K.H 24

好きな事を綴ります

短編小説集 GuWa

2021-09-27 04:46:00 | 小説
第什陸話 怒
 
「いつからなんだろう、怒ってた方がいいと思い始めたのは、君は覚えてるかい、僕は怒ってばかりいたよね、教えてくれないか」
 はっきり見えないが、恐らく、男性であろう、傍にいる人物にトチロウは疑問を投げかけた。
「それは、君がいちばんに分かってると思うよ、思い出したらいいじゃないか」
 トチロウが思うように、答えてくれた影のような人物はやはり男性で、自分自身と同じ歳くらいだろうと声色から推察できた。
「ありがとう、答えてくれて、そうか思い出せばいいのか、分かったよ」
 言葉をかけて無視されないかとも思っていたトチロウは返答してくれて安堵を覚えた。その影の言葉にしたがって、頭のなかの記録を探り出した。
「君にとっては、やけに素直だね、その方が楽なんだと思うよ」
「本当だ、気分は変わらないみたいだ、その上、ワクワクするかな、楽だね」
 トチロウは清々しい表情を見せた。
「そう、その調子だ」
 影はトチロウのその姿に喜び、笑みを浮かべた。
 
「ガキの頃は、これやっちゃ駄目だ、お前ができるわけがないとか、母ちゃんとか、姉ちゃん、兄ちゃん達にいわれてた気がするなぁ」
「そんなこといわれただけで怒ったのかい君は」
「いやぁ、何度も何度もそんなことをいわれるうちに僕は自信がなくなった気がする、いや、自分から何か新しいことをすることができなくなってたような、そうだ、母ちゃんと父ちゃんがいない時は、兄ちゃんに無理なことをやらされたかな、姉ちゃんは笑ってたかな、なんだか嫌な気持ちだな」
「いつもそうだったわけじゃないだろ、君は運動も勉強もできたはずだよ」
「思い出したよ、兄ちゃんや姉ちゃんに負けたくないから同級生には余計に負けたくない気持ちが強かったんだ、そうだよ、僕はとてつもない負けず嫌いで、負けないための行動は怒るのを原動力にしてたんだ、みんなを力でねじ伏せて、授業は先生の話を集中して聞いてたよ」
 トチロウは影の言葉で記憶を蘇らせてきた。
「足は速いし、勉強もできるから、目立ってたよね、でも、みんなには優しくしきれなかった、確かに弱いもの虐めはしなかったけど、君が怒り出すと誰も手がつけられなかったよね」
「うん、酷いことをしてしまった、頭に血が昇ると自分でも止められなかったんだ、歳を重ねて身体が成長していくと自分でも怖くなったよ、友達を殺すことさえできるって思ってた」
「それに気がついた時は我慢してたね、辛くはなかったかい」
「辛かったなぁ、僕はどんどん身体が強くなっていった、それに伴って僕の周りから友達は減っていったよ、中学生になると朝とか下校の時は独りぼっちだった、その方が楽だと思いながら寂しくも思ってたよ」
「そうだろうよ、独りは寂しいもので、独りでは決して生きていけないからね」
 影の促しは、トチロウの回想を活性させた。
「社会人になったばかりの頃は楽しかったような気がする、仕事を頑張れた、先輩達を追いかけて成果を出すのに夢中になれた、でも、先輩達は目の前から消えていったんだよ、その頃は何とも思わなかったけど、今は悲しくなるよ、何でだろう」
「きっとその時は目の前の目標が見えてたからだろうよ、その次の次までの目標が持てていたら、その頑張りは君が疲弊しないような行動に変えられていたんじゃないかな」
「そうだ、疲れてしまったんだ、いつのまにか僕は上に立ってて、下からも上からも押し潰されていたんだ、そして、また、怒ってしまった、怖かっただろうなぁ、僕に怒られた子達は、でも、僕だって怖くなってたよ、もう会社には行きたくなくなったよ、ん、行けなくなったんだ、そうだそうだ、数ヶ月も家から出れなくなったんだ、で、死ぬかと思ったことがあったな、手先と足先、お腹が冷えて来て顔があげられなくなって、心臓が締め付けられるような感覚になって、鼓動も激しくてとてもとても怖くなったんだ、何だったんだろう、あれは」
「君はパニック発作を起こしたのさ、頑張り過ぎたんだ、周りの人ばかりに気を遣って限界だったんだよ、教えてあげたじゃないか、副交感神経に切り替えるための深呼吸の仕方、三秒吸って一五秒吐くんだ、さぁ、やってごらんよ」
「うん、やってみるよ」
「上手にできなくなったみたいだな、また、練習すればできるようになるさ」
「息を吐くのが難しいや、できるようになってたよね、また練習するよ、それと、先生から薬を出してもらってたよね」
「ああ、君は勝手に飲むのをやめたんだよ、ナオコが薬を飲まなくていいようになりたいってことを聞いてさ、薬が必要な時は飲まなきゃね、僕が薬を渡すことはできないんだ」
 影はそれをいうと家のなかの照明を全てつけた時のようにいなくなってしまった。
 
「タカギさん、落ち着いたようだね、もう大丈夫だね、注射を打ったからそれが効いてきたようだね」
「あっ、先生、ありがとうございます、また僕は、発作を起こしたのですか」
「はい、今回は酷い発作でした、嫌なことでもあったのですか」
 今度は、トチロウの主治医のミタライが問いかけてきた。
「はい、よくは覚えてませんが怒ってしまったようです」
「きっと、また頑張り過ぎたのですね、沢山、我慢したのですね、タカギさんは優しいおひとだから」
「はい、よくは覚えていないのですがそのようです、先生、ここはどこですか、僕はその注射で眠ってしまったのですか、身体が動かしにくいです」
「ええ、病院です、もう少ししたら起き上がることができますから」
 トチロウは閉鎖病棟の病室のベッドに拘束されていた。
 
「タカギトチロウさんですね、聞こえますか、ご気分はいかがですか」
 トチロウが眠りから覚めかけて、目を半分くらい開いた時にクッションが張り巡らされた壁の一部が開いて、そこから帽子とベストを外した制服姿の警官が数人入ってきて、一人の警官が声をかけてきた。
「は、はい、だ、大丈夫です」
 そういうと、警官たちはトチロウの左右の手首と足首を縛っていた厚めのスポンジを布で覆った拘束具のベルトを外してた。そして、起き上がるのを手伝ってくれた。
「えっ、ここ病院なんですか」
 トチロウは起き上がり、ベッドの淵を両手で握りしめて座ると、天井と床、四方の壁にふかふかしてそうな真っ白いクッションが目に入り、少し目眩を起こした。そして、ベッドの頭側の壁には主治医のミタライがもたれて座り、一人の男性看護師が顔を殴られてできたような傷の手当をしていた。
「先生どうなさったのですかそのお怪我、大丈夫ですか」
 ミタライは頷くだけで、言葉を出せないでいた。
「タカギさん、聞いてもらえますか、私は警察のものです。一旦ではありますが、あなたを暴行致傷罪の容疑で緊急逮捕します、恐らく、お病気のせいで錯乱して暴力を振るったようですが、起訴はされないと思います、逮捕と告げましたが、後程取り消しとなって記録には残りませんので、だから、前科もつきません、とりあえず、刑務所の病院に移って頂いて、安全を確保して、警察病院の医師の診察を受けて、あなたに会った病院に入院して頂くことになります」
「僕は暴力を振るったのですか、発作を起こしたわけではないのですか」
 目の前の警官にそういうと、ミタライが喋り出そうとしたが、言葉にはならなかった。

「タカギさん、発作かもしれません、ミタライ先生が怪我をしてしまったので、私が警察に連絡しました、ミタライ先生は急を要するような怪我ではありませんから、病状が悪化したのかもです、ですから、しっかり治療なさって下さい」
 看護師のヨシダは、警察官がトチロウに説明している状況を見て、強ばった表情が緩んでいた。
 
 トチロウは両手を背中へ組まされて手錠をかけられた。そして、それを真っ白な布で丁寧に見えないように隠されて、警官達と病室を出ていった。

「安全を考えてのことですからね、少し辛抱なさって下さいね」
 病院の裏口から外へ出ると、警察の白に黒いラインが入ったバンの最後尾の席に二人の警官と一緒に乗り込んだ。柔らかいタオル生地の猿轡で口を強めに縛られた。トチロウの目から大粒の涙が溢れ落ちた。
 
「怒りが止まらなくなるのですか、それで、喧嘩になったりしませんか、怒りは溜めないほうがいいので、アンガーコントロールをお習いになるといいですよ、こちらから公認心理師を紹介させて頂きますので、カウンセリングを受けながら学んでいかれて下さい」
 
 トチロウは数年後、メンタルヘルスの電話相談を受けつけるミタライが開業した病院の相談員として従事していた。
 
 終


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