別館 兄弟仁義

超常現象ドラマの兄弟愛と家族愛をうっとおしくつつくブログ

シーズン8、9へと続く流れ

2014-05-11 15:12:18 | シーズン8
繰り返します。後数回は、シーズン8を見た人限定。ネタバレは勿論のこと、見てないとわかりませんぜ。そしてシーズン9の話題にもかなり言及していますので注意。



シーズン8は端的に言って、前半と後半の差がはなはだしく、後半に行くにつれ兄弟の仲が修復され密接になり、ファンの大絶賛の最終話へと落ち着いたわけですが。
そこに至るまでのあれやこれ。特にしょっぱなの、唯一人残されていたサムがどうしていたかのストーリーは大ブーイング(^_^;)
シーズン8前半の問題、それは。

煉獄に飛ばされたディーンを、サムが捜さなかったということ。

これは長年のファンには相当のショックと、拒否反応を引き起こしたのは勿論のこと。
私もまず、そりゃないだろうと思う以上に、後半にその深い理由が明らかになるのかと思ってたが。
なかった(笑) そしてサムの『普通の人生に戻りたい』願望の復活と、そこには必ず女の影がという不問律もそのままストレートにそのままだった(笑)

いやこれはね。ショック以前に不自然だとはみんな言ってますよ。長いシーズンを経て、自分の人生と立ち位置を受け入れてきたはずのサムが、ここに来てなぜかのシーズン1還り(苦笑) 100歩譲ってその願望は良いとしても、兄貴を探そうともしなかったというのはどう考えても納得できないというのが誰しもが感じるところ。

私も兄弟萌えを自認するからには、絶対にディーンを必死で探すべきでしょう!-と言ってもいいんだが、そこは性格上、周りくねって考えるので(笑)
むしろサムというキャラ自体に合わないことの方が気になった。だって、あの粘着というか執念深く諦めない弟がだよ。あっさりと。
兄貴が死んだことにしたことが、まったくげせなかった。

これまで何度死んで蘇って、そこに天使やら神やら何やらの力が介在した経験を山と積んできたウィンチェスター兄弟において、あっさり兄が死んでもう帰ってこないと信じ込むような玉かよサムが!
そして、地獄を封印するためにサムが“三つの試練”を背負うことになった後半は、うって変わって濃いぃ兄弟愛が炸裂。いまだかつてないディーンからのサムがっちりハグが何度も拝めるという眼福を含むサービスっぷり。

ここに、制作上の色々なシビアな現実が入り込むわけですが(^_^;) つまりはスパナチュの生みの親であるクリプキが、当初予定していたシーズン5をもってショーランナーを降り、その後を引き継いでいたセラ女史もシーズン7で降りて、8からはジェレミー・カーヴァ―とロバート・シンガーに変わったこと。
ショーランナーというのは、ごく簡単に言えばアメドラの現場監督。シーズンの大きな流れの決定権を持つ。カーヴァ―氏とシンガー氏は初めのシーズンの頃に制作に関わってきた人たち。シンガーさんはそう、ボビーの名前の由来つうかそのままを取ってる(笑)
だからそんなに流れが変わるわけがない…ということではないんですね。やはりトップとなれば、その人(達)の好みというか、持って行きたい方向になるわけで、それがどうも長年のファンには望む方向でないような感じ。
とくにカーヴァ―氏は、すでにスパナチュにはさほど思い入れがないと公然と発言したとか、問題のある脚本はシンガー監督の奥様がシナリオを書いてるとか、色々漏れ伝わってる。
本国ではすでにシーズン9が佳境に入り、シーズン10も決定している。9についてはネタバレOKの私も情報を追う暇がなかったんですが、ここしばらくでようやっと追っているんですが、また大変な状態になっているようで(^_^;) 海外の熱いファンたちが喧々囂々と大騒ぎだった。
結局それは非難ごうごうだったシーズン8の前半をはじめとする、新しいショーランナーによる流れの問題らしい。

そこらあたりは、英語不自由者の私は奇天烈な自動翻訳で解読してるので、ハッキリとは語れない。シーズン9を見てるわけではないし。
ただ、シーズン8の前半と後半の違いはどうやら、それが単なるストーリーラインの失敗から、またはファンの大非難を受けての変更でもなく、シーズン9につなげていくための伏線であり新ショーランナーの方向性を見せるエピソードの一つでもあるような感じなんですよね。
だからシーズン9を見るまでは何とも言えないなという気がしている。

サムがあっさりディーンを探さず、アメリアという女性との幸せを求めたという流れは、カーヴァー氏が語ったというように「まさしくそのまま正直なサムの望みであった」とするなら。
そんな弟嫌! そんなスパナチュ見たくない! という以前に、彼がウィンチェスター兄弟の関係にどうテコ入れをしたいのかという意図が気になる。
兄弟がいつも仲良く、べったりしていて欲しいと思うのも、腐女子としての宿願であるけれど(笑)
二人が果てしないループから抜けて、同じ目線で同じ選択をする姿を見せたシーズン5の締めから、さらに物語は続くことになり。
二人の絆は揺らぎ、また取り戻しを繰り返し、いい加減に喧嘩→仲直りという夫婦パターンはよせよと思いながらも楽しみ(ちょ)
でもシーズンは続き、二人の関係性にも変化が現れるしかない。

私も前に、たぶんシーズン5と6の辺りだったかな。折につけ書いていたんですが、二人の兄弟の幸福観は根本的に違うんですね。
ああそうだ。シーズン5の“二人の天国観の違い”のところでだ。
サムが結局はウィンチェスター家の末っ子としていろんな面から守られ、そして閉じ込められてきたこと。
ディーンがサムの兄だけでなく、実質親代わりも務めてきたこと。
その二つが、二人の望む幸福の違いを形成している。

サムの幸福の定義は、自分の力で新しい人生を作り出すことであり、その“自らの意志”がとても重要。
ディーンの愛は守る愛であり、家族を、既存の関係をそのまま保ち続け、永遠に変わらず守り続けること。

考えてみれば、もうそれはシーズン1から言動も言い争いも既出ずみ。
どうやらそこにメスを入れる方向性らしい。
ああ、それって、そりゃあ辛い展開だろうな。

見てない9絡みの話はしたくないんだけど(^_^;) サムの問題も8におけるボビーの死も、その流れにおけるお膳立てのようなんですよね。
仲の良い兄弟を見ていたいという気持ちと共に、更に二人の絆が深まるには、根本にある価値観の違いに踏み込む必要がある。

考えてみれば、普通の兄弟、家族間だって、価値観の違いはある。私は兄弟姉妹はいないけど、親との関係には普通にありましたよ。
一般の家族であれば、成長し結婚、または独立で離れることで、お互いにそれに折り合いをつけ、また認め合い家族関係は新しい形で続いていくわけです。
ところがウィンチェスター家、兄弟にはそれができない。ストーリーの関係上も(笑)
処刑人の二人のように、ほんとの意味での“くっつき双子”にはなり得ない、価値観も物の見方も違う兄弟。でも互いを深く思い合っている兄弟。その二人がこの先も一緒にいるのであれば、そこに目をつぶるわけにはいかない。
そう感じての流れを作っているとしたら、見る価値はある。ただ、そのためにはやはり兄弟を孤立無援にし、サブキャラたちをどんどん退場させていくしかないという流れはどうなんだろう。まあスパナチュって、シーズン1からそうなんだけどさ(^_^;)

カーヴァー氏がシーズン8でシナリオを手がけたのは第一話と最終話。ショーランナーが最初と最後を締めるのは多いみたい。
ところが第一話は問題の、“サム、兄を探さずに女と暮らしていた”ストーリーの幕開けで(笑) 最終話がいまだかつてない(この言葉出まくる)レベルの弟節、兄節てんこ盛りの締め。

僕がどれだけ兄貴に申し訳ないと思っているか、でも寂しくて惨めだったか!
俺がどれだけお前を大事に思っているか、他の誰を犠牲にしても、地獄を閉められなくても、お前を生かす!

なんだよカーヴァー、やればできるじゃない! みたいな絶賛の嵐だったらしい(笑)

ところが、シーズン9に入り、兄弟の間はいまだかつてない(三度目)ほどの険悪さに突入。それは主にサムの言動のキツさからで、アンチ・サム派が公然と非難声明を繰り出し、海外のディープなファンの間で紛争になっていた模様。公私混同というかリアルとフィクションの区別をつけない一部のファンからのバッシングに、ジャレッドも辛い思いもしてたみたい。
そしてジャレ本人が、ディーンを探さなかったサムには納得できなかったと漏らしていたり、J2の二人揃って、こうショーランナーが次々と変わるのは正直キツイと明かしているとかいう話から、益々カーヴァー氏の株は下落の方向へ。
でもそれが、後半にかけてのストーリーで変化を見せてきたようです。

10年を迎えるシリーズのスタッフが移動するのは当たり前だし、ほぼ全員がスパナチュが嫌になって去って行ったのではなく、新しいプロジェクトへの移行や栄転なので、惜しみつつも喜んでお別れを言うしかないと思う。ジェンもジャレもきっとそうしてる。けれど、二人が長年の生活ともなっているディーンとサムとスパナチュの世界観を誰よりも大切に思っていて、彼らの中で納得いかなかったり残念なことがあったらそれをポロッとだしてしまうことも無理はない。
でも、当初の予定通りクリプキ氏がシーズン5でショーランナーを降りても、ジェンセンもジャレッドも自らの選択で10になるまで契約を更新し続けている。それはまだまだこの物語と兄弟に対しての想いが強く継続してあるからでしょう。
俳優が同じ作品に10年で続けることは、たとえそれが人気作品であってもリスクを伴う。いや、人気作品だからこそかな。
それは保守や安易な安定を得ることより、ずっと大きい。スパナチュはいくら人気が高く良質な作品でもCWという地方局の小規模な予算のもので、他のもっと大きな局の作品に引き抜かれていったスタッフは、正直言って栄転の扱いなんですね。
J2がこの先、SPNが終了しての俳優人生がどうなるか。二人揃って、兄弟でしか見たくない!というどこにでもいる狂信的なファンは抜かしても、結構大変だと思う。二人ともまだ若いので、俳優人生としてはこれからなんだけど、この10年以上の同作品でのキャリアが吉と出るかどうかはわからない。
それも見越して、二人揃ってのワイナリープロジェクトもあるんじゃないのかな。

話がずれました(^^ゞ

まあそんなわけで、私は新しい流れを心配しながらも見続けますよと。シーズン9の噂のあまりの荒れっぷりに、もっと先のシーズンで色々決着が出てから見た方がいいのかと一瞬思ったんだけど(笑)
本音を言えば、腐女子の味方というか同士とされてるセラ女史の流れの方が好みじゃなかったですから私。キャンベル一族とリヴァイアサンという、どうにもなのキャラたちや、あとインパラの扱いはあれでいいとは思えなかった。ベイビーも家族! そして音楽の使い方も下手でしたよ(^_^;)

カーヴァー氏は以前は人気のあるストーリーを手掛けてたそうです。シーズン3の二人ぼっちのクリスマス、異教の神との対決に伴う、ちびディーン&ちびサミの過去話の回。それとかのトリックスター様(わたしの中では彼はガブではない)匠の仕事の、ミステリースポットの回。100万回死んだ猫ならぬ、100回以上死んだディーンと看取ったサムと、そして兄がいないサムがどうなるかの実例を描いてくれた。魂があったって暴走列車になる弟(^_^;)
その二本がわりと引き合いに出されてたけど、ふと思い立って調べてみたら。
100回記念エピソードも彼の手によるものじゃない!
その数話前、他のライターによる上記の『異なった天国観』の話から尾を引いていた兄弟間のぎくしゃくが、この回でスカッと解消された。
そこには哀れアダムの犠牲とかもあるんだが(汗)、兄弟が手を取り直し、兄が腹をくくったシーズン5の重要な回ですよ。
それなら希望はあるんじゃないか。まあ楽観はしてませんが。それがスパナチュ(笑)

兄弟が根本的な違いを越えて、互いに相手の立場になって考え、歩み寄る。
その流れにおける痛みを、シーズン9では描いてるのかなと。
また9の話になってますが(^^ゞ どうも切り離して考えられない。
そして、(反転シーズン9以降の大きなネタバレ)





お互いが、それまで経験していなかった互いの試練を受けることで、本当にその時の兄の、弟の気持ちが理解できるという流れ。
ディーンは自分以外のものに人生を乗っ取られ、動かされる恐怖を。
サムはその兄を間近に見ながら、どんな犠牲を払っても取り戻したい、そうすることで他者や世界に犠牲がおきようが、それをしないで見過ごせるのかという兄弟への想いに対峙することになる。






あくまでまた聞きによる、予想にすぎませんよ。
長くなってきたので、シーズン8のサム・アメリア問題と(笑) 他のキャラについてのちょっと語りは次回に。





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