日月譚

日月庵 庵主 大樹独活の駄文の世界

言葉と品格 (1000)文字

2017年01月21日 | エッセイ
初めて、その人の講演を聴いた。
著作は何冊か読んでいる。メディアへも露出している人だから、話し方も容姿もわかっている。だが、90分間淀みなく紡がれていく言葉が、まるでボクサーが繰り出すジャブのように、じわじわと私の心を打ちのめしていった。その人の語る言葉は、まさに『品格』以外のなにものでもなかった。

けっして広くはない会議室に3人掛けの長机。50人も入ればいっぱいの部屋だ。至近距離から語りかけてくる声は、聴いている一人一人の心に深くくさびを打ち込んでいく。最近、テレビや雑誌で観るのと実際の人物が、かい離していることがままある。しかし、その人にはまったくギャップがなかった。メディアへの露出でも、その人は飾っていないのだ。今風の言い方をすれば、「盛っていない」のが見てとれる。

その人は37年間アナウンサーとして第一線で活躍し、言葉のプロとして仕事をまっとうした。「子どものことば」を育てるには、もはや家庭と学校だけではできない。社会全体が子どもを育てる責任を担わなければならないと考えたその人は、定年後、同僚の言葉のプロたちを誘い『LLPことばの杜』を立ち上げた。子どもたちの話し言葉が危機的状況にある。日本語の美しさを教えなければ、それが自分たち言葉のプロの使命ではないか……。

第一声が私にイメージさせた『品格』という言葉。最近よく使われる安っぽい意味での品格ではない。その人の話し言葉を通じて、全身から醸し出されるオーラのようなものが、即ち『品格』なのである。言語学では、「言葉は文字の集合体」と定義されるが、集合体であるどんな言葉も、語り手によって魂が吹き込まれる。ひとたび魂の宿った言葉は、いかなる人をも動かす。

昔読んだ雑誌に、その人のことを「言葉の伝道師」と評していたのを思い出した。いま考えると、なんと陳腐で薄っぺらな表現なのだろう。山根基世さんに、そんな肩書は無用だ。日々、美しい日本語で私たちに語りかけてくれる人で、なんの不足があるだろう。私も、ほんの少しだけ日本語に興味をもっているひとりだ。今日、山根さんの美しい話し言葉に接し、子どもの頃、駆けめぐった里山に流れていたせせらぎの音を思い出した。そのなんとも心地よい音の余韻が、いつまでも消えてしまわないように、といま願っている自分がここにいる。(了)

※2017年1月20日 山根基世さんの講演を聴いて


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