はぐれぼけぼうし

鹿児島拠点の日記をメモ的に残す。

人工力と自然力

2007年06月20日 11時06分19秒 | 自然とともに
 本日の昼過ぎだったか、ある番組で「君島十和子」さんという方が語っておられた。
「肌(皮膚)の美しさを保つには、紫外線から肌を守るということがもっとも大切。」というようなことだったのだろうと思っている。この守るための所業は、まさに人工力であるなあ、と思った。
 人間、守る所作なく出歩けば、紫外線にさらされることは必定。しかも昨今のオゾンホールとかで南極でなくともオゾン層は薄くなっていることだろう。つまり、紫外線の強さは強くなってきているにちがいあるまい。物理的力は小さいとしてもそれを実行する力がはたらかないと肌はドンドン傷んでいくらしい。単に、陰に入るくらいなら人間でなくとも行動するが、紫外線をより多くカットする素材を開発したりそれを身にまとったりする所業、この実行力こそ人工力の典型的例なのかもしれない。
 大多数の男ではなかなか気のつかないことであるが、逆に大多数の女性は気に留めないないこととは何か?を考えてみたくなった・・・。(07年7月25日18:08)


 以下、07年6月20日以前の記述。
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 工場といえばモーターなどの動力で駆動する(物を動かす)、という風景を一変させている工場があるというような番組があった。台車つきのパレットに重い物を載せると台車がある位置まで(あたかも動力無しで)移動しその物を降ろすと、台車はあたかも意思を持っているかのように元の位置に戻って次の荷物が載るとまた同じ動作を繰り返す、というものであった。ヒントは、昔(江戸時代)のからくり人形にあったそうである。
 これらは、人が作り出したものであるが動力を用いる必要が無いので自然力による運動と考えてよいのではなかろうか。つまり自然力による運動である。これに対してモーター(エンジン)などを用いるものは人知によって生み出される力を用いているので人工力による運動と考えよう。この二つの力の具体例として対照的なものとして、「ジェットコースターと新幹線」、「グライダーとジェット機」があると思う。どちらが好きかは個人差があるだろうが、私はいずれも前者が好きである。理由は静かだから。好き嫌いは、別にしてどちらが経済的か?となると話は複雑になる。経済性とは、「得た金額÷かかった時間」と考えるか、「得た金額÷元の金額」と考えるかでも議論はいろいろ出てくる。ただしハッキリしていることは、人工力を加えたスピードや到達点などを自然力だけでは超えることは不可能である、ということである。
 ジェットコースターは、滑り始める最高点を越える高さを走ることはできないし、最低地点でのスピードを超える速さを出すこともできない。宇宙船の飛行におけるスィングバイなる技術は自然力を大いに利用している技術であるが、それに人工力を加えることによってより効率よい運動を得ることができる。

 私には、前出の「コーヒーとお茶(緑茶)」においてもそのような類似点があるように思われるのである。西洋医学の薬と漢方薬といった関係にも似ているような気がする。自然の生きているもの(より複雑な構成をもつもの)とその中からエッセンスを抽出した(ある目的のために)最も効率よく作用する成分との違いといってもよいであろうか。目的によって有効性が変わるでろうと思う、つまりコーヒーがお茶に劣っているとは言い切れないと思うのである。
 もちろん、弊害も考えられるし、実際に警告もされているようである。体液中のカフェイン濃度がある一定値を超えると・・・、という具合である。

 先ほどの動力の場合も人工力による場合は、エネルギーを与え続ける必要があり、それは永遠に続けることは不可能と思われる。エネルギーを加え続けることができなくなったとき、それらは自然力の科学法則に従うことになる。(2007-06-20 11:06)
 

 このように考えると、人類をふくめた生物の活動とはいったいどこまでを自然力とかんがえればよいのか。

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