


タランティーノがこよなく愛した傑作マカロニ・ウェスタン
本作は、セルジオ・レオーネと共にマカロニ・ウェスタンを牽引したセルジオ・コルブッチが1966年に製作した、いわずと知れた不朽の名作。荒唐無稽なまでに強烈で残酷な描写と、娯楽優先主義で大ヒットした伝説の作品だ。
今回上映となるのは2018 年にチネテカ・ディ・ボローニャにてオリジナルネガから 4K スキャン・レストアされた必見のバージョンとなる。
死の影を背負った流れ者のガンマン“ジャンゴ”を演じたのは、本作を機に百本以上の映画に出演することになったフランコ・ネロ。 反骨心と虚無感、粘り強さと体制に立ち向かうジャンゴの姿に世界中の若者が憧れ、今も語り継がれる究極のヒーローとなった。
本作のヒットによりその後も 50 本以上の作品に流用されたジャンゴのキャラクターだが、なかでもこよなく愛したのはクエンティン・タランティーノ。『レザボア・ドッグス』の耳切断シーンでも既にわかる通り、筋金入りのリスペクト。『ジャンゴ 繋がれざる者』では、その愛が高じて本作のオープニング・クレジットをそのまま再現してみせ、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』ではコルブッチの名前を引用してみせた。
このたび公開された日本オリジナルのポスタービジュアルは必殺のガトリング砲を構えたジャンゴの姿を捉えたもの。『ジャンゴ お前が愛した女はもういない』というキャッチコピーもインパクトを残す印象的なビジュアルになっている。
続・荒野の用心棒
2020年1月31日(金)よりシネマート新宿ほか全国順次公開
配給:コピアポア・フィルム
© 1966 B.R.C. Produzione Film (Roma I talia) Surf Film All Rights Reserved.
「ハードボイルド」は元来、ゆで卵などが固くゆでられた状態を指す。転じて感傷や恐怖などの感情に流されない、冷酷非情、精神的・肉体的に強靭、妥協しないなどの人間の性格を表す。推理小説のジャンルであるが、サスペンスや文学など他のジャンルの主人公をハードボイルド風の文体で描く作品もある。アーネストヘミングウェイの作品は主に文学に分類されている。行動的な探偵が主人公であるが、ハードボイルドとは対照的に非情さを前面に出さず、穏健で道徳的な作品は「ソフトボイルド(Soft Boiled)」と呼ばれる。
ハードボイルド小説の歴史
ミステリのハードボイルド派は1920年代のアメリカで始まる。パルプマガジン『ブラックマスク』誌(1920創刊)に掲載されたタフで非情な主人公たちの物語がその原型で、同誌にはダシール・ハメット、レイモンド・チャンドラー、E・Sガードナーらが寄稿した。特にハメットは『血の収穫』(1929年)や『マルタの鷹』(1930年)などにおいて、簡潔な客観的行動描写で主人公の内面を表現し、ハードボイルド・スタイルを確立した。『大いなる眠り』(1939年)で長篇デビューしたチャンドラーは、ハメットのスタイルに会話や比喩の妙味を加え、独特の感傷的味わいを持つ『さらば愛しき人よ』(1940年)、『長いお別れ』(1953年)などのフィリップ・マーロウ、シリーズを発表した。
ハリウッド映画でも多くのハードボイルド・スタイルの作品が作られ、『カサブランカ』(1942年)はアカデミー作品賞を受賞した。
ハメットやチャンドラーの作品には、「西部開拓精神を内に宿した主人公がアメリカ社会の諸問題に対処していく物語」という面があり、『動く標的』(1949年)で私立探偵リュウ・アーチャーを登場させたロス・マクドナルドはその後継者とされる。一方、『裁くのは俺だ』(1947年)でデビューしたミッキースピーレーンは暴力とセックスを扇情的な文体で描き、本作で「暴力的ハードボイルド」の代名詞となったマイク・ハマー・シリーズはベストセラーとなった。
1940年代終わりから1950年代にかけて、銃と軽口と女の扱いに長けた私立探偵が、おもにペーパーバック・オリジナルで大量に現れる。『マーチィと殺人と』(1947年)でピーター・チェンバーズを登場させたヘンリー・ケイン、『消された女』(1950年)でシェル・スコットを登場させたリチャード・S・プラザー、『のっぽのドロレス』(1953年)でエド・ヌーンを登場させたマイクル・アヴァロン、The Second Longest Night(1955年)でチェスター・ドラムを登場させたスティーブン・マーロウなどが主な作家である。極め付きはオーストラリア作家のカーターブラウンで、1958年からアメリカのペーパーバックに登場し、健全なお色気とユーモアにあふれた作品を、毎月1冊というペースで発表した。また、G・G・フィックリングの『ハニー貸します』(1957年)で登場したハニー・ウエストはセクシーな女性私立探偵として人気を博し、テレビ・シリーズにもなった。
1960年代になるとアメリカ社会の問題は、個人の行動だけでは対処できなくなる。ロス・マクドナルドのリュー・アーチャーは事件を見つめるだけで行動しなくなり、次第に内省的になっていく。これを受けて1960年代末から1970年代にかけて、社会的問題を正面から扱うよりも、探偵の個人的問題を通して社会を描くような作品が多くなる。主な作家には、マイクル・コリンズ、ジョセフ・ハンセン、ビル・プロンジーニ、マイクル・Z・リューイン、ロジャー・L・サイモン、ロバート・B・パーカー、ローレンス・ブロックなどがいる。日本においては、これらの作家の作品は当時、評論家小鷹信光が「ネオ・ハードボイルド」と名づけたが、実際にはハードボイルドの枠組みを超えた要素が多く、近年はこの表現はあまり使われない。
また、1960年代後半からはじまったフェミニズム運動と女性の社会進出により、1980年代には女性作家が女性の私立探偵を主人公にした作品を書くようになる。まずマーシャー・マラーのシャロン・スコーンが『人形の夜』(1977年)で登場し、続いてサラ・パレツキーのV・I・ウオーショースキーが『サマータイム・ブルース』(1982年)で、スー・グラフトンのキンギー・ミルフォーンが『アリバイのA』(1982年)で登場した。以後、リアリスティックな女性私立探偵小説は一大潮流となる。
1970年代以降の作品の多くは、文体も主人公たちの性格もハードボイルドではないため、私立探偵を探偵役にしたミステリは私立探偵小説(PIノベル、Private Eye Novel)という名称で呼ぶのが一般的になった。
こうした私立探偵小説の流れとは別に、ハードボイルド文体で描かれた犯罪小説がある。ハメットと同時期の作家で、ハードボイルド文体の創始者として挙げられるのが『リトル・シーザー』(1929年、映画『犯罪王リコ』の原作)のW・R・バーネットと、『郵便配達は2度ベルを鳴らす』(1934年)のジェームスM・ケインである。『ブラック・マスク』誌の出身であるが独自の道を歩んだホレス・マッコイは、『彼らは廃馬を撃つ』(1935年)で大恐慌時代の明日なき青春を冷徹な筆致で描く。また『ミス・ブランディッシュの蘭』(1939年)で登場したゼイムス・ハドリーチェイスは、イギリス人ではあるがアメリカ英語で作品を発表した。『殺人のためのバッジ』(1951年)など警察官を主人公としてアメリカの社会問題を描こうとしたウイリアム・P・マックバーン、ハメット・スタイルで書かれた『やとわれれた男』(1960年)でデビューしたドナルドー・E・ウィドレイクもハードボイルド小説に新風をもたらした。これらの作品の手法・文体は映画の影響を受けた部分もあり、また多くの作品が映画化されることによる相互作用で、ハードボイルド・タッチは熟成していった。
ゲッタウェイ~The Getaway~スティーブ・マックイーン Shotgunアクション ペキンパー監督
ダーティハリー Dirty Harry 1971
HARPER (1966) Trailer
The Long Goodbye Official Trailer #1 - Elliott Gould Movie (1973) HD
日本のハードボイルド小説
日本のハードボイルド史は、第二次世界大戦後に翻訳紹介されたアメリカ製推理小説の受容から始まる。1950年から数年の間に、ハメット、チャンドラー、スピレインの代表作が立て続けに日本語訳され、また同時期の映画の影響もあって、「ハードボイルド」という言葉は急速に浸透していった。しかし、短期間に様々な要素が一度に移入されたため、混乱も生じた。昭和20年代から島田一男が行動的な探偵役を用いた作品を発表していたが、先駆的作品にとどまった。
明確にハードボイルドを意識した作品を書き出したのは、共に大学生で作家デビューした高城高と大薮春彦である。高城は「X線附近」(1955年)、「ラ・クカラチャ」(1958年)など叙情的な作品を書き、大藪は処女作『野獣死すべし』(1958年)以降、タフで非情な主人公がアクションを繰り広げる作品を多数発表した。河野典生も20代から作品を発表し、短篇集『陽日の下。若者は死ぬ』(1960年)や日本推理作家紹介賞を受賞した『殺意という名の家畜』(1963年)などがある。この3人はいずれも1935年生まれで、日本のハードボイルドは若者が既存の価値観に異議を唱える手法として始まったと言える。
それより前の世代の作家では、デビュー以来様々なジャンルのミステリを手掛けてい欠場昌治が『支社に送る花束はない』(1962年)からハードボイルドの分野に進出し、『暗い落日』(1965年)など私立探偵小説の傑作を発表する。正統的ハードボイルドを日本に移植することを目指した生島治郎は『傷跡の町』(1964年)でデビュー、『追い詰める』(1967年)で直木賞を受賞した。1960年代前半からスパイ小説に新境地を拓いていた三吉鉄は、1968年から新聞記者を主人公にしたハードボイルド・スタイルの「天使」シリーズを書き始めた。仁木悦子も『冷え切った町』(1971年)などの三影潤シリーズで、優れたハードボイルド私立探偵小説を書く。
また、この時期のハードボイルド文体の犯罪小説に菊村倒『けものの眠り』(1959年)、石原慎太郎『汚れた夜』(1961年)などがある。
こうした社会問題を描く手法としてハードボイルドを取り入れた作品とは別に、純粋にアメリカ産のハードボイルド・タッチを楽しもうとする作風も出て来た。そうした作風は、当時通俗と言われたハードボイルドの翻訳者に多い。中田耕治の『危険な女』(1961年)、山下論一の『危険な標的』(1964年)、都筑道男の贋作カート・キャノン・シリーズ(1960年)などで、小泉喜美子が別名義で新聞連載した『殺人はお好き?』(1962年/連載)もこれに加えても良いかも知れない。また、翻訳者・解説者としてハードボイルドの普及に貢献した片岡義男や小鷹信彦も、「時期はずれる」が創作している。
1970年代になると、ハードボイルドにこだわり続ける戦後生まれの作家が現れる。短篇「抱きしめたい」(1972年)で小説デビューした矢作俊彦と、短篇「感傷の街角」(1979年)で登場した大沢在昌である。この2人は日本的泥臭さとは無縁の都会的な作風で、日本国産ハードボイルドの新時代を築いた。また2人とも漫画原作も行っているが、この頃から劇画にもハードボイルド作品が多くなり、そうした漫画の原作者だった関川夏央は後に小説も書いている。
1970年代末から1980年代にかけて冒険小説がブームとなり、その担い手となった作家には船戸与一、佐々木譲、志水辰夫、逢坂剛、藤田宜永など、ハードボイルドにも意欲を見せた者が少なくない。中でも北方謙三は、日本的ハードボイルドのひとつのスタイルを作り上げた。1988年には原寮が登場し沢崎探偵シリーズ第2作の『私が殺した少女』(1989年)で直木賞を受賞する。
1990年代には東直己、藤原伊勢、加納諒一、真保祐一、石田衣良ら優れたハードボイルドの書き手が登場した。また、桐野夏生の『顔に降りかかる雪』(1993年)や柴田よしきの『RIKO 女神の永遠』(1995年)誉田哲也の『ストロバリーナイト』(2008年)松田圭祐の『探偵の探偵』(2014年)など女性を主役にしたハードボイルド・タッチの作品も現れている。
他方、時代小説では股旅物を中心にハードボイルド的な要素を持った小説は存在していたが、こちらでも1960年代から本格的なハードボイルドに根ざした物語が現れ始める。ただ、時代小説におけるハードボイルドは『大菩薩峠』の主人公、机龍之介に始まるニヒリズムの系譜の影響が根強い。また、舞台背景が封建社会という制約もあり、地縁や血縁、義理人情、仇討ちなどの「日本的」ともいえる独自色が色濃く絡み合い、その枠の中での葛藤や闘いが描かれるパターンが多い事が、現代小説との比較では大きな相違点として挙げられる。その中でも大ブームを起こした作品としては、笹沢佐保の『木枯紋次郎』、池波正太郎の『仕掛け人・藤枝梅安』の両シリーズが、テレビドラマ化されてさらに大ブームになった。
マカロニ・ウエスタンとは、1960年代前半からイタリアの映画製作者が主にスペインの荒野で撮影した西部劇の総称です。ただし、これは日本だけでの呼び方で、イギリスやアメリカではスパゲッティ・ウエスタン、あるいはヨーロッパ製ウエスタン、イタリア本国では単純に「ウエスタン・アル・イタリアーナ」(=イタリア製西部劇)などと呼ばれています。
実は『荒野の用心棒』が大ヒットして世界中にマカロニ・ブームが巻き起こる数年前から、数は多くないもののドイツやイギリス製の西部劇が作られていました。さらにブームのさなかにはフランスやアメリカ製西部劇もマカロニの聖地であるスペイン・アルメニアの荒野で製作されました。もちろん、本場スペインも独自の西部劇を作るようになりました。こうした「ヨーロッパで作られた西部劇」を総称して「ヨーロッパ製ウエスタン」と呼ぶようです。

まあ、これが本質的には一番正しい呼び名だしょう。スパゲッティ・ウエスタンとは、基本的にアメリカ人が本場ハリウッド西部劇に対してチープなニセモノ西部劇をさして呼ぶジャンル名とされています。そして、わが日本でも少々バカにした気分で、映画評論家の淀川長治と深沢哲也両氏が最初にマカロニ・ウエスタンと命名したとされています。いまでこそ「マカロニ」といわれても定食屋で出てくるマカロニ・サラダくらいしかなじみはありませんが、当時の日本ではイタリアの食べ物の代表といえばマカロニだったのでしょう。スパゲッティはともかく、パスタなどという呼び方は誰も知らなかった時代です。その証拠に、日本のパスタ・メーカーの組合は今も「全日本マカロニ協会」というのです(!)
歴史観、正義感、道徳、整合性、リアリティ……。そんな、映画評論家が大事に胸に抱きしめているような教科書的ルールのおとがめ一切なし、面白ければそれでいいじゃないか、の精神で作られた娯楽アクション映画の元祖。それがマカロニ・ウエスタンです。
娯楽至上主義のマカロニ精神は、のちにカンフー映画やブラック・プロイテーション・ムービー、さらにはスター・ウォーズなどのSF映画にも確実に伝えられました。悪人しか住まない町、何発でも発射される主人公のコルト、こんなもん存在したの!? と観客が呆れる暇もなく銃弾を撒き散らすガトリング機関砲、次々と倒れる数百人の悪人、どんな酷い目にあっても最後には必ず勝つヒーロー(例外もあるけど)、よく考えてみるとひどい奴にしか思えない主人公なのに、エンディングに流れるクールな主題歌にのせられて「カッコイイぜ」と思いこんだ観客たちはガンマン気取りで町へ繰り出した……。
時は1960年代、世界中が変わろうとしていました。イギリスからはビートルズが、フランスにはヌーベル・ヴァーグが、アメリカでは人種差別撤廃・ベトナム戦争反対のムーブメントが巻き起こっていました。そんな時に、純粋な娯楽として作り出されたイタリア製ウエスタン映画が世界中で熱狂的に受け入れられたのです。それは、ハリウッドが作りつづけてきた正統派ウエスタンへのアンチテーゼ、伝統に対する異端、安定に対する行動、クラシックに対するロックンロール!だったのです。
セルジオ・レオーネ監督、クリント・イーストウッド主演の『荒野の用心棒』(64年)は黒澤明の時代劇『用心棒』の盗作とされ訴訟騒ぎになり(結局レオーネは謝罪し黒澤はアジアでの配給権を得た)、所詮「マカロニ」とさげすまれ馬鹿にされました。しかし、ダイナマイトの大爆発、その硝煙爆風をバックにポンチョに身を包んだイーストウッドが姿を現すクライマックスの決闘シーンは、明らかに本家よりもスタイリッシュでカッコよかった。たとえ、イーストウッドの銃が、その先にいない敵を撃ち倒そうとも、続編『夕陽のガンマン』(65年)が実は共演者であるリー・ヴァン・クリーフの物語であろうとも、イーストウッドはマカロニ・ヒーロー第1号となり、その後ハリウッドへ戻るとまるでマカロニ的としか言いようのないワイルド刑事『ダーティ・ハリー』(71年)として再生したのです。かつてジョン・ウエインらが演じていた往年のハリウッドのヒーロー像とはまったく違う、「悪」の一面を持つ人間的なヒーローのスタイルはその後もシュワルツェネッガー、スタローン、メル・ギブソンらによって華やかにスクリーンを飾り続けているといえるでしょう。
『続 荒野の用心棒/DJANGO』(66年)に登場する西部の町は泥だらけで、底無し沼があり、女たちは泥レスに興じ男たちは殺しあうばかり……真面目なアメリカ人なら「そんな酷い町はわが国に存在しなかった」と異議を唱えるのでしょうが、そうは問屋がおろさない。19世紀のアメリカは、大都会のニューヨークでさえ、公共の場所には痰ツボが置かれ(そのまわりにはドジな男のはずした痰が……)、馬車が主要な交通機関なために道路には馬糞がいっぱい転がっていたといいます。それが、文明から遠く離れた西部の町なら……誰でも想像できるはず。『続荒野の用心棒』の監督セルジオ・コルブッチはただ「面白くするために」そんな町を創造し、めったやたらに殺戮シーンを撮りまくっただけなのでしょうが(そのために役者が足りなくなり悪党一味の部下に顔を隠す赤いマスクをかぶらせたほど)。異端は正統になり、ハリウッドから出稼ぎに来ていたイーストウッドとは違う、純粋イタリア産ヒーローとしてジャンゴ=フランコ・ネロをも産みだしたのです。
マカロニ・ウエスタンは一説では10年足らずの間に500本は作られたと言われています。
『続 荒野の用心棒』とは全然関係ない「ジャンゴ」シリーズも50本はあるという。もちろん、イーストウッド、ネロのほかにも、アクロバチックなアクションと甘いマスクで女性に人気の高かったジュリアーノ・ジェンマ、ネロの贋者的にデビューしたが後期のコメディ路線でバカ売れしアメリカにも進出したテレンス・ヒル、人気があったかどうかは怪しいが何本も主演したアンソニー・ステファン、ジャンニ・ガルコ、ジョージ・ヒルトン、ハリウッドから出稼ぎに来たトーマス・ミリアン、トニー・アンソニー、マーク・ダモンといったマカロニ・スターを輩出しましたが、その作品のほとんどは映画史的あるいは映画批評的にまったくもって無視されてきました。
21世紀の今、60年代、70年代に量産されたマカロニ・ウエスタンを改めて見ると、意外にもしっかりした作りの作品が多いことに気づきます。史劇やコメディを作っていたベテラン監督が手がけた作品は構成がしっかりしているし、スタントマン(後にスターになった者も多い)は体を張ってアクションしている。セットは使いまわしが多いにせよ、本職が作りあげたリアリティあふれる背景だ。衣装にせよ、小道具にせよファッション大国イタリアの実力が発揮されているのです。素人がいきなり映画を撮ることが多くなり、なんでもCGで「絵」にしてしまう現代の映画作りとはまったく違う次元にマカロニ・ウエスタンは存在する。まさに、映画の中に肉体が躍動しているのです。
なぜ今もマカロニ・ウエスタンは世界中で熱く語られるのか。もうひとつの秘密は音楽の素晴らしさでしょう。
朗々と歌い上げるバラードに乾いたギターやホーンが絡み、スクリーンに映し出されるスペインの荒野(=アメリカじゃないニセモノ)を、本当の大西部以上に雄大に感じさせ、主人公(たいていは流れ者)の孤独感を盛り上げる。オペラやカンツォーネの国イタリアの特色が最も顕著に出た特徴でしょう。決闘シーンにはここぞとばかりにドラマチックな演奏が轟き、トランペット、ハーモニカ、鞭や鐘の音や銃声といったSE……そして特筆すべきはエレキギターが主役を演じたこと。ドラマチックなオ-ケストレイションに絡むエレキ・サウンドはGSブームに乗って日本中で大ヒット。66年〜67年にかけての洋楽ベスト10は常に半分以上がマカロニ主題歌、ビートルズもローリング・ストーンズもボブ・ディランもその後塵を拝したほどでした。
イギリスの大学教授でスパゲティ・ウエスタンの研究家クリストファー・フレイリング氏はこう語っています。
「アメリカの西部劇に日本の黒澤明の時代劇をうまく混ぜこんで生れ、世界中で好まれたたスパゲッティ・ウエスタンは、中国の麺がイタリアへ伝わりパスタとして農民たちの主食になったのに似ている」
一説では、「マカロニ」の語源は古代ギリシャ語の「マカリア」で、それは葬儀で供される麦のお粥のようなものだといいます。残虐シーンと銃弾の数より多く多く人が死ぬマカロニ・ウエスタンにはぴったりの由来だと思いますが、いかがでしょう。

ところで、東洋と西洋が交じり合い、世界的に通用する「味」となる傾向は近年特に強い気がします。ハリウッドへの香港映画人の進出、日本のアニメの世界的人気……こうした娯楽商品の国際化のさきがけとなったのがマカロニ・ウエスタンとも言えるのです。マカロニ・ウエスタン自体は、先に述べた60年代後半の世情に乗せられてか、コルブッチの『ガンマン大連合』(68年)、レオーネの『夕陽のギャングたち』(71年)など、次第にその背景をアメリカの西部からメキシコの革命へと移していき、その後、衰退していきました。最後の作品はアンソニー・ドーソン監督の『ワイルドトレイル』(75年)と言われています。が、それは、すっかり「マカロニ」本来の濃厚な味付けとは程遠い、気の抜けた似非コカコーラのような西部劇でした。その後、『続 荒野の用心棒』の正統派続編『ジャンゴ/灼熱の戦場』(87)が作られたりもしましたが、マカロニ・ウエスタンはほとんど息絶えました。が、そのスタイル、演出、音楽などは今も世界中の西部劇、アクション映画に受け継がれています。
マカロニは消滅しようとも、その存在が世界中に与えた影響は甚大でした。香港では『燃えよドラゴン』(73年)による爆発的なカン・フー映画ブームを、マカロニ的やっつけ仕事で盛り上げました。どこかで見たような話に残虐味をふりかけ英語版を作って世界中に売り出したのです。ブルース・リーならぬ、ブルース・リ、ブルース・リャンなどが主役になったのは、かつて、二流三流のマカロニ西部劇の主役がみんな「ジャンゴ」だったことの倣いでしょうか。ジョン・ウーの『カラテ愚連隊』(73年)の国際版予告編には『復讐のガンマン』のテーマが使われていたほど。みな、マカロニを食べて大きくなったのだ。
その頃、日本ではテレビでの映画放映が大ブームになっており、なかでもマカロニは得意メニューで、日曜洋画劇場で放映された『荒野の用心棒』は視聴率24%を超え、かつてマカロニをバカにした淀川さんも、マカロニのおかげで面目を保っていたのです。レオーネ三部作、『続荒野の用心棒』『ミスター・ノーボディ』など、彼のおかげでマカロニ・ファンになった男たちが日本中に無数に歩き回っていました。さらには、作品が足りなくなり未公開のマカロニ西部劇が次々とブラウン管で日本デビューを飾りました。そして、テレビ時代劇にマカロニ調の主題曲やガトリング銃が登場するようになり、マンガの世界でも「マカロニほうれん荘」やら「浦安鉄筋家族」といったマカロニの影響大(?)と思わせる作品が生み出されていったのです。

世界的にもマカロニ再評価は進んでいます。レゲエ映画の名作『ハーダー・ゼイ・カム』(72年)では、映画館で『続荒野の用心棒』を見る観客が喝采する。悪徳の横行するジャマイカの首都キングストンで歌手を目指す主人公ジミー・クリフは「ジャンゴ」のようにマカロニ機関砲で悪い奴らをなぎ倒したい気分なのだ。『シド・アンド・ナンシー』のアレックス・コックスは当時のアイランド・レーベルのミュージシャンたちを集めてスペイン・アルメリアのマカロニ・ロケ地を使い『ストレート・トゥ・ヘル』(87年)を作りました。主題歌はポーグスによる『続・夕陽のガンマン』のカバーです。映画界でもマカロニの影響力は顕著です。黒人監督のマリオ・ヴァン・ピーブルズは『荒野の1ドル銀貨』(65年)のアイディアをいただいた『黒豹のバラード』(93年)を撮り、さらにはもうひとりのマカロニ・マニア、クリストファー・ランバートと組み『続・夕陽のガンマン』そっくりのストーリー展開の『ガンメン』(93年)も放ちました。クエンティン・タランティーノは「レオーネの『ウエスタン』は俺にとっての『市民ケーン』だ」とうそぶき、香港の名監督ジョン・ウーはハリウッド進出第1作『ハード・ターゲット』(93年)で『続 荒野の用心棒』さながらの“耳裂き”シーンを撮りました(アメリカではカット。またイギリスでは“耳裂き”のおかげで『続荒野の用心棒』自体が30年間上映禁止だった)。トリニティという女主人公が登場した『マトリックス』のウォチャウスキー兄弟は、『暗殺者』(95年)の脚本を担当し『ミスター・ノーボディ』 (73)の中で語られた小話を引用しちゃいました。
ミュージック・シーンにもマカロニ・ファンは多いのです。モリコーネの曲を必ずレパートリーに入れていた70年代のイギリスのバンドがベーブ・ルース、最近ではヘヴィ・メタルの代表的バンド・メタリカはライブのオープニングで鳴り響く『続・夕陽のガンマン』の「ガンマンの祈り」とともに登場しました。2007年にアカデミー名誉賞を受賞したエンニオ・モリコーネのために捧げられたトリビュート・アルバムでは、ブルース・スプリングスティーンが『ウエスタン』のテーマを奏でました。
こうして、マカロニ・ウエスタンは世界中の、映画、テレビ、音楽、マンガ、ファッションといった世界で確実に生き続けています。いわば、評論家の野心には響かなかった(そんなもの褒めても評論界じゃ偉くなれない)が、純粋な映画ファンや、アーティストたちの心には確実に根をおろしたのです。純粋に娯楽を目指す作り手たちには、マカロニはポップ・アートとして映るのかもしれません。または、徹底的に無責任に無秩序に作られた娯楽作品は、時として見るものによっては哲学的に捉えられることもあるかも知れない。
監督 | エウヘニオ・マルティン |
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原作 | マービン・H・アルバート |
脚本 | ホセ・G・マエッソ 、 エウヘニオ・マルティン |
撮影 | エンツォ・バルボーニ |
音楽 | ステルヴィオ・チプリアーニ |
キャスト
Luke Chilson | リチャード・ワイラー |
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Gose Gomez | トマス・ミリアン |
Eden | エラ・カリン |
追跡者の名は、ルーク・チルソン(リチャード・ワイラー)。ここで初めて彼の顔が映され、死体を乗せた馬上の主人公にタイトルがかぶさって、『THE BOUNTY KILLER』。彼の正体が凄腕の賞金稼ぎである事が判明します。タイトルを観るだけでシチュエーションが理解出来る、スマートな導入部ではありませんか。チルソンはいわゆる“バック・シューター”です。敵が背中を見せた時に発砲するのを厭いません。常に物陰から狙撃する『二匹の流れ星』のジャンゴと同様、リアリストの賞金稼ぎなのです。賞金首を罠にかける際、彼は双眼鏡で地形を把握、ポケット・ウォッチで標的が馬で到着する時間を正確に計ったりもします。賞金首ゴメス(トーマス・ミリアン)の女から「賞金目当てのくせに」と蔑まれても、「君が朝食代を貰うのと同じだ」と言い放ち、平然と1ドル銀貨を投げ渡したりします。そんなクールな彼だからこそ、最後にゴメスと対決する時、「死に急ぐな、若いの」と声をかけるところがたまらないのです。
砂塵に血を吐け Mille Dollari sul nero

「新宿でなかったらタイガーは生まれていなかった。」映画『新宿タイガー』予告編
いったい何者?生きる伝説・・・“新宿タイガー”を直撃(19/03/22)
新宿の近代史を目撃せよ!ドキュメンタリー映画『新宿タイガー』初日舞台挨拶
【新宿タイガー】映画と女と夢とロマンを愛した男のドキュメンタリー映画【シネマンション】【スキマでシネマ】
著者は完全にそういった生活をする中の一人ですが、パソコンなどが生活のかなり真ん中近くにある人が増えているのではないかと思います。そういったユーザーの中には、PC作業中のBGMとしていい音で音楽を流しておきたい人も多いことでしょう。そのようなとき一番設置が楽なのは小型のPC用スピーカーではありますが、オーディオ製品の常でだいたいは価格が音質を大きく左右します。ある程度の予算を充てないとしっかりした再生が出来るスピーカーには出会えません。
こういった目的にちょっと便利なのはPCとの接続性を考慮してくれているミニコンポなどです。小型のオーディオ機器ならパソコンのそばに置いて使っても設置面での問題になりにくいですしね。
今回ピックアップしたパナソニックのミニコンポSC-PMX90もそんな製品の一つです。
多機能
このコンポは店頭予想価格が38,000円程度とミニコンポとしてもお手軽な価格の製品ですが、中身の方が結構頑張っていてかなり多機能な機種になっています。
ミニコンポのセンターとなるレシーバー部はCDプレイヤーも当然内蔵。CDにMP3ファイルを書き込んだディスクの再生も可能になっています。また、USBコネクタを備えていてUSBメモリに記録したハイレゾ音源などを再生することも出来ます。
さらにPCユーザーにはありがたいことに、USB DAC機能も搭載していてパソコンの再生音声をPCスピーカーとはひと味もふた味も違うクオリティで再生できるようになっています。
今はちょっとしたパソコンゲームでも元々の音楽や効果音のクオリティはかなり高くなっていて、しっかりした再生システムがあるとちょっとビックリするぐらいのいい音でゲームを楽しめたりもします。
聴き慣れていたはずのBGMにこんな音が入っていたのか!と驚くことも多いでしょう。
対応する音源の形式も幅広く、24bit/192kHzのPCM形式、2.8MHzまでのDSD音源の再生も可能になっています。
Bluetoothレシーバー
SC-PMX90はBluetoothレシーバー機能も搭載していて、スマートフォンの音も気軽にスピーカーから再生できます。
ミュージッククリップ系の動画なども1ランク以上上の音で楽しむことができるでしょう。
Bluetooth経由で音を再生するときには、音声コーデックによる圧縮の際に欠損した高域を補正する機能も搭載。より聞きやすい再生が期待できそうです。
デジタルデバイスとの親和性重視
これだけ多機能なメインユニットですから背面はかなり端子だらけになっているのかと思いきや、本体は意外とシンプルな端子構成になっています。
これはSC-PMX90がどちらかと言えばデジタルなデバイスとの接続を重視した構成になっているから。パソコンとのUSBでの接続や光デジタル入力などはしっかりと持っているのですが、アナログ入力系統がかなり絞られているのです。プレイヤーとなる機材がデジタル化した今のオーディオを巡る環境に上手く対応したミニコンポと言えるかもしれませんね。
小型ながらハイパワー
最近のこういったクラスのコンポではほとんど必須になりつつあるのがデジタルアンプの存在です。高効率で発熱も小さく、コンパクトなサイズでパワフルなアンプが実現できるところがダウンサイジングされたオーディオ機材にはぴったりの特徴と言えるでしょう。
SC-PMX90にもパナソニック独自の「LincsD-Amp III」が搭載されています。
各種制御用のソフトウェア・ファームウェアの改善により、デジタル的な面からも音質改善を図ったアンプです。
組み合わされるスピーカーは3Wayでウーファー、ツイーター、スーパーツイーターというハイレゾを強く意識した構成のものになります。こちらもなかなか凝った作りで、ウーファーの振動板には孟宗竹の竹炭材が使われるなどユニークな製品になっています