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夏期講習 センター試験古文第三回補充

2008年08月03日 | 連絡事項など
夏期講習 センター試験古文 第三回『建礼門院右京大夫集』

みなさん、こんにちは。
以下、授業でふれられなかった第三回の現代語訳と解説を載せておきます。

『建礼門院右京大夫集』は、平清盛の娘(建礼門院徳子)に仕えた右京大夫という人の歌集です。
第三回の長文は、平家が壇ノ浦で滅びてから、戦場で死にきれなかった建礼門院徳子が京都の嵯峨野で尼になっているときいて、右京大夫が久しぶりに会いに行く場面。
和歌の好きな人なので、和歌以外の部分にもきれいな表現が使ってあり、やや読みにくかったかも知れませんね。

まずは現代語訳から。

現代語訳
 女院が大原にいらっしゃるとだけはお聞き申し上げていたけれど、(今女院にお仕えしている)適当な人に(私のことを)知られていなくては参上することもできなかったのだが、女院をお慕いする深い心を道しるべにして、無理にお訪ね申し上げたところ、だんだんと近づくにつれて、山道の様子からして、まづ涙が先に立って、いいようもなかったが、女院の御庵の様子、お住まい、ご生活の有様など、すべて目もあてることができない(ほどにひどかった)。昔の華やかなご様子を見申し上げていない人でさえ、このあたり一帯の有様は、どうしてこれが普通のことと思うだろうか、いや思わない。まして、(私は昔の様子を知っているのだから、)夢ともうつつともいいようがない。秋深い山おろしの風が、近い梢に響き合って、掛樋の水の音、鹿の声、虫の音など、どこも同じことであるけれど、今の私には比類のない悲しさである。都では美しい衣装を着重ねてお仕えした人々が六十数人いたけれど、昔の姿を見忘れるような様子で衰えた尼さんの姿で、わずかに三、四人だけがお仕え申し上げてなさっている。その人々とも、「それにしてもまあ・・・」とだけ、私も相手も言い出したことだった。あとはむせぶ涙に沈んで、ことばも続けることができない。

 今や夢=今が夢なのか、昔が夢だったのかと迷わずにはいられなくて、どう考えても、これが現実とは思えない。

 あふぎみし=昔、宮中で仰ぎ見た女院さまが、こんな深い山にお住まいのお姿を拝見するのは悲しいことです。

 花の美しい色つやや、月の光にたとえても、一通りのことではもの足りなかった女院の美しい御おもかげが、「別人か」とばかり思い迷われるので、こんな女院のご様子を見ながら、何の思い出もない都へといって、一体全体何のために帰るのだろうと、自分で自分のことがいやになり、情けない。

 山ふかく=山深くとどめておいた私の心よ、私がそのまま出家して住むことのできる道しるべとなっておくれ。


解説

問一
ア=2
「わりなし」は「理無し」と書き、「道理に合わない、無理だ」というのが原義です。ここは、しばらく会っていない女院を突然訪ねるのはきまずいのだけれども、どうしても心配なので「無理に」お訪ねしたという文脈です。
イ=4
「やうやう」は「やうやく」ともいいます。意味は、どんな文脈でも「だんだん。しだいに」です。

問二

まず、「AをBにて」は熟語で、「AをBとして」と訳すことに注意。「しるべ」は「道しるべ」のことですから、正解は③だとわかります。女院を訪ねるのは大変なことだったのですが、筆者は「自分の女院への深い思い」を「道しるべ」にして訪ねて行ったというわけです。

問三

この問題は、易しいですね。「見まゐらせ」の「まゐらす」は、授業でやったように謙譲の補助動詞です。謙譲なら「見まゐらせざらむ」で、「見申し上げないような」になります(「ざら」は打消の助動詞、「む」は婉曲の助動詞で「ような」と訳します)。「見申し上げる」というのを、「拝見する」と訳すのはかまいませんが、③「御覧になる」や⑤「お見せになる」では尊敬語の訳しかたになってしまいます。
また、②は「参上させなかった」がおかしいです。「参上させる」なんて敬語は使われていません。④は「うかがわなかった」が変。「うかがう」という敬語も出てきません。
授業中にみなさんの答案を見ましたが、この問題はとてもよくできていました。

問四

 これも授業中にびっくりしたのですが、誤答を出した人を見つけることができませんでした。もっと間違えると思ったけど・・・。
 「さぶらふ」が謙譲語の本動詞、「お仕え申し上げる」なので、前半がわからなくても正解が出せたのかもしれませんね。②以外は「さぶらふ」の訳がむちゃくちゃです。「さぶらふ」から簡単に答えは②とわかるけど、いちおう「春の錦」ということばは記憶しておいてください。これは、「①春の美しい衣装 ②花が美しく咲く様子」という二つの意味があります。ここは①の意味で使われているのですね。

問五

 傍線dの直前に、華やかな昔とは変わり果ててしまった人々の様子が述べられていることに注意してください。また、この直後の歌に、「今が夢なのか昔が夢なのかわからない」という歌が詠まれていることも。
 ①は「昔見た都の春の光景」が文中にありません。②は「女院の身に万が一のことがあれば」という心配が文中に見いだせない。③は「出家の志をとげた」が変です。女院とその周囲の女房たちはともかく、この時点で作者が出家していたと考えられる表現はありませんから。⑤は「都の春より山里の秋の情趣がすばらしい」が変ですね。「都の春」と「山里の」秋の比較論など、文中のどこにも出てきません。

問六

「一方なり」は「一通りだ」という意味。「あかず」は重要熟語で、「満足しない・もの足りない」という意味です。すると、「一方にはあかざりし御おもかげ」とは、「一通りのことではもの足りなかった(女院さまの)御おもかげ」ということになります。
「あらぬか」は、「(女院さまには)あらぬ(人)か」ということ。「たどる」には注意してください。この単語は「①探し求める ②思い迷う」という意味。「ただらるるか」の「るる」は自発の助動詞なので、「あらぬかとのみただらるる」で、「別人かとばかり思い迷わずにはいられない」という訳になります。
以上の点を考慮すると、正解は④。これは少し難しかったかもしれませんね。

問七

 消去法でいきましょう。
 まず、①は「笑いものにされる」が変です。誰に笑いものにされるのか、明白ではありません。そもそもここは、「かかる御事を見ながら(こんな女院の有様を見ながら)」都に帰って行く自分が「うとましく心うし(いやで情けない)」という文脈。作者は他人の思惑なんて気にしていません。
 ②は「女院に嫌われて」が変ですね。そんな話はどこにも出てきません。
 ④は「女院に対する愛情が消え去った」がおかしい。これも文中に根拠がありません。
 ⑤は「女院にお仕えする人々の生活を」というところがずれています。「かかる御事を見ながら」は、どう考えても「女院」のこと。少なくとも「女院と、女院にお仕えする人々」というべきです。作者がここで、女院は抜きにして、「人々の生活」を思いやっているとは思えません。

問八

 これも、授業中に見ると、むちゃくちゃよくできていました。現代語訳をご参照いただければ問題ないと思いますが、一つだけ今後のために注意。
 まず、「雲の上」ということばです。これは、「①空 ②宮中」。②の意味に注意してください。それから、和歌中の「月」は、貴人や恋人の比喩として歌に詠まれます。「雲の上の月」というのは、「空の月」であると同時に、「宮中にいた女院様」ということでもあるのですね。

問九

 これは授業中に覚えていただきましたね。


次に、『紫式部日記』の補充です。

26ページ補充
(現代語訳)
 一日中、中宮様は、たいそう気がかりそうに起きたり臥したりしてお暮らしになった。僧は中宮様にとりついた物の怪を(よりましに)移し、大声で騒いでいる。数ヶ月来、たくさんお控えしているお屋敷内の僧は言うまでもなく、諸国の山々寺々を訪ねて、修験者といわれる限りの者は、残りなく参上して祈るので、「一切の諸仏もこの祈りをどうお聞きになっているだろう」と思いやられる。また陰陽師といって、世にいる限りの者を召し集めて祈るので、「八百万の神も耳を振り立てて聞かない神はあるまい」とお見受け申し上げる。お寺への使者も、一日中立ち騒ぎ、その夜は明けた。

 現代語訳の中で、二行目の「よりまし」というのはわかりますか?
 昔、貴人にとりついた物の怪を追い払うときには、まず貴人から物の怪を駆り出してg別の人に移しました。その別の人を「よりまし」といいます。ここでは、中宮彰子にとりついた物の怪を駆り出して、「よりまし」に移しているわけです。

 単語は14行目の「日一日(ひひとひ)」に注意。これは「一日中」という意味。
 15行目、「さらにもいはず」は重要熟語です。「いうまでもない・もちろんだ」という訳語を覚えておきましょう。
 16行目、「三世の仏」は「すべての仏」という意味なのですが、受験生としては「三世(さんぜ)」ということばに注意してください。「過去・現在・未来」の三つを「三世」といいました。「前世・現世・来世」と覚えておいてもかまいません。
 18行目「動詞+暮らす」は、「一日中~する」という意味の補助動詞です。授業でもふれましたが、補助動詞はセンターに頻出なので注意が必要です。

 では、残りの夏休み、悔いのないようにお過ごしくださいね!