寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

何もなかった平和な1日・・・・(((o(*゚▽゚*)o)))♡

 

 

Ballad Ⅰ バラード Ⅰ (Original Anime Version FULL) - Ashita no Joe 2 OST

 

 

 

 

今日の夕食・・・・・・・・。

 

 

今日は平和な1日だった。ラジカセ(BoomBox)でジャズをBluetoothでスマホからストリーミングで聴いて、飽きたらディープ・パープルの第1期と第2期のCDをダビングしたカセット・テープで聴いてジミ・ヘンドリックスをダビングしたカセット・テープを聴きながら。恋人のシェリーが誕生祝いに送ってくれた。スマート・ウオッチを充電して居た。彼女は今日は何をして居るのだろうか?私が上げたBlu-rayでも見て居るかな?それとも、薬の後遺症で寝て居るかな・・・・・・・・。

(シェリーから貰ったスマートウオッチ)ありがとう。🙏

 
いい気になってカセットデッキをステレオから聴いて居たら、下の部屋から「低音が響くなぁ」と言う声が聞こえて来たので、もう、今日は聴くのは散々聞いたからこのぐらいにしようと思って、、しかし今日は熱い!!扇風機を回して居ますよ。
 
 
 
 
 
 
 
今日は、物凄く喉が渇く、だから、麦茶ばかり飲んでいたら味のあるものが甘い飲み物やら食べ物が食べたくなって来たので。散歩がてら近所のコンビニに行って来た。此処は可也広い所ですよ。
 
品揃いも豊富にあります。芦花公園は「サミット」と言うスーパーもある。そこも店舗は可也広い。
 
今日は三日分のアイスクリームと飲み物。カップヌードルなどを買って来た。喉が渇くのとアイスクリームはどうしても食べたくなった。贅沢だが買って来た。それにカット・レタスは、朝食にいつも食べるので。今日は2袋あったのでドレッシングと一緒に買って来た。それに夜食のカップヌードル一個だけ買って来た。1999円掛かって仕舞ったのですよね。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾.........。
退院したてはまだ76kgだったのだが今や79kgになって仕舞った、でも食べたい誘惑には勝てないのですよね。
 
 
 
 
 
格安レコードプレーヤーと中古レコードを買うときに気をつける事。。。
 

① 初心者が購入するのにオススメのプレーヤー

まずは『ただレコードが聞ければ良い』と言う、いわゆる興味本位でプレーヤーを購入する場合にオススメのプレーヤーを教えて置こうと思う。
ディスク・ユニオンで見つけました。そう言う場合には、コチラの商品が人気がある売れ筋です!
ION AUDIO Max LP

 

え、7,980円!?


真っ先に目に飛び込んできたのは、その価格の安さ。
いまやレコードプレーヤーは、1万円を切って購入出来る様になったのです!

しかもスピーカーが内蔵されているので、難しいセッティングをする必要もありません。
これ1台で、すぐにでもレコードが聞けます!!

こちらのプレーヤーにはUSBを接続できる端子があるので、レコードの音をPCに取り込む事も出来る!



なんて近代的なのか…

ディスクユニオンの話によると、このような商品が登場し始めたのは約7年程前からとの事。

『レコードの音の良さに気付いた若者が、すぐに手を出せるプレーヤー』の需要が高まったと同時に、『音楽の持ち運び文化』にも対応したのが、このような商品と言う訳ですね!

ニーズに応えまくり、まさに便利でお手軽な1品です!!

このレコードプレーヤーに外付けのスピーカーを加えて高音質で聴くといいですねぇ。それからヘッドフォンで聴くと音がよく聴けますよ。あとは・・・・・・

外付けスピーカー

 

 

 

 

レコード生活のススメ アナログレコードはいいぞ! #アナログレコード #レコード

【入門】レコードのある生活のはじめかた PART.2_レコードプレーヤーの選び方

 

 

 

 

初心者は、先ずはこんなレコード・プレーヤーでいいと思います。音に不満が出て来るならば、フォノ・イコライザー内蔵レコード・プレイヤーとCDレシーバーとカセットデッキとスピーカーを繋げて聴けば。もうちょっとしたコンポ・ステレオですね。私はそうしてレコードを聴いて居ますよ。CDレシーバーはちょっとしたプリメイン・アンプになりますからね、、、値段的にはレコード・プレイヤーが1万円。カセットデッキが3万円。プリメイン・アンプ代わりのCDレシーバーが 3万円ぐらいです。スピーカーは自由に選びましょう。私は2個で1万円の物を使用して居ます。全額で8万円ぐらいになりますが中級機としてはこれで十分ですよね。オーディオは奥が深い物です。私が使って居るオーディオ機器は全て入門機ですから。最初に紹介したもののアップグレード版として考えて見て下さいね。

 

 

 

 

中古レコード屋でのマナーです。。。

■1:安売りのレコードも大切に扱おう

中古レコードには1枚数万円のヴィンテージ盤もあれば、段ボールに無造作に放り込まれた安いレコードもある。しかしたとえ100円のレコードであっても大切に取り扱おう。安いからと言って荒っぽく扱うことは禁物だ。

レコードを見ていく方法として、ひと昔前はジャケットを素早く持ち上げては、次々と落としていくやり方がベテランらしく思われていた。タンタン、タンタン!と凄い音を店中に響かせて居たものである。これはジャケットの底が抜ける恐れがある。幸いそういう人は見かけなくなったが、レコードの扱いは慎重にしたい。

■2:譲り合いの精神を持とう

レコードを物色していると、別のお客と進路がぶつかってしまう事がある。そんな時はお互いに譲り合う気持ちが大切だ。しかし中には「お前が譲って当然」と言わんばかりに他のお客が眼中にない人も居る(またはそう言う意思表示)。

こうなるとお互い意地を張ってチキンレースとなる。私にはそんな度胸はないから、すぐに場所を変える事にして居る。たまに夢中になりすぎて、相手が進路を変えてくれた事に気づく事もある。そんな時は心の中で感謝する事にして居る。

■3:レコードをひろげて置かない

購入するつもりのレコードは脇に置いておくのだが、むやみに広げない様にしたい。その下には他の客の見たいレコードがあるかも知れないからだ。もし他の客の気配を感じたら、すみやかにレコードを移動させるのがマナーだろう。

私も人のレコードが置いてある処が見たくなる時がある。そんな時は、その棚を見つめて居るだけで、相手も無言でレコードを避けてくれるものだ。言葉に出さなくとも阿吽の呼吸で譲り合えるのがレコード愛好家なのである。

■4:人の買ったレコードを評価しない

他の客の買ったレコードを評価するのも避けたい。誰でも他人の買ったレコードは気になるものだ。しかし覗き見をしても余りいい事はない。もしそれが自分にはとても手の出ないヴィンテージ盤だったら、羨望の念に晒されるだけだ。

誰もが自分の買ったレコードを最高だと思っている。そこはお互い称え合い、幸せな気分で店を後にしたいものである。

 

TOKYO VINYL #001 (東京 × Creative Director) / 小松正人 (Komatsu Masato)

【東京】下北沢でレコード屋を巡る/レコード購入品紹介

【How to 個人輸入】カナダのAmazonで買ったらレコード7枚で1万円も得した件

 

 

 

 私は、最近、カセットテープに凝って居る。昔は高校の頃は、カセットテープのケースに自分で写真でコラージュしたものを、表紙にして居た。結構うまく出来て、市販のテープみたいに見えるので、高校の同級生たちに見せると、たちまち賛否両論が起こった。ある人は「よく出来て居て自分も欲しいからケースの表紙の作り方を教えてくれ。」またある人は「お前が作ったテープを俺にくれ。」また反対に「カセットテープの表紙にアーティストの写真なんかコラージュしやがって気に喰わない。」または「幼稚だ。バカらしい。」人は千差万別だ。1970年代から1980年代に掛けては手作りのものを結構皆んな作って所有して居た。私はブルース・ギタリストでシンガーだった「フレディ・キング」のレコードを録音して、当時音は悪かったが、ロック・ミュージシャンやらブルース・ミュージシャンのライブ音源がAMラジオで放送して居たが。私はもれなく毎週放送される音源を楽しみに聴いて、それらのライブ音源をラジカセで録音してコレクションにして居た。

 

サンスイステレオラジカセと録音したカセットテープを紹介!

 

FM東京やNHK-FMで放送されるライブ音源。唯一、日本でブルースのレコードを掛けて放送した、音楽評論家の中村とうようさんがディスク・ジョッキーを務めた「ブルース・アワー」。テレビの音楽番組、確かフジテレビだったか、夕方5時に放映される「ザ・ロック」「ミュージック・アワー」などは私が愛してやまない貴重な音楽の音源を流してくれた。高校当時は、学生の身分であるから、金は持っては居ない。私はカセットテープを買い込み、ラジカセで音楽を録音して、それを大切に所有して楽しんだ。そして私はそれだけでは物足りずに高円寺にあるブルース喫茶に足繁く通った。そしてそこで日がな一日、ブルースを聴いて居た。マスターとも友達になった。また、音楽通の人たちとも交流が出来た。私は乏しいお金でレコードを月に2枚ぐらいずつ購入して居た、殆どがブルースのレコードだった。高校と大学の数年間は、今思うとバンドをやって居た事もあり。意固地だがブルース一筋だった。勿論ロックも聴いては居たが、私にはブルースの方が魅力があったのだ。矢張りブルース喫茶と言うだけはあって、ブルースに造詣が深いミュージシャンやら、大学生らが大勢来て居た。ある日、そのブルース喫茶で知り合った同じ高校生の友人が、自分の高校の担任の先生の家に行こうと言って私を誘って連れて行った。その教師の住んで居る家は平家の一軒家だった。友人に促されて、その家に入ると間取りが結構広く。8畳と10畳が2部屋の畳敷の3部屋が連なって居た。その8畳間に高級ステレオが置いてあり、その先生はヘッドフォンを掛けて、身体をクネらせ、大音響でブルースとロックを聴いて居た。知識も半端ではなく「カーター・ブラザーズのレコードは聴いた?」と聞いて来た。1950年代後半から1970年代に活躍して居た黒人のブルースバンドで長男のアル・カーターがギター、次男のジェリー・カーターがピアノ、三男のロマン・カーターが歌とベースを担当して居る。1949年にカリフォルニア州サン・ファーナンド・ヴァリーに移住し、1954年にバンドを結成し活動して居た。60年代はジェリーとロマンが兵役に就き活動を一時中断したが。1964年にアール・コールマンがプロデュースし、彼の持つレーベルに「Consider Yourself 」、「Southern Country Boy」を吹き込んだ。後者はJowelに買い取られて再発売され、65年に南部でヒットしました。その後もJowelにシングル盤を5枚程度吹き込んだ。思えば、今よりも当時の方が私はブルースを本格的に聴いて居た様です。そして私が「余りカーター・ブラザーズは聞いて居ない」と言うと「「Jowel盤」は聴かなきゃ駄目だよ。」と教えてくれた。

 

Carter Brothers Southern Country Boy

 

またアイルランドの白人のブルース・ロック・ギタリストが作った「taste」も聴いてご覧と教えてくれた。その高校教師は可也な音楽通でした。8畳間と2間の10畳間にはぎっしりとレコードが置いてあり。そのレコードは壁沿いに天井まで渦高くラックに収まって居た。他にも4畳半程の部屋がありそこが寝室の様だった、ベットは置いて居なかったが、和室で押し入れがあったから多分布団が積んであったのだろう。そしてその人が座って居るオーディオ・コーナーには、当時進歩的なインテリが読んで居た、漫画月刊誌「ガロ」の1964年からのものが積み上げて置いてあった。私は凄い人だと思った。その人は30歳で独身だ。そしてレコードは1万枚を超す枚数だったので一軒家の平家を借りて居ると言う事だった。私は圧倒された。他に本棚があって哲学書、「デゥールズ・ガタリ」「ラカン」やら、「キネマ旬報」が置いてあった。私の父親は本を全く読まなかった人だ。母は児童文学書の文庫本を訪問販売で売りに来たものを買って小学生の頃に家の居間に置いてあったが。自宅にあったのはその本16冊だけだった。私は自分もこう言う人の様になりたいと思った。

 

Taste - What's Going On (Live At The Isle Of Wight)

 

私は今現在、その目標は3分の1ぐらいは達成して居る。そしてそれで最後だろう。レコードは720枚。CDは460枚ぐらい所有して居る。他にビデオテープがいまだに60本。DVDは2,640枚、書籍が760冊ぐらいはある。これでもレーザーディスク・プレイヤーとレーザーディスク400枚ぐらいは処分したのですが。お陰でやっ噛まれる事もある。物を溜めない人は贅沢だと怒る人も居る。人は色々な事を言う。いいでは無いか、私に取ってはささやかな楽しみだ。私の歳になれば自宅を持って、自家用車は2台あり子供が2人は居て。奥さんがガーディニングをして居て。部屋には4kテレビとオーディオ類。パソコンがあるだろう。私にはそんな幸せな家庭は無いのだ。勿論、私も4Kテレビとパソコン。それにステレオ。ビデオデッキ。カセットデッキ。ブルーレイ・レコーダー。ラジカセがある。それにハーモニカ・アンプが2台とハーモニカ12本入りのケースが7個ある。あとハーモニカ用のマイクが6本ある。これは趣味の問題だ。他人がとやかく言う事では無いはずだ。しかし私のアパートに来た人は、やっ噛むのだ。皮肉を良く言われる。そして生活保護を受ける様な身分のくせに贅沢な生活だと罵られる。そう言う人は月30万はする旅行に行って居る。高級レストラン、料亭で4万円ぐらいのコースの食事をする。そして自宅には4Kテレビと豪勢な家具類が置いてある。自分は何なのだ。要するに人を頭からバカにして居るから贅沢だと言うのだ。「生活保護を受けて居る様な、障害者の貧乏人は貧乏生活をしていろ!!」と言いたいのだろう。人は醜い。お陰で私は他人が嫌いに成った....ああ、また愚痴になって居る。話を戻そう。若い頃に影響を受けた事はその後の人生を左右する。おそらく生涯その事からは離れられないのだ。反対に言えば若い頃に何に興味を持ち、何を目指そうとしたのかでその後の人生は決まる。

 

【レビュー】現代向きのVHSビデオデッキで再生してみた!

 

歳を取っては最初から全く興味がなくて新しい事に興味を持つと言う事は無い。例え、自分は歳を取ってからこんな事に興味が出て来た、これは初めての体験だと思っても、その核になって居るものは本人には解らないであろうが。若い頃に影響を受けた事がベースになって居るのだ。また、若い頃の事をいったん拒絶しても、歳を取ってから、その事をまた再度興味を持ってやりだすと言う事がある。それだけ10代後半から20代の始めに身につけた事、考えて居た事は消えてはなくならない。私は一旦ロックはもういいと思って聴いて居なかった。しかし最近になってまた聞き始めて居る。聴いて見るとどれもこれも新しい発見がある。若い頃に気が付かなかった点やら、十分に聴いて居なかったミュージシャンが気に掛かる。私は最近、「頭脳警察」などに嵌まって居る。1970年代の初頭から80年代に掛けて音楽シーンを直走ったバンドだ。私はファースト・アルバムしか聞いて居なかった。TSUTAYAから最近、セカンド、サードとCDを借りてカセットテープに録音して聞いて居る。今聴くと当時は過激だった歌詞も、これは硬派だけどアリだな。と頷けるのだ。彼らの音楽は全共闘の連中やら当時の世相に感化された人たちの鎮魂歌だった。ファースト・アルバムはいきなりライブだ。そして放送禁止用語もあってセカンド・アルバムは当時1週間ぐらいで発売禁止になった。しかしギターと歌のパンタは神聖化されて居る。彼らも、もう今や70歳を超える。しかし頭脳警察は最近若手のミュージシャンをメンバーに添えて復活した。彼らの歌にはアナーキーな香りが漂う。昔は時代もあり問題視されたが、今は今風の体制批判などの歌が聞ける。パンタは最近死去なさいました。合掌🙏

 

頭脳警察 / 銃を取れ Live

もう一つのバンドが居る。「外道」だ。彼らも1970年代にミッキー・カーティスらに見出されたバンドだ。加納のギターはブギを多用して居た。しかし今はリードギターとしてブルージーなフレーズを聞かせる。バンド名の「外道」とはライブ演奏で問題を起こした時に警官から昔言われた言葉だ。それをバンド名とした。彼らもまた最新のCDをリリースして居る。あと昔のバンドで今気になって居るバンドが居る。日本で初めてシカゴ・ブルースの雰囲気の曲を演奏して居た「村八分」だ。彼らは確か京大の西部講堂でのバンド・ラストのライブ盤が正式なレコードとなった様に記憶して居る。ギタリストのチャー がパンク・ロックの「セックス・ピストルズ」を聞いて。「これって「村八分」じゃない?」と言った事が伝説になって居る。パンク・バンドとしても影響力があった。こう聞いて行くと、昔のロックバンドは毒気があった。いや、強烈な個性があった。そしてどのバンドも反体制でアナーキーだ。

 

外道ライヴ!! 約40年前の日本に、こんないい音楽が!!

くたびれて / 村八分(from "1979")2019 Remaster

 

80年代から90年代に掛けて有名だったパンク・ロックバンド「スターリン」は吉本隆明の対幻想に感化されて居た。哲学者・吉本隆明も「スターリン」を気に入り。よくメンバーと雑誌やテレビで対談をして居た。私はパンクは余り詳しく無い。パンクを語るには歳を取りすぎた様だ。ただ今挙げたバンドはよく聴いては居た。私はこれでもブルース・ハーピストの端くれだ。どうしてもブルースからは逃れられない。ブルースは有りと凡ゆる音楽に影響を及ぼして居る。クラシックを除いてだが。ただ中国ではブルースは受け入られては居ない。ブルース・ハーピスト平松悟はハーモニカ1本持って中国大陸を横断したそうだ。彼は至る所でブルースを演奏したが中国人はちっとも感激しなかったそうだ。中国にもロックバンドは居る。以前、テレビで見た事があるが、はっきり言ってお粗末なものだった。ブルーノート・スケールが解らないのだ。中国で文化大革命の後に上映された「君よ憤怒の川を渡れ」での劇中に流れるブルージーで居て尚且つジャージーなメロディーを聴いた観衆は戸惑ったそうだ。初めて聴く旋律だったからだ。この映画は中国で大ヒットし。国民的な映画として人気が高い。反対に台湾。香港などはブルースが僅かながらだが浸透して居る。「クリエイション」と言うバンドで「マウンテン」のベーシストで音楽プロディーサーのフィリックス・パッパラルディーとアメリカ・ツアーもした事がある日本のブルース・ロックギタリスト、竹田和夫は香港のクラブで演奏して居るブルース・ギタリストを見出した。「Tommy Chun」と言う。私は彼のCDを持って居る。

 

STOP JAP〜仰げば尊し / THE STALIN

Tommy Chung HK blues legend

 

何故なら確かセカンド・アルバムだったと思うが、私のブルースハープの師匠である、ウイーピング・ハープ・セノウこと、妹尾隆一郎さんがハープで共演して居るからだ。彼のギターは黒人というよりの白人のブルース・ロック・ギタリスト、ジョニー・ウインターやらエリック・クラプトンを可也研究したフレーズを弾く。歌声はまるでジョニー・ウインターそっくりだ。聴く処に寄ると台湾やら香港のブルース・シーンは最近になって要約1950年代のシカゴ・ブルースなどを聴く人が増えたらしい、そう言った意味では、日本のブルース・シーンは本場アメリカに次ぐと思う。ヨーロッパでのブルース・シーンもデンマークでのブルース・ミュージシャンは聴くべきものがあるが、大体がヨーロッパはクラシックの土壌だ。フランスではそれでもある程度のブルース・シーンは開けて居る。矢張り日本がアメリカの次だろうと思う。

 

BENSONHURST BLUES - OSCAR BENTON (1982) - ПОЭТИЧЕСКИЙ ПЕРЕВОД

The Twelve Bar Bluesband - I 'm a Bluesman - live at bluesmoose Café

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私が応援して居る青木志貴ちゃんです。彼女は声優さんでモデルでもあり、他に舞台俳優。アイドル歌手。コラムニスト。ユーチューバーでもあります。そして自分お服のブランド「グリーン・アイド・モンスター」と言うブランドで。デザイナーもして居ます。皆さんもぜひ応援して下さいね。最近ではテレビ出演が目立って居ますよ。タレントとしてね。。。*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
 

ーkiyasumeー、、歳とったなぁもう65歳だヨォ〜〜〜!!

 

神経症的自尊心

「身知らずの口たたき」と言う格言がある。身のほど知らずに大言壮語する事である。
 
よく「あの人は自尊心が強い」と言う。良い意味で言われる時もあるし、悪い意味で言われる時もある。よい意味で言われる時には誇りが高いと言う事であり、いきいきして居ると言う事であろう。悪い意味で言われるときの自尊心とは神経症的自尊心の事である。
 
自尊心そのものを悪く言う人は居ない。しかしどうも鼻につく人の事を「あの人は自尊心が強い」と言う。悪い意味で「あの女は自尊心が強い」と言ったら、その女性がいつも「私は軽い女じゃないわよ」と言う姿勢を誇示して居る等などであろう。
 
「あの女は自尊心が強い」と言うときにはどちらかと言うと悪い意味で言われる事が多い。ことに此方から「あの女はどう言う人ですか?」と聞いて居ないのにそう言う時には先ず悪い意味である。「あの人はリンゴが好きですか?」と聞いて居ないのに「あの人はリンゴが好きです」と説明する人は少ない。同じ様に聴いて居ない時にわざわざ言う時には貶して居るが多い。
 
では神経症的自尊心とはどう言うものであるか。神経症的自尊心とは巨大な自我イメージを周囲に認めても貰おうとする事であるとアメリカの著名な精神科医のカレン・ホルナイが言って居る。簡単に言えば虚勢を張って居る心理である。
 
神経症的自尊心の強い人は本当の自信を身につける機会がなかったのである。例えば、親から十分に愛撫されなかった。弱点をも含めて自分の存在を認められなかった。自信がないから神経症的自尊心で自分を維持して居るのである。
 
本当の自信は人との心の触れあいと達成感から生まれる。彼らは人と心が触れ合わないで生きて来た。信じるものが無かったから。
 
人は劣等感があると人と心が触れあえない。劣等感とはそれを知らないのに「それ知らない」と言えない心理状態である。知らない事を、それ知らないと言えて相手と心が触れあえる。知らない事を「それなーに?」と聞けない。馬鹿にされるのが怖くて聞けない。それが触れあえない心理状態である。
 
触れあえない、認められなかったどころか彼らは自らの弱点を蔑まれた。小学校には居るともう受験競争が待って居た。成績がいいと誉められ、成績が悪いと叱られた。だから本当の自分を見つける機会がなかった。「私はこう言う人間だ」と言うものが掴めなかった。
 
そして親の期待を実現出来ないと言う事で子供は傷ついた。親の子供への期待こそ親の劣等感の部分なのである。自分が学生時代に、成績で劣等感のある親ほど子供が良い成績だと喜ぶ。子供の求める栄光は親の劣等感の部分である。子供が求める「栄光」は親の劣等感の部分である。それを子供は気がつかない。

 

日本の多くの少年少女は、それぞれの親とのそれぞれの関係の中で、それぞれに傷つきながら子供時代を過ごして来る。だから大人から見るとせっかくの青春を何であの様に愚かに過ごすのだと思う過ごし方をする事も多い。
 
自分の潜在的な可能性を伸ばす為に、何でも出来るのに、それをしないで煙草をすって見たり、集まって酒を飲んで見たり、自分が好きでもない職業につこうと努力したりする。
 
なかには非行に走る。自分の可能性を追及しないで、人の眼を意識した行動ばかりをする。自分を見ないで人が自分をどう思うかばかりを気にして居る。
 
そして自己無価値感に苦しみながら、自分の価値を上げようとして必死で「あいつ等は馬鹿だよ」とか「世の中は、けしからん!」とか叫ぶ。そう叫ぶのは彼らが劣等感に苦しみ、欲求不満だからである。
 
本当の自信がある人は身構えないで話が出来る。脅える良い子にはならない。楽しい生活をする。利口ぶらない、「馬鹿にされないぞ」と肩肘はらない、心の傷を癒そうと、自分の適性を殺すという犠牲を払って栄光を求めたりしない。
 
そして人を意識した行動を続けるために、カレン・ホルナイが言う様に本当の自信をつける機会がさらに無くなって仕舞う。それにも関わらず、心の底では彼等はまさにカレン・ホルナイが言う様に必死で自信を求めて居る。
 
しかし今の行動を続けても決して自信は生まれて来ない。そこが彼等の悲劇なのである。先にも書いたとおり触れあえれば自信が出来る。そして自信が出来れば、軽蔑の言葉を浴びせられても傷つかない。

当の自信をつける機会がなかった彼等は人の上に自分を引き上げる衝動だけを発展させて仕舞う。しかし虚勢によって人の上に自分を引き上げても残念ながら自信は出来ない。「こうなって皆に一泡ふかせたい」と言う願望ばかりが強くなって、自分の可能性を追及する姿勢はどんどん無くなる。自分の素直な感じ方が次第に出来なくなってくる。服を一つ着るのにも、「どうだ、凄いだろう」と言う、人を意識した事ばかりが、彼の心を支配する様になる。現実の自分の感じ方や、考えは重要でなくなる。周囲の評価を狙って居ると、何時になっても本当の自信は身につかない。
 
青年が一人前の口を聞きたがるのはこの心理である。「21歳の大学生」や「17歳の高校生」が世の中が分かって居るはずが無い。それを恥じる事など、どこにもない。しかし神経症的になって来ると、これが逆になる。自分が「21歳の大学生」や「17歳の高校生」であると言う現実を忘れて、世の中が分かった様な事を言いたがる。つまり神経症的自尊心とは、「21歳の大学生」で社会人としての何の実績もないけど、社会人として優れた実績をあげた人と同じ様な口を聞きたがる心理である。
 
「俺は、こんな苦しいことを我慢して、此処まで頑張って生きて来た」という実際の体験を元にして心の中に出来上がる心理的安定では無く、実際には何もして居ないのに、「俺は偉い」と思おうとする心理である。自信に到達するのに特別のバイパスを通って行こうとして居る。だから何時になっても本当の自信が出来ない。
 
そして彼は奥さんや恋人から特別に偉い人として扱って貰える事を期待する。彼は人から、特別の注目を獲られるものと期待する。自分を特別に扱わないと不公平に扱われたと感じる。そこで怒りだす。彼は「自分は何時も人より特別に扱われるような資格があると思っている」とカレン・ホルナイは言うが、私はそれよりも自分が生きてきた道を彼は心の底で納得して居ないから「すぐに怒る」のだと思う。
 
自分が自分の生き方を納得して居ないから、周囲の人に偉大な人間として扱って貰いたいのである。つまり神経症的自尊心の強い人は虚勢を張って威張って居るが、心の底では人が羨ましい。
 
何よりも現実の自分と内面の壮大な自我像とが調和しない。そうすると何処か現実がおかしいと思い出す。他人は自分をその様に立派な人として取り扱わない。他人は自分を普通の人として取り扱う。すると酷く侮辱された様に感じる。自分が侮辱される事には敏感だが、自分が他人を侮辱して居る事には極めて鈍感である。それは他人を侮辱する事で心が楽になるから、自分の心を楽にする事ばかりに気を取られて居るから、他人の心の傷には鈍感なのである。
 
自分が他人を扱って居るのと同じように、自分が他人から扱われると、もの凄く怒り出す。傲慢であればあるほど傷つき安いと言うのはその事である。
 
他人はその人をその人が思っているほど凄い人だと思って居ない。すると他人はその人を凄い人として扱わない。普通の人として扱う、すると、もの凄く傷つく。攻撃的な人なら、猛然と怒り出すし、内向的な人なら傷ついて自分の中に閉じこもるかも知れない。そして恨みに思うであろう。
 
こう言う人に「あなたは立派です、周りが悪い」と言う宗教があれば彼は心ひかれて入信して行くだろう。こつこつと地道な努力をして居る若者には無い心理である。

「あんな事ばかりして居るからあの会社は駄目なんだよ」とか「あんな事ばかりして居るからあの上司は駄目なんだよ」と自分では何も実現して居ないのに偉そうな事ばかり言う人が居る。そう言う人は実は自分が自分に不満なのである。人は不満な時にそう言う批判的言動をする。彼は苛立って居る。適切な目標があって自分が楽しければそんな会社や上司の事をいちいちかまって要られない。その様に会社や上司を批判する時、自分が偉くなった気持ちになる。だからそう言う偉そうな口をきくのである。
 
彼はまともな人なら自分を考えて恥ずかしくてしょうがない様な事を得意になって言って居る。しかし彼はそう批判する事で心が一時安らぐ。しかし実は彼は心の底で「その会社」や「その上司」が羨ましいのである。
 
「この人、自分の事をどう考えているんだろう?」「この人、自分の事を何様と思って居るのだろう」と思われる人が居る。何の実績も無いうちから偉そうな口ばかり聞く人である。これが神経症的自尊心の強い人々である。
 
そして「自分の事を何様と思って居るのだろう」と思われる神経症的自尊心の強い人は周囲の人とうまく行って居ない。もし周囲の人とうまく行って居れば、たとえそう言う口を聞いても「あいつも面白い奴だ」とか「可愛い奴だ」などと思われるのである。

 

こう言う人々はカレン・ホルナイが言う様に本当の自信をつける機会を持てない侭に年を取って仕舞った人達なのである。
 
農家のおじさんが改良したリンゴの種類を作って農林大臣賞を貰ったとする。そして自信を持った。自信と言うのはその人の経験が原点になければならない。その上でリンゴの木の林の中でゴザの上に座っている。だからゴザが宝石のイスになるのである。
 
神経症的自尊心を持つ人は宝石のイスに座る事で自信を持とうとするから何時になっても自信が持てない。
 
神経症的自尊心をもとにした自己栄光化は彼にとっては心の葛藤を解決する手段なのである。毎日が居心地が悪い、だから自己栄光化によって自分の城を作りたい。居心地の良い自分の場所を作りたい。
 
普通自分の城を作ろうと思えば、土台を考える。この場合で言えば例えば心理的成長、或いは人脈等などである。自分の弱点を知り、長所を知ろうとする、それで強固な城が出来る。しかし神経症的自尊心を持つ者は毎日が不安だから、それらを見ないでとにかくお金と力等などで城を作ろうとする。
 
だから失敗が恐ろしい。「失敗したら?」と恐れるのは成功によって心の葛藤を解決しようとして居るからである。「周囲の人達は、自分をこう扱うべき」と思うのは、それが心の葛藤を解決するからである。従ってこうありたいと言う目標ではなく、こうなければならないと言う事になって仕舞う。

自分が普通の人になって仕舞うと心の葛藤と直面しなければならない。つまり普通の人になれば、屈辱感を味あわなければならない。それに耐えられない。
 
しかし自己を栄光化する事が出来れば屈辱感を味あわなくてすむ。心に葛藤の無い人、心理的に健康な人は普通の人である事に耐え難い屈辱感を味わう事はない。普通の人は神経症的自尊心の強い人とは違って心が満足して居るのである。だから心の葛藤を解決するための名誉やお金や権力は要らない。心の葛藤が無いのだから。
 
普通の人は楽しむ為にお金を必要とする。しかし強迫的にお金を必要としない。食べて行かれればそれ以上はなければないでやって行かれる。しかし神経症的自尊心の強い人はそうはいかない。それ以上のお金が必要なのである。
 
神経症者が先ず勘違いをして居るのは、普通の人は心が満足して居ると言う事である。神経症者は心に空洞があいて居る。この空洞を神経症者は埋めなくてはならない。ところが普通の人はこの空洞がない。だから「空洞」に何かを入れる必要がない。
 
神経症者はこの空洞に名誉とかお金を入れなければ生きて行かれないのである。入らなければ、イソップ物語のキツネのように「あの葡萄は酸っぱい」と言い訳をしなければならない。
 
心理的に健康な人でお金とか名誉とかを持って居る人が居る。しかしそれは空洞に入れる為に獲得したものではない。して居る事が楽しいからして居る内に結果として手には入ったものである。だから「もっと、もっと」と言う際限のない強迫的要求が無い。心理的安定のために必要な権力や名誉では無い。
 
また名誉を得て、鼻持ちならない人を考えて見よう。なぜ名誉を得て、鼻持ちならなくなるのか。偉い官僚で鼻持ちならない人も居れば、普通の人も居る。大きなダイアモンドをつけて、鼻持ちならない女性もいれば、普通の女性も居る。
 
それを理解するために心の空洞を体重にならって考えてみると分かる。体重にならって心重とでも言ったらいいだろう。普通の人は心重が70キロである。しかし鼻持ちならない神経症者は空洞があるから60キロである。そして心の安定のためには心重は70キロなければならない。そこで神経症者はどうしてもあと10キロ必要なのである。
 
神経症者は名誉で10キロを得た。そこで自分は人と違って10キロ多いと思って居る。そこで普通の人と同じに扱われると怒る。もともと自分の心重が普通の心理的に健康な人よりも軽いと言う事に気がついて居ない。

そう書いて居る私自身自分の心重が普通の心理的に健康な人よりも軽いと気がついたのは、かなり年をとってからである。若い頃、なんで自分は自分の人生に心から満足出来ないのかと疑問に思って居た。なんであの人はあんなに幸せなのかと不思議であった。
 
そして心理的に健康な人は自分よりも心重が重いのだと知った時には驚きであった。もともと心理的に健康な人は、自分と違って心が満足して居るのだと知った時には驚きであった。

神経症的自尊心の強い学者は実際に自分が出来る研究をしようとするのでは無く、皆が尊敬する大学者になろうとする。すると自分の出来る研究をしなくなる。自分の出来る事をしないで、自分の能力には高すぎる事をしようとする。神経症的自尊心の強い作家は自分が書ける本を書かないで、皆が羨ましがる大作家の様な本を書こうとする。
 
自分の書ける論文を書かないで人の書いた論文を批判してばかりいる大学生が居る。そして学生のうちから大学者が書くような論文を書こうとする。そういう学生は普通の学生が書ける論文すらも書けない。高すぎる目的にこだわって自分の出来る事をしない。自分の入れる大学に入らないで、何時までも有名大学に入ろうとする受験生もいる。
 
最近、日本での勉強について行けなくなったからアメリカの高校等に留学して来る高校生が居る。日本でついて行けなくなったと言っても、日本で自分が期待する扱いを受けなくなったと言う事に過ぎない。勉強そのものが理解出来なくなったと言うのではない。
 
彼らは自己栄光化を維持する為に日本を逃げ出したのである。まさにバイパスである。そして日本の高校生を貶す。貶すのはやはり羨ましいからである。
 
そして語学の勉強で初級クラスに入った方がその人の為なのに、自分の実力を無視して上級クラスに行こうとする人も居る。神経症的自尊心の強い人は勉強の仕方も間違える。自己栄光化は神経症的自尊心で、弱さの象徴である。

要は、自分の身の程をしっかりと知り。それをごまかして生きるのではなく。自分を過大評価しないで、日々、勉強をし精進する事である。そして神経病的自尊心を持たない様にし。自分の知らない事を人が言って居たら進んで参考にし。知らない事に蓋をするのは辞めよう。知らない事は神経病的自尊心を持つ者は恐れであり。劣等感になるが。誰でも初めは知らないのです。私も物事を良く知らない。だから学んで居るのです。知性とは学問だけにあるのでは無い。漫画やアニメ。音楽の中にもあるのです。私は自分が知った事をblogでキュレーションして居る。ヘゲモニーは自分が握って居るが。人間一生勉強ですよ。。。

 

コメント一覧

kiyasume
Psycho‐Chickenさん、おはようございます、、

そうですね思想の押し付けは良くないですね、でも宗教学の押し付け
も余り良くないですよ。私は両方とも本とか読みますけど、、テレビ
でも宗教関係は「こころの時代」とかNHKのEテレの番組でもやって
居ますよね。あと「100分で名著」の中でたまに哲学書を読解します
よね。

あんなの見たり?、YouTubeでも哲学番組は流されて居ますよね、
まあ、哲学のことを書くと必ず自分の意見が正しいと言う御仁が
居たので、書くのやめようかとも思いましたけどね・・・・・・。
最近は調子が悪いので書くのは辞めて居ますけどね、、、、

まあ、こんなblogでもそう言って下さる方が居るので、僕は幸せですよ。
最近になって本格的に新約聖書を読みたくなって来ましたよ.....。
まぁ、でもこのblogは僕なりの哲学なって居るのかなこれでも???

そう思ってくれて有難う御座います。☺️
もう一踏ん張りしてみますよ・・・・・・・。🙏

それではまた来て下さいね。宜しくね!!👋
Psycho‐Chicken
きやすめさん。おはようございます。音楽、映画、書籍、恋人、病状、ファッション、平穏な時ばかりでなかった(で良いのかな?)親族、面倒くさい隣人…w、日々食べる事←自らの肉体形成に係るので私の中では結構重要かもლ⁠(⁠・⁠﹏⁠・⁠ლ⁠)、季節の移り変わりや街が進化していく様等…すべて哲学として拝読させて戴いております。なので…書くの止めようなどと思わないでくださいね。読者(ミー)が泣きます。きやすめさん。…哲学もですが宗教学も、人の数だけ多種のとらえ方があると思います。…ただね、やたら正否を解いたり、マウント取り(最近覚えた言葉ダヨ…😸)の道具にされたんじゃ…偉大な先人も涙するでしょうね。あと思想の押しつけは1番アカンです。そんなのいちいち喰らっていたら…腹こわします。やはり、哲学(私は哲楽になっちゃいますが…アンガイ…マジメョ)宗教学は、人が幸せになるたのヒント、めあすなのではないでしょうか?
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