新潟観光案内
やはり昨年盛り上がった
天地人の魚沼をちょっとご紹介しますねー
この時期は魚沼の田んぼは、稲刈りも終わり秋の収穫祭が各地で行われています。
いわゆる・・・産業祭りや農業祭などなどです。
各地地区の名産や名物はやはり通販でも買えますが・・・
その土地の方と触れ合うことが何よりですねー。
田舎の方言もこれまたいいお土産ですよねー
後はその土地に是非一泊して・・・ゆっくり大自然を味わってください。
お勧めのコースは日本海・・上越市から南魚沼ぬ抜けるルートがお勧めです。
hpより
「コシヒカリ」「越光」「こしひかり」の解説
コシヒカリは、開発当時決してよい米だと思われていたわけではありません。食味は抜群によかったのですが、そんなことはまだ当時の米には求めれていませんでした。特に、コシヒカリはもみが付く季節にまで生長すると、倒伏(米の重みで倒れること)しやすい品種のため、農家の苦労を考えると導入すべきではないという声が上がりました。
しかし、新潟県が手を挙げることになります。理由は、コシヒカリがおいしい理由ではありません。農家の悪いクセを直させるために、あえて評価の低い米を当時選んだのです。
当時の新潟県は、農家が米に肥料をやりすぎることに悩んでいました。農家は米を一粒でも多くとろうとするため、肥料をできるだけたくさんやろうとします。しかし、肥料をやりすぎる米はひょろ高く育ってしまいます。そうなると、もみが成長するにつれて、重みに耐えかねて倒伏しやすくなってしまいます。新潟県の農業指導機関がいくら言っても、農家は聞く耳をもちませんでした。その対策として、新潟県はわざと倒伏しやすいコシヒカリを推奨し、農家の悪いクセを直そうとしたのです。そして、ついに1956年、「越の国(越前国北陸)に光り輝いてほしい」という願いを込めて、「コシヒカリ」が誕生しました。
そうして、選んだコシヒカリが、新潟県全体に普及した頃に、日本は米あまりの時代になりました。作るより売ることが大事になったそのとき、おいしさを売り物にできる品種がコシヒカリだったため、新潟県の米が大人気となったわけです。甘み、ねばりがあり、やわらかいコシヒカリの味は、日本人の味覚にピッタリだったのです。新潟県が米の名産地となったのは、怪我の巧名からでした。