最近思う事がある、私は若造をして居る。だから人に寄るが、年齢より若く見られる事も多いのだが。でも、体は嘘を付けない。例えば階段だ。アパートには急な階段が付いて居るが。これが厄介だ。まず持って前を向いて一気に降りる事なぞは最早出来ない。一段一段踏み締めて下まで行かないと降りられません。まあ、手摺りが付いてるからそれ捕まって何時も降りて居ます。若くは無いのだから。最早、ジジイも良い所です。アパートの階段ですらそうなのだから。奥が深くなって見えて居る駅の階段などは恐怖さえ抱く。私は前は靴はヒール気味のブーツを履いて居た。6センチはあったろうか?今はそんなブーツは恐ろしくて履けない。なんかそう言う靴を履いて以前。駅の階段を降り様としたら、落っこちそうになった。そして前に。紀伊国屋書店7階のディスク・ユニオンまでエレベーターで行って、帰りに階段を歩いて帰ろうとして歩き出したら。足の裏が腓返り?見たいになり。靴を脱いで手で揉んで、痛みを和らげるのに30分は掛かった。最早、体は老人ですよ。
今日は訪問看護師さんが来たので、アニメの「劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン」を見せて居て足を抱えて居たら。急に足が痛くなってしまったのだ。私は最近は時間の殆んどを体を休ませる事に費やして居る。出ないと体が持たない、何時頃からこう言う状態になったのかと言うと。もう50歳ぐらいを廻った時からだ。私は普段から体を動かすと言う事を余りしない。それが行けないのも重々承知して居る。しかし体を動かせない。飲んで居る抗精神薬の副作用で....。体は、何時もどこかしら痛く重くて、、そして座って居ると足が痛くなって来る。まだ立って居た方が楽ですよ。足が特に痛くなりますね。座ると痛くなる。どう仕様も無いですよ。そして立って居るのも辛い。だから、此処毎日はラジオを聴くか。スマホのストリーミングをラジカセに繋いで聴いて寝て居る。我ながら10数年は、まだ、こう言う状態になるのは早いと思う。こう言う状態になるのはね。私は21歳から大量の抗精神薬。それも劇薬と呼ばれたものを10数年間と飲ませれて居た時期もあった。
今はもう軽い薬ですが。いまだに覚えて居るが、丁度私が30代後半の頃だ。クジラの絵画で有名な、「クリスチャン・ラッセン」と言う画家が居るが。彼の個展が新宿のビル内でやって居て。私が丁度。松竹ビデオハウスに買い物に行ったら。ある若者が、側にやって来て。「今ならラッセンのポスターがタダで貰えるよ!!さあ、後をついて来て!!」と言ってダァーと走って行った。私は薬を飲んで居てそんな真似は出来ないし。大体が走れない、それに行く理由も無い。だから後を追い掛けなかった。そうしたら、息席切って戻って来て「何で来ないの!?」と言うのですよね。私は咄嗟に、「今日は此処の店に、買い物をしに来たのだから行きませんよ」と言った。そしたら「何でだよ!!ポスタータダで貰えるのに、あの「ラッセン」ですよ。」と言うのですよね。私は「すまないね」と言って行かなかった事がある。それが商売の手だと言う事も解っても居たし。私はラッセンその人に余り興味も無かった。何故なら、その時はもう彼も有名な、絵描きになって居たし。
時代も1990年代だったが。私は彼が駆け出しの頃。1970年代に、新宿の地下道でキャンパスを広げて、クジラの絵を描いて居た、彼と話した事があったのですよ。まだ彼も若くて新進気鋭の絵描きさんと言った所だった。しかしあのコバルトブルーの海の中でクジラが泳いで居る絵画は物凄く神秘的で美しかった。彼はアメリカ人で?彼の描いた絵画はマリンアートと呼ばれる作風で、世界的評価とは別にバブル時代の日本で高い評価を得た。また、当時はミュージシャン活動もして居て、歳も私より3歳ほど上なだけだった。そして日本語が片言話せた。だから私は日本語で「素晴らしい絵画ですね?」と言ったら。「今回は此処で。1枚1万円で小さな号のモノは売ってるんだよ」と言って居たのが印象的だった。その彼の個展に私を連れて行こうとしたその青年は。歳もまだ20歳近くで足も速い。私は当時はまだ確か30代の後半だと思ったがその頃から、足の不具合は出て来て居て。とても走れなかったし。跡を追う理由も無かった。その青年は私をジィーと見て居たが、ダメだと踏んだのか。そのうちにその場から居なくなった。
そして、その「ラッセン」は、何と私の姪と音楽関係の仕事で出逢って友達になった。姪がよく「ディナーしよう」と言われて。彼の豪勢なリムジンで、高級ホテルのレストランに連れて行かれたらしい。「ラッセン」の女友達の一人として招待されて居たのだ。そして音楽談義に話が弾んだらしい。私はその話を、姉さんから聞かされて居た。今日も「ラッセンと夕食だ」と聞かされた。多分姪は可愛かったから「ラッセン」が気に入ったのだろう。恋人とか言うのとは別だ。私が青木志貴ちゃんの事をこよなく好きな様に。彼もまた若い姪に惹かれて居たのだろう。姪は立教大学在籍中にシンガーソング・ライター。作曲家としてデビューをした。当時はマスコミからも注目されて周りにもファンクラブなどが出来て。一時はフィーバーした。その当時だ、姪が「ラッセン」と出会ったのは。私が言うと自慢をして居るとまた言われそうだけども。彼女は日常会話なら英語が話せた。そして、姪は大学に行ってる間は、何時も学園祭でキーボードを弾いてバックバンドとダンサーと共に歌って居た。大学の校長が姪のファンになってくれて、大学総出で彼女をバックアップしてくれた。
しかしファーストアルバムを作っただけで、セカンドアルバムを作る事は出来なかった。姪は自分が在籍して居る音楽事務所「Giza」に抗議をしたが。プロデューサーは、彼女の J-POP路線よりも、姪の可愛らしさで売ろうとして、何と秋葉原で歌わせようとした。それに猛然と怒った彼女は「Giza」の社長に、自分が作曲した楽曲を、全部自分に返して戻してくれと言い張って。曲を返して貰い、その後、IT企業の資産家と結婚してしまった。今、彼女がまた何処かの音楽事務所に所属して活動して居るのか、どうかは、もう私は姉と縁が切れて居るから良くは解らないが。彼女が結婚した東大出身の旦那の実家もクラシック関係の事務所だそうで、前に小耳に挟んだ時には。姪にポップスの教室を持たせるとか言って居た。ちなみに旦那のお姉さんは。私は名前を聞かされて居ないので名は知らないが。クラシック界の有名なバイオリストだそうで、今は東欧が主にその活動拠点になって居ると前に聞いた覚えがある。此れは姪が自分で切り拓いた道だと思う。確かに私は今まで姪の悪口なども書いては来たが。彼女の作った楽曲はいい曲だし。歌唱力もある。だから恐らくは凄い資産家の男性だが、音楽と言う部分で解り合えたのじゃないかな。こう書くと。また非難されそうだが本当の話です。姪の幸せを祈ります。。。
姪です・・・・・。もう随分と会って居ないなぁ、、
以下の曲は、姪が作って歌手に提供してヒットした曲です。。。
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