学的思考、哲学的思考、経済学的思考、社会学的思考となる。
論理思考は検索にヒットしにくいが論理的思考となると、関連検索でグーグルに並ぶ。 
 関連する質問
 論理思考とは何ですか?
 論理的思考ができる人はどんな特徴がありますか?
 論理的に考える人とはどういう人ですか?
 論理思考を身につけるメリットは?

ここで論理的思考の検索ワードとなっているのはロジカルシンキングである。

次は、あるサイトでの導入部である。ロジカルシンキングはビジネスマンのいわばキーワードである。
この回答について論理思考を定義して説明が始まるようである。

>「“論理的思考”という言葉を、皆さんなりの言葉で言い換えてみてください」
4~6名でグループを組み(※)、ホワイトボードに各グループの意見をまとめてもらいます。グループワークの後に各グループのホワイトボードを眺めてみると、多少の違いはありますが、ほとんどのグループで以下のような言葉が並んでいます。
筋道が通っている
納得感がある
客観的である
因果関係がある
構造的である
一貫性がある
思い込みがない
感情的でない
理性的である
妥当性がある
話に飛躍がない  など
「論理的に考える」ってどういうこと?ロジカルシンキングの基本を学ぶ#2【定義/メリットとは】
 思考 投稿日:2019.05.02 更新日:2023.08.29
 https://globis.jp/article/6992


また書籍紹介より、その流行を見る。2000年代になってのことか。

>てビジネス社会のなかでも、個人のコミュニケーション能力不足がささやかれるようになってきた。私たちの社会が個々人のコミュニケーションによって成り立っている以上、仕事でも家庭でもコミュニケーションがうまくいかなければ、物事は何も進展しないし、問題も解決しない。
では、コミュニケーション能力が低下しているとはどういうことか。1つには、相手が何を言いたいのか、思っているのかを引き出す能力が低下していることである。もう1つは、自分の伝えたいことを相手にうまく伝えられない、ということである。そこに欠けているのが、論理的な思考と論理的表現能力である。
 ロジカル・シンキング (Best solution) 単行本 – 2001/4/1
 照屋 華子 (著), 岡田 恵子 (著)
>論理的に思考を整理する技術:MECEとSo What? / Why so?
MECE(ミッシー)ー話の重複・漏れ・ずれをなくす技術

論理思考は論理的思考としてロジカルシンキングにとらえる思考法となる現代である。


なお、ウイキペディアに次の解説がある。
>野矢茂樹 [3『新版 論理トレーニング(哲学教科書シリーズ)』(野矢茂樹, 産業出版, 2006年)] により、論理的思考という用語自体について、論理は思考力を意味しないため誤解を招く使い方であるという指摘がなされている。
野矢[3]は次のように記述している。なお、論理学で扱う論理は以下の引用における「狭い意味」の範囲である。
「論理的思考力」とか「ロジカル・シンキング」といった言葉がよく聞かれるように、論理とは思考に関わる力だと思われがちである。だが、そこには誤解がある。(中略) 論理力は思考力そのものではない。思考は、けっきょくのところ最後は「閃き」(飛躍)に行き着く。(中略) 思考の本質はむしろ飛躍と自由にあり、そしてそれは論理の役目ではない。(中略) 論理力とは思考力のような新しいものを生み出す力ではなく、考えをきちんと伝える力であり、伝えられたものをきちんと受け取る力にほかならない。
狭い意味では演繹という関係だけを「論理」と呼ぶが、(中略)広い意味で「論理的」であるとは、さまざまな分野主張のまとまりが、たんに矛盾していないというだけでなく、一貫しており、有機的に組み立てられていることを意味している。











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