ごきげん練習帳 〜自分トリセツの作り方〜

自分と人生を楽しむための”セルフ・コーチング”ノート

神様からの課題 〜新型コロナの状況に思う〜

2020年03月17日 | ●日々雑感

 

ごきげんいかがですか?

 

ご無沙汰(ばかり)しております。

 

新型コロナウィルスが

世界に広がりつつありますね。

 

そんな中で、今考えることを

書いてみようと思います。

 

 

●神様のメッセージ

 

いろ~んなことをぜ~んぶすっ飛ばして、

とても乱暴な言い方になることを承知で言うと・・・

 

私は、今回のこの状況は

神様が人類に与えた課題でありメッセージ

と捉えたいと考えています。

(どんなことが起きても、そう捉えちゃうのが

「運命思考」持ちゆえでもありますが・・・)

 

というのは、

この状況を本当に乗り切るためには、

私たちはつながって、

互いに協力し合わないとならない

と思うからです。

 

ウィルスに国境はありませんから、

国と国も争っているときではなく、

互いに協力して、なんとかしなくてはなりません。

今の世界では、

世界のどこかにウィルスが存在する限り、

自国だけがウィルスを排除するということは

ほとんど不可能です。

 

そして、一つの国の中でも、

一人一人、あるいは組織と組織、

組織と個人が協力していかないと、

ウィルスは撲滅できません。

 

そして、そのことを通して、

私たちは、

ウィルスのせいで打撃を受けている私たちの暮らしを、

安心できるものに戻す、

あるいは、

私たちが安心して暮らせるための土台を

根本的につくりかえていく必要があるのだと

思っています。

 

そのために、私たちがいかに上手に協力できるか。

そこに、これからの世界の存続が

かかっている。

 

神様は、私たち人類に

そのメッセージを与えているのだと思います

 

 

 

●世界は一人の人間と同じ

 

世界や社会というのは、

人の身体と同じだと思います。

 

どこか一部でも麻痺したりすると、

身体全体に影響が出ます。

 

それは今回、

日本や世界の経済などが

かなり大変になっていることで

わかりやすく証明されましたが、

新型コロナの問題が出る前から

全く同じことでした。

 

ただ、これまではそのことに気づかなかった、

気づこうとしなかった

という人が圧倒的に多かったのだと思います。

 

 

たとえば、7人に1人の子どもが「貧困」と言われても、

日常にはあまり見えてきません。

虐待やいじめが事件になると「ひどい!」と思うけれど

それが自分のすぐそばで進行している時には

気づかなかったりします。

だから、私たちは、

貧困や虐待やいじめなどと自分の生活とは、交わらず、

別々に存在していると思っています。

 

あるいは、そうした状況は「怖い」から、

自分はそうならないようにしよう、

関わらないようにしよう、と考えて、

「排除」「見ない」「なかったことにする」

という行為を、

無意識にしているのかもしれません。

 

これは、おそらく、人としての本能なのだと思います。

危険に対してはアラートが鳴って、

それを避ける、あるいは排除することで

(まさにfight or flight の状態ですね)

自分の命を守ろうとする。

 

こうして、多くの場合、

「あの人」と「私」の世界は本当に交わることなく、

別々に人生を終えていくのかもしれません。

 

でも。

 

実は、そうやって、

一部の不調を無視することによって、

体の中で病気が進行していくように、

世界や社会全体は、静かに

でも確実に病んでいくのじゃないか、

と思うのです。

 

そして、病気とわかった時には、

もう手遅れで、結局命そのものを落としたり、

あるいは大手術が必要だったり、

ということになるのだと思います。

 

 

●立ち止まって気づくことから

 

ここで、

「見ないようにする」ことが悪だとか、

病気になる人の生活が悪いとか、

そういうことを言いたいわけではありません。

前述したように、それは

人としての本能から来るものだったり、

本人がどうしようもない事情もあるからです。

また、人は誰しも間違うものでもあります。

 

だからこそ。

不完全な私たち人間が、

間違いに気づくための仕組みを作ったり、

間違いに気づいたらそれを改めていく努力を

していく必要があるのだとも思います。

 

これまで、人類は、そうやって医学や科学を

進歩させてきました。

 

人は、幸い、「本能」だけで生きるものではありません。

人には「学習」する力があり、

「知性」「理性」といったものがあります。

 

ただ、それは、”無意識”でいては

使えるものではないかもしれません。

まずは、意識して、立ち止まって、

気づくことが大事なのかな、

と思います。

 

自分が怖れから「見ないふりをしていた」と気づけば、

とりあえず「見てみる」ことができるかもしれない。

見てみて、これまでは発しなかった一言を

伝えてみることで、

その人は、孤独で不安な状態から

解放されるかもしれない。

 

災害の場でも、一人でも多くの人が

支援される側からする側へとなることができれば、

一気に回復のパワーが2倍になります。

「-1」が無くなって「+1」が増えるわけなので、

目盛りはマイナス1からプラス1へ

2つ分、動きます。

 

そうやって、ちょっとずつ、

立ち止まって、気づいて、

これまで「反応」していただけの行動を

「対応」に変えていく人が増えるだけでも、

目盛りがマイナスからプラスに転じるように、

何かが変わっていくのじゃないかな、

と思います。

 

そして、そのためには、一人だけだとやっぱり怖いし、

非力だと感じます。

だから、つながって、みんなで協力してやる

 

 

みんなでそれをやってみてね

ということを、

神様は今、メッセージとして

私たちに送っているのではないかな。

 

そんなふうに思います。

 

 

 

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「言わない」ことの責任をとる

2020年03月09日 | ●セルフコーチング

 

ごきげんいかがですか?

 

なかなか思い切り春を楽しむ、

ウキウキする、という感じにはならない

今日この頃ですね。

 

それでも、自然は着実に春の度合いを増しています。

うちの近くの川も、こんな風に、春の色。

 

 

 

●言わない責任

 

ところで、突然ですが。

 

今日はこんなことを思いました。

 

言ったら言ったなりの結果があり、

言わなかったら言わなかったなりの

結果がある。

どちらの結果も、

引き受ける責任は自分にある。

 

 

私たちは、よく

「こんなこと言うと~~だから」と

言いたいことを飲み込んだり、

躊躇したりします。

 

そして、

言うと波風が立つけど

言わなければ大勢に影響なし、

「自分は何も関係していない」

と思いがち。

 

でも。

本当はそんなことないんだと思います。

 

言うという行為の結果、

生じる、あるいは無くなるものがあるのと

同じように、

言わない、という行為の結果

生じる、あるいは無くなるものがあると

思います。

 

それが、見えやすいか見えにくいかだけの違い

じゃないかな。

 

だから、

言わなければ責任を取らなくてもいい、

というのは間違いで、

きっと

どこかで、

その責任を取らなくてはならないときが

やってくるんだ、と思います。

 

 

「言わない」選択をするときも、

その結果生じることの責任をとる、

という覚悟を、

ちゃんと決めないとな、と思うのです。

 

 

これ、する、しない、でも同じことですね。

 

 

 

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免疫力を上げるために、泣こう

2020年03月02日 | ●セルフコーチング

 

ごきげんいかがですか?

 

いよいよ3月になりましたね。

とはいえ、世の中は、

さながら”コロナ狂想曲”状態。

 

大事な時期なので仕方がないとは思いますし、

みんなでなんとか食い止めるしかないですから、

踏ん張りどころですね。

 

コロナ対応で大変な思いをしている方々には

本当に「お疲れ様」と言いたいし、

感謝です。

出歩かない、ということが

何よりの協力、という感じの日々ですが、

せめて、デマには踊らされず、

トイレットペーパーの買い占めとかに、

奔走するのはやめたいところですね・・・。

 

 

私は、諸々の仕事の予定が、

コロナ対応でほぼほぼ飛んで、

3月は、思いがけず

スケジュール帳が白くなってきています。

 

それはそれで、困ることもないわけではないけれど、

神様から時間のプレゼントをされたようで、

ライワークではなく、ライワークに

時間を当てられたらいいな、

と思っています。

 

ところで、前回も個人個人が免疫力を上げることが

大事だよね、と言うことを書いたと思いますが、

今日も免疫力を上げるお話を。

 

 

●免疫力と気持ちアップには「笑い」

 

免疫力を上げるには、

睡眠、食事、運動と言われます。

これ、成人病をはじめ、

病気を防ぎ、健康でいるための

3原則みたいなものですよね。

そして、大切なのが、

「笑い」と言われるのも、

よく知られています。

 

確かに、

今、我が家にはアルツハイマーの

87歳の母が泊まっていますが、

昨夜、孫たちに会って一緒に笑っていたら、

母も久しぶりに笑顔を見せてくれました。

そして、今朝は、それまでと様子が違って、

自ら着替えたり、「顔を洗わなきゃ」と

顔を洗ったり、髪も梳かしたり、

ここしばらく見ていなかった行動をしていました。

 

笑いの力って大事

 

 

●「泣く」ことの大切さ

 

ただ、免疫力を上げるには、

「笑う」だけじゃなく

実は「泣く」ことももっと大事、と言われます。

 

つまりは、ネガティブとされる感情こそ

溜めておかずに出すことが大事、

ということです。

 

ネガティブな思いは毒のようなもので、

それをずっと体の中に持っておくと、

いつしか毒が体に回るように、

やがて自分を病気にしてしまう、

私はそう思っています。

 

だから、ネガティブな思いは、

適切な形で出したほうがいい、と思います。

 

 

●感情の出し方

 

適切に外に出すというのは、

たとえば、誰かに対する怒りを

その相手にぶつけるとか、怒鳴るとか、

という意味ではありません。

 

自分がどう感じているのか、

それを言葉にしてみる、ということ。

文字に書いてもいいし、

誰かに聞いてもらってもいい。

 

そうすると、自分の感情を

自分の手のひらに載せるように、

客観的に見ることができ、

だからこそ、ハンドリングできるようになる。

そう思います。

 

 

●感情の入れ物はひとつ

 

そもそも、感情というのは、

喜怒哀楽などと言われますが、

好ましい、ポジティブと言われる

「喜び」「楽しさ」なども

好ましくないとされ、ネガティブと言われる

「怒り」「哀しみ」なども

心の中では一つの入れ物に入っているのです。

 

だから、ポジティブな感情だけ動かして、

ネガティブな感情は動かないようにする、

ということはできないのです。

ネガティブな感情だけに

蓋をしようとしていると、

結局、ポジティブな感情にも蓋をすることになり、

それを続けていると、

「感じる」こと自体のスイッチを切る、

ということになっていき、

無感動、無関心、無気力になっていきます。

 

「何をしたいかわからない」

と言っている人は、

自分のネガティブ感情を抑えようとして、

感情全体のスイッチをオフにする

訓練をしてきたしまった人かもしれません。

 

 

……と話が広がりましたが、

健康のためには、ネガティブ感情も適切に出す、

ということを恐れないでね、

泣きたい時は涙を流そう、

というお話でした。

 

 

皆様くれぐれもご自愛ください。

 

 

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ウィルス対策って?

2020年02月25日 | ●子育て・家族

 

ごきげんいかがですか?

 

花粉が飛びまくってますね〜


そして・・・

コロナウィルスも飛びまくっているかも?

 

昨日は、高校時代の部活のOB会の新年会で

懐かしい面々と会ってきました。

 

コロナの話題も当然上がるわけですが、

何人か、医療関係者が居たりして、

いろいろ話をするなかで、

改めて確認したことがありました。

 


●ウィルスと私たちの関係

 

それは、こんなことです。

 

・ウィルスが体に入るかどうかの反応は、

入ってから少なくとも1.5日しないとわからない

 

・ウィルスというものは、どんなものも、

自分の体に入っていても症状を発する人と、

発しない人がいるもの。

それは、その人の健康状態や、

ウィルスに対する免疫力などなどで変わる

 

・たとえば、「帯状疱疹」。

子供のころ、水疱瘡に罹患した後、

治っても、水疱瘡のウィルスは神経節に潜んでいる。

初めのうちは免疫の力で、

そのウィルスの活動は抑えられているけれど、

だんだん免疫力が弱まって

齢を重ね体が弱ってくると、

そのウィルスが復活。

神経の流れに沿って帯状に発疹や痛みがでる、

というメカニズムだそうです。

しかも、治った後も痛みはずっと続くそう。

(……とかかった後輩が言ってました)

 

こちらに、わかりやすい説明がありました。
   ↓
https://taijouhoushin.jp/reason/

 


・子どもと多く接しているような人たちは、

彼らが病気に病気になるたびに、

その病気にちょっとだけかかって、

そうやって免疫力を上げているらしい。

 


……ということで、

今、高齢者などに帯状疱疹のワクチン接種が

推奨されているとのことです。

来年の新年会までには、

今回の参加者の多くはワクチン接種を

しているのかもしれません・・・

 

 

●免疫力とレジリエンス

 

コロナも、広がるか収束するか、

この2週間くらいが正念場と言われていますが、

自覚症状がなくてもウィルスを持っていることも

フツーにあることを思うと、
(普通の風邪でもそうですが)

もはや、ウィルスをもらうことも

あげてしまうことも、

かなりコントロールは難しそう。

 

最終的には、個人個人が免疫力を

上げておくのが重要だな、

と思います。

 

そしてこれ、心理学で言う「レジリエンス」を高めることに

通じるな、と思います。

「レジリエンス」とは、

「回復力」「復元力」「弾力性」

などと訳されますが、

英語の意味としては、

元に戻ろうとする弾力性

みたいな意味です。

 

その病原元やストレッサーが

命に関わるものであれば、

絶対に排除しなくてはいけないけれど、

そうでない場合、

ちょっとずつそれに触れることで、

免疫や耐性を作っておくことが大事、

なんだと思います。

 

もちろん、かからないに越したことはないけれど

絶対にかからない保証はないわけですから、

かかったらどうしてくれるんだ!?

という話をするのもいいけれど、

人ができることだけを話すのではなく、

自分ができることを考えて、

やっておくことって、大事なんだと思います。

 

そのためには

元に戻る力を養うこと。

 

いまは、とりあえず、睡眠をよくとって、

健康的なものを食べて、

朝のウォーキングをする

を心がけたいと思います。

 

 


    

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「よし、がんばろう」と思うスイッチが入るとき

2020年02月19日 | ●ストレングスファインダー®

ごきげんいかがですか?

 

ご無沙汰しています。

 

今日は、進歩を求めるときに

自分がどんな資質

(=傾向性:思考・感情・行動のくせ)

を使っっているのかな、というお話を

書いてみたいと思います。

 

 

●一つの講座を終了しました

 

実は、私、

一昨年から、「アサーティブ」というものについて

新たな学びをしておりました。

 

コーチングを学ぶときは、

どちらかというと「聞く」ことが

中心となっていますが、

アサーティブはその逆で、

「伝える」(話す)ことが

中心となります。

 

何れにしても

「コミュニケーション」において大切なもので、

根っこは通じるものがあります。

 

なぜ、これを学びに行こうと思ったのかは、

また改めて書くとして、

基礎、応用、その次・・・と学びを進めた私は、

さらにもっと学びたくて、

昨夏から「トレーナー養成講座」に

参加していました。

 

それが、この週末に終わりました。

あとは試験を残すのみ。

 

月1回の連続講座は、

期待通り、とても充実した内容で、

同期の仲間も素晴らしく、

最後はもう胸いっぱい。

 

もう、「私の思いは満たされた~」と

なんならここで終わりでもいいかな、

くらいの勢いだったのですが、

それが、いやいや、まだまだこれからだ、

と思えたことがありました。

 

 

●フィードバックのちから

 

それは、みんなからもらったフィードバック。

 

最終日、私はプレゼンの担当でした。

プレゼンは、今後、私たちが

トレーナーとして活動していくための

知識やスキル、マインドなどを

見てもらうための練習の場です。

 

フィードバックというのは、

その人のゴールに対して、

今どのくらいずれているのかを伝えてあげるもの。

それにより、本人が自分では気付かない

クセや足りない点などに気づき、

修正の方向を知ることができます。

 

私も、できていないところが多々ありました。

それに対して、同期のみんなが

本当に愛のある、

つまり私のためになる、

フィードバックをしてくれました。

 

それをいただいたとき、私のなかで

何かが、「もうこれで十分なんて言ってる場合じゃない!」

と頭をもたげました。

 

 

●資質によって、動機が違う

 

こういうとき、

例えば「最上志向」という、

よりよくを目指し、

自分や他者を磨いていこうという資質を

上位に持つ人は、

さらなる自分の「成長」を目指して、

とにかくもっともっとよくなろうとします。

 

あるいはその逆の資質と言われる

「回復志向」を持つ人は、

自分が基準値に対して不足している部分を見て、

その部分を埋めるために行動しようとします。

 

でも、私はそのどちらの資質も

上位にはありません。

回復志向はむしろボトム。

 

でも、フィードバックをもらったとき、

のほほんとしていた自分に、

なんらかのスイッチが入りました。

 

厳密に言うと、フィードバックをもらったとき、

というより、

同期の仲間とともに、

濃密で意義の深いときを共にしてきて、

それが終わろうとしていると思ったとき、

私の中で、何かのスイッチが入りました。

 

それは、

自分はもっとできるはずだ、という

自分への期待というようなものでもなく、

自分の出来ないところをとにかく埋めなきゃ

というような思いでもなく、

まして他者に負けないように合格を勝ち取りたい、

とかいう気持ちでもなく。

 

なんというのか、

これから向き合う人たちに対して、

自分というフィルタを通って伝えることが

歪んでしまったり、

それによって対象となる人たちの

期待に報いることができなかったりしたら

申し訳ない、

みたいな思いに近いかもしれません。

 

おそらく、私の中の

私に与えられた役割を、正しい方法で、

「ちゃんとやりとげなきゃ」みたいに思う

「責任感」という資質が

ざわついたのかな、と思います。

また、トップの「学習欲」

わからないことは理解したいと思うし、

知ったかぶりみたいな状態はダメ

とも思うのだと思います。

 

そして、なにより、

「この仲間と共に一緒に合格したい」

という感情が動いたことが

一番かもしれません。

私の「包含」という資質が

そのアイディアによってワクワクしたのだろうな、

と思います。

 

そこに、おそらくこれから

「目標志向」で「目標」が立つんだろうな。。。

 

 

何かに向かって頑張るという行動は

はたから見ると同じだとしても、

そのもとになる動機やエネルギー源は

それぞれの人で違っているということを

改めて思うとともに、

自分自身のスイッチの入り方を振り返って

面白いなあ、と思いました。

 

 

いずれにしても、こうした学びは

知識だけではなく、スキルもマインドも

全てを合わせて実践してなんぼ、のものですから、

入口あって、出口なし。

 

また、終わりのない旅が続きます。。。

 

 

 

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