寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

今日は雨ですね・・・・・

 今日は雨ですね、、調子が悪く、ずうーと寝てました.来週の月曜が病院に行く日なのですが、、
 何遍も調子が悪い旨、先生には伝えているのですが、、今回の身体の状態は半端ではなく酷いです。。。
 しかし、気温が、温暖の差があるとは言え、段々と暖かく成ってきましたよね。。。

 此間などは気温が20度近く在ったとか・・・・
 でも今日などは寒いしね、、、早く本格的な春到来を、もう4月ですからね・・・・・・
 4月と云えば消費税が増税になりますね、此の3日位で皆さん駆け込み需要が増えてるみたいですけど、、
 私も買いたい物が在ったのですが買えないので買えてません・・・・・

今回は「安部公房」に付いて調べてみたので・・・・
彼の作品では「他人の顔」「砂の女」が好きですね。。



前衛文学の旗手として知られた作家の安部公房(1924~93年)が、『砂の女』『箱男』『燃えつきた地図』など多くの作品を執筆した東京都調布市の自宅が取り壊されることになった。

 季刊誌「考える人」(新潮社)冬号も、ミニ特集を組み、室内の貴重な写真を掲載した。東日本大震災後、科学と人間、自然と文明など様々な観点から注目される安部文学を見直す一つの契機となりそうだ。

 この自宅は、京王線・仙川駅に近い住宅街にある。2階建てで高台の斜面に立つため、道路から階段で玄関に上がる面白いつくりだ。安部は1959年、35歳のときにこの家を建ててから20年ほど拠点とした。

 長女の安部ねりさんは、「宿題が解けなくて教えてもらうため書斎に入ると、父は執筆を中断し喜んで手伝ってくれた。年末には大きなパーティーが開かれ、ドナルド・キーンさんをはじめ多くの文学者や編集者が来てくれた。両親が生きた気配や足音が残っている気がします」と振り返る。

 1月22日、実際に訪ねた。玄関脇のツタが往時をしのばせ、庭は広いが、取り壊しが迫り、室内はほとんど片づけられていた。床に座って「考える人」を開いた。撮影は昨年11月末。編集者を迎え入れた15畳はありそうな洋室の応接間、廊下の書棚や書斎などの写真を眺めた。

 桜の薄い板をあしらう温かな風合いの壁、扉ガラスに格子状に挟まれた伊勢型紙……。「前衛」「硬質」などの作家のイメージとは異なる「柔らかさ」を覚える。例えば、『砂の女』で砂地獄のような場所に住む女が不意に浮かべる柔らかな顔。理知的な文学の底に流れる人間の体温さえも想像させるのだ。

 「考える人」の河野通和編集長は、「安部文学には震災後の社会を考えるヒントが隠されている。特集が、読み直すきっかけとなれば」と話す。

 安部文学は、再評価の機運が高まっている。生前、ノーベル文学賞に非常に近い位置にいたことが2012年に分かり、新たに見つかった小説「天使」を掲載した「新潮」の同年12月号は、文芸誌では異例の増刷がかかった。政治学者、苅部直著『安部公房の都市』をはじめ関連書籍の刊行が相次ぎ、ネットでは、愛読者の無料月刊誌「もぐら通信」が刊行される。

 コンピューターと人間や社会のあり方を考えさせる『第四間氷期』、都市の無名性と可能性を扱う『燃えつきた地図』など現代に通じるテーマは多い。近藤一弥・東北芸術工科大教授は「東日本大震災後の現在は地球規模で文明の計画性が問われる転換期にある。安部公房の小説は、高度経済成長期など戦後の転換点に、言葉によって社会と対峙してきた」と云う。

また彼はピンク・フロイドの大ファンであり、まだ普及する以前にシンセサイザーを購入して使用していたなど意外な一面を持っていた(その当時シンセサイザーを所有していたのは冨田勲、NHK(電子音楽スタジオ)、そして安部の3人のみだったが、職業的な面以外で使用していたのは安部のみである)。また、安部が武満徹に自身の前衛的な曲(「仔象は死んだ」の劇中音楽)を聞かせたとき、武満の顔が真っ青になったという逸話もある。NHKで放送されたインタビュー番組では、所有機で自身の演劇作品のためにみずから製作した効果音等を公開している。
ドナルド・キーンとの対談(『反劇的人間』)の中で、オペラは嫌いだと述べて居る。クラシックの作曲家ではバルトークを好んでいた。
安部は、日本人で初めてワープロで小説を執筆した作家である(1984年から使用)。NECのワープロ開発に参画し、ワープロ『文豪』は文字通り文豪が関わった機種だった。
安部が使用していたワープロはNECの『NWP-10N』とその後継シリーズ『文豪』である。
趣味の領域を越えた写真マニアとしても知られ、彼ならではのインテリジェンスに満ちた作品を多く残している。現在、それらの一部は現行版の安部公房全集(新潮社)の箱裏と見返しに見ることができる。愛機はコンタックスで、安部が好きな写真のモチーフはごみ捨て場など。
1986年(昭和61年)、ジャッキを使わずに巻ける簡易着脱型タイヤ・チェーン「チェニジー」により第10回国際発明家エキスポ86において銅賞を受賞した。
愛煙家であり、「タバコをやめる方法」という軽妙なエッセイを書いている。


評価

主なものだけでも、戦後文学賞(1950年)、 芥川龍之介賞(1951年)、 岸田演劇賞(1958年)、 読売文学賞(1963年・1975年)、 谷崎潤一郎賞(1967年)、 フランス最優秀外国文学賞(1968年)、 芸術選奨(1972年)などを受賞している。
早くから安部を高く評価していた埴谷雄高は、芥川賞受賞作『壁』(1951(昭和26)年)の書評においては、安部が自分の後継者であるばかりか、自分を越えたとまで述べている。
単に幻想文学にとどまらず、スリップストリームやメタフィクションといったポストモダン文学に顕著な技法を実践し、推し進めた前衛文学者として、世界中で評価が高い。 『砂の女』(1962(昭和37)年)は、世界30カ国語に翻訳され、『燃えつきた地図』(1967(昭和42)年)はニューヨーク・タイムズの外国文学ベスト5に選ばれている。
安部の評価は特に共産主義圏の東欧で高く、西欧を中心に高評価を得ていた三島由紀夫と対照的とされた。その三島もまた安部を高く評価し、1967年の谷崎潤一郎賞の選考において安部の『友達』を強力に推し、長編小説を主な授賞対象としていた同賞では異例といえる戯曲の受賞を実現させている。
大江健三郎は、安部公房をカフカやフォークナーと並ぶ世界最大の作家と位置づけている。自身がノーベル文学賞を受賞したおりには、大岡昇平、井伏鱒二の名前と共に安部公房の名前をあげ、もっと長生きしていれば、自分ではなくて彼らがノーベル文学賞を受賞したであろうという事を述べている。実際に、ノーベル文学賞を選考するスウェーデン・アカデミーのノーベル委員会のペール・ベストベリー委員長は、2012年3月21日、読売新聞の取材に応えて、「(安部公房は)急死しなければ、ノーベル文学賞を受けていたでしょう。非常に、非常に近かった」と語っている。

安部公房 ・渡邊格 対談完全版

Kōbō Abe's EMS Synthi AKS

 

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猫道 『魔法のチョーク』(+ 再生リスト)

安部公房 小説を生む発想 「箱男」について 1.wmv

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