お久し振りです。。。。カムバックでは無いですが、今日は病状がいい方なので、過去記事から映画の紹介をまた記事にして見ました。よかったら読んで見て下さいね。
原田芳雄 /「魂の1/2」映画「われに撃つ用意あり READY TO SHOOT」挿入歌 作詞:阿木燿子 作曲:宇崎竜童 アルバム未収録の竜童節レア音源(廃盤)
「ガンクレージー」1966年 日本TV放映版エンディング - The Bounty Killer ending - JP TV version
さらば広いリビング。総額約35万をかけた大改造。【Francfranc】
今日、今から、また病院に行って来ます。いい加減に愚痴を言いたくは無いですが、、今回は愚痴ですが、しかしそれ以外に黒人差別の事と「映画紹介」とかも書いてありますので読んで観て下さい。それに曲ですが今回は4つしか挙げてありません。その中でも特に、岡林信康の差別を歌った名曲「手紙」に「チューリップのアップリケ」「三谷ブルース」を挙げて於ましたので、良かったら聴いて見て下さいね。冒頭に挙げた曲は「統合失調症」の歌です。後、冒頭と最後のGACKT君の動画はタメになりますよ。どうか暇があったら見て聴いて下さいね。最後の彼の動画は、ダイエットに付いて語って居ますから。それからコメント頂けると嬉しいです。何でもどうぞ書いて下さいね。。。
今日のkiyasumの夕食は生姜焼き定食です。。。。
統合失調症 医学覚え歌ラップ
最近、ある人に眠くて起きられないと言ったら、「用事があって起き様とすれば起きられるはずよ。そう言う事が無いからだと思うわよ」と言われた、そして「いいじゃない仕事して居る訳じゃないのだから。好きな時に寝て好きな時に起きられるのだから」と言われた。悪気が無いのは解るが。そう言う風な怠惰では無い。今も起きてから30分はまた寝て居た、、、いけない。まだ眠くて仕方ない。一旦また休憩して寝ます.....。
また2時間40分ほど寝た。まだ眠いが薬のせいだから仕方が無い。他人には幾ら薬の効用だと言っても、そうやって解って貰えないのです。訪問看護師でさえも。前にそんなに眠くなる薬は出て居ないからと、薬剤所から貰う薬の効用が印刷してある用紙を見て言って居たが、私が寝てしまうので、ネットで薬の事をスマホで調べたら眠気が凄く強く出ると書いてあり「ああ、矢張り薬か・・・。」と言って居た。私は、本当に嫌になる。毎日、午前中と午後に3時間半ぐらい寝なければ眠気は無くなら無い。前は4時間半ぐらいは寝て居たが。それは薬の多さ、量に拠る為だ・・・・。
よくこう言うと、今度は「眠れるのだからいいじゃ無いのさ!!」と言って来る人も居る。単なる不眠と精神障害は違うんですよ。あなた方は統合失調症なんかになりたいですか?周りの人からは気狂い扱いされて、親族から縁を切られて、たった一人で助けてくれる人も無く。生きられなくなれば自殺するしかない人生。そう成りたいですか?誰もそうはなりたくは無いはずですよね。私はね、すべての事をもう諦めて居るんですよ。もう2年前になりますが。私を見てくれて居た訪問看護師で、以前、一人新人が入って来て、私の担当になったのですが。私が「俺は母親にデパートの既製品の服を着せられて居たから。だから・・・・」と話し始めたら、、
「いいじゃない!!何よ!?」とそれ以上話させない。そして「ものが無くなるなんて言われると、私が盗った見たいじゃ無いのよ!」と言う。その人は極端に人の話を曲解する。そして私が怒ったら「人の言う事を気にする様だ」と言うのですよ。自分が人に対して礼節が無い事が判って居ない。こう言う事ばかり私ももう言いたくはないが。利口な人ならば黙って聞いて居るはずだ。何故、個人が言う言葉にいちいち反論する。私は前にもその人に、「今の先生はともかく。優しい先生も居ますよね」と言ったら。「優しい先生は患者の事を何も思って居なくて口だけ合わせて居るだけだ!!」と言い切った。
私は、この看護師は相当に捻くれて居るなと思った。私が「カメラ設置してあるでしょ。あそこに」と教えたら「判って居るわよ!!」と勝手に怒って居る。だから「本当は君たちの看護ステーションを断ろうと思ったんだよ」と言った。そして前の看護ステーションの名前を挙げてブレザーとパーカーを盗られた話をしたら。要約黙って聞いて居る。その人が来たときに直前まで寝て居たから。布団を敷いて居たら。そしたら入って来て「あら、布団もいいわね〜♪。」と言うのだ。私は「何だろ?」と思って布団をマットレスごと二つ折りにしたが。まあ、その看護師はどう言う看護師か正看護師か准看護師か解らないが給料は同じなはずだ。
ただ前にも書いたが私がコンビニで買物をすると言うと「コンビニはお金持ちの行く処だ。私はスーパーでしか買わない。だって137円のものがスーパーなら78円で売って居る」そう言って居た。確かにコンビニは高い。それは私も認める。私はそんなコンビニで、何時も3千幾らかの買い物をしてしまう。酷い時には4千幾らになる時もあった。そして、それは、ほぼ3日分の食材だ。我ながらに食費に金掛けすぎだと何時も思うのだが、調子が悪いので近場のコンビニにすぐに行ってしまうのですよね。だが私も生活保護の身の上だ。だから食費は抑え無いといけ無いと思い。最近はコンビニでも月に一万円ぐらいしか買っては居無い。それが食料品です。
しかし。その看護師は物事の考え方が短角的すぎるんですよ。例えば私が薬をちゃんと飲んだかどうか、お薬カレンダーに飲んだ袋の空袋を入れてある。前はそれ用の袋に入れて居たが、なぜそうするかと言うのは、薬をちゃんと飲めて居るかの、見忘れは無いかと調べる為なのだ。確認はして於か無いと行けないだろう?。飲み忘れだとか、何処かへやってしまう場合も考えられるのだから?それもその人は解らない。「何でお薬カレンダーに袋入れて居るのよ。捨てればいいじゃ無いのよ、、」と言う。私は「この子はなぁ〜〜。」と思って居ますよ。あの連中はヘルパーさんも含めてだが。すぐに切れるし人をよくおちょくる。それで一人で勝手に怒って居る。いい加減にして貰いたいのは私の方だ。それと最後に言って於たい。私は大学の途中で発病した。
そしたら、初めて口を聞く医師から「大学に行ったと言うんじゃ無いよ!!」と罵られた。そして反対にヘルパーさんやら看護師などや、他の人からは「大学どうせ行ったんだ」と言われる。はっきり言わせて貰う。世の中に社会に出たら大卒も高卒も関係ない。差別はあるが。大学出て居たって人のノートを写して、カンニングして試験を受けて。最低な成績で卒業した者で、仕事が出来ずに会社を首になる者も居れば。商業高校やら工業高校で一生懸命技術を身に付けて、立派な技術者とか職人さんになって、大卒以上にお金を稼いで居る人も居る。職業に貴賤は無いし人にも貴賎は無い。あるのは馬鹿な連中の差別だけだ。私が病院に入院して居た時に。ある56歳の男性が、明治生まれのひいおじいさんは中卒だったからと言ったら。「な〜〜んだ中卒じゃないか最低だな」と言った馬鹿が居た。
明治の中卒と言ったら今の大卒と同等だ。そう言う馬鹿が世の中には沢山居る。自分はどれだけ学歴があるのだ。多分高卒だろうそう言ったのは。大卒ならそう言うモノの言い方はしないはずだ。そんな事も解って居ないのだ。差別とは無知から来るのですよ。今、私はテレビの音声を聞きながらこのblogを書いて居る。イギリスか?フランスでか?黒人の男性がうっかりマスクをして居なかったら「この薄汚い二グロ野郎!!(黒人を蔑視するスラング)と言いながら警官が黒人青年をぶん殴って居た。それも五人掛りで、それとまたアメリカでは黒人男性が警官に頭を殴られて亡くなったそうだ。私は縁を切った友人が居た。高校は別だったが私がブルースを演奏して居ると言ったら。そいつは「先生が言って居たよ。黒人の遺伝子は強くて白人と混血しても黒人の黒い肌は無くならない劣等人種だとね」とそう言った。
まあ、思い上がった高校のバカ教師などはそんなモノだろう。そしてそう言う事を生徒に言うから生徒は黒人差別をする様になるのだ。私はその人種差別者の友人とは縁切りをした。皆さんこう言う話を知って居ますか?地球には昔4種類の宇宙人が来たと伝えられて居ます。1種類目は白人で色が白くて背が高かった。技術力があったと言います。2種類目は肌が黒くて音楽の才能があったと言います。3種類目は肌が赤く角が生えて居て乱暴だったと言います。要するに鬼と呼ばれて居る者たちですね。4番目は黄色で文才があり芸術に優れて居たと言います。どうでしょうか。この話。あながち丸嘘とは言えませんよね。差別は後を経ちません。黒人差別は1940年代ぐらいから表面化しました。1960年代の後半には黒人の指導者が暗殺されました。手短に解説します。。。。
岡林信康 手紙
「チューリップのアップリケ」岡林信康 (1971年 ライヴ)
岡林信康 山谷ブルース
マーティン・ルーサー・キングの日は、公民権運動の先駆的なリーダーの一人で、1964年にノーベル平和賞を受賞したマーティン・ルーサー・キングの一生と彼の残した業績を称える祝日である。
マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、少年の頃から大きな将来性を現し、9年生と12年生を飛び級して、15歳でモアハウス・カレッジに入学した。父、祖父共に牧師だった彼は、教会で2人の説教を聞いて育ち、早くから平等と同胞愛を信条とする様になった。
1955年後半、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは神学博士号を取得し、妻コレッタ・スコット・キングと共にアラバマ州モンゴメリー市に移り、バプテスト教会の牧師となった。そこで彼は、多くの南部の州と同様に、アフリカ系米国人が人種主義や人種差別、不公正な法律によって屈辱を受けて居る現状を見た。その一例として、黒人は公共のバスの後部座席に座り、前部座席が満席になった場合は、白人に後部座席を譲らなければならないと言う法律があった。キング博士には、この法律がすべてのアフリカ系米国人の権利を侵害して居る事が明らかだった。
1955年12月1日、ローザ・パークスと言う勇気ある黒人女性が、バスで白人男性に席を譲ることを拒否した為に逮捕され拘留された。これに抗議して黒人の指導者たちがモンゴメリー市バスのボイコット運動を組織し、キング博士がこの抗議運動の指導者となる事を要請された。黒人も白人も含め何千もの人々がバスの乗車拒否をし、代わりに車の相乗りをしたり歩いたりした。こうした人々に対してキング博士は、デモ活動を平和に行い、暴力に訴えないよう熱心に説いた。それにもかかわらず、デモ参加者や支持者たちは、不平等な制度を変える事を望まない人々によって、絶え間なく脅迫され攻撃を受けた。デモ参加者の多くは逮捕され拘留され、キング博士の自宅には爆弾が投げ込まれたが、幸いにして夫人と子どもたちにけがはなかった。

1958年3月19日 モンゴメリーの裁判所に到着したローザ・パークス(© AP Images)
こうした暴力行為にもかかわらずボイコット運動は続き、バス会社は多大な経済的損失を被った。そして、モンゴメリー市バスのボイコット運動が381日間続いた後、成果を上げた。連邦最高裁判所が、アラバマ州の人種分離法は違憲であるとの判決を下したのである。バスのボイコット運動のきっかけとなった小さな抗議の行為の主ローザ・パークスは、後に「公民権運動の母」と呼ばれる様になった。バスの人種分離は、アフリカ系米国人に対する多くの不公平のひとつにすぎなかった。南部各地では学校も人種によって分離され、黒人は住宅、賃金、雇用機会、そして投票権においても平等には扱われて居なかった。多くのホテルやレストランも黒人の客を受け入れる事を拒んだ。
バスのボイコット運動によって、バスは黒人用と白人用に分けられる様になって行った。こうした不平等とキング博士の指導力に世界が注目した。公正を求める闘争はその後も続き、最終的に公民権運動となった。キング博士はこの運動の最前線に立って、アフリカ系米国人を象徴し、その意見を代表する存在として国際的に知られる様になった。
1957年に、キング博士をはじめとする牧師のグループが、人種差別に対する非暴力闘争を推進するために南部キリスト教指導者会議を設立した。その後何年にもわたり、キング博士は数多くの非暴力抗議活動を主導した。彼はマハトマ・ガンジーの教えを学び、非暴力的な抗議の持つ力を強く信じて居た。黒人の指導者やその他の市民の中には、こうしたキング博士の哲学に強く反対する人々も居た。しかしキング博士は、彼を信奉する人たちに、流血に頼らない闘争が勝利につながる事を説き続けた。公民権運動の動乱の年月の間に、キング博士は何度も拘留された。彼がアラバマ州バーミンガム市の留置場で書いた手紙には、「いかなる場所の不正も、あらゆる場所の公正への脅威となる」と言う有名な言葉がある。
公民権運動の最も重要なイベントのひとつに、1963年8月28日のワシントン大行進がある。その日、25万人以上がワシントンDCに集まり、キング博士の指揮の下、すべての米国民に平等な公民権を保証する法律の可決を求めて、連邦議会議事堂へ行進した。キング博士がリンカーン記念堂の階段で行った「私には夢がある」と言う演説は、彼の数ある演説の中でも最も力強く雄弁なものである。ワシントン大行進は、米国の首都で行われた最大の集会のひとつであったが、暴力的な行為は全く見られなかった。翌1964年にキング博士は、非暴力の抗議活動を主導した功績でノーベル平和賞を受賞した。
同年、雇用と教育の機会均等を求める1964年公民権法が可決された。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアをはじめ何千人もの人々の闘争は無駄ではなかったのである。しかし、その新法が確実に執行されるようにすること、またその他の不平等を廃止することなど、まだ成すべきことは多かった。

ノーベル平和賞を受賞したキング博士
(© AP Images)
その後もキング博士は、黒人が安全に選挙登録し投票する権利を保証する1965年投票権法など多くの法改革を推進した。その年は、記録的な人数の黒人投票者が投票所へ向かった。
1968年4月4日、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、テネシー州メンフィス市で労働者のストライキを支援中に暗殺された。わずか39歳だった。平和と公民権のために苦労を重ねて来た人々は皆、衝撃と怒りに襲われた。世界中が、この平和的で偉大な人が失われた事を悲しんだ。しかし、マーティン・ルーサー・キングの死が公民権運動を減速させる事はなかった。1969年、コレッタ・スコット・キング夫人がマーティン・ルーサー・キング・ジュニア非暴力社会変革センターを設立した。キング夫人は、2006年1月に死去するまで、亡夫の夢を現実にするための活動を続けた。社会的公正を求める運動は今日も続いて居る。
9分でわかるアフリカンアメリカンの歴史 - 黒人差別の系譜【Black Lives Matter】
そして今現在、なおも黒人差別は無くなっては居らず、差別は益々酷くなって来て居る。アメリカから目を逸らして見ると中国は台湾と香港を狙って居て。この問題は根が深く一概にどうのこうのとは言え無い。ウイグル人への迫害も。自国を共産主義一色に染めようと、企業の役員たちも民主主義寄りの経営者は逮捕し出した。此の間。イギリスとフランスとドイツとアメリカと台湾が共同で中国の支配を阻止すると声明を出したら。中国側は「例え目が5つあるだろうが、全て潰す事が出来る」と言って居ると言う。習近平の野望は世界に於ける漢民族の支配だろう。此間、テレビでもそう言うコメントを学者やらジャーナリストが言って居た。此間。王毅外相が来て居たが「尖閣諸島は我が国、中国固有の領土。」と中国は言うが。日本の領土である事に間違いは無いのだから。日本の総理ははっきり言って貰いたい。
私は中国人を嫌いでは無いし。我が国は古来から中国の漢文やら思想を学んで日本の文化を作って来た。中国からだけではなくアメリカからもドイツからもフランスからも学んで来た。アルバイトとよく言うけど何語か知って居ますか?ドイツ語ですよ。働く要するに労働という意味です。それが日本に伝わって来たのです。日本人が使って居る「アルバイト」と、ドイツ語の「Arbeit」は意味やニュアンスが異なります。日本語の「アルバイト」と違い、ドイツ語には「臨時の仕事」とか「副次的な仕事」「内職」と言った意味合いはありません。ドイツ語の「Arbeit」は労働全般を指し、「仕事」のほかに「研究」や「業績」と言う意味もあるのです。語源だからと言って同じ意味にはならない様です。日本人が考えるアルバイトの意味と使い方が可也違う事がお解りになるでしょう。
ロシアから伝わった外来語には「カンパ」「ノルマ」などがあります。イタリアからの外来語は「アカペラ」「レプリカ」など。「タバコ」はポルトガル語だしね。こうやって上げて行くと日本人は世界中の言葉を使って居ますよね、知らぬ間に。こう言う文化は中華圏にはありません。全ては漢字ですから。自国語です。日本人は平仮名とカタカナ、そしてローマ字、英語がありますからね、表現の手段も沢山あります。最近、流行し始めた英会話の方法が特出して居ますよね。カタカナにある英語だけで話すと言う事です。日本人はすでに会話に必要な英語の単語を可也知って居ると言うのです。それらを組み合わせれば何とか日常会話は話せる様になるそうです。
画期的な方法ですね。私は頭が弱いせいか外国語は殆んど喋れません。ただ言える英語は、、英語が話せ無いと言う実に簡単な言葉です。中学生レベルですけど「I can’t speak English」. (わたしは英語が話せません) ですよ(笑)。「I don’t speak English」. とも言えますが。 意味は「私は英語を話しません」になります。can't は 出来ません。don’t は しません、ですよね。ただcan't の場合は特別な意味合いに。すなわち言葉が喋れ無いなどになる事があるそうなので。don’tの方がいいとよく言われて居ますよね。それともっと違った言い方で丁寧に言うと「I’m sorry。My English is very bad」か「My English is not very good」と言う事も言えますよね。まあ、今回は色々と勝手に言って来ましたが。此処までにしときます。此処まで呼んでくれて有難う御座いました。
総勢40名超えのスター集結!日本一豪華なメンバーだったGACKTのリモートバースデー!スーパーダイジェスト版
1ヶ月で15kg減!?巷で話題の金森式!がくちゃん特別対談パート1
痩せて若返る!?断糖高脂質とは!?がくちゃん特別対談パート2
衝撃の事実!少量3食より1食ドカ喰いの方が痩せる!?がくちゃん特別対談パート3
「ガンクレイジー」
ガンクレイジー (1966)
THE BOUNTY KILLER/EL PRECIO DE UN HOMBRE/THE UGLY ONES
監督・脚本 : エウヘニオ・マルティン 製作・脚本 : ホセ・G・マエッソ 脚本 : ドン・プリンドル 撮影 : エンツォ・バルボーニ 美術:フランシスコ・カネット 編集:ホセ・アントニオ・ロホ
音楽 : ステルヴィオ・チプリアーニ
出演 : トーマス・ミリアン、リチャード・ワイラー、エラ・カリン、マリオ・ブレガ、ヒューゴ・ブランコ、ルイス・バルブー、マヌエル・ザルゾ
その筋が好きな方は室賀厚監督の同名映画を思い出すかも知らないけど、これは珍しくマービン・H・アルバートの同名小説を原作にしたマカロニウエスタン 。
必殺シリーズや「荒野の用心棒」の「さすらいの口笛」じゃない方のタイトルサントラと並べても違和感のない哀愁のトランペットのテーマ曲が以前から大好きだったのだ。
にわかに信じがたいかもしれないが、タランティーノの例の「気まぐれベスト10映画」にランクインしたこともある作品、といえば凡百のマカロニと何かが違う、というのが伝わるかもしれない。ちなみに、ドリュー・バリモア主演の同名のクライム・ムービーとは別モノなのでお間違いのないように(笑)。
数々の殺人罪で捕われた盗賊の首領、ホセ・ゴメス(T.ミリアン)が護送される途中、幼馴染みの女イーデン(エラ・カリン)の手引きで見事脱走。故郷の寒村にひとまず潜伏する。そのホセを追ってきたのは、凄腕の賞金稼ぎルーク・チルソン(リチャード・ワイラー)。
しかし、村の人びとはホセに同情的だった。彼はかつて大地主の息子だったが、盗賊の襲撃で一家は一文無しとなり離散、以来捨てばちな生き方を続け、度重なる殺人も実は正当防衛なのだが、不利な証言で有罪にされてきたのだった。賞金稼ぎチルソンは、村人から敵意の目で見られ孤立状態になり、あっけなくホセの一党に捕らえられてしまう。
しかし・・・ホセはもう、昔の彼とは別人に変貌していた。無法者たちとの略奪の日々の中でその心は荒み、悪の道に堕ちてしまっていたのだった。すわ、わが天下とばかりに、助けてくれたはずの村人たちから略奪をはじめ、暴虐の限りを尽くすホセ。そんな彼を、愛憎入り混じる哀しみの目で見つめる、幼馴染みのイーデンの姿があった・・・。
と、ストーリーは至ってシンプル。村の人間が悪役の味方で、主人公が孤立状態になり、しかもそのあと、村人たちは悪役に見事に裏切られ・・・というストーリー展開は中々面白いのだが、それ以外では正直、真新しさは何もなく、個性的なアイディアやひねりの効いたラストが待っているわけでもない。それが本作がカルト化しなかった一因なのかもしれないが、その一方で、「奇抜なアイディアや珍銃など」を盛り込みつつも、いまいちメリハリにかけたり、テンポが悪かったり、中だるみが激しかったりと、アイディアなどを生かしきれず、観終わった後にすっきりしないマカロニが多い中、本作はダレる事なく最後までグイグイと観客を惹き付けるテンポの良い物語運び、キレのいいアクションシーンの演出やカメラワークと、実に小気味良く最後まで観せてくれる、隠れた傑作なのである・・・と書いていくと、筆者のクセですぐ監督ばなしに行ってしまうので、そこは後半にこらえて、本作最大の魅力である、トーマス・ミリアンの話を(笑)。
本作の主人公は、『必殺の二挺拳銃』『決闘!荒野のサボテン』(共に‘68)などのリチャード・ワイラー演じる賞金稼ぎのガンマンである。イーストウッドやフランコ・ネロが演じたキャラの系譜に属するタイプで、感情を表に出さず、非情で、獲物をしとめる事しか考えていない。村人やヒロインがホセを見逃すよう嘆願しても、全く聞き入れようとしないニヒリストである。
一方、トーマス・ミリアン演じるホセはいわば悪役。昏い過去を背負い、社会から理解されず虐げられてきた屈折した青年で、それゆえに悪の甘美な誘惑に負け、破滅に向かってひた走る悲劇の若者である。そのミリアンの熱演で、完全に主役を食ってしまった作品なのである(笑)。そう、本作は、悪役であるはずのホセが主人公であるかのような印象を残すほど、ミリアンの存在感が抜群で、マカロニ初出演にして彼の魅力がいきなり開花した作品なのだ。ちなみにこのキャラクターの設定は、ミリアン自身が提案したそうだ。
筆者も、かつて一度観たきりであいまいな記憶の中で、いつの間にかミリアンが主人公だったかのように勘違いしていたが、実は悪役なのだ。しかし、それほどまでにミリアンの演技は、いい。一種自虐的で、神経症的とも言えるような、破滅を承知で悪の道に堕ちてゆくのを厭わないキャラクター像は、『夕陽のガンマン』のジャン=マリア・ヴォロンテに通じるものもあり、後の『血斗のジャンゴ』(‘67)での共演は、ある種必然だったのかもしれない、と思うぐらいだ(笑)。
そして、もう一人欠かせないキャラクターがいる。ホセの幼馴染みで、彼を恋い慕うヒロイン、イーデンだ。演じる女優のエラ・カリンはマカロニには珍しい知的クールビューティータイプ。エライ可憐な美女・・・本作の特徴のひとつに、ヒロインの存在感が大きいことがある。舞台があまり変わらず、ひとつの村(と言っても家が2、3件しかないのだが・笑)で展開することもあるが、愛し、信じていた男が悪の道に堕ちてゆく様子を哀しげに見守り、心が揺れ動く様子が丁寧に描かれている。ヒロインがほとんど添え花的な扱いしか受けないマカロニの中にあって、本作はヒロインを中心にした目線で観る事もできるぐらいに、物語の中での役どころが大きい。ホセの脱走のために一役買ったり、主人公と駆け引きを演じて、ホセを捕まえないように説得しようとしたり、暴虐の限りを尽くすホセを諌めようとしたり・・・お色気シーンは全くないが、そういう余計なサービスがない事を忘れてしまうぐらいに、ヒロインのキャラが立っている映画だ。凡百のマカロニと違うところは、こうしたキャラクター心理が意外に丁寧に描かれていることである。ミリアンが演じる悪役ホセの屈折したキャラクターもしかり。ストーリーに斬新さはなくても、見せるべきところをしっかりと見せれば、飽きさせない映画になるのだという好例である。
で、このエラ・カリンって他にはどんな映画に出ているのか調べてみたのだが、ほとんどデータがないのだ・・・(涙)。
彼女は、アリーナ・ザレウスカやイリヤ・カリンといった、いくつかの変名で映画に出演していて、どれが本名なのか判らない。日本で公開された作品は、本作以外ではヴィスコンティの『山猫』ぐらい(クレジットはアリーナ・ザレウスカ)。しかも端役で役名も判らない。他には、日本未公開作でホラーらしき『I Lunghi Capelli Della Morte』(‘64)という主演作品があるようだ。役名はリザベス・カルンシュタイン。おおっ!カルンシュタインものか。観てぇ〜!
しかし・・・美人薄命。残念ながら、‘76年に若くして亡くなっている。死因は不明。
モデルかと思うぐらいの美人で、こうした女優さんはあまり演技が巧くないことが多いが、表情などを見ていると中々いい。特に、酒場の中でミリアンと再会した時の表情・・・護送のガンマンたちに囲まれているため、他人を装わなくてはならないが、ミリアンを見つめる眼差しの中に何とも言えない愛おしそうな想いが秘められていて、たまらん(笑)。静止画では、残念ながら微妙な表情までは伝わらないが、心揺れ動く薄幸のヒロインを好演している。ミリアンに無理矢理口づけされるシーンでは、恐怖と法悦が入り混じったような表情がもう昇天もの(画像掲載)に美しい。加えて言えば、時代考証ほとんど無視のノースリーブの衣装もベリーグー。もう何でもオッケーよ(笑)。もっと他にも出演作が観たいと思う女優さんである。
そうしたキャラクター描写のみならず、拳銃とライフルの射程距離の違い、みたいなものもちゃんと描き分けていて、こういう描写が意外といいかげんなマカロニの中にあって、きっちりと作られている作品でもあるのだ。アクションシーンもカメラワ−クや構図の撮り方、カット割り、編集などのキレが非常に良く、マカロニとして理想的なクオリティである。
監督は、ユージニオ・マルティン。日本で公開されている作品が非常に少なく残念な監督だが、マカロニ・ウェスタンでは他に迷作『無頼プロフェッショナル』(‘71・未)がある。どこがどう迷作かは、近いうちにレビューを書く予定なのでお楽しみに。ホラー系では、知る人ぞ知る『ホラー・エクスプレス/ゾンビ特急“地獄”行き』(‘72・未)、『マドリード美女連続殺人 独身姉妹の歪んだ欲望』(‘73・未)と、どれも日本未公開作。テレビ放映やビデオ発売の映画ばかりだ。
本作だけではジャッジはできないが、筆者はかなりセンスのある監督だと感じる。実はある理由から、レオーネの影響を強く受けている監督なのではないか・・・と思っているのだが、それもいずれ『無頼プロフェッショナル』のレビューで書きたいと思う。
本作はイタリアとスペインの合作で、スペイン人スタッフが中心らしいのだが、そんな中できらりと光るマカロニ印は、『続・荒野の用心棒』の撮影監督、エンツォ・バルボーニ。メリハリのある構図や、シーンに合った的確なカメラワークは、彼の功績も大きいはず。そして作曲ステルヴィオ・チプリアーニ(『盲目ガンマン』、『荒野の無頼漢』)の哀愁のメロディーも忘れ難い。
おそらく、予算は相当厳しい作品だったのだろうが、下手に色々と詰め込もうとせずに、限られた舞台の中で潔く、焦点を絞って制作したところが本作の成功の鍵だと思うのだ。
ソフト化の時、原版がイタリアに存在せず、スペインのフィルム倉庫を捜索して世界初のDVD化にこぎつけたという。イマジカ−SPO、相変わらずのマカロニ愛に脱帽。絶版&法外な高額中古品オンリーにしておくのはもったいない傑作なのだ。
悪党ホセ一味を追うチルソン。メキシコの良家の息子だったのだが、両親を盗賊に殺されグレてしまったホセの昔を知る村(といっても雑貨屋と宿屋だけ)の人々や、好意を抱く宿屋の娘エデンは「ホセの賞金目当ての殺し屋」として、チルソンを快く思わない。
エデンは護送中のホセの脱走を手助けするべく、休憩所で銃を密かに渡して去る。脱走に成功したホセは、メキシコへの逃亡の前にエデンたちのいる村に向かう。
一方、保安官たちが殺されたことを知り、先回りして村に向かうチルソン。待ち伏せしてホセを捕まえるものの、村人の加勢でチルソンは逆に囚われ、やがてやってきたホセの仲間によっていたぶられる。
宿に泊まっていた客が旅立つのを、役人に密告されるかと殺すホセ。さらに集まるホセの仲間は村でやりたい放題。
自分が渡した銃で、ホセが護送の連邦保安官たちを脅して脱走したと思っていたエデンも、彼らを皆殺しにしていたことを知り「やむにやまれず悪党になったはずのホセ」が、人殺しも辞さないただの悪人に成り下がったことを知る。
エデンは囚われのチルソンを解放し助けを請うのだった…。
と、まあ、中盤からずーっと縛られている主役の賞金稼ぎリチャード・ワイラーより悪党ホセのトーマス・ミリアンの方がすっかり主役を食っている(笑)。
のちの作品での「愛嬌」はまだ乏しいが、流石アクターズ・スタジオ出身だけあって、破滅に突き進む迫力と虚無感は、これがマカロニウエスタン初出演とは思えない存在感なのだ。
ちなみにただの悪役だったホセに「良家の息子だった過去」を設定して物語に組み込ませたのもミリアンだったそうだ。
キューバ出身のトーマス・ミリアンは、この後も前述の通りマカロニウエスタンに数多く出演しているが俺の記憶している限りこの作品が一番小綺麗な格好だ(笑)。
メキシコの盗賊だったりアウトローだったり、とにかくいつも無精髭に小汚い格好だったミリアン。本人が好んだのか、いずれも頭の切れる一匹狼のクールなガンマンではなく、仲間思いでよく笑い、だが運命に流されていく「マイノリティ」を演じていた印象が強い。
フランコ・ネロのクールな陰や、ジュリアーノ・ジェンマの爽やかさはないが、変なユーモアと「カッコ悪いことはなんてカッコいいんだ」を体現していた彼も、2017年に鬼籍に入っていたのだった。
冒頭チルソンのシーンのタイトルバックにはかかっていなかった、カッコいい主題曲はホセのテーマのように彼のシーンに多く流れており、その他の劇伴も、必殺仕置人や必殺仕事屋稼業の劇伴と入れ替えてもいいくらいカッコ良かったことも付け加えておきたい。
では予告編と哀愁の主題曲をどーぞ!
El precio de un hombre / The Bounty Killer / The Ugly Ones (Cover by Ryuki)
ガンクレイジー El Precio de un Hombre