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齋藤百鬼の俳句閑日

俳句に遊び遊ばれて

一茶の子供のいる風景(1)

2007年09月04日 | Weblog
前衛句も芸術的な句も、他人(ひと)よりは好きなのでしょうが、それでも時々うんざりします。
そういう時は、一茶でしょう。まず、分からない句というのはありません。
そのなかでも子どもを対象とした句、これはほっといたします。

一茶が子供を句に詠むようになるのは、文化11年に、52歳にして始めて年若い妻を迎えて以降になる。それ以前にもあることはあるがそう多くはない。
時系列に句を挙げてみよう。

<文化11年>
 雪とけて村一ぱいの子ども哉
 御雛をしやぶりたがりて這子(はふこ)哉

五十年一日の安き日もなく、ことし春漸く妻を迎へ、我が身につもる老を忘れて、凡夫の浅ましさに、初花に胡蝶の戯るゝが如く、幸あらんとねがふことのはづかしさ、あきらめがたきは業のふしぎ、おそろしくなん思ひ侍りぬ。
 三日月に天窓(あたま)うつなよほととぎす
千代の小松と祝ひはやされて、行すゑの幸有らんとて、隣々へ酒ふるまひて、
 五十婿天窓をかくす扇かな

 片天窓(あたま)剃て乳を呑夕涼
 子宝が蚯蚓のたるぞ梶の葉に

<文化12年>
 妹が子やじくねた形(な)りでよぶ蛍  「すねた」の俗語
 里神楽懐(ふところ)の子も手をたゝく

<文化13年>
 石なごの一二三(ひふみ)を蝶の舞にけり  小石でするお手玉
 凧抱たなりですやすや寝たりけり
 たのもしやてんつるてんの初袷
 瓜西瓜ねんねんころりころり哉
 里の子が犬に付けたるさ苗哉
 わんぱくや縛れながらよぶ蛍
  千太郎に申す
 はつ袷にくまれ盛(さかり)にはやくなれ
 妹が子は穂麦の風にふとりけり
 あこよ来よ転ぶも上手夕涼
 茹栗や胡坐巧者なちひさい子
 縄帯の倅いくつぞ霜柱
 竹ぎれで手習ひをするまゝ子哉

<文化14年>
 をさなごや尿(しと)やりながら梅の花
 ちさい子がたばこ吹也麦の秋

<文政元年>
 雪解や貧乏町の痩子達
 としとへば片手出子や更衣
 蚤の迹(あと)かぞへながらに添乳哉
 暑き夜や子に踏せたる足のうら
 立臼に子を安置して盆の月
 雪車(そり)負て坂を上るや小サイ子
  二ッ子にいふ
 這へ笑へ二ツになるぞけさからは
 鬼打の豆に辷て泣子哉
 是程の牡丹の仕方する子哉  身振り、手まね。
 
<文政2年>
 畠打や子が這ひ歩くつくし原
 門前や子どもの作る雪げ川
 初瓜を引とらまへて寝た子哉
 妹の子のせおうたなりや配り餅  配り餅を背負っている
 まゝつ子や涼み仕事にわらたゝき
  越後女、旅かけて商ひする哀さを
 麦秋や子を負ながらいわし売
 暑き日に面は手習した子かな
 露の玉つまんで見たるわらべ哉
 名月や膳に這よる子があらば
 子を負て川越す旅や一しぐれ
  さと女笑顔して夢に見えけるままを
 頬べたにあてなどしたる真瓜(まくは)哉
  さと女三十五日墓
 秋風やむしりたがりし赤い花
 子宝がきやらきやら笑ふ榾火哉
 
<文政3年>
 弧(みなしご)の我は光らぬ蛍かな
 雀子やものやる児(ちご)も口を明(あく)
 子宝の多い在所や夕ぎぬた
 鬼灯の口つきを姉が指南哉

★手と目が疲れました。続きは明日。