昭和30年代、私の家は長屋だった。長屋と言っても借りて居たのでは無く、2件の平屋が同じ敷地内にあり、片方は家が人に貸して居たのだが、庭は続いている庭で、庭の真ん中にロープが張ってあって、それで区切ってあった。私が4歳くらいの頃、私は3輪車に乗ってよくそのロープの下まで行った。すると隣の親父が私に「あっちに行ってろ!!クソ坊主!!」とよく怒鳴りつけた。私は事情がよく飲み込めなくて度々寄って行ったら、3輪車をひっくり返された。そしてその親父は唾を吐くと「今度また境界線に近ずくとぶん殴るぞ!!」と言って私は脅された。この親父には精神薄弱気味の子供が居た。その子はいつも庭にある池の金魚を手に取ると、石で叩いて殺していた。
或る日、家賃が払われて居ないので、母が家賃を取りに行ったら、「うるせ〜ババア!!」と言って母の胸を思いっきり足で蹴った。母はすごい勢いで弾き飛ばされるとあまりの勢いの為、柱に頭をぶつけ頭から血が流れた。この模様を見て居た。当時私の家に出入りして居た通称”おばちゃん”と呼んでいた知り合いが近くの交番まで走って行って警官を連れてきた。警官は頭から血を流している母に大丈夫かと聞いて、もう一人の警官が、その男を傷害の現行犯でその場で逮捕して手錠を掛けた。私はずっと見て居たのだが、不思議と怖いと言う気持ちには成らなかった。幸い、頭の傷は軽傷だったので母も警察署まで連れて行かれた。その時に母が怒って、警官に胸を足で蹴られたと言ったら、取り調べの警官が「奥さん,こう言っちゃあ、なんだけど、足で蹴られたぐらいはまだ軽い罪にしか成らないんですよ。これで突かれたら殺人未遂ですがねぇ。」とゲンコツを突き出した。警官によると人をゲンコツで殴ったと言うと成ると、殺人未遂になると言う事だった。しかしその男は2週間留置場に入れられた。母が帰って来て、怒りながら夕食の準備を仕手居たら。隣の知恵遅れの子供が「お腹すいたよぉ〜〜」と泣いて居る。こちらのサンマを焼いた匂いが隣の家まで届いたらしい。母は怒りつつも、その子の様子を見に行って、食事を一人分用意して置いてきた。それから数週間後、その親父は猫をかぶったように大人しくなって帰って来て折菓子を持って謝りに来た。しかし家賃が払えないと言うので、その親子には出て行って貰う事に成った。出て行くときに、知恵遅れの子供の手を引いて、僅かばかりの荷物を風呂敷に入れて背負って出て行く中年男の後ろ姿を私は今でも覚えている。4歳の時の記憶だ。そして我が家は取り壊して2階建ての家に成ったのだった。
1960年代(昭和30年代)の東京
家が2階屋になると隣が小さな飲み屋だったもので2階から見て看板のネオンサインがやたら目に入った。隣に住んでいた女の人は飲み屋(Bar)のマダムだった。朝方になって牛乳を取りに玄関先に行くと大抵おしっこが掛けてあって、母は何時も苦情を言いに行った。隣でウイスキーを飲んだ酔っ払いが、朝方早く家の玄関先で立ち小便をするのだ。汚くてしょうがなかったが、その店も或る日、その飲み屋のホステスに袖にされたと怒った客が包丁を持って飲み屋まで来て、ホステスを殺すと言って窓を石で叩き割る事件が起きた。慌てたマダムが近くの交番に駆け込んだら警官が6人ぐらい出て来た。そして、警棒を持ってその男を取り囲んだ、私はまたもやその事の顛末を2階から見る事に成った。長く鋭い包丁を持った男は警官に切りつけて、一人の警官が手を切られて鮮血が迸った。その警官は「お前、これ見てみろ。刑務所行きだぞ!!」と怒鳴ると。一斉に残りの5人の警官が警棒でその男の包丁を叩き落とし。警棒で殴りつけ最後は拳でぶん殴っていた。そうしたら、応援のパトカーがやって来て。男はすぐに取り押さえられて手錠を掛けられてパトカーに乗せられて警察署まで連れて行かれた。私は6歳でその捕り物を見て居た事になる。私は子供心に「何故拳銃を発砲しないのかなぁ」とか思って見て居たのだが。これはTVの刑事ドラマの見過ぎだった。日本の警官は最近になって発砲する様に成ったが、当時は、めったに発砲しなかった。。。ところで先程母が頭から出血したと言ったが。私も小学生の頃、頭から出血した覚えがある。サッカーのゴールを片付けるので同級生3人ぐらいと先生で担いで居たのだが何かの拍子に力が抜け持ち上げて抱えていたゴールが頭に当たり。ふと力が抜けたら、同級生が「〇〇何してるんだちゃんと・・・」と言って私を見る成り、青ざめて、「〇〇すぐに保健室に行け!!」と叫んだ。それを聞いた残りの同級生と先生が私を見て驚いて「〇〇大丈夫か!!保健室に行け!!」と言う?私は何言ってんだと思い。まあ言われてゴールを持つのを止めて、なんだか汗がひどいなと顔を手で拭ったら血塗れだ。びっくりして医務室に行くと、女の保険医が「〇〇くん。鏡があるでしょう。自分の顔を見て御覧なさいと言うので、見てみると頭から出血していて顔面血塗れだった。保険医は「人間はね、頭に血が登って居るから、頭を切るとこんな風に出血するのよ。」と言ってアルコールで頭を吹くと濡れたタオルで顔を拭いて「あらあら、血の気が多いのねぇ」と言って血が付いたシャツを脱がして替え用のシャツを着せて、「今日はもういいから、学校を早退しなさい」と言って絆創膏を貼ってくれた。血は少しの間、滲んではいたが家に帰ると止まっていた。だからプロレスを見て居て出血するのを見ても納得できたし。新日本プロレスの藤波辰爾が言って居たけど、瞬間接着剤と言うものはもともと医薬品で、傷口を塞ぐ為に開発されたと後年聞いた事がある。そういえば藤波があるテレビのトークショーで若手の頃、よく怒った猪木に頭を破られて、出血した侭、リングに上がったら客が驚いて観ていたと言っていたっけな、、、プロレスは最近に成ると八百長説がまた湧いて出ているが、本当の殺し合いが見たいならヤクザかマフィアに見せて貰えと言いたい。さもなければ中東の紛争地域に行けと言いたい。プロレスはショーではあるが。あくまでスポーツなのだから。プロレス・オタクはそこのところはちゃんと解って観て居るから問題は無いが。一部の丸バカが殺し合いだと勘違いして居るのだ。だからあれは嘘だと言う事に成る。そして本気でやっていないのだから八百長だと言うのです。聞いてられない。
【新日本プロレス】スゴ技集 2017 (NJPW OMG Moments)
藤波❕前田のニールキックで戦慄の大流血❗💥
此処でちょっとプロレスのルールを言って置くが。プロレスには幾つものルールがある。まずロープに飛ばされたらロープに飛んで跳ね返って相手のところまで行かなければ成らない。そして技には掛からなければ成らないという決まりがあるのです。これをやらなければ試合は成立しませんよね。また、関節技は思いっ切り固めたら相手はすぐにギブアップをしてしまい、それでは試合に成らないので。関節技は選手次第で調節しています。それ故に八百長だという御仁が居るのです。処でTVドラマ、「安堂ロイド」でキムタクが猪木ばりの延髄斬りを披露してましたっけ。しかも女の子に向けてやってましたね。いやはや・・・・私が働いて居た頃。ラジオで高校生が延髄斬りを担任の先生に放ったら、担任が死んでしまい。高校生が「まさか死ぬとは思わなかった」と言っていた。受け身を知らないからね、仕方が無いですね。最近の子供は嫌がらせは得意でも。殴り合いはしない。だからどこをどう殴ったら、相手はどんな風になるのか、どんなダメージを負うのかとか解って居ないのでしょうね。私が子供の頃はプロレス技、足4の字固めだとか腕式逆十字とか掛けて遊んで居たものだが、、まあ、私は余りしなかったが。最近は陰湿なイジメだとか。若者の歌を聴いてもすぐ死んでしまいたいという歌とか。殺すだとかいう歌とか。いやあ、私も最近ゆきかずの事で一部私のblogに乗せてていたけど、殺伐とした歌が多いです。そして、我慢が出来ないみたいですね。何かあるとすぐに死ぬと言うし。随分と短格的だ。いじめられたら。なぜ相手の腕をへし折ってやるぐらいな気持ちに成らないのか?
命に嫌われている。/まふまふ【歌ってみた】
処で最近、女の子たちがこのblogを見て居て、私が悪口を書いてあるので。辟易して居る見たいだけど。それもねぇ・・・彼女らが態度に示すからでしょうに。本当に女の子は鬱陶しいよ。感情の生き物だからね。だってですよ。マンションの廊下に段ボールが積んで捨ててあると「あれ捨ててあるの〇〇さんでしょ!!」と端格的に私に結びつけて決め付けて言う。なんで60歳にもなる男がそんな事をする?なんで私がしていた事に成るんだと言いたかったよ?それと私が引っ越すのだって、誰も手伝ってはくれないのだから。私は今はっきり言って調子は最悪だけども、すべて一人でやらなければ成らなくて大変なのですからねぇ・・・まあ、考えてみれば、いつも一人で生きて来た様なものだから。何時もの事だけども。今日も包丁で子供を刺し殺した通り魔の男の話を聞くけど。はぁ〜〜なんだかねえ。死にたいのなら人を巻き添えにせずに自分で死ねと言いたくなる。相手が憎くてそれも逆恨みではなく相手が悪いのならばともかく相手は小学生だよ。なんで弱者の何の罪もない子供を狙うんだ。それから、ヘルパーさんもねぇ〜〜悪い人ではないのだけども、やることが雑で、なんで掃除をして居てハーモニカ・アンプの上に置いてあるマイクが半分床に転がっているのか.......マイクはどれも2万円ぐらいはしているのだから気を付けて貰いたいです。壊れたら弁償してくれるのか?(笑)それから最後に言うけど。私が生命保険を解約したとか言うと、金が幾ら手に入るとか。(笑)私が約10年程、持ち金で暮らして来たとか言うと。幾ら給料貰って居たとか複数の人から聞かれるけど。人の口には戸が立てられないけど。若い身の自分と比べて考えなさんな。私ぐらいの歳になればある程度の持ち金はあったのですから。今はもう残金が少なく成って居て、だから今回5万円の家賃が安く狭い部屋のアパートに引っ越す事に成ったのだからね。金が尽きたら生活保護になるのだし。まあ、いずれにしても人の事なのだからさ。自分らだって月30万は給料貰って居るのでしょうから。半分づつ月に貯めて見な、1年で幾らに成る。それが10年経てば幾らになる。20年になれば、30年になれば。ボーナス使わずに貯めたら。1年で2回殆ど使わずにそれが30年経ったら幾らになる?処で私は旅行はした事が無いです。幾らいい景色を見ても、美味しいものを食べても、それは一時的な満足でしかなくて、短絡的だと思います。私はコンサートに行っても自分の演奏も海外の有名ミュージシャンのLiveも全て録音して来ていた。コンサートにただ行って観て聞いて来るだけじゃ短絡的で嫌だったから。これは昔からです。ビデオデッキができる前は、ラジカセに映画の音声だけをテレビの洋画劇場から録音して、楽しんで聴いていたしね。。。。
お金の貯め方/手取り13万でも年間100万円貯める方法
処で今は洋服でも1万超えたら豪華だし大体が上着も5千円ぐらいでそこそこのものは買える時代だ。ブランド品は高いが、1980年代はデザイナーズ・ブランドの時代だった。
[ 私物紹介 ] 眠っていたセットアップを救出しました。 [ 文化服装学院出身 - デザイナーズブランド ]
デザイナーズ・ブランドとはデザイナーがブランドのイメージ作りから商品の企画、制作(多くの場合、春夏と秋冬2回のコレクション)または服の生産まで主導的に関わるブランドです。デザイナー自身は会社(大企業に属さない)の経営者または経営権を持つことはあるが、「クリスチャン・ディオール」や「グッチ」のように被用者の立場にあり該当しないものもある。その他、「ジョルジョ・アルマーニ」、「ドルチェ&ガッパーナ」などがある。
日本では、経営権を持つデザイナーには、「コム・デ・ギャルソン」の川久保玲や「アンダーカバー」の高橋盾が該当する。その他、「イッセイ・ミヤケ」の三宅一生や、かつての、「ヨウジ・ヤマモト」の山本耀司,「ケンゾー」の高田賢三などが該当する(高田賢三は現在、ケンゾーブランドの経営、デザインには関わっていない)。現在ではドメスティックブランドと言われる事も多い。
情熱大陸 山本耀司/Yohji Yamamoto 1/3
情熱大陸 山本耀司/Yohji Yamamoto 2/3
情熱大陸 山本耀司/Yohji Yamamoto 3/3
詳しく言うと、かつて、ファッション雑誌やデパートなどで使われていた用語。この用語がいつ頃から使われ始めたかは明らかではないが、1979(昭和54年)の新聞に、渋谷PARCO PART2の地下1階メンズフロアの広告として、「デザイナー・ブランド(ただし英語表記Designer's Brand、のちにDesigners' Brand)」の名のもとに、松田光弘・菊池武夫・三宅一生・川久保玲・髙橋幸宏(年齢順)の名およびメンズファッションへのコメントを載せたことが、この用語を社会的に認知させる最初のきっかけであった。これらのデザイナーは、松田光弘・菊池武夫は既に一定のファン層を持つものとして、三宅一生は美術的側面からファッションにアプローチするものとして、川久保玲は新進の若手デザイナーとして、それぞれ別のポジションにあり、「デザイナー・ブランド」として一括りにされるような共通の特徴を持っていたわけではなかったが、この当時、午後の情報番組に数名のデザイナーが出演しファッションへのコメントをしたり、三宅一生とYMOの生演奏コラボレーションによるファッションショーが特番として組まれるなど、一般人からは職業デザイナーとして一括りに見られるようになった。
三宅一生(京都賞2006受賞者)からのメッセージ
ちなみに、三宅一生や1980年代中頃以降の山本耀司は、和の文化(日本的な意匠)としてのファッションを模索した。その他「デザイナー・ブランド」とは別に、例えば、ニットおよびカットソーでトータルコーディネイトを提案した「メルローズ」のような特化的なブランドなども注目されたが、「キャラクターズ・ブランド」とは呼ばれなかった。なお、当初は「デザイナーズ&キャラクターズブランド」という用語はなかった。結果的に、この用語は広告およびファッション界の中で、特定の確立したジャンルを表す意味としては定着しなかった。実際、各ブランドに対して、雑誌編集部の関心により一面的な紹介がされたため、この用語には、各ブランドの特徴を見出すことはできない。
今はファスト・ファッションの時代だ。いま若者の間で流行しているのが「ファスト・ファッション」。手ごろな価格でファッション性の高い商品を大量販売する衣料専門店のことを言います。早くて安い「ファース・トフード」が言葉の由来とか。最新のトレンド・ファッションを大量販売し、頻繁に商品を入れ替えることで、消費者を店内に呼び込んでいます。東京の腹軸や新宿には、こうした衣料専門店が集待って居ます。数千円台から最新のファッションを手にできることが人々に受けている。誰でも購入しやすい「手ごろな価格」設定の秘密は、専属デザイナーによる商品を自社工場で大量生産したり、逆にデザイナー・工場を持たず委託生産を行い、商品は売り切ることでコストを抑えるなど、各社で異なります。ファスト・ファッション・ブームを巻き起こしたのはスウェーデンのH&M。08年秋に、銀座。原宿へ相相次いで進出。多数の客が詰め掛けて居た。また米国のフォーエバー21が原宿に進出しました。もともと原宿には米国の GAP、スペインのZARAなどが店を構えており、外資系が勢力を持って居ます。日本の代表と言えばユニクロ。全国に展開して居ますよね。ファスト・ファッション店は百貨店・ショッピング・センターへも出店しています。マルイは新宿に「新宿マルイ・カレン」があります。「丸ごと全館“ファスト・ファッション!”」と銘打ってユニクロの「ガールズコンセプトショップ」やポイントが展開するブランド「ローリーズ・フォーム」などを揃え、沢山の若者で賑わって居ます。
ZOZO、ユニクロ・ZARAが激突。ファストファッションは終わるのか?【NewsX】
私はこれらのことを踏まえた上で、特にアマゾンなどで商品を探して購入しています。あとネットでランダムに探しヒットした商品などを買っています。勿論ユニクロなどもよく買って居ます。しかしデザイン的に気にいる物だけですが。洋服で言えば。私は1970年代風な感覚を持った服装を模索しているので、普通の人とは違うと思いますが。ただ、夏でもたんなるTシャツなどは着ずにシャツにベストを着用して居るのは、私のblogで私の格好を見れば解ると思います。この格好は1970年代のロックミュージシャンの映像からヒントを得て、それと今の流行にも合わせています。一様はそうです。ただ一人で外出もせずに家にいるときはTシャツを着ていますが。それも虫プロで発売している「ベラドンナ」のプリントTシャツですが。
地味でも個性的な格好をしたいですね。
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今日は歯科に行った帰りに、隣町へ銀行に寄りながら行ってくる。しかし私が背が低い事もあるのだろうけど。最近は高校生でも175センチはありますね。すれ違うとみんな私より、背が高いです。まあ、姪っ子が173センチぐらいあるのですが。最近の若い女の子は背がみんな高いですね。だから背が低い子はすごく高いヒールを履いている。でも、私が古い人間のせいか?。女の子は背が低い方が可愛いと思うのだが。さて自撮りです。ここのところ体重の幅が日によって3キロぐらい違う。痩せたり。太ったり。此間は痩せて居たのだが。最近は、コンビニ行くと菓子パンやらせんべいを買ってしまう。まあ、100円の物だから、つい買ってしまうのです。まんじゅう怖いではなくコンビニ怖いです(笑)今日は隣町でコンビニにもファースト・フード店にも入らなかった。ベンチで缶コーヒーを買って飲んだだけでした。しかもよく見ずに買ったら、無糖だった〜〜(>_<)。さて、また、じじいの写真です。我ながら、生き恥晒しているみたいだけども。めあすにしているので、まあね・・・・宜しくです。。。☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
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処で、こないだアパートの契約をして来た。色々と契約書の説明があって、ヤクザ者だったら貸さないとかヤクザの友達は居るかだの。なんだかなぁ〜〜と思うことを聞かれたけど。それとJ:COMが大家に直接連絡取ったのが気に食わないとか。訳分からん。なんでだ!!今やインターネットは生活必需品だぞ。なんでJ:COMの説明を聞かない。こっちは礼金敷金、前家賃と契約前にちゃんと払っているぞ。契約が済んだらJ:COMの工事が始まってもいいんじゃないのか?不動産屋は「J:COMは6月16日に引っ越して来てからです」。と怒って言う。大家がベランダの上に屋根を付けると言って居たが付けてくれるのかと聞いたら。それは無いと言うし、チャイムがなかったので付けて良いかと言ったら。大家と相談して大家が「それは良いわねと言ったら良いんじゃ無い」とか。だから私はブルースハープを見せて音は気を付けるけどと聞いたら。「ブルース演奏するのね!!」と喜んで訊いて来たので。まあ、そうですけどと言ったら。生活音は仕方がないのである程度は良いんじゃないかと言って居たけど。その後、此方が相談した不動産屋と物件の場所を確かめる為に借りるアパートまで行って見て道筋を確かめて、行ってみると、何か此間見たより新しく成って居る様な感覚がした。行く道すがら、此方の方の不動産屋が「ブルースハープを吹くと言ったのは不味かったですよ」と言うので。「言わないで、もし吹いて契約違反だからとか言われたく無かったから」と言ったら。その不動産屋が私も昔吹いていたと言うので、「あれ、そうだったんですか?」と訊いて居たら。「まあ、ハープの場合ブレス・コントロールが出来るから。〇〇さんは音を小さくすると言って居たから良いとは思うが」と言って居たが。「郵便受けのポストは無かったですよね」と言ったら彼方側の不動産屋が「ありますよ」と言って居たので。言ってみたら門を入ったすぐの処にあった。チャイムは無かったと思って居たら。これも此間は無かったのに付いて居たし。後は、契約書に緊急連絡先の姉が署名して。大家が署名すれば契約完了だ。今、テレビのニュースの音声聞きながらこの記事を書いて居ますが。何か男が警官に向かって包丁持って向かって来て。警官が発砲したら腹部にあたりその後死んだそうだけども。なんで子供を刺した男のニュースが流れたら、自分もと思う男が現れるんだ!!死にたいのなら自分で自殺しろと言いたい。処で此方が契約して居るのに。不動産屋の他の男の社員がこちらの女の社員に「この物件問い合わせが入ってますけど?」と言うので。そしたら女の社員が「今契約中です!!」と怒鳴ったら要約解った見たいで。「あれ、そうなんですか?」とか言って居る。危ない危ない。それも生活保護の人だ。同じだ。そうしたら「隣の部屋は空いてるわよ・・・」と言って居た。私は障害持ちだと言ってあるし、この物件しかないと思って居る。だって6畳間と5畳ぐらいの部屋で風呂トイレ別だ。そして5万だ。東京のこの地域では安い物件だ。なんでも本当は6万で貸そうとして居たけど。入り手が居ないので、1万家賃を下げたらしい。その代わり昭和50年代の物件だけども。此処しかもう私には住処が無い。
賃貸契約時の注意ポイント!!3人に1人が後悔している!知って得する雑学
本当は実家がいくら弟の名義と言えどもあったものを。弟も冷たい奴だよな。「兄貴、一緒に住みたく無いから外に住んでくれない?」だからね。自分は田園調布に家を持って居て。弟が急死して実家は姉さんが売ってしまった。私は15年前にもう住んで居ない弟の部屋を300万でリフォームして10畳間にトイレとシャワールームを付けて家賃10万で6年間、劇団員の女の子に貸していたのだが。しかし、その子はだらしが無い子で。男は引っ張り込んでしまうは、何しろ、用事があって母が2階の外ずけの階段を上って行って見たら鍵を閉めて居なくて。不用心だ、居ないのかと中入って行ったら男と寝ていたと言うし。私も聞きたい事があって部屋まで行ったら矢張り鍵が開いて居て男と寝て居た・・・・そして弟がうちに来て居た時に、一人だと言って契約したのに勝手にルームメイトを連れ込んで、鍵を郵便受けに入れてある。私が怒って居たので。弟が注意したら自分は仕事で出かけて部屋に居る子も出かけてしまって居るので、その子が帰って来て部屋に入れないからとあっけらかんと言うので、弟が「契約違反でしょ」と言ったら黙って居ると言う。まあ、女の子のルームメイトならまだいいが、男を引っ張り込むので性悪女だと、家族皆んなで怒って居たので私が追い出した。まあ、それでも6年は居たのか。出て行ったので部屋に行ってみたらタバコは禁止だと言って居たのに壁はニコチンだらけ、その上に、鍵を壊して出て行ったので不動産屋を呼んで言ったら、それは悪質だとして壁紙乗リフォーム代と鍵代を請求するのでと言って居たが。私が今このパソコンを打っている8畳間も床に座椅子の傷が多く付いて居て、それをこの間、このマンションを管理している不動産屋に行って、退去の手続きを仕手来たのですが。来月の中旬ぐらいに契約が切れるのだけども、鍵を返しに行くときに用紙に傷の箇所を書いてくれと言って居たので、此の間行った不動産屋に聞いてみたら床を張り替えるので6畳間で20万と聞かされた。恐らく30万は言われるだろう。今住んで居るマンションは、敷金も礼金も無かったから。今回ただでさえ引越しに全部で70万ぐらい掛かるので、まあ、このマンションの不動産屋は大手のミニミニ城南だから故意と過失とあったのだが。自分で言ったし。はっきりと傷を付けたと言って居るので。過失にしてくれたのだが・・・処で今日は昼過ぎに眠たかったので万年床に横に成ったら2時間ぐらい寝て居た。さて、もう11時を廻って居る。此処までにしときます。読んでくれて有難う御座いました。
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良い話です。
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『論理哲学論考』を読む。。。
『論理哲学論考』は、オーストリア出身の哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン(1889~1951)の著作だ。1918年に執筆され、1921年に出版された。
ヴィトゲンシュタインの思想は、大きく前期と後期に分けられる。本書は前期の代表作だ。後期の代表作は『哲学探究』(未完)である。『論理哲学論考』以外の著作はいずれも、彼の死後まとめられた。
ヴィトゲンシュタインは本書で、思考の限界を画定しようとする。思考の限界を画定することで、私たちは有意義な(=真偽の判断を下すことができる)命題と、そうでない命題を区別することができる。この区別をはっきりさせることで、それまでの哲学は語りえないものをあれこれ語ろうとしていたが、それはすべて無理な試みだったことが分かる。そうヴィトゲンシュタインは論じている。
この洞察は、カントの『純粋理性』批判における伝統的な形而上学批判を思い起こさせる。事実、本書は、それまでの哲学の構図を大きく塗り替えた。ヴィトゲンシュタイン以後、言語を哲学的あるいは論理学的に考察することが、哲学におけるひとつの主要なテーマとなったのだ。
なお本書では、箇所によってはきわめて難解で、とても読みにくく、研究者の間でも意見が分かれることがある。なので以下では、重要な構造にのみ着目していくことにしたい。興味があれば、ぜひ自分でチャレンジほしい。もちろんその際には「難解だからこそ何か真理が潜んでいるはずだ」という先入観を取り外して、フラットに読むことが大切だ。
言語と世界の対応関係
本書におけるヴィトゲンシュタインの基本の構えは、言語と世界は対応関係にあるはずだ、というものだ。言語が最小単位の命題にまで分解できるように(これをヴィトゲンシュタインは要素命題と呼ぶ)、世界もまた最小の要素に分解することができると考えるのだ。
そこでヴィトゲンシュタインは、世界は「物」の総体ではなく「事実」の総体であり、事実は成立した「事態」からなるとする。事態の成立に応じて、事実が定まる。ここでのポイントは、事態は相互に独立しているということ、また、事態は「対象」同士の結びつきによって成立するということだ。ヴィトゲンシュタインによれば、対象は「単純」であり、それ以上分解することはできない。また、対象は事態のうちにしか存在しない。したがって、事態と対象が世界の基本単位ということになる。
ただ、此処でヴィトゲンシュタインは、対象が最小単位であること、また、事態が相互に独立していることの根拠について論じているわけではない。そのことはあくまでも「そうでなければならない」という仕方で要請されているだけだ。
「論理形式」と「写像」
ともあれ、ヴィトゲンシュタインによると、世界が正しく記述できるためには、世界の単位が確定できなければならず、また、世界の単位と記述の単位が同型でなければならない。そうした同型性を、ヴィトゲンシュタインは「論理形式」と呼ぶ。
思考された世界が現実の世界とどれだけ異なっていようと、明らかに、その思考された世界は現実の世界と何らかのもの、すなわち形式を共有していなければならない。
論理形式は、対象同士が結びつく“幅”によって規定されている。たとえば、「花」は「美しい」とは結びつくことができるが、「円周率」とは結びつくことができない。対象にはそれ固有の形式があり、形式を共有するかぎりにおいて、相互に結合することができる。この結合関係を言語によって写し取ることで成立するものを、ヴィトゲンシュタインは「像」と呼ぶ。
これを逆に言うと、対象と「像」の共通性が、事態の写し取り(=写像)を可能にしていることになる。その共通性それ自体を写し取ることはできない。「像は写像形式を写像することはできず、ただそれを示すだけである」。
像は現実のモデルである。
諸対象は、像において、像の諸要素に対応している。
此処で重要なのは、像の要素である命題は、事態を描写するときに限り、真偽の判断を行うことができるということだ。
命題は「名辞」からなり、事態の成立あるいは不成立を描写する。事態の成立と不成立は、命題の成立と不成立と一致し、そうした一致の可能性をもつ命題のみが意義をもつとされる。言いかえると、成立しない事態についての命題は意義をもたない。先ほどの例を使うと、「花は円周率である」という命題は、成立しない事態なので、意義をもたない、というわけだ。
さて、ここまでの議論を振り返ってみよう。初めにヴィトゲンシュタインは、世界を単位まで分解する。世界は「事実」からなる。事実は成立した「事態」からなり、事態は「対象」の連関として成立する。ヴィトゲンシュタインは、事態と対象を世界の単位として規定したのち、言語に着目し、対象と論理形式を共有する「名辞」と「要素命題」を言語の単位として規定するのだ。
論理操作の反復で「語りうる」すべての命題を構成できる
ヴィトゲンシュタインによると、要素命題に論理操作を行うことで、複合命題が作られる。論理操作とは、「否定」や「ならば」、「かつ」などによって命題同士を結びつける操作のことをいう。
ヴィトゲンシュタインは、論理操作の反復可能性が、世界記述の可能性を充たしていると考える。反復可能性というと難しく聞こえるかもしれないが、これは、要素命題に「否定」を加えたり「かつ」を施したりしていくことで、世界を、ちょうど数列のように記述していくことができるということだ。
要素命題の成立あるいは不成立は、経験的に検証できる。したがって、要素命題の集まりである複合命題は、要素命題の検証を踏まえて検証することができる。論理操作は命題同士を関係づけるだけであり、命題そのものを変化させるわけではない。事態が相互に独立であるという前提を取る以上、ある命題に論理操作を施すことが他の命題に影響を及ぼすことは、原理的にありえないからだ。
私に一切の要素命題が与えられていると仮定してみよう。そのとき、単に次のような問いが残される。どの命題を私は要素命題から構成することができるのか、と。これが全ての命題であり、そのような仕方で命題は限界づけられている。
此処でまとめてみよう。世界が正しく記述できるためには、世界は事態と対象に落とし込むことができなければならず、それらと形式を共有する名辞と要素命題を規定できなければならない。それができれば、あとは論理操作を繰り返し、要素命題同士を関係づけていくことで、事実についてのすべての可能な命題が構成できることになる(もっと正確に言うと、その可能性が論理的に保証されている)。それらの命題が、「語りうるもの」についてのすべての命題にほかならない、とヴィトゲンシュタインは考えるのだ。
論理学の命題はつねに「真」
「私」の世界は、その立ち現れ方が私の経験に応じてつねに編み変わるような性質をもっている。これに対して、経験に関わらずつねに真であるような命題がある。ヴィトゲンシュタインによると、それは論理学の命題だ。
論理学の命題は、トートロジー(同語反復)である。
トートロジーとは、たとえば「夜霧は夜の霧である」というものだ。経験的な真偽について語っておらず、ただ論理の必然性だけを示す命題がトートロジーと呼ばれる。それは経験にかかわらずつねに真である。したがって、論理学の命題もつねに真である。それは経験に基づいて真偽が確かめられる命題とは区別しなければならない。そうヴィトゲンシュタインは考える。
論理学の命題は、時間や場所や状況にかかわらずつねに真である。一見それがどうしたと思うかもしれないが、実はそのことが世界記述の客観性を保証する重要な条件なのだ。
論理学の命題はトートロジーである。これは言いかえると、論理操作をどれだけ(たとえ無限に)繰り返したとしても、その正確性が保証されているということだ。
もし世界の正確な模型を作ろうと思えば、道具の尺度はつねに一定である必要がある。昨日30cmだった定規が、明日には20cmになるようなら、その模型の品質を保証することはできないだろう。1メートルはいつでも1メートル、1キログラムはいつでも1キログラム。パーツの長さや重さが正確に測ることができるからこそ、正確な模型が作ることができるし、その模型の品質を保証することができる。論理学の命題がトートロジーであることの意義はこの点にある。
独我論的世界
論理操作による反復可能性には限界がない(=論理空間を充たしている)。だが、実際に「私」という主体が世界のすべてを言い表せるわけではない。というのも、私にとって、経験していないものは対象となりえず、それゆえ名辞に落とし込むことはできないからだ。
経験的な実在は、もろもろの対象の総体によって限界づけられる。その限界は、要素命題の総体のうちにおいて再度現れ出る。
私は、自分の経験の範囲内においてしか、対象を取り出し、名辞を組み合わせ、要素命題を作りあげることができない。確かに、名辞の組み合わせのパターンには取りうる“幅”がある。「花」は「白い」とは結びつくが、「円周率」とは結びつかない。だが、そもそも「花」が何なのか知らなければ、これが何と結びつきうるのか見当がつかないはずである。
私の生の内実は、対象とその配置の仕方によって定まってくる。それゆえ、私と異なる経験をもちうる他者は、私の世界には存在しないということになる。
世界と生はひとつである。
私は私の世界である。
私は私だけの世界を生きており、そこに他者は存在しない。ヴィトゲンシュタインのいう世界とは、他者の存在しない、ただ私だけが生きている独我論的な世界なのだ。
価値や意味は世界の外にある
最後にヴィトゲンシュタインは「倫理」について論じる。
世界の意味は、世界の外側に存在していなければならない。世界のうちでは、一切はあるがままにあり、起こるがままに起こる。世界のうちには、いかなる価値も存在しない。
それゆえ、いかなる倫理学の命題もまた存在しえない。
ヴィトゲンシュタインによると、世界は事実の総体だ。事実は成立している事態からなり、事態は要素命題によって言い表される。要素命題は名辞からなり、名辞は対象に対応している。対象は私によって経験されるものであり、対象の経験が私の世界を限界づけている。そうヴィトゲンシュタインは論じていた。
ではここで、倫理はどのように位置づけらればよいのだろうか。倫理は「このようにある」ではなく「このようにあるべき」という法則に基づく。したがって倫理学の命題は直接に検証できない。実際に成立している事態だけが直接に検証しうるものであるからだ。
直接に検証できない事態について語ることはできない。したがって「生の問題」については何も言うことができない(=語ったところで、それはナンセンスとなるしかない)。それはただ示されるだけである。それゆえ、次のようになる。
語りえないものについては、沈黙しなければならない。
注意すべきだが、ヴィトゲンシュタインはここで、世界に「生の問題」など存在しないと言っているわけではない。そうではなく、たとえこの世界においてではないとしても、それらは確かに存在していなければならないというのだ。世界の意味について語りえないからといって、それを否定するのでも軽視するのでもない。それらを示されるがままに、ひとつの「神秘」として受け入れるほかない、と考えるのだ。
言語と世界は直接に対応している?
本書の議論を振り返ってみよう。
――世界は「事実」に分解される。事実は「事態」からなり、事態は単純な「対象」からなっている。事態は相互に独立している。対象と名辞は「論理形式」を共有する限りで、命題に写し取る(=写像する)ことができる。写し取られた命題は、論理操作(否定、かつ、または…)によって結びつけられ、それによって複合命題が成立する。複合命題の真偽は、要素命題の真偽を検証することを通じて検証される。それゆえ世界を作りあげている「事実」は、検証の積み重ねによって、経験的に検証することができる。
しかしそのことは、世界と言語の対応関係も経験的にしか分からないわけではない。論理学の命題は、これとは異なる水準にある。論理学の命題は、対象の経験にかかわらず、つねに真となる。それゆえ、要素命題を論理操作によって結びつけていくことで世界を記述する可能性が、経験に先だってあらかじめ保証されている。
また、倫理についての命題は事実に依拠しないので、真理条件をもたない。それゆえ、人生における意味や価値については語りえない。なぜなら価値は世界の外側になければならないからである。「語りえないものについては、沈黙しなければならない」。それはただ、示されるがままに受け入れるしかない――。
言語と世界の対応関係については、おおよそ次のようにまとめられる。
名辞 - 対象
要素命題 - 事態
複合命題 - 複合的な事態
…
言語 - 世界(事実の総体)
『論考』から『探究』へ
ヴィトゲンシュタインは本書で、語りうる領域、すなわち思考しうる領域と、語りえない領域の境界を画定しようと試みた。では、果たしてそれは成功しているだろうか。
ここで着目すべきなのは、言語と世界の対応関係だ。ヴィトゲンシュタインは、事態が相互に独立であるという前提のもとで議論を行っているが、果たしてその前提はどこまで妥当だろうか。たとえば、「この花は白い」は「この花は青くない」を含んでいる。事態の解釈は多義性をもつため、事態を一義的に写し取ることはできない。また、対象と名辞の関係については、あらかじめその名辞が対象に対応することが分かっていなければ、そもそも、その対応関係を見て取ることはできない。単純に名辞と対象が対応しているとは言えないのだ。この点についてヴィトゲンシュタインは、『哲学探究』で直示的定義という概念を置いて考察している。
確かに、本書を読むと、ヴィトゲンシュタインが哲学に大きなインパクトを与えた理由がよく分かる。言語と世界は対応している。言いかえると、本当に語りうるものは、ただ事実についてのみである。そうではない「倫理」について軽々しくおしゃべりすることは、厳に慎まねばならない。語りえないものについては、沈黙しなければならない。この論理的、というより倫理的な態度が、伝統的な形而上学批判以上の意味で、当時の知識人の実存に強い影響を与えたことは否定できない。
だが、より驚かされるのは、本書の約10年後、哲学の問題を解決したとそれまで確信していたヴィトゲンシュタインが、再び言語の問題に立ち帰り、言語について一から考え直しはじめたということだ。社会的に高い評価を受ける業績を残し、賛同者が集まってくると、その業績に問題点を見つけても、なかなかそれを直視できないのが人情だ。しかしヴィトゲンシュタインは、本書の前提を徹底的に吟味し、言語について改めて考えなおした。その結果残されたのが、後期の代表作である『哲学探究』だ。
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