時の流れの中で

生活の中で見たこと、聞いたこと、考えたことなどを、思いつくままに、文や写真や絵などでつづっていきます。

すごかった地震 歩いて帰りました

2011年03月11日 | 日記
今日14時50分ごろ地震がありました。
鉄筋の建物の中にいました。用事がすみ、帰ろうとしていました。
体が揺れたので、目まいまいがしたのだと思いました。
が、「地震よ」という声で地震に気がつきました。

自分の家でないので、あまり行かない建物の中にいたので、どこに避難していいのか分からず、部屋の入口のドアにしっかりとつかまりました。見回りに来た人が、「落ち着いて行動してください」と声をかけてくださいました。
すごく長く揺れていました。揺れている間中、「建物が崩れないでほしい」と心の中で祈りました。
地震がおさまりました。
「建物の中にいる人は、外に出てください」という放送が入りました。
エレベーターを使わずに階段から下りました。
外に出て建物から離れました。
大勢の人が、外に出ていました、

電車に乗って帰ろうと思いましたが、
こんなに大きな地震なので、電車は、線路の点検があるから止まっているだろう、
点検は線路を歩きながら点検するので、時間がかかるだろう、
横浜までは30分もあればいけるだろう。
少しでも家に近ずきたい、と思い、横浜まで歩いて行こう、と思いました。
桜木町駅から横浜まで、横浜からバスが動いていたら、バスで帰ろう、と思いました。

桜木町の駅前には、大勢の人がいました。
横浜駅に向かう歩道は、とても大勢の人が歩いていました。
前の人を追い越して歩くということは、できない状態です。人の流れに合わせて歩きました。
途中で電車が止まっているのを見かけました。人が乗ったまま動いてないのです。
横浜駅につくと、電車が動いてないので、大勢の人がいたるところに立っていたり、花壇のふちや階段の端に座っていました。
混雑している中を東口から西口に抜けました。
人をかき分けかき分けで、とても時間がかかりました。
西口に出ると、バス停の前に長い列が何列もできていました。
バスが動くのを待っているのです。

横浜から家まで、以前歩いた時は50分かかりました。
今日は、荷物を持っているし、休まずにずっと歩いてきたので、1時間以上はかかるだろうと思いました。
駅を抜けて、国道1号線に入りました。
前や後ろを大勢の人が、歩いています。
でも、この道をゆっくりでも歩いていけば自分の家にたどり着ける、と思うと疲れてきていましたが、頑張れそうです。
小雨が降ってきました。傘をさしている人もいます。「濡れてもいい」と思いながら歩いているといつの間にか雨がやんでいました。

途中の公園でトイレがあったのでに入りました。この先どうなるか分からないので、「はいっていこう」と思ったからです。同じような気持ちの人が大勢なのでしょうか、混んでいました。
途中で道を聞かれました。
大倉山まで帰る人、日吉まで帰る人でした。
「綱島街道に、はいったほうがいいですよ」と教えてあげました。
「買い物をしていて地震にあった、ハイヒールを履いていたので、歩けそうなかかとの低い靴を急いで買った」などと言っていました。
また、電車の中に1時間30分も閉じ込められたという人もいました。
「お気をつけて帰ってくださいね」という言葉を交わして別れました。

家に着いたのは5時30分ごろ、予定よりかかり、1時間30分もかかりました。
とても疲れました。でも、家に着いたので、安心しました。家の中も、棚の上の物が、2,3個落ちているだけでした。壊れているものがないので、「よかった」と思いました。
つかれたので、腰かけていると、地震がきました。 余震が続いるのです。
テレビのニュースを見ました。地震の被害が大きいので、心が痛んできました。

夜、妹や弟から安否を確認する電話がかかって来ました。
なかなか電話がつながらなかった。でも無事でよかった。
停電で、近くの道路の信号がつかないので、お巡りさんが手信号をしていた。
電気のつかない暗い道路を大勢の人が歩いている。
真っ暗で、町が死んでしまったようだった。やっと電気がついたのでよかった。
電車が止まって帰れない、明日が日曜日なので、何時間かかっても、がんばって歩いて新宿から帰る。
などと、お互いの様子を電話で話ました。

早く余震が収まり、交通機関が動き出してほしい。
暗いので、早く明るい朝になってほしい。
被害の様子を聞くのが恐ろしい。
夜中に大きな地震が来たらどうしよう。
いろいろな思いでいっぱいです。
心が、暗いです。夜、眠れそうもないです。






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