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第十一講・第十二講『平家物語』

2008年11月30日 | フレッシュアップ古文
 みなさん、こんにちは。
 二学期の授業お疲れさまでした。
 授業でふれられなかったところを以下にまとめておきたいと思います。参考にしてくださいね。

 まず、5行目。
□しかじ、うき世を厭ひ、まことの道に入りなむには。
(出家して、仏道に入るのにこしたことはないだろう)

 「しかじ」に注意してください。これは頻出語です。
 普通は「しかず」という形が辞書に出ています。「しかず」には二つの意味があり、

①AはBにしかず〈AはBに及ばない〉
 (例)百聞は一見にしかず。〈百回聞くのは一回見るのに及ばない〉
②  Bにしかず〈Bにこしたことはない〉
 (例)逃ぐるにしかず。〈逃げるのにこしたことはない〉

②の方が大切ですから、しっかり覚えておいてくださいね。
 また、よく出てくる形として、

※ しかじ、Bには。〈Bにこしたことはないだろう〉
 (例)しかじ、まことの道に入りなむには(「な」は強意、「む」は婉曲の助動詞)。
    〈仏道に入るのにこしたことはないだろう〉

というのがありますが、これは、「Bにしかず」をひっくり返して「しかず、Bに」にし、さらに「ず」を打消推量の「じ」に、「Bに」を強めて「Bには」にしたものです。
 軍記物語などの中世の作品によく出るものなので注意してください。

 さて、7行目以降は、とりあえず重要語のみを先にチェックしたいと思います。

 まず8行目「心強し」。これは、「①意志が強い ②つれない」という意味。②がよく出るので気を付けること。
 9行目の「あくがる」は有名ですね。「①離れさまよう ②疎遠になる」。
 10行目の「なつかし」は大丈夫でしょうか。これは「なつく」という動詞の形容詞形です。「犬が人間になつく」というときの「なつく」。これを形容詞にしたものが「なつかし」ですから、クンクンクンと尾を振ってなついていきたい気分をあらわします。「①したわしい②好ましい」という意味。ここは②で訳しましょう。
 12行目「やすらふ」は「休らふ」と書きます。「①立ち止まる ②滞在する ③ためらう」。
 13行目「たづねかぬる」の「かぬる」は、補助動詞「かぬ」の連体形が、動詞の「たづぬ」にくっついています。補助動詞の「動詞+かぬ」は「~が難しい・~できない」という意味ですから、「たづねかぬ」で「訪ねることができない」という意味になります。
 その下の「むざんなり」は「①残酷だ ②痛ましい」という意味。現代語でも「伊勢エビの無残焼き」といえば①の意味ですし、「英雄の無残な最後」といえば②の意味ですよね。
 最後に19行目の「力なし」。これは「力及ばず」ともいい、「どうしようもない・仕方がない」という意味です。かなりよく出ますから、きちんと覚えておいてくださいね。

 では、次に問題の解説を。

 問三は「ねんじゅ」とよみます。意味は「念仏をとなえ、お経をよむこと」。

 問四はわかりましたか?
 いきなり解答をいうと、波線部aのような文体を「道行文(みちゆきぶん)」といいます。
 
□道行文・・・旅行く道の景色や感情を記した七五調の文。
 (例)この世の名残 夜も名残
    死ににゆく身を たとふれば
    あだしが原の 道の霜
    一足づるに 消えてゆく
    夢の夢こそ あはれなれ (『曽根崎心中』)

 「道行文」というのは、出題されるとすぐにわかります。まず「七五調」です。これで一目瞭然。例にあげた『曽根崎心中』は「このよのなごり・よもなごり・しににゆくみを・たとふれば・・・」と、ちゃんと七五調になっているでしょう?波線部aも「うめづのさとの・はるかぜに・よそのにほひも・なつかしく・おほいがはの・つきかげも・・・」とほぼ七五調。「おほいがはの」のところだけはちょとリズムが狂っていますが、あとはだいたい七五調です。
 それから、この「道行文」は、本来が「道を行く」という意味ですから、必ず登場人物が旅をして行くときにあらわれます。旅ですから「地名」が出てくることが多いんです。傍線部aのところにも、「梅津の里」とか「大井河」という地名が出ているでしょう?
 「道行文」は「悲しい場面」に登場するということも覚えておくといいですね。傍線部aは、横笛がズタボロになって嵯峨野の恋人を訪ねる場面です。例にあげた『曽根崎心中』も、お初と徳兵衛というカップルが大阪梅田の曾根崎に心中に行く場面。どっちも悲しい場面ですね。
 「道行文」はこんなふうに、「七五調・地名・悲しい場面」ということを覚えておくとすぐにわかります。「道行文」はどんな作品でも出てくるわけではありません。軍記物語、謡曲(能の台本)、浄瑠璃(人形芝居の台本)に登場します。それも覚えておくと便利ですね。

 問五は1が正解。これは単語のところを参照。

 問六は「さまをかへ」がどういうことを意味しているかを問う問題。
 正解は「出家する」あるいは「尼になる」「剃髪する」でもOK。
 「出家する」という意味の熟語には、「世を厭ふ・世を離る・世を逃る・世を背く・世を捨る・形を変ふ・様を変ふ・頭下ろす・御髪下ろす・もとどり切る」などがあります。どれも頻出ですので、ここで確認しておいてください。

 問七は1と5。これは「和歌の修辞」を勉強していただいたときに、この和歌を取り出して説明しましたので大丈夫だと思います。

 問八は5が正解。
 歌の意味は以前縁語をやったときに説明したので大丈夫だと思います。簡単に選択肢のあやまっているところを指摘しておくことにしましょう。
 1は「父を恨んでいた」がおかしいです。2は「あなたに会えない運命を恨んでいた私」、また「弓を射るように」という訳も変ですね。「あづさ弓」は、下の「いる」にかかる枕詞です。枕詞は訳しません。3は「あなたと結ばれない運命をはかなんでいた」が変。4は「二人で父を恨んだ」がおかしいです。

 問九は3が正解。これは平治物語のときにやりましたね。テキストの111ページにも軍記についてのまとめがありますので参考にしてください。

フレッシュアップ古文・一学期・第八講第九講『宇治拾遺物語』・解答解説

2008年07月06日 | フレッシュアップ古文
フレッシュアップ古文・一学期補充
第八・第九講『宇治拾遺物語』(27ページ)解答・解説

 みなさん、こんにちは。
 一学期の授業お疲れさまでした。
 『宇治拾遺物語』の解答・解説をアップしますので参考にしてください(テキスト35ページの現代語訳もご活用くださいね)



 まず、文学史から。

 宇治拾遺物語
 〈ジャンル〉説話
 〈成立〉鎌倉初期
 〈作者〉未詳

 『宇治拾遺物語』は「説話」文学といわれています。
 「説話」というのは「人から人に伝わるおもしろい話を文章にしたもの」。
 説話についてはまた授業でもふれますので、ちょっと問四を見てください。


問四
 「勅撰和歌集」について問題が出ていますね。
 「勅撰和歌集」というのは、「天皇や上皇の命令で編集された和歌のベストアルバム」のこと。
 全部で二十一個あるのですが、入試にはそのうちの最初の八つが出題されます。
 それが「八代集」。
 付録75ページに覚えておかないといけないことをまとめてありますが、ここでもポイントを解説しておきますね。

 「八代集」は順番を覚えておかなければなりません。

 古今和歌集(こきん)
 後撰和歌集(ごせん)
 拾遺和歌集(しゅうい)
 後拾遺和歌集(ごしゅうい)
 金葉和歌集(きんよう)
 詞花和歌集(しか)
 千載和歌集(せんざい)
 新古今和歌集(しんこきん)

 です。
 つまらないゴロ合わせですが、「コキン、アトセンべい、シューくりーむ、アトシューくりーむ、金曜 シカ ゼンザイ食べな

い シンコキン」と覚えておくといいでしょう。
 これで、『後拾遺和歌集』が四番目の勅撰和歌集だとわかるはず。
 問四の答えは「4」です。

 次に、撰者(編集した人)です。
 全部知っている必要はないのですが、次の人々だけは覚えておきましょう。

 古今和歌集 = 紀貫之・紀友則(きのとものり)・凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)・壬生忠岑(みぶのただみね)
 後撰和歌集 = 梨壺の五人(清原元輔ら)※「梨壺の五人」は、宮中の梨壺の間で『万葉集』を研究していた五人の歌人をい

         います。「清原元輔」だけは「清少納言」のお父さんなので覚えておく必要があります。
 金葉和歌集 = 源俊頼(みなもとのとしより)
 千載和歌集 = 藤原俊成(ふじわらのしゅんぜい)
 新古今和歌集 = 後鳥羽院・藤原定家ら。

 最後に成立。
 まず、『古今集』から『千載集』までが平安時代だということを覚えておきましょう。
 『千載集』が平安末期で、『新古今集』は鎌倉初期、ということになりますね。
 あと、細かいところでは、『古今集』が十世紀の作品であること。
 『拾遺集』が『源氏物語』『枕草子』と同時代の作品であることも重要です。

 たくさんあって大変ですが、以上のことは、ひまを見つけて覚えておくようにしてください。

 では、次の本文を見ていただきましょう。

――今は昔、治部卿通俊卿、『後拾遺』をえらばれけるとき、
(今ではもう昔のことだが、治部卿藤原通俊卿が、『後拾遺和歌集』を編集なさったとき)

 この時代、勅撰和歌集に歌が入るということは、歌人にとって最高の名誉でした。
 勅撰集に歌が入るだけでも名誉なことですから、その勅撰集を編集するなんて人は、もうその時代の歌の最高権威、歌の世界の

神様のようなものでした。
 その神様のところに・・・。

――秦兼久ゆきむかひて、『おのづから歌などや入る』と思ひてうかがひけるに、
(歌人の秦兼久が出かけて行って、『もしかして自分の歌などが『後拾遺和歌集』に入るのではないか』と思って、(様子を)う

かがったところ)

 兼久は「もしかして」「万一」自分の歌が勅撰集に入るのでは?と期待したようです。
 問一の①を見てください。


問一①

 「おのづから」の意味を明らかにする問題です。
 「おのづから」は「①自然に ②偶然に ③万一・もしかして」という三つの意味を持つ重要単語。
 ここでは以上の文脈から③を選びます。
 また、③は鎌倉時代以降の用法だということも知っておかれるといいですね。
 この『宇治拾遺物語』は鎌倉時代初期の作品ですから、③が出てきてもおかしくないわけです。

 さて、兼久の前に治部卿が出てきました。

――治部卿出で居て物語して、「いかなる歌か詠みたる」と言はれければ、
(治部卿が出て、兼久の前に座って、世間話をして、「(ところであなたは)どんな歌を詠んでいるのですか」とおっしゃったの

で)

 治部卿は兼久に、うれしいことを質問してくれました。
 「居る」は「すわる」、「物語」は「話・雑談」という意味の重要単語です。

――「はかばかしき候はず」
(「しっかり詠めた歌はありません」)

 これが問二です。

問二

 「はかばかしき候はず」を現代語訳する問題。
 ポイントは三つあります。
 
 まず「はかばかし」という形容詞の意味。
 これは、「①てきぱきしている ②はっきりしている ③しっかりしている」という意味。
 ここでは③。

 次に「候ふ」という敬語。
 これは、物が主語なら「①あります」。
 人や生き物が主語なら「②おります」。
 ここは①。

 最後に、「はかばかしき」が、形容詞「はかばかし」の連体形であることにも注意してください。
 連体形の後ろに体言(名詞)がないときは、自分で適当な名詞を補って訳すのがエチケットです。
 たとえば、

  言ふは易く、行ふは難し。

 この「言ふ」は連体形ですね。
 「行ふ」も連体形です。
 こういう連体形の下に名詞がないときは、みなさんが自分で適当な名詞を補わないといけない!
 ちょっとやってみてください。

  言ふ(?)は易く、行ふ(?)は難し。

 どうでしょうか。

  言ふ(こと)は易く、行ふ(こと)は難し。(ことばで言うことはたやすく、実際に行うことは難しい)

 この場合は「こと」がいいですね。
 こんなふうに、連体形が出たのに下に体言がないときは、みなさんが自分で適当な体言を補います。 
 傍線部Aはどうでしょうか。


  治部卿「いかなる歌か詠みたる??」(どんな歌を詠んでいるの??)
 
  兼久「はかがかしき(?)候はず」(いえいえ・・しっかりした(○)はありません)


 このやりとりに注目してください。
 「はかばかしき」の下には何が入るでしょう?
 そうそう。
 治部卿が「いかなる歌」ときいているんですから、「歌」を補うのがいいですね。

  
  治部卿「いかなる歌か詠みたる??」(どんな歌を詠んでいるの??)
 
  兼久「はかがかしき(歌)候はず」(いえいえ・・しっかりした歌はありません)


 兼久は謙遜しているわけです。
 「あなたはどんな歌を詠んでいるの?」ときかれて、「いえいえしっかりと詠めた歌なんかありません」と。
 解答は、「しっかりした歌はありません」あるいは「しっかり詠めた歌はありません」ぐらいが適当ですね。



――「後三条院かくれさせ給ひてのち、円宗寺に参りて候ひしに、花のにほひは昔に変はらず侍りしかば、つかうまつりて候ひし

なり」とて
(「後三条院がお亡くなりになったのち、円宗寺に参りましたときに、桜の花の色が昔と変わりませんでしたので、(次のように

院のために)お詠み申しあげましたのです」と兼久はいって)

 
 謙遜しながらも、兼久は歌を紹介します。
 治部卿が認めてくれたら、『後拾遺和歌集』に入れてもらえるかもしれませんからね。
 問一の②をごらんください。


問一②
 これは「にほひ」という重要単語の意味をきく問題です。
 「にほひ」は嗅覚ばかりでなく、「美しい色つや」のことでもあります。
 問題に出たときはこっちを思い出してください。
 ここは桜の花の「美しい色つや」あるいは「色つや」。
 単に「色」と書いてもいいですよ。


 また、この部分では「かくれさせ給ふ」の「かくる(隠る)」にも注意してください。
 「隠る」は「死ぬ」という意味です。
 下の「させ」は尊敬の助動詞、「給ふ」も尊敬の補助動詞。
 どちらも後三条院に対する尊敬をあらわしています。
 「かくれさせ給ふ」というのは、要するに、「後三条院さまが亡くなりなさった」ということ。
 後三条院が亡くなったあとに詠んだ歌ですから、問三は、


問三
 正解=4(亡くなった人をしのばないということ)


 ということになりますね。
 和歌をちゃんと読まなくても、兼久の説明から、「こぞ見しに・・・」の歌は後三条院の死をいたんだ歌だとわかります。
 こんな歌でした。


――こぞ見しに色も変はらず咲きにけり 花こそ物は思はざりけり
(去年見た花と色も変わらずに今年の花も咲いたなあ。私たちは喪服でいるのに、花は院の死をいたまないのだなあ)


 院が死んでみんな喪服を着ているのに、花だけはピンクに咲いています。
 ということは、花はもの思いなんかしない。
 すなわち、院の死をいたまないのだなあ!
 兼久はそんな歌を詠んだことになりますね。