この際ですから『愛と哀しみのボレロ』を最初から
観てみることにしました。
もちろん、ネットで観られる限り、少しずつ。
初めて観た時も面白いと思いましたが、
いいですねえ。
年月を経てみるといろいろな見方を発見して、
さらに面白みが増します。
こういうスタートだったこともすっかり忘れていました。
このとき、ジョルジュ・ドンは、
自分の父親の役も演じているんですね。
それが嵌まっているというか、これがジョルジュ・ドンだと言われなければ
まったくわかりません。
何て素敵な俳優さんだろうと思ったこと、
思い出しました。
役者になってもよかったのに。
実際、演技の勉強もしているそうですから。
『愛と哀しみのボレロ』の本当の冒頭部分
ロシアの将校ボリスの役なんですが、
ボリショイ劇場のバレリーナに応募してきた少女に一目ぼれ。
彼女をみつめている時の、
呆然としたまなざしが、たまらないですね。
美の虜(とりこ)になってしまった人のまなざしですよね。
それにいい声ですねえ。
すばらしい。名前を言っているだけなのに、声に表情があります。
大人だし。
カッコいい。
猛アタックの末結婚、やがてジョルジュ・ドン演じる、
セルゲイが生まれます。
映像はここで切れてしまいますが、その後、
父親は戦死して、確か戦死するシーンもあったはず。
長い行軍の果てに、息絶えてしまうのではなかったかしら。
彼女は一人でセルゲイを育てるわけです。
途中で再婚しますが。
最後の『ボレロ』のコンサートに招待されて、息子の晴れ姿を見るのです。
この最初の場面に出てきた人たちが、
最後に、ドンのステージを一緒に見ているのです。
そうとは知らずに。
こんなにいろんな才能があったジョルジュ・ドン。
存命なら今年65歳です。
後期高齢者ですよね。
彼は65歳まで人は踊ることができると言っています。
観たかったなあ。
後期高齢者になって踊るジョルジュ・ドン。
何を踊るのかなあ。
適切なトレーニングを重ねて、
その年齢に相応しい踊りができると考えていたようです。
「白鳥の湖」の王子や「ドンキホーテ」を踊っていると
思ってはいけないとドン自身は言っていますが、
でもね、よろよろとオデットを抱き上げる老王子も面白いし、
観てみたい気がします。
いやいや、老いらくの恋もいいかも。
オデットに恋い焦がれる老いた王子が、
オディールに色仕掛けで騙されて、死んでしまう・・・
それはありえませんね。
でも『瀕死の白鳥』なら十分考えられます。
そのためには、意識を変えなければならないと
1984年のインタビューで答えています。
ここではいろんなことを話していて興味深いのですが、
まだ、若い頃でしょうか。
身体的な欠陥や悩みをいっぱい抱えていたとも語っています。
身体の悩みはダンサーにとって深刻な問題です。
それで菜食主義に変えたようですが、
そういうダンサーの身体の状態に合わせて振付をするベジャールとの出会いは
とても幸運だったといいます。
この1984年、彼はベジャールのカンパニーでは踊っていません。
各地でボレロを踊っていたのでしょうか。
お金が必要なので、客演することもあると語っていますから。
日本で爆発的に人気が出るのは、
彼がもう30代に入ってからなんですね。
このインタビューの時は37歳です。
引退の年とそろそろ言われる頃ではないかと訊かれて、
まだまだ踊ると答えています。
こういう人が、最後にあの『ニジンスキー神の道化』を残したと思うと。
そして『ボレロ』の初演の頃には、
「あんたは、楽な踊りでいいね」と佐々木忠次氏に言われ、
「そうなんだよ。
誰でも踊れる踊りなんだ」と言い切ったことを思うと。
こんなちっぽけなわたしは、勇気を出さずにはいられません。
最近、つらい時は、こう答えたドンの気持ちを思ってみるのです。
今まで何をしてきたのか、
辛いのどうのと単純に弱音を言えたものではありません。
自分の果たすべきことをしろ、という声が、
ふつふつと沸いてくるのです。
たとえ、どんなに涙を流したとしても。
それにしても存命されているうちに、彼の舞台を見たかった。
来月30日は、彼の20年目の命日です。