14時46分発~パンドラの函を開けて

3・11以来、自分の中で変わってしまった何かと向き合いながら短歌を作り、書きつづる。それが今の自分にできること。

愛しき人

2012-10-21 02:26:21 | 日記(3・11以後・バレエ・映画・芝居)

人とは、ほんとうに不思議な生き物だと思う。


一見、よいことしか言わない人が、
その人にとって、本当によいことなのかどうかさえわからない。

いや、本当などという言葉も、ないといえばない。

生きている者にとっては、
すべてが、本当でもあり、嘘でもあり、
わたしたちはそのモザイクの中を生きているともいえる。


先日触れた、佐々木忠次氏の『闘うバレエ』に描かれている
ジョルジュ・ドンと氏の関わりを知ると、
人の不思議さを想わずにはいられない。


ドンの踊るボレロに、正面切って、
「あんたは楽でいいね、簡単な踊りで」
と言いきったのが佐々木氏。

その彼に、「そうなんだ。
誰でも踊れるんだよ」と切り返したドン。


その時ドンのはらわたは煮えくりかえっていたのか、
それとも、踊ったことのない人の言いそうなことだと
平然としていたのか。
氏の文章からは読み取ることはできない。


しかし、その後も佐々木氏とドンとの関係は
公演という形を通して続く。



ドンの楽屋には、いつも音楽がかかっていたという。
彼は特にクラッシックが好きで、佐々木氏が覗くと、いつも、
「これいいだろ」といって聞かせてくれたという。


こんなことなら、
ドンのCDを一枚もらっておけばよかった、と佐々木氏は書いている。
とんだ狸親父様だ。


それにひきかえ、ドンは何て無邪気な人なんだろう。


しかも胸を打つのは、
ドンの亡くなる数ヶ月前にパリで食事をした日のことだ。


読むと胸が痛くなる。


当時、ドンはスイスからパリに移って、
アパート住まいをしていたという。


そんな折、ドンの女マネージャーから佐々木氏に電話があり、
ドンが会いたがっているのでパリに来ることがあったら、
ぜひ連絡がほしいといわれ、
アパートの下のレストランで食事をすることになった。


そこはレストランではなくカンティーヌ(ただの食堂)だったと氏は書いている。
氏にしてみれば固くて食えない肉をドンは奨めたという。


「うまいだろ、うまいだろ」
と言って。


わたしは泣けてしまった。


なんでドンは、こんな時にこんな人に会いたがったのだろう。
自分の死が迫っているときに。


佐々木忠次氏は東京バレエ団の総監督であり、
日本舞台芸術振興会の専務理事という肩書の人である。
だから会いたがったのか。


自分の公演のお願いをしたいがために。
ひたすらダンスをするために。
もしかしたら佐々木氏は、彼のことをそう思ったのかもしれない。


しかしどうも、ちがう気がする。


ドンが「これ、いいだろ」と言って、
佐々木氏に音楽を聞かせようとした口調と、
「これ、うまいだろ。うまいだろ」
といって肉を奨めた口調が、どう読んでも同じに聞こえる。


彼は、たぐいまれな、共感性の持ち主だったのではないだろうか。
自分がよいと思うものを、誰かと分かち合わずには、いられない。
そういう無邪気な魂の持主だったと。


だからこそ、あの表現が生まれるのではないか。
そう思わずにはいられない。
そして純粋に、お礼をしたかったのではないだろうか。
踊りを知らない人の率直な感想を述べて、自分を成長させてくれた、
貴重なひととして。



ところで今日は、ドンの凄い映像を見て、
また、涙が出た。


1992年に放送されたらしいスイステレビの映像だ。
ドンの追悼の意味で放送されたのだろうか。

物語はあってないようなものだから、
分からない人には、わからないかもしれない。
ダンサーらしき人物が(ドン)が人類の死と再生の旅をする。

ネアンデルタール人からはじまり、ダンサーとなって再生し、
自分の踊りの旅をしながら、本来の踊りを獲得するが、
最後は、ピエロとなって踊り続けて、死をとげる。


ピエロとなった終盤の20分は、鬼気迫る。


特にピエロの衣装をかなぐり捨てて踊る最後の10分は、
壮絶な舞踏ドキュメンタリーだ。
痛くて、痛くて、観ていられないが、眼がくぎ付けにされてしまう。



      1992年 スイステレビ放送 ジョルジュ・ドン主演 若きダンサーへの手紙



勇気は人からもらうのではなく、自分の内側からわき出すものだという、
本質的なことを告げられたような気がする。
単純に死ぬことなんてできないのだ。


感動で、身動きできなくなって、涙があふれてきた。

動けない。

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