鈴木しづ子の第一句集『春雷』は、敗戦の翌年、東京の名もない出版社・羽生書房から刊行された。まだ瓦礫の残る焦土に生まれたこのささやか句集は、大ヒットして5千部をまたたくまに売りつくし、同時に無名の俳人、鈴木しづ子の名を俳壇に知らしめた。しづ子は、未だに伝説の俳人である。一時は「娼婦俳人」「パンパン俳人」などと称され、誤解に包まれていたが、最近になってやっとその全体像が明らかにされつつある。しづ子の句をもっと読んでみたいという欲求が僕の中にあった。このたび、たまたま『春雷』が手に入った。僕と同じく、その句を抄録でなく読みたいと思う人は多いと思う。ここに順次載せていく。版権などの問題もあろうが押し通す。つまり僕は確信犯である。今回はその序文から。以下、精力的に続行の予定。
鈴木しづ子処女句集『春雷』
序
ここにひとりの少女がゐる。とほく親をはなれ製図学校に学び、製図工として工作機械製作の大工場に就労してゐた。元来蒲柳の質、
春さむく掌もていたはる頬のこけ
長き夜や掌もてさすりしうすき胸
くちびるのかはきに耐ゆる夜ぞ長き
といふ句の示すごとく、肉体をいたはり、われとはげみをつけつつ働きつづけてゐた。私がこの少女を識つたのは彼が勤めてゐた工場の俳句会席上であつた。眼のくりくりとした見るところ快活さうな人柄であつた。がそのときは未だ新詩めいた頗る生々しい句を作つてゐた。私は誰の作とも知らずそのいびつな表現に酷評を敢てした。少女は胸のうちで泣いてゐたかも知れない。癇癪をおこしてゐたかも知れない。散会後出席者みんなと月夜の道を歩いて帰つた。彼も一緒だつた。裾短かいオーヴァを著てゐた。
それから後ずつと彼は私に句を示してゐた。かしこい彼はまもなく従な感情をひきしめることを識つた。
暖房のおよばぬ隅に著更へする
稲びかり油手あらふ江のほとり
徹宵にのぞむ手袋はめにけり
そびらより南風つよく出勤す
青葉の日朝の点呼の列に入る
彼は漸く俳句といふものの境を知つた。就労生活の中にそれを見出した。
時差出勤ホームの上の朝の月
時刻捺印秋朝光げをまともなる
工場菜園畸形の胡瓜そだちつつ
などは其の頃の句であらう。
いちじくに指の繃帯まいにち替ふ
秋ゆふべねぢ切るわざを見てならふ
あきのあめ図面のあやまりたださるる
寒ともしわざに馴れたるひとの指
もう斯うなると彼は俳句の中に、自分をも正視することができるやうになつた。私は彼の生一本な純真さに一種のおそれをさへ感ずる様になつた。彼はいよいよ精進した。そして彼は更に俳句の格をつかんだ。
たそがれやとぼしき黄葉を捨つる桑
焚かれゆくけさの落ち葉のなまがはき
春寒や風たちやすき笹の原
夜あがりやものおとたえし九月の樹
谷の戸やあとさめさそふ秋のうれ
いにしへのてぶりの屠蘇をくみにけり
自己を正視した彼は、ここにいたり自己を熟視するやうになつた。すなはち、黄葉を捨つる桑、落葉の生かはき、秋の梢などのうへに自己の姿をまさしく見出した。屠蘇をくむいにしへの手ぶりのうちに、彼は我を忘れて生くる日の喜びにヒタル涵るやうになつた。彼の肉体の弱さを案じてゐた私は、まづ心の明るみをつかんだ彼を喜ばずにはゐられなかつた。
天稟と言はうか。否、彼の健なげな勤労精神が、彼みづからを急速度でここまで引き上げたのである。
東京と生死をちかふ盛夏かな
の覚悟もでき、終戦にあつては、
炎天の葉知恵灼けり壕に佇つ
の名状すべからざる国民感情にも我とぶつかるのであつた。
しかし年若い彼は、意識的にまださうした精神・覚悟・感情を識つてはゐないかもしれない。ひとつの芸術境としてのみしか識つてゐないかもしれない。私はそれでいいと思ふ。そして意識的にそれをだんだん識るやうになつて、彼の人格が次第に築きあげられてゆくであらうと思ふ。
彼は寒いこの頃、
霜の葉やふところに秘む熱の指
指の凍てふるるにあらぬ聡き肌
炭はぜるともしのもとの膝衣
の句のごとく、以前とはちがつた静かな心でわが身をいとしみ育んでゐるであらう。私は彼をいとしく思ふ。彼の名を鈴木しづ子といふ。
昭和二十年十二月
松村巨淞
鈴木しづ子処女句集『春雷』
序
ここにひとりの少女がゐる。とほく親をはなれ製図学校に学び、製図工として工作機械製作の大工場に就労してゐた。元来蒲柳の質、
春さむく掌もていたはる頬のこけ
長き夜や掌もてさすりしうすき胸
くちびるのかはきに耐ゆる夜ぞ長き
といふ句の示すごとく、肉体をいたはり、われとはげみをつけつつ働きつづけてゐた。私がこの少女を識つたのは彼が勤めてゐた工場の俳句会席上であつた。眼のくりくりとした見るところ快活さうな人柄であつた。がそのときは未だ新詩めいた頗る生々しい句を作つてゐた。私は誰の作とも知らずそのいびつな表現に酷評を敢てした。少女は胸のうちで泣いてゐたかも知れない。癇癪をおこしてゐたかも知れない。散会後出席者みんなと月夜の道を歩いて帰つた。彼も一緒だつた。裾短かいオーヴァを著てゐた。
それから後ずつと彼は私に句を示してゐた。かしこい彼はまもなく従な感情をひきしめることを識つた。
暖房のおよばぬ隅に著更へする
稲びかり油手あらふ江のほとり
徹宵にのぞむ手袋はめにけり
そびらより南風つよく出勤す
青葉の日朝の点呼の列に入る
彼は漸く俳句といふものの境を知つた。就労生活の中にそれを見出した。
時差出勤ホームの上の朝の月
時刻捺印秋朝光げをまともなる
工場菜園畸形の胡瓜そだちつつ
などは其の頃の句であらう。
いちじくに指の繃帯まいにち替ふ
秋ゆふべねぢ切るわざを見てならふ
あきのあめ図面のあやまりたださるる
寒ともしわざに馴れたるひとの指
もう斯うなると彼は俳句の中に、自分をも正視することができるやうになつた。私は彼の生一本な純真さに一種のおそれをさへ感ずる様になつた。彼はいよいよ精進した。そして彼は更に俳句の格をつかんだ。
たそがれやとぼしき黄葉を捨つる桑
焚かれゆくけさの落ち葉のなまがはき
春寒や風たちやすき笹の原
夜あがりやものおとたえし九月の樹
谷の戸やあとさめさそふ秋のうれ
いにしへのてぶりの屠蘇をくみにけり
自己を正視した彼は、ここにいたり自己を熟視するやうになつた。すなはち、黄葉を捨つる桑、落葉の生かはき、秋の梢などのうへに自己の姿をまさしく見出した。屠蘇をくむいにしへの手ぶりのうちに、彼は我を忘れて生くる日の喜びにヒタル涵るやうになつた。彼の肉体の弱さを案じてゐた私は、まづ心の明るみをつかんだ彼を喜ばずにはゐられなかつた。
天稟と言はうか。否、彼の健なげな勤労精神が、彼みづからを急速度でここまで引き上げたのである。
東京と生死をちかふ盛夏かな
の覚悟もでき、終戦にあつては、
炎天の葉知恵灼けり壕に佇つ
の名状すべからざる国民感情にも我とぶつかるのであつた。
しかし年若い彼は、意識的にまださうした精神・覚悟・感情を識つてはゐないかもしれない。ひとつの芸術境としてのみしか識つてゐないかもしれない。私はそれでいいと思ふ。そして意識的にそれをだんだん識るやうになつて、彼の人格が次第に築きあげられてゆくであらうと思ふ。
彼は寒いこの頃、
霜の葉やふところに秘む熱の指
指の凍てふるるにあらぬ聡き肌
炭はぜるともしのもとの膝衣
の句のごとく、以前とはちがつた静かな心でわが身をいとしみ育んでゐるであらう。私は彼をいとしく思ふ。彼の名を鈴木しづ子といふ。
昭和二十年十二月
松村巨淞
ではありませんか?