藤岡勝二「日本語の位置」1の続き
第二に日本語の本来の言葉にはアール(r)の音が初めに来ない事です。これは多くの人が古から、すでによく言っていることです。これはウラルアルタイ語族の方でも西の方トルコ語、今のハンガリーの言葉などではrが来ないとは言えませぬが、東の方へ行きますと、蒙古語には絶えてないのです。rが初めに来ないのです。古語でも(むろん今の口語にはありませぬが)本来の蒙古語としては語頭にrはありませぬ。これがあるものを見出したらそれは本来のものでない、外国語から来たときめられます。すなわちこれを東部ウラルアルタイ族の特徴といえます。すなわち東部ではrの音が初めにない、あればそれは外国語であるということになるので、これは皆一致しております。著しい一例を挙げればロシアの国名です。これは英語で言えばラシア、 ロシア語ではロシアです。それをハンガリー語で(この例にはハンガリー語もこめられるのです)言うとオロスとなります。ロスの前にオを付けて造ったものです。かようなオは意義上に変化を起さないもので、これを言語学ではインオルガニックのものと言います。日本語でもロシアのことをやはりオロシヤと言ったのもこれであります。ロの音が強いと初めに不定の母音が聞える気味がある。不定の母音はoに近い。そこで耳の方の感じから、他の母音でなくオをrの前につけていうのであります。とにかくrを以て始まる語は、この語族の或るものの通性といえるのです。ウラルアルタイ族全部に亙ってはいわれませぬから、これは東の方のものにとどめて置かなければなるまいと思います。この点ではトルコ語のごときが取り除けられますが、他の点に大いに親近なことがいくらもありますから、この語がこの語族からこの点だけで除かれるものではありませぬ。
第三には母音調和すなわち協韻法のことです。これはきわめてむずかしい問題でありまして、ここに黒板でもなければ、とても十分に説明は出来ませぬ。これを最もよく説明した人はフランスのリュシアン・アダムという人です。これは年号を確かには覚えませぬが一八七四年と思います。その時に協韻法の性質、歴史について一冊の書物を書いております。
L' harmonie des voyelles dansles langues ouralo-altaiques
という書物です。フラン語で書いてあります。僅か一冊の薄い本ですけれども、七章に分って詳密に説いております。そんなものがありますが、それ等の学説の話は今あずかっておきます。ただこの語族には母音調和ということが著しいものであるということを申すのです。世界の言語分類をするについても、リュシアン・アダムだけは特にラング・ヴェルジョネルという一類を設けております。ヴェルジョネルとはこの協韻法に着眼して名づけたので、ウラルアルタイ語族をこれとします。御承知のとおりシライヘル流の言語分類法は三つしかない。ところがリュシアン・アダムがその外にこれを立てたのは、この母音調和を特質とする言語をみとめたからです。なるほど西はフィンランドの言葉、ハンガリーの言葉より、東は満洲の言葉、蒙古の言葉まで、この母音調和法が存している。よって世界の言語分類の事は別問題として、さてウラルアルタイ語族にはこれを注意せねばなりませぬ。ざっとこの事を申しますと、こういうことです。母音調和というのはまず母音の階級を三つに分類する。第一はアとオとウで、第二はエとエの或る要素を被っているオ、ウです。第一を男性または陽性母音といい、強母音ともいいます。第二は女性または陰性母音といい、弱母音ともいいます。第三はイでこれを中性母音といいます。故に蒙古語ならば七つの単母音をこの三類に分けて立てるのです。そして複母音に至ってもこれを準拠としてやはり三分します。母音がかように分類せられていまして、それからこれに合う子音をきめています。この二つの事を根拠として音節の構造から文法上の変化までを支配します。文法上での一例を言いますると、蒙古語で山というのをアゴールといいます。このアゴールという言葉の後へは、「の」という意味のものを付けるとアゴール・オンとなる。ゲルは家という義で、これを「家の」とするときにオンは用いないで、ウン(このウにはエの或る要素を加える)とします。すたわち前の母音と調和を保って後の母音が表われるのです。字形が同等でしかも音をかえるから、はなはだおもしろいのです。とにかくかような風に母音調和があるのです。各国語で多少の差がありますが、ウラルアルタイ語族では大抵これがあるのです。さて日本語の方ですが、ここにはこれはありませぬ。母音調和法というものは日本にはないのです。少くともリュシアン・アダムが言っているような厳格なる母音調和法は日本にありませぬ。もし日本にこれがあるとすれば、例えば天爾遠波が名詞に付く時に前の名詞の音によって天爾遠波の音が変らなければならぬわけですが、そんなことは日本にはない、「山の」と言っても、「木の」と言っても、「手の」と言っても同じことです。して見るとわが国語にはこれは欠けているといえます。同語族としながら、この欠けているのを見ては、いかにこれを説明するか、この点については私は未だ説明が出来ませぬ。スイートの『ヒストリー・オヴ・ラングエージ』の上には解釈を試みてあります。それは日木は未だ語が初等なんで、その前の言葉と後の言葉との音韻上の関係を十分付けるまでに進んでいないのであると言っています。一体スイートはウラルアルタイ語族中地理上から見て、東の端にある日本語は一番初等発達程度にある、だんだん西へ往く程進んで、フィン語になると大いに進化して曲尾語に近づいているということを信じている人でありますから、その前提から説明したものと見えます。しかしこれは古くはアーデルングもいった説で、あまり感服は出来ませぬ。総体言語の初等とか高等とかいうことは形式上では分らないわけのもので、少くとも近世の心理的言語研究をしたものには首肯出来ぬものです。そんなことはさておき、ともかく日本語の上にはこの現象は古語にも十分は認められませぬ。これは事実ありませぬから致し方がありませぬ。しかしウラルアルタイ語族は大部分にはありますから、これは考えておかなければならぬものです。日本語が他の点においてウラルアルタイの中ヘ入るものと今後極まったならば、その暁において、何故に日本語に母音調和法がないかという説明は大いに研究しなければならぬことになろうと思います。それまでは預りにしておきます。これだけが音の論です。音のことはまずそんなこととして、その上の細かい論は只今止めておきます。
次は語の事になります。第四にウラルアルタイの言語には、冠詞というものがない。英語でいうような冠詞というものがないのです。英語ではthe等、ドイツではder等というものがありますが、本来この語族にはない。ただしこれは今のハンガリー語にはあります。アズとかアーとかいう音を冠詞に使います。母音が初めにある言語の前にアズ、その他にアーとします。しかしこれは歴史上、後に発達したものであることが立派に証明せられておりますから、本来にはなかったといえます。して見るとウラルアルタイ語族全体に冠詞はないということに帰着します。日本語にこれがないのも明かでありますから、ここに立派に数えられます。
第五は文法上の性のことです。これは日本人から考えれば非常に不思議なものです。性があるということはいかにも無意味に思われます。一体私共はあんな無益なものはなくてもよいのにとしばしば思うくらいであります。あんなものがありますから、ドイツ語やロシア語等は覚えるのに誠に厄介です。あんなものがあったところで大した効能はありませぬ。効能がなくして余計なものが存しているのです。開けた国には開けた語があるものであるという人がありますが、これはきわめて開けないことが、いわゆる開けた国語に存していると言い得るのです。余計なものがあるのです。理屈が合っていれば宜しいけれども、理屈が合っておらないから困るのです。男性とか女性とか中性とかいろいろな別を立てたところに、大した理由はありませぬ。ヤコブ・グリムなどは立派にいわれをつけて、男性に属するものはこういう意味、中性に属するものはこういう意味だ等と言っていますけれども、事実はことごとく当っておるのでありませぬ。故にあれは無益なものと思います。ない国の方が余程仕合せと考えます。だから私は現代欧洲語中、英語は一等宜しいと思います。多少は英語にもありますが、他のもののごとくありませぬから、余程宜いと思います。ウラルアルタイ語も、この都合の宜しい方の語で、性というものは何処にもありませぬ。日本にもありませぬ。随分アフリカの土蛮の言葉とか、アメリカの土人の言葉などにも、性に類するものはあるところがありますけれども、ここにはないのです。そこでこれを余程著しい通有、否、通無現象として数えられます。
第六には動詞の変化のことです。動詞の変化は、インドゲルマン語の動詞の変化の仕様といわゆるウラルアルタイ語およびわれわれの日本語の動詞の変化とは、著しく違っています。インドゲルマン語には、御承知のとおり、語尾変化とか何とかいうようなことが言われるけれども、日本語等にはそれと等しい語尾変化というものはありませぬ。別のものと見る側から、これは昔の人の言った活用という言葉の方が余程宜いと思います。ウラルアルタイ語のはあるものが語幹にだんだんくっ付(、、)いて往くのです。くっ付(、、)いて往くということは、元からあるものが曲げられるということとはちがいます。いわゆる西洋のインフレクションとは(起源は別問題として)趣きが違います。さて日本語でそのやり方と、ウラルアルタイの例えばトルコ語とか蒙古語とか満州語とかのやり方と比ベますと、同じことです。同じように下ヘ下へとくっ付いて来るのです。随分長くいろいろくっ付きます。例えば「よましめられざりき」のごとくです。もっとも国語によって動詞幹の次に所相の動詞が先へ来るとか、打消の助動詞が前へ来るとか、そんな前後の差はありますが、皆相続いて一つづきに来るものです。私はそのすベてを一語と見ます。一語のきまりの論はここに省きまして、ただいわゆる助動詞の喰い付きようについて、その順序が国語によって違うことを注意しておきます。だから日本語の文法を説くならば、この順序の事は是非説かんければならぬものです。動詞の土台があって、その後へ勢相や何かいろいろなものがくっ付く場合には、何が先に立つかということは文法において必ず説かんければならぬ、極く必要なことであります。要するにこの順はちがっているものがありますが、大体ウラルアルタイ語族の動詞活用法は一律であって、インドゲルマンのとはちがう。日本語もその内に並ぶものと信じます。
第七には動詞にそういうようにくっ付いて来るものが非常にたくさんあることです。日本語もかなり多いです。助動詞というものが英語等のAuxiliary Verbといっているような簡単なものではない。ずっと多い。英語やドイツ語にあるところのものを持って来て数を合わして見たら合わない、ウラルアルタイならびに日本のが遙に多いのです。語尾の接辞とも言いますが、そういう類のものが確かに多いのです。故にこの事も特徴として挙げられると思います。
第八には代名詞の変化です。代名詞の変化ということは、これも西洋の代名詞の形からいうことで、こちらのものには当らないいい方です。かりにこちらのも変化と称してさてウラルアルタイの代名詞の変化とインドゲルマンのと比ベると、変化の仕様が著しく違っています事がわかります。これも黒板へ書いて母音の変化する有様を説明しなければ分りませぬが、あいにくここには黒板がありませぬから、やむを得ませぬ、これはただ諸君が日本語のいわゆるこの変化とドイツ語等のと見出しだけにとどめておきます。比ベて御覧になれば、天爾遠波の力を認めると同時に大いにちがうことがわかると存じます。ともかくこの事も日本語をウラルアルタイ族に入れ得る点と出来ます。
第九には、西洋語には前置詞というものがある。もっともドイツなどには後へ付けるもの、すなわち後置詞というべきものもありますけれども、前置詞というものが最も拡がっております。それに当るものはウラルアルタイ語族では、ことごとく後に付けます。打消などの時にある「な言ひそ」とか「なのりそ」とかの「な」のごときは前に来るので、蒙古語にも同法がありますが、むろんあれはインドゲルマンの前置詞に当るものではありませぬから、今の論には入りませぬ、ただあちらで前置詞としているものに当るものが何時でも後へ付くことというのです。これはもうウラルアルタイ全部を通じている、日本語も同じことです。なお付け加えていいますと、いわゆる天爾遠波がこの語族をずっと調べて見ますと、場所関係のものが主になっています。例えば日本語の天爾遠波の「に」がもともと場所に関するものであって、今の俗語で如何にさまざまに応用せられているかが見えます。その通りのことがウラルアルタイ語に瀰漫しています。もっともその他の語族でも場所の関係のものがこの天爾遠波類似のものには多く用いられることは、誰も知っているところですが、ウラルアルタイ語族で著しく見えます。
第一〇には、「もつ」という言葉がないことです。これは珍しいことです。日本語にあるではないかという御答が出ましょうが、西洋で言うような意味で、つまり英語で言いまするhaveに当るものはないのです。日本語にもウラルアルタイ全部どこにも本来ないのです。著しいことです。例でいいますれば「父が三人の子をもつ」というようなことは日本では言いますまい。西洋流の声色では言いますが、日本本来の言い方にはないのです。この言い方はウラルアルタイ全部にありませぬ。そういう場合には、「彼の人に三人の子がある」といって「に」を使います。ウラルアルタイ全部どこでもこの「に」に当る語すなわち場所を示すものをおいて、その後へ「父に三人の子がある」というように「ある」を持って来ます。かように「持つこと」を現わすのがウラルアルタイ全部の性質で、日本語もやはりそれです。これだけが語の方の話になります。それから文章論について言いましょう。
第一一には形容詞の比較を顕わす顕わし方です。英語で言うハイヤーとかロワーとかいう言葉を、苦しい直訳読で「より高く」とか、「より多く」とかいっています、あの「より」は英語の形容詞の語尾を訳したつもりで、実はその後に来る語を訳して、形容詞に付けたのです。だから「これよりより安い」というように二重につかわねばならぬことになったのです。さて、その前置詞「より」は英語ではthan接続詞ですが、ウラルアルタイ語族では、またわが国語では奪格を示す天爾遠波を用いるのです。「より」自身がそれです。韓語でもやはりそういうものをこの場合に用います。故にこれがまた一個条にかぞえられると思います。
第一二には問の文章は西洋の言葉は、御承知のように語の位置を換える、動詞を初めに持って来る。ところがわれわれの言葉およびウラルアルタイ全部、トルコでも満洲でもどこでも皆それ等の言葉は何か問を示す言葉を、当り前の文の終いに付けます。日本語もそうでしょう。ただ往くなら「往く」では当り前である、終いに「か」をつけて「往くか」と言えば問になるのです。だから中ごろまで問でない言葉遣いで進んで来て、終いに問にするのです。西洋の言葉はそうは往かぬ、初めから問なら問の積りで言わなければならぬわけです。日本のは中途から変心しても構わぬような次第です。便利でしょう。そういうように出来ています。それがまた通有性です。
第二二、接続詞の使用が日本語には少い。少くとも古い言葉に接続詞はなかったらしい。やや後でもきわめて少いのです。ウラルアルタイ全部そうです。日本で今日文法に現われているいわゆる接続詞は本来のものでない、ほかの品詞からやって来て、そこへ寄留しているものです。して見ると、根源からいって本来、接続詞をほとんど使わない性質があるといえます。これはウラルアルタイ語族皆そうで、今も接続詞の使い方をきわめて少くすることが一致しているのです。その代りにどうかすると「源氏」などにある様にだらだら文が出来上ります。手紙の文体で、何々候間、何々候に付き、というようた風にだんだんつないで長いものがあるのはこのわけです。言文一致文を子供にかかせるとやはりそれと同じようなことが出来ます。けだしこれが日本文の通性なのです。否ウラルアルタイ語族の通性であります。これを英語にアンドとかバットとかビコーズとかいうようなものを用いるのと比ベればよく特徴が見えます。
第一四、今度は言葉の順序です。言葉の順序は一体に形容するものが形容されるものの前に立つ。「高い山」というように言うのが原則です。これはウラルアルタイ語ことごとく、朝鮮、日本皆そうです。しかもウラルアルタイ全部で見ますと、多くその言葉は皆形容詞が変化しませぬ。形容詞が変化せぬというのはこういう意味です。西洋語で言うと、古代英語の方は後へ立つ名詞の格によってその形容詞も格語尾というものを取る、その格語尾が変化です。ウラルアルタイ語には皆これはないのです。日本語にもそういうことはありませぬ。
次は日本で訳して客語と言っておりますが、この客語が動詞の前に立つことです。花を折る、水を飲むというように飲まれるものを先に言う、折られるものを先へ言います。これは西洋でも支那でもそれが顛倒している。ところがウラルアルタイ全部そういうように、平たくいえば「を」の付くものを前へ置いていいます。これも言葉の性質と見られるものです。
まず以上ならべましたようなものくらいです。まだありましょうが、追々に考えてからにしたいと思います。ともかくこのくらいの処を調べて比べて見ますと、どうも日本語は直接インドゲルマンとの関係を立論するよりは、どうしてもまずウラルアルタイ語族ヘ付けなければならぬかと思います。今までの人はrが語頭にないからという事等、僅か二、三の理由を根拠にしてウラルアルタイ説を立てておられるようですが、あまりに理由とするところが多くないと思いまして、かようにならべてみましたのです。私は今までこの話はどこでもしない、ここで初めてするのですから、この只今の話によってこういうことに諸君が気を付けてくださるようになったら、まず第一にここに私の友達が出来たというわけですから、私は満足に存じます。
さてこれだけ数えてみて、日本語がウラルアルタイに属するということに今しましたが、よく見ればまだ出て来ましょう。まただんだんやって往きますと、この中で壊れるものが出て来るかもしれませぬ。それは分りませぬが、まずほぽ見当を付けて、それから調べて往くのがよかろうと思います。もちろん肯定論としてこれをいうものは、またその反対にこれを否定する理由がどれくらい出て来るかということも考えねばなりませぬ。日本語がウラルアルタイに属しないという理屈を立てる側に立って見ると、それもまた少しは出て来るかもしれませぬから、それをも考える必要があります。が先入主になって反対説をみだりに頭からこなすことは出来ませぬ。至極公平な学術的研究態度で考察せねばなりませぬ。故に以上の仮定を設けてウラルアルタイに属する説をいいますものの、まだまだ研究が終了したとは決して思わぬのです。幾多の有力な積極的証明が出来るまでは、どしどしなお進行したいと思っております。それには諸君方の御調べもまた大いに承らねばなりませぬから、ここに一提案を出しまして、御参考に供します。この案はつまりまずこんなものででもあろうかというでも案でありますが、よく御辛抱を下さいました。
(本編は藤岡文学士が、さきに本大学同窓会の席上において演説せられたものを筆記して、その校閲を経たものであります)
〔1〕 「国語上より観察したる人種の初代」『史学雑誌』第一二編第六号、明治三四年(
*)
〔2〕 「言語を以て直に人種の異同を判ずること」『史学雑誌』第一二編第九号、明治三四年(
*)
〔3〕 「日本の言葉はアリアン言葉なり」『新公論』第一九年第八~一○号、第二○年第一号(明治三七~三八年)
「日本語アリアン語比較表」『新公論』第二○年第二~四号(明治三八年)
『国学院雑誌』第一四巻第八、一〇、一一号(明治四一年)