かんりにんのひとりごと

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なぜ西本願寺と東本願寺があるのか?

2023-02-03 | 観光・旅行・京都検定

 

今日は節分!

 

昨日は、どこかの神社の節分祭に行こうかと、思っていたのですが、昨日からのニュースで、どこも大勢の人でにぎわっているとのことでした。

 

大勢で、なかなか前へ進めないという様子が映っていたので、節分祭はあきらめました。

 

そこで、先日知恩院に行ったのと同じ企画で、この時期限定で特別公開をしている寺院に行くことにしました。

 

 

 

この写真が電車の車内に貼られています。

 

ここは、東本願寺です。

 

普段は公開されない場所が、40何年ぶりに公開されるとのことでした。

 

先日西本願寺に行ったのですが、ここは東本願寺にも行っておかないとと思って、行くことにしました。

 

 

 

西本願寺に負けず劣らず、素晴らしい門構えです。

 

 

 

 

遠くに京都タワーが見えるのが、面白い光景でした。

 

 

西本願寺とよく似た作りになっていますね。

 

このお堂が『御影堂(ごえいどう)』といって、宗祖の親鸞聖人の像が祀られているところです。

 

 

こちらは、『阿弥陀堂』で、浄土真宗なので、阿弥陀仏が祀られているところです。

 

大変立派なお堂です。

 

 

 

阿弥陀堂の前には、「阿弥陀堂門」という立派な門がありました。

 

さてさて、目的の『大寝殿』と『白書院』に行かなくては・・・。

 

 

受付を済ませて、まずは「大寝殿」へ。

 

 

 

立派な建物でした。

 

 

 

ここ、東本願寺は、江戸時代の大火で四回も焼けているとのことで、この建物は明治になって再建されたものだそうです。

 

写真撮影も阿弥陀堂以外はすべてオーケーということでした。

 

続いて「白書院」へ・・・。

 

 

 

 

確か書院造りというのですね。

 

「違い棚」は醍醐寺の三宝院と同じ形式で、壁につけずに、前に出して、影を楽しむものだそうです。

 

 

これは、武者隠しといって、いざという時に警護のものが隠れていて、すぐに飛び出せるようになっているのだとか・・・。

 

 

この絵は、徳川家お抱えの「狩野派」の誰かが書いたとか言っておられましたが、名前は忘れました。

 

肝心のなぜ『東本願寺と西本願寺が二つもあるのか』ということですが、案内の方が丁寧に教えてくださいました。

 

私も以前ネットで調べたことがあるのですが、それとほぼ同じ内容でした。

 

 

戦国時代に織田信長と本願寺が10年も戦争をしていて、そろそろ和睦をしたいと信長が言い出したのですが、本願寺の中に、それに同意する人たちと、いやいやあくまでも戦いを続けるという人たちが二つに別れたということです。

 

和睦に応じる人たちは、豊臣秀吉が土地を提唱して、西本願寺を作り、あくまでも戦うと言った人たちは徳川家康を頼って、東本願寺を作ったという話でした。

 

 

なるほどと言った感じです。

 

同じ宗派であっても、強硬派と柔軟派がいるということですね。

 

当時のお坊さんは、今とは違って、戦う僧兵だったはずです。

 

おぼうさんのイメージとは違っていたのでしょうね。。。

 

そんなことを考えながら、門を出ました。。。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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