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07年3月九州の旅(その10・島原城を見学)編集済

その9から続く

島原駅に着いたあとはこの日4つ目であり最後の目的地、島原城を目指します。
島原駅を出ると目の前に天守閣が見えて直線距離でも400mほどと近いですが、入口は駅からみてお城の裏側になるので、お堀端を回りこむ形で実際には800mほど歩く形になります。
この辺りは島原市の中心部のようで図書館や法務局など公共施設が並んでいます。
島原市といえば、ヒゲが特徴的だった被災当時の市長が平成4年(92年)12月の市長選の際に「選挙活動が復興指揮の妨げになる」として出馬を断念し勇退したという逸話が印象的でした。

歩く途中に島原名物なる具雑煮という料理を出す店を発見したので、朝から時間の都合で殆ど食べてないので、食べていこうかなと思ったものの、既に15時半を回り見学時間なども心配なので先に見学を済ませることにしました。


島原城の天守閣。5層構造です
明治初期に敷地ごと民間に払い下げられ天守閣も解体されてしまった事から、現在のものは昭和39年に再建されたものとの事です。
早速入口で入館券を購入して入場します。天守閣の他敷地内にある、他の記念館にも同じ券で入館できるとのことでした。

入って最初のフロアはキリシタン史料展示のコーナーで、島原の乱に関する展示もされていて、原城が城跡だけで史料展示や解説がほとんどなかったので、ここで関係史料の展示を見れたのは良かったです。

当時のキリスト教取締りが強く行われ、その際に踏み絵で使われた板や、逆に隠れキリシタン信仰で使われた観音像を模したマリア像などが展示されていました。


天守閣から雲仙岳を望む。柵が邪魔ですが・・・

ゴルゴ13の漫画でも普賢岳の火砕流災害を取り上げていて、「外国のある火山学者が火砕流で犠牲になったのは、米軍がゴルゴに依頼して・・・」という話を思い出します。


天守閣から島原駅方面を望む

天守閣を見学した後は、敷地内にある「西望記念館」「民具資料館」「観光復興記念館」を見学します。
「西望記念館」は(旧)南有馬村出身の北村西望という彫刻家を記念したもので、「長崎の平和祈念像」や原城にあった天草四郎像の作者だそうです。
美術などこの方面には疎く北村西望氏のことは全く知らなかったので、少し知識が増えました


島原周辺にある雲仙普賢岳災害・平成新山関係の展示館の案内

今回の島原訪問に際して、普賢岳災害関係の展示館もぜひ訪れたかったのですが、多くは公共交通機関を使った旅行では訪問が難しい場所にあったり行程の都合で訪問できず、残念ながら島原城内の「観光復興記念館」が見学できただけでした。
瀬野深江~安徳間にある「道の駅みずなし本陣」というところには、土石流で埋没した家屋がそのまま保存されているそうで、一見の価値がありそうですが、どちらの駅からも遠くアクセスが悪いです。
また雲仙岳災害記念館(ガマダスドーム)という、雲仙岳関連の展示館としては中心的施設だそうで是非訪問したいと思っていましたが、やはりアクセスが悪く行程策定上訪問を残念ながら断念しました。

1月に銚子に行った時も(全国的な問題ですが)そうでしたが、行程を策定していて「全体的に観光施設と公共交通の連携が悪すぎじゃないのか」と思いました。
城跡のような「その場所である事が最大の意義」であるような施設は仕方がないですが、新設の博物館などの展示館は「なんでわざわざそんな不便な場所に作るんじゃ」という場所にあるものも多く、端から列車来る人を相手にしていないのはいかがなものでしょうか?
経営難になったら存続の為に補助金を出すだけが、自治体のやるべき地方鉄道支援ではないと思います。

瀬野深江~安徳間に新駅を作れば、「道の駅みずなし本陣」には徒歩数百メートルで行けるでしょうしし雲仙岳災害記念館にも1キロ程度でアクセスできる事を考えれば、安易に廃線する前に、自治体と島原鉄道双方ともやりようがあるんじゃないかと思います。

話を戻すと「観光復興記念館」で特筆するべき点が1階のシアターでしょう。
入館時に受付の係員が「1階のシアターでビデオ放映してるので是非」という案内をしていた事もあって見てみたら、200インチのスクリーンに噴火活動や復興活動の概要が15分程度でまとめた映像を放映していて、いままで断片的にしかしらなかった普賢岳災害の状況を改めて知る事が出来ました。
その9で書いた鉄道ジャーナル誌にも被災→復旧→被災の繰り返しであった事が記されていましたが、火山活動が始まってから終息宣言が出るまで長期間を要し、復興活動中に被災するなど苦労が偲ばれます。

さて時間も推していたので駆け足での見学になってしまいましたが、一通り見学して朝荷物を預けた島鉄バスターミナルまで島原の街中を散策しつつ戻る事に。

歩いている途中で、島原の郷土料理が食べられそうなお店があったので入ることに
やっと食事が出来る・・・
と思い入るとビックリ。店の中には小川が流れていてにゃんとも高級店の雰囲気が・・


「ほうじゅう」というお店の具雑煮。600円
ガンバ寿司と具雑煮・寒ざらしといった島原の名物がセットになった1300円ぐらいの定食がよさそうでしたが、このとき既に17時。18時発のバスに乗らないといけないので時間も心配だったので断念しました。


バスターミナルに向かって散策途中に水路に鯉が放流されているのを見つけました。
この辺りは湧き水が豊富だそうで、街中の水路を泳ぐ鯉も観光名所の一つだそうです

17時半頃前にバスターミナルに到着。思ったより早く着けたので、これならば「さっき定食を食べればよかった」かもと少し思いましたが、そうなると今度は時間ギリギリになっちゃいそうで、焦って原城のときみたいに、道を間違えたりして余計にヤバい状態になったりしそうなので、このくらい余裕がないと不安です

時間があるので隣のスーパーでお菓子やサンドイッチなどバスの中で食べる軽食を買い込みました。名物の「かんざらし」(シロップに浮かせた小さい丸い餅のようなもの)が食べたかったので、お店の人に尋ねたら置いてないとの事・・残念です。

食料品売場で蒲鉾の細切りなどが白い発砲スチロールのトレーにパックされた「チャンポンの具」が売っていたのは長崎らしいですね。

バスターミナルに戻って荷物をロッカーから取り出して、路線毎の運賃表のようなものを見ていたらビックリ


愛野・諫早方面の路線の運賃表・・・愛野まで1050円と列車と値段一緒なのは置いといて・・

上から5つ目、吾妻役場前の次に「大塚」という停留所が・・・

全く知らなかったのでめちゃめちゃビックリです
前もって分かってれば行ったのに・・・・気がついたのが島原を離れる直前だなんて残念です。
是非訪問したいものです。

福岡に戻る高速バスの車内からどんなところか場所だけ確認しようと車内から見ていたら、「大塚」バス停自体は発見できませんでしたが、「← 史跡 大塚古墳」のような看板を発見したのでこの辺りかな・・と。家でネットの地図を見たら、大塚小学校なんてのもあるらしいです。

先日図書館で人名地名辞典のような本で調べたら「大塚」という名は大きい塚ということで、古墳などでに関連する名称とのことでした。
(相鉄の相模大塚駅も古墳由来の駅名との事です)

ということで1日かけて駆け足で島原半島を周遊したわけですが、雨が降らなかったのは幸いですが天候も曇りがちでイマイチなのは残念でした。
今度は出来れば夏の晴れた日に訪問して違う島原半島の表情を見たいものです。
また今回は時間が無かった諫早~愛野間の乗車や災害関連の展示館も含めて訪れたいものですが、当初予定の19年3月に島原鉄道南側部分が廃止されるとすれば、今の私には存続しているうちの再訪は無理そうなのはとても残念です。

(次回に続く)

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当初編集途中のものを誤ってUPしてしまったので
4/30 3:15に修正したものを再度UPしました
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