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齋藤百鬼の俳句閑日

俳句に遊び遊ばれて

鈴木しづ子と群木鮎子

2007年02月10日 | Weblog
 伝説の俳人、鈴木しづ子を知ったのは江宮隆之の「凍てる指」と「風のささやき」(ともに河出書房新社)による。とくに「風のささやき」は力作で、しづ子の謎のヴェールをほぼ解き明かしている。ただ小説であるから、その全句が読めるわけではなく、それは自分で手立てしなければならなかった。それで八方手をつくして「春雷」は手にいれたのだが、「指輪」のほうはまだである。縁があれば手に入るだろうが、いつになるかはわからない。
 しづ子にご興味の湧かれた方は、是非ともこのニ著をお読みになることをお勧めする。「指輪」所収の句も、かなりの数が収められているからだ。それと、しづ子は「指輪」発表後に失踪するのだが、その後、群木鮎子という別名で五十句ほどの句を発表していることを、江宮は発見している。北海道・小樽の俳誌である。これは貴重な発掘だと思う。江宮の著作から、その句を引き抜く。少し気がひけるが、これを契機として、ニ著作を読んでもらいたいからだと理解されたし。
 群木鮎子の句について、僕個人の感想を一言だけ言わせて貰えば、「処女作に勝るものなし」と思う。
 しづ子は、この後アメリカにわたり、その消息は未だに掴めていない。


   唇塗れば青空いぶし銀に昏る
   ひと恋し宵のルージュは濃くし出ず
   婚期過ぐ日の鬱々に慣れて着る
   青葉風手管の口説聞きながす
   生理日のタンゴいつまでも踊らねばならぬ
   恋の夢わたしは匂うものさえない
   男の体臭かがねばさみしい私になった
   ひとに手をあづけて心盗みおり
   日雇女と違わざる汗踊りて滴らす
   花火消ゆ純潔とおき日の果てに
   厨にて老ゆる女となるのはいや
   夫ならぬ人の唇あまし夜の新樹
   人を愛する血が激ちては陥ちゆけり
   三百六十五夜男いて性根崩さるる
   生きようと化粧私をなくし出ず
   花活ければ孤独の相やりきれず
   公園の真夜の接吻擦るひびき
   札束の無礼月夜を唾し帰る
   死ぬと云う男の銭や得て生くる
   身を揉じて燃ゆる夫ほし夜がかぶさる
   娼婦と違ふ夜の灯の暗さ撥ねかえす
   暗き灯の飲食美衣と云うなかれ
   絢爛たらぬ踊る身朝の納豆わく
   男手のなき冬菜漬いきおいなし
   秋灯のくらくてステップ恥かきどうし
   慄然と病めば死ぬ身と決めてひとり
   女とは妥協なき暗さ今日も昏れぬ
   たなごころかえす男が去りみぞれ
   活け花のふるう寒夜や人恋う膚
   魚焼けば反るよ生きても詮なき身
   燃えぬ身のドレス落ちゆくあきらめり
   文学とおしここに陥ちゆくひとりのおんな
   眉かきてジルバはさびしき男に充つ
   寒暮はや児戯に類するひとりの食
   金欲しと屈しゐてこころがくぜんと
   夫なしに風の寒暮の切れて重いし
   操とは明治の雪か消ゆばかり
   痴戯に雪がくぜんと私をとりもどす
   このわたをつまむ伏目やわれに楔
   残雪や梳けばわびしき恋のごとく
   芽木の空身をいとしめと云う人なし
   肌荒れにパフがなじまず春暾憂し
   春塵や恋する資格を見失う
   春海の朱魚ともならでか飢ゆる女か
   春夜きに銭の男に負かされぬ
   柔軟に夜の精液を吸ひ上げる
   春夜まづしき汽笛がなりて痴話さ中

4 コメント

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しず子 (小河原 銑二)
2007-02-12 10:35:37
一連のしず子の句を読ませていただきました。句を選ぶということは、己の過去の人生によって培われた感性に照らし合わせる作業と理解して、しず子の句に挑戦。一通り読んでマークするとほぼ30句ほどの数になリました。彼女の戦前戦後の数年間の生きざまを読み、やはりこの30の数の多小は別として共感多とするところです。私の記憶に重なることによって共感して選んだ句、およびさすが女ならではと感心した生々しい句を省き、一晩置いて残った句が次のものです。

生きようと化粧私をなくし出ず
寒暮はや児戯に類するひとりの食
芽木の空身をいとしめと云う人なし
青海の朱魚ともならでか飢ゆる女か
水中花の水かへてより事務はじめ
あきさめや指をそめたる塗料の黄
稲びかり油手あらふ江のほとり
湯の中に乳房いとしく秋の夜
長き夜や掌もてさすりしうすき胸
かがよふ波折れし芒をもてあそぶ
冬の夜や辞しゆくひとの衣のしわ

鈴木しず子がさらけ出した全裸のごく一部しか見ていないような気もします。おそらく薄い胸のある前のほうでなく、そびらのお尻の少し上辺りと思っています。
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小河原様へ (百鬼)
2007-02-12 11:37:49
ご精読に感謝です。しづ子の句では、やはり「指輪」がもっとも取上げられ論じられるのだと思います。しかし処女作には、その作家のすべてが既にあるという意見もあり、たまたま手に入った「春雷」と、別名で隠れるにして発表した群木鮎子の句を載せました。
小河原様に勧められた仁平勝の言によれば、初心にかぎらず、俳句を作る人間は、おおむね作句に夢中になって他人の句をほとんど読まないというのがありました。
僕は、過去の作家の句を読むのが面白いと思うタイプなので、そういうものかくらいにしか思いませんが、しづ子の感性にとても共感できるものを感じました。しづ子の句について技巧を云々することは、意味がなく、そのものの捉え方、感じ方に共感するかしないかがあるだけだと思いました。
小河原様の三十句の選を、句の受容のありようとして大変興味ぶかく拝見いたしました。
  冬の夜や辞しゆくひとの衣のしわ
この句は僕もとても好きな句です。後世の俳壇ではあまり佳句として取上げられていないようです。二十歳前後の作としては、やはり優れた資質を感じます。ともかく長文の感想をいただき、とても嬉しくおもいます。
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鈴木しづ子の一生 (高橋正道)
2007-02-14 18:52:34
鈴木しづ子の全句作との出会いの場を作っていただき、ありがとうございました。心から御礼申し上げます。手が、指がお疲れになったのではないかと、心配しています。

なんども、なんども句を読んでみました。その一つ、一つもさることながら、彼女の「女の一生」にまず関心を持ちました。父が、多分いない家庭にあり、しかし相当な教育を受けたインテリジェンスのある女。そして自我が、はっきりと内在する。全句を順序に従って読んでゆくと、その姿が浮かんできます。まだ工場ではたらく喜びを持っている頃。しかし幸福感はなく、寂しさが伝わってくる。石上露子の歌を思い出す。「シナ興亡史」を読み、国のありように思いをいたしているのがわかる。そのうちに、「雨のおと太きうれしさ夏来たり」と、いさなか無理をして、うれしさを言っているような気がする。「夫ならぬ人によりそふ・・」と
恋心をいだくようになる。そして終戦ちかく。「東京と生死をちかう」は、絶唱だ。「炎天の葉・・」にも呆然とした思いが伝わってくる。
「長き夜や掌もてさすりしうすき胸:」では、熱き血潮をもてあましているようだ。そして別れ。「さかりゆく人は追わずう烏瓜」・・・と。せめて「いとしくもほどけかかるよ指のさき」と自己愛か。年の瀬に入っての句「年逝くや句を知りそめし花の頃」との詠嘆が哀れだ。

この詠嘆は、「指輪」にもある。
「花火消ゆ純血とおき日の果てに」
「操とは明治の雪か消ゆばかり」

全体像の中でつかんだ句です。ほかにも、個々にいい句がありますね。
彼女の生き方について、あるいはそれに絡んで、句にも、毀誉褒貶が激しいかもしれません。でも、あの頃女一人で、しかも工場で油まみれになっていたような女になにができたのでしょう。座敷に座って傍観している人間に、批判や非難をする資格なぞないでしょう。精一杯生きた女に対して。 この句集に喝采をおくります。

いい句集を読ませていただき、あつく御礼申し上げます。
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高橋様へ (百鬼)
2007-02-15 18:02:56
しづ子については、知っている人は知っているのですが、全句は知らないのではないかと思います。それで「春雷」が手に入ったので全句出してしまったというだけの話なんです。でも、じっくり味わっていただけて嬉しく思います。その個人史は高橋様の読みと殆ど一致すると思います。毀誉褒貶は誰にもありますが、これと思った作家は、そんなことに関わりなく、自分の舌で舐めるように味わえばいいのだと思っています。伝説を作り上げた最大の張本人は師の松村だったのではと思っています。有難うございました。
追伸 そちらのプログにも書き込まないといけないのですが、蕪村については今、勉強中なので、あしからず。
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