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書籍-鉄道ピクトリアルアーカイブセレクション・名古屋鉄道1970~80(前編)

さて今回は鉄道誌の紹介と感想文です。今回紹介するのはこちら


「鉄道ピクトリアルアーカイブセレクション31 名古屋鉄道 1970~80」
2015年6月号増刊 2015年5月21日発売 定価1550円税込み

アーカイブセレクションは、主に過去の鉄道ピクトリアル誌・電気車の科学の記事からテーマに沿ったものを抜粋。推敲や新たな写真などを加えて再構成したもの。既に1950~1970年代をテーマに増刊の形で30号発売されているよう。
ちなみに私がアーカイブセレクションを買うのは初めて。

モリゾーの故郷といえば名古屋。名古屋を代表する鉄道といえば名古屋鉄道。名古屋鉄道こと名鉄の1970~80年をテーマとしたアーカイブセレクションです。


こちらは目次。
全166ページに「1970年代後半の名鉄の趨勢」「名鉄の車両解説」「名古屋鉄道の興味」「私鉄車両めぐり」の4章で構成されています。

「名鉄が一番面白かったのはいつか??」
この質問は鉄道ファン、名鉄ファンの中でも答えが分かれる質問ではないかと思います。「今が一番面白い」という人がいれば「AL車やHL車といった旧型車が全盛で活躍していた時代」という人もいるでしょう。
私なら「2000年代前半、2005年の万博前頃辺りの頃までが一番面白い時期だった」と答えるカナ?と。まぁ7社共通フリーきっぷの影響も多分にあるのですが・・。

さて今回紹介する本誌で取り上げている1970年台(昭和45年~55年頃)、この時代の名鉄は車両面では名鉄の代表的な通勤車6000系がデビューした時代であり、路線施設面では小規模な支線を廃止してきた一方で、豊田新線・知多新線・羽島新線・瀬戸線栄町乗り入れなど当時の名鉄が次の時代に必要だと考えた新線を開業するという、スクラップ&ビルドが行われ、まさに2000年代前半に至る名鉄の姿を形作った時代です。

今回は「パノラマカーと座席配置」「豊田新線を初めとした新線計画」「岐阜600V線」の3つに分けて感想を書いていきたいと思います。

まずは一つ目「パノラマカーと座席配置」を見ていきます


6~14ページ。「1970年代の名鉄の車両開発を顧みて」(書き下ろし)
近郊通勤路線の車両の座席配置に関してはクロスシートがいいのかロングシートがいいのか??座席配置論争は議論系鉄道趣味界でも定番のネタの一つであり、まさに名鉄はこの座席配置論争の渦中になりやすい路線の一つ。

また名鉄パノラマカーといえば名古屋では鉄道ファンではない人にとっても知名度があり「名鉄といえばパノラマカー」という言葉が時に「日本一の電車が走る日本一の名古屋」という言外の文脈も含み語られることもあるような。

冒頭で「2扉クロスシート一辺倒の終焉」として
全国に名を轟かしたパノラマカーの成功体験でパノラマカーの増備を続けたものの通勤混雑は激化
しかしながらクロスシート車を礼賛する思想もあり「僕らの特急パノラマカーを作るのを止めましょう」とは言い出せなかった。という話が続きます。
(この辺りの話は2005年頃の名鉄特集だったかな?で既出ですが・・)

このパノラマカー礼賛思想からの脱却が代表的通勤車6000系のデビューに繋がっていくわけですが、現在の名鉄がライバルJR東海を横目にロングシート偏重路線を取っていることもあって、この部分を読んでニヤリとする人もいるでしょう。

しかしこの話は単なる座席配置の問題ではないと思うのです。
巻末読者短信では、少し前の時代1960年代後半~1970年代前半の名鉄のミニニュースがまとめられています。
ここを読み解くと、例えば1967年10月号で
「8月22日の大幅ダイヤ改正で特急の増発。本線新名古屋~新岐阜で10分間隔、犬山線は15分間隔、河和・常滑・津島・三河・蒲郡・広見線で30分間隔」「都市のドーナツ化現象によるもので将来は駅間距離は5km程度に」
といった記事があります。
また、1966年5月号では、
「瀬戸線に特急運転開始。大津町~尾張瀬戸で途中停車駅は大曽根・本郷。日中は特急・普通が30分間隔」と読取れる記事もあります。

この後も支線も含めた各線では特急の増発、普通列車の削減が読取れる内容が続き、今では信じられないような路線にまで特急が走る特急黄金期を迎えます。
この特急黄金時代のエピソードで「瀬戸線でも日中は普通列車は1~2時間に1本」「犬山線岩倉から新名古屋でも犬山まで戻って特急に乗った方が先着するパターンが存在」という「特急偏重」逸話も聞いたことあります。

(注)この時代の特急というのは今でいう全車一般車特急のこと。

ここで注目したいのは「平均駅間距離5kmを目指す」の部分。
ライバル東海道線の豊橋~岐阜間は102.7kmで32駅で平均3.2km(JR化後の新駅を含む)なことからも、平均5kmというのは電鉄路線では異例の長さ。まさに当時の名鉄は「電車路線」ではなく「汽車形路線に高頻度に快適な電車が走る路線」を目指していたと言えると思います。

本文中にあるようにトヨタ自動車のお膝元であり、緑濃く人口密度が低い濃尾平野で、自動車に打ち勝つ為に「近距離輸送を諦め長距離高速輸送に投資する」という「選択と集中」の結果でもあったのでしょう。
近年でも名鉄の乗客流動を語る中で「対名古屋が大半」「名古屋駅に行ければそれでいい」という言葉も聞かれます。「途中特急停車駅から新名古屋」に。乗る駅と降りる駅が決まっていて、平均乗車時間が長ければ、乗降性を多少犠牲にしても座席数が多い車両がいいというのは筋が通っています。

しかしながら1970年代に入り名古屋近郊の都市化や短距離利用者の増加などで、会社の方針に反してパノラマカーでは想定外の近郊区間の通勤輸送などにも対応の必要性が生じる。
鉄道事業者は営利企業だ!(だから鉄道会社が好き勝手にやっていい)というようなことを言う人もいますが、やはり鉄道は公共機関。短距離通勤輸送にも対応しなくてはいけなくなったからこその「2扉クロスシート一辺倒の時代の終焉」に繋がるのではないか?

この2ドア車主体の車両計画から3ドア通勤車への転換は、時代背景があり当時の名鉄が目指していた将来像があった上での「結果論としての座席配置問題」であることを強く感じます。
この時代、ライバル国鉄(現JR東海)は東海道線では近郊路線化は遅れたものの、中央線では沿線の団地開発の進展で、通勤ラッシュ対応で103系10両編成が登場するなどやはり通勤路線への道を辿っているよう。


この転換点となった1970年代から既に40年。2010年代の名鉄では完全にクロスシート車から脱却。特急一般席車であっても、立席主体の車両の導入を進めています。

一方で長年のライバルでもあるJR東海は東海道線では普通列車からもロングシート車を一層して転換クロスシート車に統一。名鉄では特急にも相当する快速系列車では全席転換クロスシートの採用で立席面積の減少を増結で補うという方向に。通勤路線の中央線でも、90年代末以降の新規導入車両は転換クロスシート車とし、じわじわと転換クロスシート車の比率が上げています。
まさに現時点の車両政策だけを見ればパノラマカー礼賛時代をなぞるJR東海と完全に脱却した名鉄という構図が見えてきます。

2000年代、6両編成のパノラマカーを4両編成の通勤電車で置き換えるような車両施策を行った名鉄。
「激化した通勤輸送の為にパノラマカー礼賛主義から脱却した」1970年代とは異なる理由での通勤電車偏重路線を取っている名鉄。お隣JR東海とは反対の方向性を取っているだけに、これからの名鉄に不安を感じてしまいます。


さて2つ目に「豊田新線と新線計画」

59ページ「名鉄の主要新線・改良工事」(初出79年12月)からも見てとれるように、この時代の名鉄は「モータリゼーション」の荒波に揉まれながらも、次の時代を見越して豊田新線・羽島線・知多新線・瀬戸線栄町といった新線が続々と開業し華々しき時代を迎えています

この中で特に48ページ「豊田新線の計画と建設について」54ページ「豊田新線の運転計画」(両初出79年12月)と重点的に紹介されているのが、1979年7月に開業した地下鉄鶴舞線赤池駅と豊田市駅の約17kmを結ぶ豊田新線。


地下鉄鶴舞線を延伸するような形で、名古屋市郊外の住宅地・文教地として絶好の環境にありながら交通空白地帯だった東部丘陵地帯を抜けて、1978年の時点で愛知県第3の都市に成長した「世界のトヨタ」のお膝元の豊田市を結ぶこの豊田新線。
まさに「名古屋の田園都市線」のような雰囲気すら感じるこの新線計画。本誌の記事の内容からは念願の新線への誇らしげさすらも感じます。

赤池~豊田市の約17kmを平均駅間距離・約2km、全列車普通列車18分で結ぶ豊田新線。実は表定速度は瀬戸線の特急列車にも匹敵するスピード。1970年代前半までの特急偏重政策から脱却しつつも、特急の利便性である「速達性」を持った次代の新線であるともいえます。

豊田市~伏見(名古屋市中心部)を45分で結ぶ豊田新線の開業で、今まで名古屋市と豊田市を結んでいた三河線(北)は優等列車を廃し普通列車で20分ヘッドのダイヤに改め、フィード路線としての脇役の役割を歩むことになります。
時代は流れ2000年代後半になり名古屋駅周辺の再開発が進み、豊田市と名古屋駅間のアクセスの強化の必要性が出ます。そこで打ち出されたのは「次代の新線」の豊田新線ルートの強化ではなく、豊田新線の開業で脇役になった三河線を再整備しての複線化・知立経由特急運転である。という現実には複雑な気持ちをも感じます。

私は2005・2009年に豊田新線に乗車した際の乗車記で「名古屋の田園都市線」であり「1970年代で時代が止まった田園都市線」と評しました。なぜ時代が止まったように感じたのか?単に東京と名古屋の都市規模の違いだと言い切れるのか??

建設費を回収するための高額な「新線加算運賃」も沿線住民には不評で・・という話も聞きますが、「加算運賃問題」が新聞でも取り上げられるなどした中、2006年12月にようやく「加算運賃の値下げ」が行われ赤池~豊田市で50円の値下げが実現します。

余談ながら豊田新線の項では、開業当初梅坪~豊田市間はまだ高架工事が未完成。単線のローカルな線路を走る地下鉄車両の写真は一見の価値がありますね。


豊田新線以外では、将来の都心直通も視野に入れて部分複線化・ホーム延伸(3→4両化)が行われた小牧線。本誌中では「地下鉄7号線計画」や「瀬戸線に接続して栄町直通」など上飯田から延伸しての都心直通構想が読取れますが、残念ながらこれらは実現せず、小牧線都心延伸は2003年の地下鉄上飯田線開業。という僅か0.8kmの新線による名城線平安通駅までの直通。まで待たねばなりません。

実に遅きに失した上に中途半端に終わってしまった。と言いたくなる残念さも感じる小牧線の都心直通計画。岩倉支線を活用するなど他に手はなかったのでしょうか?
小牧岩倉界隈に行くことが多い私には岩倉支線(小牧~岩倉、5.5km)が現存していれば何かと都合がよかった。のですが、本誌では106ページ「戦後に消えた支線区」の中で「支線区整理に伴う犠牲である」と記されています。


思った以上に長くなってしまったので次回に続きます


2015/6/19 00:09(JST)

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