寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

ハードボイルド。。。

近所の不動産屋に行くために隣町まで行った時、時間が空いたので、駅前の本屋と古本屋まで行ってみた。

書店では収穫無しだったが、古書店で一冊買い込んだ。

どうも最近、正規の本屋では欲しい本が見当たらない。要するに、私は小説はあまり読まないのです。昔はセリ・ノワールだとかハードボイルド小説だとか読んでいたけど。ダシール・ハメットとかゼェイムズ・エルロイなどだけれども、ハメット、チャンドラーに代表される伝統的なハードボイルドに対するアンチテーゼとして新しいハードボイルド、すなわちネオ・ハードボイルドが生まれたのは1970年代に入ってからで、次々と新人作家たちがデビューを果たした。ジョセフ・ハンセン「闇に消える」マイクル・Z・リューイン「 A型の女」ロジャー・L・サイモン「大いなる賭け」ほかで、特徴的なのは、一部の例外はあるものの、ヒーローたちは伝統的なタフガイ・ヒーローに対抗してのアンチ・ヒーロー、事件のみならず探偵の私生活が書き込まれると言う私小説の味わいが濃くなった。

重要なのはこのアンチ・ヒーローであり、エルロイがデビューした1980年代はネオ・ハードボイルド派の探偵たちが大きく注目された時期である。

主人公のほとんどがマイノリティー派、ドロップ・アウト組、市井派などに分けられ、これらはハメットのサム・スペイド、チャンドラーのフィリップ・マーロウ、などのタフネスやヒロイズムとは無縁の、より現代的な主人公像で、それがヴェトナム戦争後のアメリカの疲弊した社会、価値観が喪失しつつあった時代にはより身近に感じられて歓迎されたのであろう。

映画を例に取ってもハンフリーボガートの「三つ数えろ」ロバート・ミッチャムの「さらば愛しき女よ」などに対して、同じフィリップ・マーロウでもエリオット・グールドの「ロング・グットバイ」やクリント・イーストウッドの「ダーティ・ハリー」などが出てきた。1980年代になるとあの2枚目スターのアラン・ドロンも冴えない3枚目の私立探偵を演じた「危険なささやき」などが出てきた。ああ、ロバート・カルプ 主演の「殺人者にラブソングを」もありましたね。

ダーティハリー、山田康雄の吹き替え版

The Long Goodbye Official Trailer #1 - Elliott Gould Movie (1973) HD

ALAIN DELON POUR LA PEAU D'UN FLIC YouTube

【町山智浩のアメリカ映画特電】ガンマニア俳優「ロバート・カルプ」追悼

Hickey & Boggs (1972) Trailer

Farewell, My Lovely 1975 theatrical trailer

クリント・イーストウッドと言えば最近の若い人たちは映画監督でしょと思っているでしょうけど、「ダーティ・ハリー」はその後の刑事アクションの流れを変えた作品です。何しろ初めは、フランク・シナトラで撮影を開始していたのだけどもシナトラが「俺はこんな汚い役はやりたくない」と降板してしまい。代わりに「夕陽のガンマン」やらのマカロニ・ウエスタンでアンチ・ヒーロー像を体現していたイーストウッドが演じた映画です。サンフランシスコ警察殺人課の刑事。常に汚れ役の仕事を任せられることから、「ダーティ(汚れ屋)ハリー」と呼ばれている。所有する銃はスミス&ウェッソン社のM29・44マグナムという大型銃で、射撃の腕も超一流。しかし、犯人の捜査には手段を選ばず、暴力に訴えることもあり、しばしばトラブルを起こすそんな刑事。しかし思うに、ハードボイルドは今の時代、消えてしまいましたね。

「ハードボイルド」は元来、ゆで卵などが固くゆでられた状態を指す。転じて感傷や恐怖などの感情に流されない、冷酷非情、精神的・肉体的に強靭、妥協しないなどの人間の性格を表す。

ハードボイルド小説とノワール文学(小説)は多くの共通項があると同時に、さまざまな点で異なっていることもまた事実です。ハードボイルドとノワールの最大の相違点は、「主人公に感情移入ができるか否か」です。いや、主人公が強固な意志の持ち主であるか否かと言い換えた方がわかりやすいかもしれません。

 ハードボイルド小説の主人公は、過酷な現実に直面しても感情に流されず、己の信念を貫くために命懸けで抗います。一方、ノワール文学の主人公の多くは、意志の弱さゆえにどこまでも転落し、破滅へとひた走ります。

 

ちなみに古書店で購入した本です。ユリイカはちょくちょく購入しています。

「ニヒリズム」

ニヒリズム(虚無主義)とは、あらゆる存在に客観的な価値を認めず、あらゆる宗教的・道徳的・政治的権威を否定する立場を表す。ニヒリズムを奉じる人間をニヒリストという。 

哲学的な意味での虚無主義を確立したのはフリードリヒニーチェであると言える。ニーチェは、自分自身の存在を含めたすべてが無価値であり、偽りであるということを前向きに捉えた上で、自ら積極的に「仮象」を生み出し、一瞬一瞬を一所懸命生きることで逆説的に生を肯定しようとした(能動的ニヒリズム)。 

ニヒリズムは、世の中をいやなもの、悲惨に満ちたものだと捉えるペシミズム(厭世主義、悲観主義)とはしばしば混同されるが、全くの別物の思想であることがおわかりいただけるだろう。 

ニヒリストはあらゆる権威や秩序を否定する。表面上、権威や規範を尊重しているように見えても、それは便宜上に行う身振りにすぎない。能動的ニヒリズムのこのような態度は、あらゆる権威を破壊しようとするアナキズムや、逆に極端な権威主義であるナチズムのような過激思想と結びついた。

【音声日記】#74 ニーチェの「能動的ニヒリズム」と「空観、仮観、中観」について。既成の価値観ではなく、自分主体の価値を見出し、その道を突き進めばいいと思います【海外転売講師の動画講座】


【佐伯啓思】近代とは何か──ニヒリズムという帰結


「実存主義」

「主体性が真理である」として神から与えられた可能性を実現することに生の意義を見出したキルケゴールの主体志向に加えて、さらに、第一次世界大戦において、そのような個人を置き去りにした近代思想の惨禍を目の当たりにして、個人を哲学的考察の対象にしようという機運が盛り上がり、神の死(「神は死んだ」)を宣言し、能動的なニヒリズム(運命愛) の思想を展開したニーチェを、神を否定する実存主義の系譜の先駆者としつつ、1930年代、ドイツのマルティン・ハイテッガーやカールヤスパースらによって「実存」の導入が図られた。

人間の実存を哲学の中心におく思想的立場である実存主義と、中国明朝末期の東林党の経世買致用の学(学問は現実の社会問題を改革するために用いられなければならないとする主張)は別の思想であるが、それらは日本においては関連づけられる場合もあり、現在の現実をもってそれをどう解決していくべきなのかを考える現実主義に結実する。例えば経世実用を学風とする日本の神奈川大学の哲学者草薙正夫、信太正三、武藤光朗らは実存主義哲学からマルクス主義、インド主義などにアプローチして、現実の社会問題を解決しようとし、無限革命論(トロツキーの永久革命論とは異なる)に発展する。

ツァラトゥストラはかく語りき ~ SNAKE BOOTS(Live) - THEATRE BROOK

「ニヒリズムとしての形而上学」

ハイデガーによれば「ニヒリズムの本質は無への問いが真剣に問われていないことに存する」。そして、西洋形而上学の歴史は、まさにこの点でニヒリズムであるとされる。ハイデガーの主張を簡単にまとめるならば、以下のようになるであろう。

形而上学は、存在者そのものとは何かを問うことによって、存在者の〈本質〉や〈根拠〉あるいは〈原理〉を問題にしてきた。ハイデガーによれば、これらは結局、 存在者の〈存在〉の規定である。例えば、プラトンのイデア、アリストテレスのエネルゲイアに始まり、ヘーゲルの絶対概念、ニーチェの力への意志に到るまで、それぞれの哲学者の根本概念は、全て存在者の存在を規定するものなのである。しかし、これらの根本概念は、必ずしも存在者の存在として明確な仕方で問題にされている訳ではない。むしろ、中世哲学における〈最高原因〉としての神の概念に端的に現れているように、存在者の本質、根拠、原理といったものは、それ自身やはり存在者であると言わざるを得ない。つまり、世界全体の根拠が、神、主体、価値といった仕方で捉えられることによって、存在者の現れとそもそも可能にしているはずの〈存在〉の平けがそれとともに隠れてしまう、つまり、無となってしまうのである。この事態をまたハイデガーはニヒリズムと呼ぶ。西洋の形而上学自体が存在を問わないがために、 ニヒリズムに陥ることになるのである。

形而上学は確かに存在者の存在を問題にしながらも、それを「一つの存在者に置き換えてしまう」。それ故、形而上学が存在者全体を超越して、存在が問われるべき次元へと到るのは「ただ、存在者そのものを表-象する(vor-stellen) ため、即ち存在者に帰還するためにである。そして、このような超越においては「存在は表象的にいわば軽く触れられているに過ぎない」。つまり、存在は存在者そのものについて問うことの内でのみ問題にされ、しかもその実、本当には 問題にされないままなのである。

だが、このような存在忘却は、やはり思惟の怠慢に由来するのではない。ハイデガ ーにとって、形而上学の歴史において、存在忘却がそれと気づかれないままでいることは、決して仮初めのことではなく、ある必然性を持っている。形而上学の欠陥の故に、存在を把握することができないのではなく、むしろ、その逆に、「存在は、自らを存在者の内へと顕すことによって、逃れ去っている」のである。しかし、存在など初めから無いということではない。それは存在の隠れであり、そのようにして隠れることが可能になるためには、存在は何らかの仕方で現れているのでなければならない。こうして、存在は存在者そのものの規定の内で、本質、根拠などという、いわば〈仮の姿〉に身を隠しながら現れている。換言すれば、存在の迷わしが、 上に述べたような形而上学の根本概念の変遷を可能にする歴史的な〈場〉ないしは「在 処」(Ort)を開くのである。ハイデガーは、即ち、形而上学の存在者の規定は、各々の時代に生きる人間の存在者との関わりを、全体として規制する枠組みとなっているのであり、人間はその下でそれとは知らずして「執-存」(In-sistenz)の内に入り込 んでしまっているのである。しかも、この迷わしの場、つまり「迷域」(Irrtum)の 内で形而上学は、自らの存在忘却という〈本質〉に気づくことなく変遷する。このこ とは存在の現れの側から言えば「存在の歴史のエポック(Epoche)」ないしは「留まり」(Bleibe)である。しかし、そのようなエポックにおいて、存在は「姿を現さない」(ausbleiben)、つまり形而上学の歴史の外側に留まっている。だが、それは形而上学の歴史の外側に、存在の歴史が並立しているにも関わらず、形而上学はそれに気がつかないということではない。むしろ形而上学の歴史は、存在が自らを顕にしないという仕方で自らを「贈る」(schicken)存在の歴史であり、それをハイデガーは、歴史的運命、即ち「歴運」(Geschick)と呼ぶ。そしてあるエポックから次のエポックへと「世界歴史」は、急激な仕方で移り行くのである。それ故「形而上学の 本質は、それが存在者そのものの真理の歴史として、存在自身の歴運から起こっていることとなろう。形而上学はその本質において、存在自身の、留保されているが故に考えられていない秘密となるだろう」。

さて、このような上空俯瞰的な議論は、すでにニーチェ解釈において確認したよう に、個々の哲学者の学説に対する忠実な態度とは相容れないものがあるが、存在が姿を現さないことと、ニーチェにおいてニヒリズムが大きな課題になったこととには注目すべき連関が認められるであろう。すでにニーチェが看破したように、プラトニズ ム自体がニヒリズムなのであるが、ニヒリズムの教説としての主張(とハイデガーが 理解する)が今度は形而上学の完成となる、そういう時代にまで存在の歴史は進んだということである。ハイデガーが形而上学の全体を見渡すような立場に立つことがで きるのも、ニヒリズムの進行ないしは深刻化によって、自らの時代の危機が極まっているために他ならない。

 

 〜ニヒリズムと言うとこの人のことが頭に浮かぶ。〜

坂口 安吾(1906年(明治39年)- 1955年(昭和30年))は、小説家、評論家、随筆家。本名は坂口 炳五(さかぐち へいご)。昭和の戦前・戦後にかけて活躍した近現代日本文学を代表する作家の一人である。新潟県新潟市出身。東洋大学インド哲学倫理科卒業。アテネ・フランセでフランス語習得。純文学のみならず、歴史小説や推理小説も執筆し、文芸や時代風俗から古代歴史まで広範に材を採る随筆など、多彩な活動をした。

戦前はファルス的ナンセンス作品『風博士』で文壇に注目され、一時低迷した後、終戦直後に発表した『堕落論』『白痴』により時代の寵児となり、太宰治、織田左之助、石川淳らと共に、無頼派・新戯作派と呼ばれ地歩を築いた。歴史小説では黒田如水を主人公とした『二流の人』、推理小説では『不連続殺人事件』が注目された。

坂口安吾の文学作品には、途中で放棄された未完の長編や失敗作も多く、小説家としての技量や芸術性・完璧性の観点からは器用な作家とはいえないが、その作風には独特の不思議な魅力があり、狂気じみた爆発的性格と風が吹き通っている「がらんどう」のような風格の稀有な作家だといわれている。

晩年に生まれた一人息子の坂口綱男は写真家です。またアンコウを共食いと言い好んで食べたそうです。

「坂口安吾写真」の画像検索結果
〜宮崎駿、ニヒリズムについて語る。〜
伝導の書(旧約聖書の一書)に書かれている突き抜けたニヒリズムっていうのは読んでいてちょっと元気が出ました。 汝の尽くせる限りのことを尽くせと、黄泉(よみ)の国にいったら何にも無いよって(笑)。
権謀(その場に応じた策略)も術策(はかりごと)もないけど知恵も知識もない、だからお前の空なる人生のあいだは自分のパンを喜びをもって食い楽しみながら酒を飲んで、額に汗流して尽くせるだけのことを尽くして生きるのは神様もよしとしてるんだっていう。
すごいですねぇ、旧約聖書っていうのはすごいものなんだなぁっているのを初めてその時知ったんですけど(笑)

「お前の空なる人生」とここまでアッサリ言われてしまうと、人生の意義や目的を求めて苦しんでいたのがバカらしくなってしまいます。その上で、食って飲んで楽しんでやれるだけのことをやれと言ってくれています。突き抜けちゃうとそんなものかもしれません。

さらに、突き抜けたニヒリズムを動機づけるものは?と聞かれて次のように答えています。

「ええ、難しいですね、ものすごく難しいと思います。でも安直なイデオロギーは手に入れたくないですね。だからやっぱり、どうもねぇ、ある種の歴史観で見ちゃうと「どうしてこの時代に人が生きていたんだろう、生きていられたんだろう」って、理解できなくなる瞬間があるんですよ。どうも人が生きるっているのは、そういうのとはなんか根源的にちょっと違うものなんだなっていう。「人がなぜ生きていくのか」とかさ。それをこのごろ思いますね。子供をいっぱい作れっていうようになっちゃいましたから(笑)。
とにかくいっぱい作っていっぱい苦しんでね。アトピーに悩み、環境問題に悩み経済に悩みながら生きているくことがどうやら生きてくということらしいと。そうやって当面、あと10年ぐらい生きていこうっていう風に僕は決めたんです(笑)」 

突き抜けたニヒリズムを動機づけるものは、やっぱり人間らしい暮らしの中にある、ということだと思います。

「いやぁ、だから人っていうのは愚かなものなんだよっていうね。実は僕は母親とその問題をめぐって、ずーっと思春期の頃に論争してたんです。「人間っていうのは仕方がないものなんだ」っているのがオフクロの持論で、僕は「そんなことはない」って言い合ってたんですけどね。どうもこのままいくと、オフクロに無条件降伏になるから嫌だなと思って(笑)」

「宮崎駿写真」の画像検索結果 

 「COBRA」

左腕に特殊な高性能銃「サイコガン」を付けた、一匹狼の宇宙海賊・コブラの活躍を、アメコミ風タッチで描く痛快SFアクション(スペース・オペラ)。原型となる作品に『シグマ45』がある。

『週刊少年ジャンプ』で1978年から1984年にかけて断続的に連載され、その後も『スーパージャンプ』、『コミックフラッパー』と掲載誌を変えながら、断続的にではあるが作品を継続している(現時点での最新エピソードは2006年に完結しているが、作品自体の完結は宣言されていない)。

 「コブラ」の画像検索結果

寺沢が癖の強い人物で、さらに作画に極めてこだわることから週刊連載が不可能になるが、当時の編集長であった西村繁男のお気に入りの作品であったことから優遇され、第2部「黒竜王」編(1981年)以降、ジャンプでは珍しい描き溜めシステムがとられ、ある程度執筆が進んだ段階で連載再開→エピソード終了による連載休止が繰り返された。西村によると、せっかく人気が上昇してもすぐに中断になることから、なかなかスムーズにいかなかったらしい。西村がジャンプの編集長を退任し、新たに『スーパージャンプ』を創刊し編集長に就任すると、寺沢も共に移籍した。

既刊作品がたびたび版を変えて再発売されるロングセラーになっている。ジャンプ系雑誌の発刊社である集英社で連載をしていた当時には同社から単行本が刊行されていた(現在集英社によるコミックは全て絶版)。コミックフラッパーに移籍後は発売元であるメディアファクトリー(MF社。現・KADOKAWA)からジャンプ時代のコミックスより「黒竜王」「ラグボール」「神の瞳」編などが完全版コミックスおよびフルカラー版と成り発売。2014~2015年には廉価版(いわゆるコンビニ・コミック版)が刊行されている(なおMF/KADOKAWA社に移行後、英語表記が SPACE ADVENTURE COBRA から COBRA THE SPACE PIRATE となった)。また、eBookでほとんどのエピソードの購読が可能。

 super agente cobra capitulo 8 parte 1

super agente cobra capitulo 8 parte 2

「止められるか、俺たちを」4月DVD発売。。。

映画を武器に社会を変えたい-。青春映画「止められるか、俺たちを」(白石和彌監督)は鬼才、若松孝二監督(1936~2012年)の若き日と弟子たちの奮闘を実話に基づいて映画化した作品だ。主演、井浦新(44)が「師匠」と慕う若松監督を熱演した。

 「恩師を演じるのは恐れ多くて…」。出演の打診に井浦は1カ月ほど回答を留保した。だが少しずつ「自分以外にいない」との自負がこみ上げてきた。

 「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」(平成20年)など若松作品に5作出演。24年に不慮の死を遂げた若松監督の葬儀では弔辞を読むなど、「若松組の顔」との思いが強かったからだ。

脚本に目を通した井浦は驚いた。ダブル主演の門脇麦(26)が演じた若松組の助監督、吉積めぐみの存在など初耳だった。「若松監督の口から一度も聞いたことがない。50年も前に若い女性がピンク作品を懸命に撮っていたなんて…」

 ピンク作品の監督を任せるなど、めぐみを一人前に育てようとかわいがる若松監督の姿は井浦にとって新鮮。また、「内輪話に陥らず、将来や生き方に迷う若者たちを丁寧に描いている」と好感を持った。

作中、徐々に頭角を現すめぐみは「自分が撮りたいものが分からない…」と焦燥感に駆られる。そんな彼女を行きつけのバーに連れ出した若松監督が、「お前は腹立つことはないのか。何をぶち壊したいんだ。俺はぶち壊したいよ。この腐った世の中を」と東北弁で熱く語る場面は迫力と温かさに満ちている。

 「若松監督は、まずは何かにやみくもに打ち込むことで感動が生まれてくる-と教えたかったはず。僕も彼と出会い、エネルギッシュな仕事ぶりから仕事の面白さを学んだ」と井浦。

井浦も物語のめぐみも現状とは違う何かを求め、一層仕事に身が入るようになった。井浦はどんな役者人生を目指すのか答えを出せていないが、「一つ一つ丁寧に仕事をこなしたその先に、おのずと答えは出てくる」と信じている。

門脇麦、井浦新 『止められるか、俺たちを』 【2018】 映画予告編

本作は、実在した吉積めぐみという女性助監督の話でもありますが白石監督自身の話でもあります。

白石監督は実際に若手時代、若松プロで見習いからはじめ助監督業務をしていて、劇中のめぐみと同じように何度も若松監督に怒鳴られたそうです。

若松孝二のような異常なまでの情熱や型破りさがないと監督にはなれないと考えていた点もめぐみと重なり、自身の初監督作の試写で若松の意見が気になったというのも同じです。

めぐみは夢半ばで儚い運命をたどりましたが、めぐみの死後に生まれ、同じく若松に育てられた白石監督が彼女をスクリーンに蘇らせました。

そして晩年の若松作品に多数出演し若松孝二に育てられた井浦新が若松監督本人を演じ、若松プロのスタッフ役も実際に若松孝二とゆかりの深い役者が演じています。

少しだけ登場する寺島しのぶや奥田瑛二、渋川清彦も若松組の俳優です。

劇中に登場する足立正生、荒井晴彦、高間賢治もアドバイザーとして本作に関わっています。

そんな現場ゆえに、若松プロも当時の荒れた日本の空気感も完璧に再現されています。

一方で、めぐみを演じた門脇麦は、生前の若松監督を知らないからこそ、男社会の若松プロの中で戦う女性助監督を見事に体現しています。

なにもわからないまま若松プロにやってきて、徐々に映画の世界そして若松孝二や足立正生に惹かれていくめぐみの姿とリアルにシンクロしていました。

若松プロの事も当時の空気感も知らない方が観ても、嘘くさく見えず実在感のあるキャラ造形になっています。

そして若松プロの映画を撮影風景も含めしっかり再現しているのも見所です。

本作で登場する若松プロの映画は全てピンク要素がありますが、それは映画を作るための手段に過ぎません。

逆に「男女の絡みさえあれば後は何しても自由」という制作体制だったのです。

おかげで政治的にも倫理的にも尖った作品がたくさん生まれました。

もちろん大儲けできるような映画作りではありませんでしたが、みんなやりたいことを熱意を持ってやれていた、まるで映画界全体が青春と呼べるような時代でした。

井浦新、恩師を演じる‼ 映画に込めた熱い思い‼/映画『止められるか、俺たちを』初日舞台挨拶

めぐみの成長と挫折

本作は、昔の若松プロを再現した映画でもありますが、何よりもめぐみと言う1人の女性の話です。

彼女は映画が好きで若松プロに入ってきますが、当初は「こんな映画を撮りたい」というビジョンは持ち合わせていませんでした。

しかし、途中で自分の初監督作で失敗してから彼女にも沸々とこみ上げるものが出てきます。

それを表すのが劇中に2度ある男たちの放尿のシーン。

最初の若松と赤塚が放尿するシーンではめぐみはそれを面白がって見てるだけですが、後半でガイラやオバケが放尿する時は「あたしも~」と一緒に放尿したがります。

このエピソードは事実かわかりませんが、ここにおける放尿とは「自分の作品や思想を世に放つこと」を表します。

新人の時は若松・赤塚の天才2人の放尿は遠い世界の出来事のように見ていましたが、同じ助監督だったガイラとオバケが自分たちの映画を撮りだした時期の放尿には過剰に反応します。

自分はまだ自分が世間に伝えたいことが見つかっておらず、まだ満足いく監督作もない。めぐみにはそんな焦りの意識が芽生えていたのです。

しかし彼女は新聞記者の取材とは裏腹に、女性であることのプレッシャーに負けたかのような最期を遂げます。

本作の前半ではバックボーンも何も分からずに映画作りにのめりこんでいくめぐみの姿が描かれていますが、妊娠や才能の壁にぶつかる後半では、彼女の家族や昔のことが段々とわかるようになっています。

前半では彼女を鼓舞する役割だったウィスキーが、最後の最後で彼女を殺す事になるという小道具の使い方も上手いです。

しかし本作は、悲劇で終わる映画ではありません。

ラストでも描かれているように若松孝二は2012年に交通事故で亡くなるまで、愛弟子の死という理不尽な現実への怒りも創作のパワーに変えて挑戦的な映画を撮り続けました。

それは同時代の仲間たちや、後の世代の白石監督や井浦新にも伝わり伝播するほどの熱意です。

そして結果としてめぐみは死後40数年を経てスクリーンに蘇ります。

歩みを止めなかった若松プロだからこそできた奇跡のような作品です。

『止められるか、俺たちを』の「俺たち」の部分には途方もない人数の関わりが入っているのではないでしょうか。

本作は、映画制作が熱かった時代を見事に再現した映画です。

「映画を武器に世界と闘う」「映画で世界をぶち壊す」という若松の言葉のような映画作りは、熱意さえあれば時代関係なく可能なのです。

白石監督もキャストたちもスタッフも若松プロも今後止まることなくどんどん突っ走ってくれることでしょう。

本作のパンフレットには劇中の業界用語や時代背景、若松プロの作品の説明に濃いインタビューなどが載っているので必見です。

下はレッド・ツッペリンのLive映像です。

Led Zeppelin - March 27, 1969 - You Shook Me (Beat Club) (Promo Video)

Led Zeppelin - Immigrant Song (Live 1972) (Official Video)

Led Zeppelin - Whole Lotta Love (Official Music Video)

Led Zeppelin - The Ocean (Live at Madison Square Garden 1973)

Led Zeppelin-Bring it on Home Live w/ lyrics

Led Zeppelin In My Time Of Dying Mhotership

Led Zeppelin - Achilles Last Stand (Live Knebworth 1979)

Led Zeppelin - Kashmir (Live at Knebworth 1979) (Official Video)

コメント一覧

kiyasume
おはようございます。。。
https://blog.goo.ne.jp/kiyasume
アパートは、保証人会社の事があるので、、、

今は、私に付いてくれている、
ケア・マネージャーさんに相談したら、
知り合いの不動産屋に聞いて見てくれるとのことで、

今は、連絡を待って居る処です。

レッド・ツェッペリンは、ジミー・ペイジと、
ロバート・プラントは、其々、ヤードバーズやら、
ブルース・オーガニゼーションと言うバンド時代から、
聞いて居たこともあり、お気に入りのバンドです。

ハードロックのバンドですが、ブルースの匂いが
する処が好きなんですよ。。。

書き込み有難う御座いました。。。
VIVA
kiyasumeさん、こんばんわ。

kiyasumeさんの記事にはツェッペリンがよく出てきますが、
特にお好きな様ですね?

私はあまり・・・でしたが、
彼等の曲では、ここにある移民の歌と
天国への階段の二曲が好きですよ。


アパート、どんな具合ですか?

落ち着かないでしょうが、
気を楽にして決めた方がいいかもと思いました。
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