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2019年8月・常磐道煽り運転事件から感じる自動車同乗者の責任とは?

さて旅行記の途中ですが今回は時事ニュースに関連した話題です。

昨今マスコミ等で話題を集めている、常磐道守谷での宮崎容疑者によるあおり運転の事件。
この事件の問題や論点は色々ありますが、今回特に気になったは同乗者の女性が運転者の宮崎容疑者と同じく、かなりの非難にさらされたこと。この点から感じたことを書きます。

今回、宮崎容疑者のあおり運転事件に対する世間からの非難の過程で、同乗者の女性にも共犯者として非難が集中。その中で別人が誤認特定され、一時Twitterやネットニュースではその「別人を叩く流行」が出来た一方で、誤認された側から「全くの身に覚えのないこと」「法的処置の検討」「謝罪・訂正文の掲載要求」がリリースされました。

この別人が誤認特定された経緯も「宮崎容疑者がSNSでフォローしていた」「報道されたドラレコの不鮮明な画像と公開されている顔写真が似ている」「服が似ているように見える」という曖昧な情報による雑な特定であった言えるでしょう。
対象の人物に対してそれだけ世間(ネット世論)の非難が集中したために、急ぎ雑な検証で特定され、更に多くの人がTwitterのリツイートなどSNSのシェア機能を使い名誉棄損を伴う誤情報の拡散の共犯になってしまったとも言えます。

この別人の誤認特定とその拡散により名誉棄損が生じたことは大きな問題ですが、今回の論点は別とします。


結果的には本物の「同乗の女性」にも逮捕状が執行され、宮崎容疑者と時を同じくし身柄が確保されます。この「本物の同乗女性」は今後どのような罪で立件されるかなどは、注目するところです。

さて、今回の同乗者の女性は、「車を降りて・撮影してる風・ガラケー」などが要因となり世間の大きな批判をかった部分があるものの、そもそもの背景として近年交通加害事故に関しての同乗者の責任が以前よりも強く問われるようになってきてるな。とより一層思いました。

恐らくは「撮影してる風」などの行為がなかったとしても、一定の世間の非難に晒されたものと思われます。これはある意味で「白黒はっきりさせて黒なら叩け」「叩けるものは叩いておけ」という「(ネット)世論」の深度化もあるでしょう。

また「(ネット)世論」以前に、例えば飲酒運転に関しては2007年の法改正で同乗者の道交法違反が規定され「処罰」の対象になったことも周知の事実です。

同乗者の責任を追及することで、例えば会社の上司が部下に飲酒運転による送迎や無法運転を強要するなど、同乗者の方が力が強いケース、また「運転者が疲労による休憩を要求したにも関わらず同乗者が拒否」「ルール違反運転をするように囃したてる」など運転者が不本意な運転を要求された際に運転者を守る意義があります。

また男性運転者が危険運転をヒートアップさせてしまう要因として「同乗の女性にいいところを見せたい」という動機が起因しているという指摘もあるようです。被害者の立場から、危険運転を止められなかった、更にはヒートアップさせた可能性がある同乗者の責任を追及したい気持ちにも同意出来ます。


一方で、自動車運転者と同乗者の関係性において、往々にして運転者の立場が強いのも事実です。例えば、男性が運転し同乗者が女性など、既存の男尊女卑文化の影響で往々に運転者が強かったり、また性別関係なく乗せてもらっている立場から運転者に強く出れないなど・・。
現実的にハンドルを握っている運転者に対して、同乗者が何を言おうとどんな運転をするかは運転者の勝手。同乗者の立場を「まな板の鯉のようなもの」と評する表現も耳にします。

同乗者の責任が問われる昨今。現代社会の同乗者の責任追及の流れは、今回のあおり運転のように世間の耳目を集める交通事故・事件が起きるたびに厳格化されていくものと思われます。

同乗者の立場として、これからは車に乗せてもらう側も運転者がどんな運転をしているのか意識して

「煽り運転に代表される危険運転」
「信号無視・一時停止違反・方向指示器不使用・スマホながら運転など交通ルール無視の頻発」
「20~30km/h以上の速度違反」
「飲酒運転」(道交法上それだけでアウト)
「高齢運転手」(昨今の高齢運転者批判の流れでアウトに)

などが多い運転者の車には乗らない。という判断が求められてくるのではないでしょうか?

注:速度違反など交通ルール無視や高齢運転はそれだけで責任が問われることはなくとも、起因した事故(右直事故の直進側のような一種のもらい事故も含む)が起きた際に、一挙に責任が追及されることになりかねないと思います。

しかし一方で運転者との関係性等で、そういうわけにはいかないことが多いのも想像に難くありません。

「会社の上司や部下」「夫婦等で特にDVを伴う」「地方などで家族の送迎がなければ出かけられない」・・などなど
「運転者と同乗者間に対等ではない権力勾配の存在」「生活上運転してもらわなければならないような個々の事情」「そもそも乗るのは初めてだった」などにより「あの人の運転には不安があるから乗らない」という選択が取れないケースも多々あるでしょう。

今後この「同乗者の責任厳格化」と「運転者と同乗者間の対等ではない権力勾配」
この2つの間の歪みがなにかしらの事件の要因になるなど、何らかの形で噴出して社会問題化するような懸念を感じます。


今回の常磐道煽り運転事件に関する報道、世間の論調などから気づかされた自動車同乗者の責任問題。

バスやタクシーの乗客の立場で黙って乗っているだけならば、何かあっても責任を追及されることはないでしょう。これは「2種免許+緑ナンバーの責任」「認可・届出運賃を支払うことで買う安心」といえます

一方で知人・友人・家族などの他人の運転する車に乗せてもらう時、また謝礼を支払う「白タク類似」の場合であっても、同乗者の責任は発生します。

注:車に同乗させてもらった際、伝統的に「ガソリン代」名目でガソリン代実費以上の謝礼を支払う慣習があるが、金銭を支払っている以上、黙認されているだけで白タク類似行為と言える。

一昔前の時代、自動車運転に起因する事故や加害は運転者の責任であり、同乗者は被害者でした。しかし平成から令和の時代になった今、今回の事件が象徴するように今まで見逃されてきた同乗者の責任が追及されるようになってきたのを強く感じます。前述したようにこれは表裏あるもので一概に「悪い」ことだとは思いません。

運転者の不注意もしくは今回の煽り運転のような意図的な行為による事故や加害が発生した場合、(善良な)同乗者はどこまで責任を負うべきなのか??運転者の危険運転・ルール違反の運転に際して同乗者の取るべき行動とは??
また同乗者と運転者の権力勾配問題。
これから深く考えなければいけないテーマであると思います。


2019/8/20 1:55(JST)

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