22:55 最近の事情
欲しいものを探すネットの旅をしている。
オークションなどは宝の山だが、なかなかこれが難しい。
前に欲しかった。
「これだ!!!!」
と、そう思うものが見つかっても現在ではそれほど欲しくなかったり。
というか「いらねぇんじゃね?」とさえ思う。
なのでリストに入れているけど、結局買わないで終わる。
いや、その程度のものだからねぇ。
もう、買ってしまったものについてはしかたない。
でもさ、買おうとしてるものについては吟味する必要はあるね。
んー・・・
大変に難しい。
なぜこんなことを書いたのかというと声優の内海賢治さんが亡くなったから。
あの天下一武道会の司会の人。
いや、神龍の人。
そして奥さんは静香ちゃんだ。
関係ないかw
たしか75歳で亡くなったらしい。
やっぱりそのくらいが人としての寿命なわけだ。
俺が思ってるのは60代だと、まだ早い。
80代だと、もういいか?
くらいで、75歳くらいだと「そうかぁ」って感じ。
いやいや、そうじゃなくて・・・・
75歳で天寿を全うするとしたら俺って、あとどのくらいも生きてないじゃん?
ってことはさ、なんかいろいろやりたいよねぇ。
さっき篠原涼子と藤木直人のドラマを見ていて
「あぁ、なんかこう、そういうのってあるよねぇ」
みたいな感じで見ていたわけさ。
男と女って、いつまで経ってもいろいろなことがあるわけさ。
俺はそういったことの多い人生だったなって思ったりして、少しうれし懐かしかった。
そういう時って楽しいよねぇ。
どうしたらいいのかって、すごく真剣に深く考えたりして。
それゆえに大きく傷ついて、鬱病のようになったりもする。
いまだったら、また違ったアプローチとかするのに・・・
みたいなことを考えたりしてさ。
これって、さっきのオークションとかと似てる。
ただ、オークションの場合には大金さえ出せば手に入れられるんだけど。
そういう様々な思い出も「込み」で人生は成り立っている。
痛いもうれしいも悲しいも悔しいもすべて込みで人生だ。
さっき書いた「もうそんなに長くない自分の命」を考えてみると、どうやって満足のいくマインチを送ったらいいのか?
それを考える時期に来ているのかもしれない。
まぁ、だからといって無闇に行動する必要もないんだけどさ。
現在の「穏やかな落ち着いた生活」っていうのも、それに至るまでの数年間の痛みのあとだからこそ認識できることだしね。
なんの痛みも無かったらうれしくもないだろうさ。
でも、ここでさっきのドラマの中でのシュチュエーションを見て
「あぁ、こういうことってあるよねぇ」
って気持ちとともに自身の思い出と合致するところがあったりすると
「俺もそういう熱い流れの中で生きている実感を感じたい」
とか思っちゃうわけさ。
まったく懲りてないというか、「生」を感じたい。
最近は生きているのか死んでいるのかがまったくわからない感じなのだ。
高校生のころにバイトしていたバーガーショップで、昼休憩に出た仕事のできる社員の人が、そのまま戻らないで辞めてしまったことがあった。
かなり衝撃を受けたものだけど、今ならわからないこともない。
実際に俺も高校を卒業して初めて入った会社を昼休みが終わって午後の始業のサイレンが鳴った時に事務所に行って辞めて帰ったことがある。
普通だったら数日間無断欠勤などしたあとだったりするものだけど、俺の場合は
「このままこの会社で働いていてもダメだな」
と、昼休みの中だけで結論が出てしまった。
おかげさまで、今現在はこのような暮らしをしているのだけど、普通には到底許されないとこであろう。
どんな物事もすべて自分の判断のもとに成り立っているのだから、自分次第か?
なんて思われるけど実際はそうではなく、すべてが運命の上にある。
生きるも死ぬもすべて。
俺がこれからどのような人生を歩むのかも生まれたときに決まっているはず。
だったら、俺がこれからの人生で大きなドラマがまだあるかも???
みたいなことを考えたりしてw
思えば今までいろいろあったな。
んー・・・
欲望が強すぎるのか???
しかしだな、身分不相応というか自分の人間性と合っていないのに手に入れるというのはいかがなものか?
自分も相手もストレスが溜まってしまい、お互い不幸ではないのか?
などなど、なかなか難しい問題でございます。
ですが、それもまた運命だし、人生が楽しくなるスパイスだったらいいねぇ。
オークションなどは宝の山だが、なかなかこれが難しい。
前に欲しかった。
「これだ!!!!」
と、そう思うものが見つかっても現在ではそれほど欲しくなかったり。
というか「いらねぇんじゃね?」とさえ思う。
なのでリストに入れているけど、結局買わないで終わる。
いや、その程度のものだからねぇ。
もう、買ってしまったものについてはしかたない。
でもさ、買おうとしてるものについては吟味する必要はあるね。
んー・・・
大変に難しい。
なぜこんなことを書いたのかというと声優の内海賢治さんが亡くなったから。
あの天下一武道会の司会の人。
いや、神龍の人。
そして奥さんは静香ちゃんだ。
関係ないかw
たしか75歳で亡くなったらしい。
やっぱりそのくらいが人としての寿命なわけだ。
俺が思ってるのは60代だと、まだ早い。
80代だと、もういいか?
くらいで、75歳くらいだと「そうかぁ」って感じ。
いやいや、そうじゃなくて・・・・
75歳で天寿を全うするとしたら俺って、あとどのくらいも生きてないじゃん?
ってことはさ、なんかいろいろやりたいよねぇ。
さっき篠原涼子と藤木直人のドラマを見ていて
「あぁ、なんかこう、そういうのってあるよねぇ」
みたいな感じで見ていたわけさ。
男と女って、いつまで経ってもいろいろなことがあるわけさ。
俺はそういったことの多い人生だったなって思ったりして、少しうれし懐かしかった。
そういう時って楽しいよねぇ。
どうしたらいいのかって、すごく真剣に深く考えたりして。
それゆえに大きく傷ついて、鬱病のようになったりもする。
いまだったら、また違ったアプローチとかするのに・・・
みたいなことを考えたりしてさ。
これって、さっきのオークションとかと似てる。
ただ、オークションの場合には大金さえ出せば手に入れられるんだけど。
そういう様々な思い出も「込み」で人生は成り立っている。
痛いもうれしいも悲しいも悔しいもすべて込みで人生だ。
さっき書いた「もうそんなに長くない自分の命」を考えてみると、どうやって満足のいくマインチを送ったらいいのか?
それを考える時期に来ているのかもしれない。
まぁ、だからといって無闇に行動する必要もないんだけどさ。
現在の「穏やかな落ち着いた生活」っていうのも、それに至るまでの数年間の痛みのあとだからこそ認識できることだしね。
なんの痛みも無かったらうれしくもないだろうさ。
でも、ここでさっきのドラマの中でのシュチュエーションを見て
「あぁ、こういうことってあるよねぇ」
って気持ちとともに自身の思い出と合致するところがあったりすると
「俺もそういう熱い流れの中で生きている実感を感じたい」
とか思っちゃうわけさ。
まったく懲りてないというか、「生」を感じたい。
最近は生きているのか死んでいるのかがまったくわからない感じなのだ。
高校生のころにバイトしていたバーガーショップで、昼休憩に出た仕事のできる社員の人が、そのまま戻らないで辞めてしまったことがあった。
かなり衝撃を受けたものだけど、今ならわからないこともない。
実際に俺も高校を卒業して初めて入った会社を昼休みが終わって午後の始業のサイレンが鳴った時に事務所に行って辞めて帰ったことがある。
普通だったら数日間無断欠勤などしたあとだったりするものだけど、俺の場合は
「このままこの会社で働いていてもダメだな」
と、昼休みの中だけで結論が出てしまった。
おかげさまで、今現在はこのような暮らしをしているのだけど、普通には到底許されないとこであろう。
どんな物事もすべて自分の判断のもとに成り立っているのだから、自分次第か?
なんて思われるけど実際はそうではなく、すべてが運命の上にある。
生きるも死ぬもすべて。
俺がこれからどのような人生を歩むのかも生まれたときに決まっているはず。
だったら、俺がこれからの人生で大きなドラマがまだあるかも???
みたいなことを考えたりしてw
思えば今までいろいろあったな。
んー・・・
欲望が強すぎるのか???
しかしだな、身分不相応というか自分の人間性と合っていないのに手に入れるというのはいかがなものか?
自分も相手もストレスが溜まってしまい、お互い不幸ではないのか?
などなど、なかなか難しい問題でございます。
ですが、それもまた運命だし、人生が楽しくなるスパイスだったらいいねぇ。