鼓太郎のつぶやき

伊那谷で和太鼓を打ちながら暮らしている鼓太郎のつれづれ一口メモ

登龍門台北公演、1500人の観衆からなりやまぬ熱い拍手!

2009年08月29日 11時39分06秒 | Weblog
10日間、大変ハードなスケジュールの中、26日のゴールを目指して登龍門メンバーで走り抜けてきました。台北慶和館・塩原良・御花泉・加藤拓三・台湾国立体育大学芸能専門部・クリスティ・台湾の子どもたちのアイドルMOMO・台中慶和館・ほか、現地・台中での通し稽古6回、曲目稽古、ゲネプロを共同作業で進め、26日19時開演15分押しでスタート。表舞台もさることながら、装置・太鼓の転換に舞台裏も必死でした。スタッフもキャストも思いはひとつ「台湾加油(タイワンジャヨ!)」。
歴史に残る風水害に1000人を超える死者を出して今なお国際的な支援を受けながら懸命な復旧作業が続けられている台湾。偶然にもそこで「登龍門」を上演することになったメンバーたち。また団の再起と未来を賭けて体当たりの取り組みを続けてきた王一族。
世界的な不景気の影響下、潤沢な資金が期待できない状況で参加する誰もが身を削っての参加でした。10日間のあらゆるシーンで涙があふれそうになる時が重なりました。
僕の腹の決め方としては日本人としてこの登龍門に参加する時、単発イベントに出かけていく台湾旅行でなく、どこまで身内として参加できるか、その接点を模索する期間でもありました。ありあまる接待も、興味本位の観光・飲食も自分にとっては一切無用でかまわないと感じたこともありました。有名店の食事、きらびやかなファッション、待遇の優れたホテル、これらが舞台をさらに良くする絶対のアイテムであるのなら惜しみはしませんが、体調を整える台湾の日常的な最低限の食事、雨露をしのげて身を横たえることのできるスペース、身体を清潔に保てる入浴設備、これらさえあれば充分です。僕は今の台湾に自分が培ってきた和太鼓を打ちに来たのであって、観光や命の洗濯にきたのではありません。
このプロジェクトを必死に取り組んでいる台湾側の示す条件下でどれだけ自分が舞台で実力を発揮できるかが僕の役目のひとつでもあります。唯一歯がゆかったことは、太鼓を合同演奏する台北慶和館側ともっと詰めた稽古をしたかったことと、個人稽古を重ねる時間と空間がほしかったことです。どんなハードなスケジュールが待ち受けようとそのスケジュールを呪うよりそこから何をどう生かして舞台を生み出すかを実践するエネルギーこそが今日までの僕を支えてきたことを再確認しました。(つづく)

登龍門への道

2009年08月19日 08時53分29秒 | Weblog
 昨日、14時頃に台北慶和館へ到着。今回は萬華区の豪景酒店(ホテル)がスポンサーとなってくれているらしく、僕とHABと加藤拓三はツインの部屋を3人使用で宿泊している。2005年からお世話になってきた麒麟大飯店は、きれいに整地されてしまっていた。
 26日に台北国父紀念館での国際鼓舞劇「登龍門」の本番を控えて、相当早めに台湾入りしたのは、当初予定されていた高雄公演、台中公演が急遽11月に延期されたためだ。このチャンスを使って、台北に向けて相当な練習ができると僕はもくろんでいる。
 台風8号の台湾南部での被害は甚大で、24日には高雄に慰問演奏に行く予定だ。
昨夜は家族同様の大歓待を受けた後、死んだように眠った。7日から8日にかけて、準備と留守の間の段取りで一睡もできなかったからだが、7月から約1ヶ月半走り続けてきたスケジュールにつかの間にできたオアシス。久しぶりに22時に眠った。

 今日は五股地区の祭礼出演。朝から、塩原・加藤・HABのこ~い男部屋が、演奏に向けて熱くなり始めている・・・。