寂しがり屋のハーモニカ吹き。(障害者の日常生活)

「冬物語」 過去記事を再公開....。

〜〜「冬物語」〜〜

期間限定公開です。以前に公開して居たものです。

クリスマスと言う事で、再公開致します。   以前は少しでしたが、

今回は全話です(編集版です1話につき2分程度)。

皆さん観て下さいね!!

 

冬物語




最近、私のblogで原田芳雄を知った若者から「冬物語」というドラマはどう云うドラマかと訊かれたので、、
今回は、紹介がてら、情報を載っけておきます。。

冬物語(全23回)は 【NTV.O.A】1972/11/13~1973/4/16 まで放送されました。


若く美しい未亡人・信子(浅丘ルリ子)と、暗い宿命を背負った元レーサー・乾の、激しくも悲しい愛の物語を、ロマンの香り豊かに描く。格式を重んじ、信子につらくあたる姑、信子に結婚を迫る義弟と強引に接近する中年実業家、乾を慕い信子に嫉妬する若い女などが絡み、二人の愛に様々な波紋を投げかける。

宗方財閥の社長婦人で未亡人である信子(浅丘ルリ子)とテスト・ドライバー乾良之(原田芳雄)が中心の物語。紆余曲折の末、信子は宗方家を出て、脳腫瘍を持つ乾が、最後は北海道の雪のなかで亡くなる悲恋物語。確か最後は結婚式の後、乾が失明し、最後、信子の腕の中で死んでいくと云う話でした。
このドラマの後、原田芳雄は、兄を殺されて復讐に燃えて、刑事を辞め、暗黒街で通称、警視と呼ばれる一匹狼のアウトローになって、復讐に燃える男を演じた、「真夜中の警視」と云うノワール調のドラマで主演を演じますが、撮影中に、人身事故を起こし、7話で打ち切りに成っています。その当時、松田優作が「太陽にほえろ」のジーパン刑事の主役が決まり、原田芳雄に挨拶に行っていますが、その当時、くさっていた、芳雄さんは、俳優仲間と自宅で麻雀をしていたそうですね・・・

■ストーリー
宗方信子(浅丘ルリ子)は、不幸にも結婚3か月で夫を亡くし、以来、格式ある宗方家の嫁として姑たちのつらい仕打ちに耐え忍んできた。夫の一周忌の法事の日、雨の中を一人寺へ向かった信子は、突然ぶつかってきたトレンチコートの男(原田芳雄)に強烈な印象を抱く…。その後、信子の弟が人身事故を起こし、その被害者を見舞いに行くと、そこには、被害者の付き添いにその男が、そして、何となく二人は惹かれ合い付き合い始めるが、、、

キャスト・スタッフ ほか【 出演 】 浅丘ルリ子 原田芳雄 津川雅彦 扇千景 荒谷公之 渡辺篤史 下元勉 ほか
【 脚本 】 清水邦夫

#1 雨のめぐり逢い
#2 美しき再会
#3 いま旅立ちのとき
#4 木枯しのあしおと
#5 落葉の湖
#6 冷い波紋
#7 時のいたずら
#8 愛は限りなく
#9 雪が降る…
#10 気仙沼は遠く
#11 海鳴りは悲し
#12 雨ふたたび…
#13 早春の風は冷たく
#14 悪いしらせ
#15 晴れた空悲しく
#16 誓いの京都
#17 愛の出奔
#18 夜明けまでの散歩
#19 雪の中の結婚式
#20 乾、失明
#21 朝の光に別れを
#22 残された時間
#23 雲への階段[最終回]















冬物語から抜粋シーン。

01. 雨のめぐり逢い

02.美しき再会

03.いま旅立ちのとき

04.木枯しのあしおと

05.落葉の湖

06.冷たい波紋

07.時のいたずら

08.愛は限りなく

09.雪が降る・・・・

10 気仙沼は遠く

11.海鳴りは悲し

12. 雨ふたたび

13.早春の風は冷たく

14.悪いしらせ

15.晴れた空、悲しく

16.誓いの京都

17.愛の出奔

18.夜明けまでの散歩

19 .雪の中の結婚式

20.乾、失明

21.朝の光に別れを

22.残された時間

23.雲への階段

 

 

明日はクリスマス・イブ。しかし私には関係ないですね、今年も一人寂しく...。クリスマス・ケーキはコンビニの物です。(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾

 

山下達郎 - クリスマス・イブ

 

 

 

 

 

 

 

 

最近、クラシックをブルースハープで吹ける様に、練習をして居ます。私は丁度、プログレのミュージシャン達がクラシックぽく演奏して居る様な雰囲気の曲だったりメロディーだったりはハモニカで吹けるのですが、本格的にちゃんとした曲で吹けると言う事は出来ません。まあ、触りの部分だけ吹く事は出来ると思いますが。私はクロマチック・ハーモニカも持って居る為に、本来ならば、タンゴやらクラシックも吹ける様に成りたいのですが、クロマチックは正直、上手く吹けません。まあ、練習不足の感が拭い去れませんが・・・。大体がブルースだけで手一杯です。ジャズも殆んどダメだし、、まあ、練習しないから・・・。ああ、ただ、ジャズのフレーズをブルースに混ぜて吹く事は良くやります。ブルースにジャズのフレーズはもともと混ぜて吹くプレイヤーは沢山居ますからね。そう言う意味ではチャーリーパーカーのブルースやらソニーステットのブルースをよく混ぜて吹いて居ます。この二人はジャズのバッパーですよ。私は昔から、ギターを弾いて居た頃から、ブルースとジャズの混合は行なって来ました。私のギターを聞いた人は、これってジャズと言う方が居ましたね。一般の人にはブルースと言うとエレキギターで長いフレーズを延々と弾く見たいな事を思い描く人が居ますね。だから今だに、訪問看護師などに聞かせると、ブルースはそうしたものだと思って居るから、私のギターを聴くと、「なんか違う、これってジャズですか?」と言うのです。まあ、確かに私はエリック・クラプトンの様な誰もがこれがブルースかと言うフレーズは弾きませんでしたから。何処かジャズの匂いがするブルースギターを弾いて居ましたから。ブルースハープも同じです。トラデショナルなフレーズは吹けますが、余り吹きません。モダンなフレーズを好みます。だからと言ってトラディショナルなサニーボーイなどのフレーズが嫌いと言う訳ではありません。あくまでシカゴ・ブルースの範囲内で、ジャズのフレーズだとか混ぜて吹きます。矢張りね、黒人にはなれないし、自分のフレーズが吹けなければ何にも成りませんから・・・。まあ、解り易く言うと、エリック・クラプトンは黒人のブルースを勉強して自分のブルースのフレーズを完成させた訳だし、それが「ロック」となって行った訳です。ただ皆さん。黒人の本当のブルースを聴きますか?皆さん安易にクラプトンが作り上げたロックのブルースを聴いて居ませんか?それはそれでいいけど、、なんか本道のブルースとは違いますよね。

Sonny Boy Williamson- "Don't Start Me To Talking/Coming Home To You Baby" 1963 [RITY Archives]

Eric Clapton - Have you ever loved a woman?

ギター教則『ジャズ・ブルース・ギター完全攻略』宮脇俊郎 Digest

Sonny's Blues

Sonny Stitt - Best Slow Blues

最近中古レコード屋に行きますが。DeskUnionには「ブルース」は置いてあるけど、殆んどの店には見かけ無くなりましたよね。ロックのブルースは売って居るけど。黒人のブルースは売って居ませんよ。特定の店しかね。ストリーミングで「ブルース」を選ぶと、ロックのブルースも混ざって居ますよ。このblogで後からレコード屋の対談を乗せて居ますが、彼らが話して居る音楽はクラブ・ミュージュック、ハウスやディスコなどですよ。ブルースは死語に近いです。最近はもう哲学書籍も本屋に並んでは居ません。前は新宿の紀伊国屋書店だとかに並んで居たのだけどもね、、「ブルース」も「哲学」も1990年代までは現役でばりばり流行って居たものですよ?私は、テクノ・サウンドとか、パンク・ロックだとかは、はっきり言って余り好きではありません。坂本龍一らがテクノ・バンド「イエロー・マジック・オーケストラ」とか作って出て来た時にも余りいいとは思えなかったです。彼らは1980年代に出て来て居ますが、そう言う意味では、もはや私は古いのでしょう。確かにもう人間が古いですよ。もう60歳だ。でもね、いつの世にも不動の物と言うのはあります。たとえ古くても、人間なら忘れてはいけない種類の音楽とか思想はありますよ。何遍も言いますが「ブルース」は「クラシック」と並んで音楽のルーツです。最近は、此れらの音楽を皆さん気に留めない。新しい物は古い物から出来て居るのです。今、流行のロックバンドはあれはヒップ・ポップですよ。ロックですら、エリック・クラプトンですら顧みられる事は稀になりました。皆さん、ブルースとロックの違い解りますか?ハーモニカ教室の先生が言って居るけど、皆さん教室に通われて、すぐにアドリブで凄い演奏が出来る様にしてくれと言うらしいですね・・・。他力本願です。ハーモニカは言っときますが、難しい楽器ですよ。シンプルなだけに奥が深く、おい其れとは鳴ってくれません。そこの苦労の部分は嫌なのです。先生に「あんたの様にすぐに吹きたい」と無理を言うのだそうです。「では、曲を吹きましょう」と言っても「あんたの様にアドリブを吹いて友達に差をつけたい」「カッコよく吹いて彼女をゲットしたい」と音楽がやりたいが為の楽器では無く目立ちたい、カッコつけたい。そんな人が多いそうです。

Char & 野村義男 ひみつのアッコちゃん すきすきソング ブルースとロックンロールの違い

ブルースギター I7 とIV7での音使いの違いを簡単に

ブルースとジャズブルースの違い (ミディアムテンポ)

Emotional Blues Music - Youness Jabbari | Vol4

私が初めてブルースハープを吹き始めた時には、教則本も売っては居ませんでした。ああ、ホーナー 認定の英語で書かれた教則本はありましたが。私も買いましたが、はっきり言って初心者にはちんぷんかんぷんでした、日本人が書いた教則本はなかったです。唯一、妹尾さんが「prayer」と言う音楽誌にブルースハープ講座を掲載して居たぐらいでした。私はハーモニカは小学生以来でしたので、まずシングル・トーンを吹く練習から始めました。シングル・トーンとは「単音吹き」の事です。ブルースハープは普通のハーモニカよりも可也小さいです。普通のハーモニカでもはじめはシングル・トーンは出来ませんよね?だから私は期間を決めてまず一音一音、ハーモニカの穴から音が吹ける様に練習をしました。期間は1週間と定めました。そして音が大きいので、夏でしたが、冬の暑い布団を取り出して布団を被って吹きました。それでシングルトーンが吹ける様になりました。穴が重複しない様に、1日3時間は吹きました。ハーモニカは、ブルースハープは吹く音と、吸う音が出ます。だから10個の穴で20の音が出ます。もっと詳しく言うと一つの穴からはベンドをすれば2種類の音もしくは3種類の音が出ます。だから実質音は20以上鳴らす事が出来ます。その「ベンド」、音を曲げると言う事ですが、これには吸うベンドと吹くベンドがあります。なかなか上手く出来ません。私ははっきり言ってベンドは余り得意ではありません。そしてタング・ブロック、口でハーモニカの穴を4つ咥えて、下で穴の3つを抑えて残り一つの穴から音を出す事です。これが出来ると4つ目の音からシングル・トーンを出して残り3つの穴を舌で塞いだり離したりする事でリズムを吹く事が出来ます。これも難しいですね。あと、タング・ブロックの応用編としてオクターブ奏法と言うのがあります。これは4つの穴を咥えて真ん中の2つ目の穴と3つ目の穴を舌で塞ぎあと残りの1つ目の穴と4つ目の穴を吹くと言う方法です。この2つの音はオクターブになります。ジャズギターで言う処のウエス・モンゴメリーのオクターブ奏法と同じ原理ですね。そして最後にトリルです。並んだ二つの音を素早く交互に吹いてリンギングの効果を狙った音です。要するに電話のベルの様な音ですね。以上がごく一般的に言う処のブルースハープの吹き方の初歩です。これだけ頭に入れて吹ければいいのです。簡単でしょ。。。あとはですね、ブルースハープは木製の物とプラスティック製の物、そしてステンレスで出来た物とがあります。どれも音が違いますが、初心者はプラスティック製のものが吹きやすいでしょう。私は枯れた音が出したいので、木製の物を吹いて居ます。木製の物は文字道理、木で出来て居る為、唾液で膨張してコムが飛び出てしまい口を切る事があります。また大まかにハーモニカの種類として、メジャーハープとマイナーハープがあります。曲によって使い分けます。この事らはどの教則本でも、教則DVD、ビデオでも出て来て練習する事です。皆さんチャレンジして見ては如何でしょうか?ハーモニカが吹けると楽しいですよ。何故なら一人で演奏してもいいし、バンドで演奏してもいい楽器だからです。そしてスマホのストリーミングでいいからブルースを聴きましょうよ。ブルースは渋い音楽ですよ。聴いて見ると奥が深いですよ・・・・。

ハーモニカ教則『ブルース・ハープ完全攻略』平松悟 Digest

Let It Be - The Beatles

浅見安二郎ブルースハーモニカ「イエスタデイ」Yesterday

Concierto de Aranjuez-Harmonica/ アランフェス協奏曲(BluesHarpハーモニカ)Diatonic Harmonica

浅見安二郎ブルースハーモニカ「パリの空の下」Sous le Ciel de Paris

浅見安二郎ブルースハーモニカ「夜のタンゴ」Tango Notturno

浅見安二郎ブルースハーモニカ「リベルタンゴ」Libertango  

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〜〜懐かし映画館〜〜

「新幹線大爆破」東映、1975年公開作品。

新幹線の乗客を人質に取った爆弾脅迫事件が発生した。爆弾は走行中の新幹線に仕掛けられており、列車の速度が時速80キロ以下になると爆発するという。巧みなポイント切り替えによって、新幹線は速度を維持したまま南下して行く。だが、その終点は間近に迫りつつあった……。『スピード』という洋画が大ヒットした事があったが、それを20年ほど前に先取りした作品。

 

約1500人の乗客を乗せたひかり109号、博多行は9時48分に定刻どうり東京駅19番ホームを発車した。列車が相模原付近にさし掛かった頃、国鉄本社公安本部に109号に爆弾を仕掛けたと言う電話が入った。特殊装置を施したこの爆弾はスピードが80キロ以下に減速されると自動的に爆発すると言うのだ。さらに、この犯人は、この事を立証するために札幌近郊の貨物列車を爆破する。これらの完璧な爆破計画は、不況で倒産した精密機械工場の元経営者・沖田哲男、工員の大城浩、そして元過激派の闘士・古賀勝によるものであった。そして沖田は500万ドルを国鉄本社に要求した。運転指令長の倉持は、運転士の青木に事件発生を連絡すると共に警察庁の須永刑事部長、公安本部長の宮下を招集、対策本部を設定した。やがて国鉄側が沖田の要求に応じた為に、大城が500万ドルを受け取りに向ったが、パトカーの執拗な追跡に事故死してしまった。仲間を失った沖田は単身、捜査本部と虚々実々の掛け引きを展開し、沖田は巧妙な手口を駆使してついに500万ドルを手に入れた。しかし古賀は、貨物爆破の現場に残したタバコから身許が割れ、沖田を逃すために自爆した。沖田は、捜査本部に爆弾除却方法を記した図面が喫茶店サンプラザのレジにある事を知らせ、変装、偽名を使って海外旅行団の一員として羽田に向った。処が、その喫茶店が火事になって、図面が焼失して仕舞ったのだ。捜査本部はTVで必死に沖田に呼びかけたが、反応はなかった。緊迫した捜査本部に、制限速度ぎりぎりで走る109号を外から撮影したフィルムが届けられた。そのフィルムから爆弾装置の箇所が判明された。早速、爆弾の仕掛けられた位置の床を焼き切るために109号と並行して別の新幹線を走らせ、酸素ボンベと溶接器を運び入れ、見事、爆弾除去に成功した。一方、沖田は羽田国際空港で張り込む刑事たちの目を逃れて搭乗しようとしたが、刑事たちが連れて来ていた息子の賢一が沖田に声を欠けた為に見破られて仕舞った。沖田は必死に逃走するが、追って来た刑事たちに射殺された。

新幹線大爆破(予告編)

The Bullet Train Ending Scene/新幹線大爆破(1975)Junya Satō High Quality HD

新幹線が登場する映画の名作をひとつ挙げるなら、この映画で異論はないだろう。このタイトルに当時の国鉄が激怒したというエピソードもあるけれど、テロリストと戦う鉄道マンの姿をカッコ良く描く物語。ぜひ現代の新幹線でリメイクして欲しい。

同作品は世界一安全な信号システムを逆手に取ったアイデアも秀逸ながら、キャスト陣の豪華さでも知られて居る。悪役の高倉健をはじめ、千葉真一、宇津井健、丹波哲郎、渡辺文雄など、当時の大スターが共演していた。現在は渋い父親役が多い山本圭も、本作では若さあふれる共犯者。運転士役には、『太陽にほえろ!』の「ゴリさん」で知られる竜雷太、そして小林稔侍。カット数は少ないものの、田中邦衛、北大路欣也、多岐川裕美、志穂美悦子の姿も。乗客のロックシンガー役で出演した岩城滉一は、これが映画デビューだったと言う。

1975年東映作品『新幹線大爆破』。DVDも発売中。(販売 : 東映、発売 : 東映ビデオ)

速度連動型爆弾を抱えた「止まれない新幹線」

『新幹線大爆破』は、列車に爆弾を仕掛けた犯人と、国鉄、警察の駆け引き、爆弾列車に乗った1,500人の乗客のパニックを描くサスペンス作品。映画の公開は1975年7月で、東海道・山陽新幹線の博多開業から5カ月後だった。当時の新幹線は1時間あたりひかり5本、こだま5本を運行して居た。現在は1時間あたり最大で13本だが、当時もかなり過密なダイヤになって居た。

その日、東京発博多行「ひかり109号」は定刻の9時48分に発車した。この列車が新横浜を通過した頃を見計らって、主犯の沖田哲男(高倉健)は国鉄に電話を掛ける。

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ーTEAC・カセットデッキー

 TYPE I、TYPE II、TYPE III、TYPE IVと言えば、なーんだ。

この様に聞かれて、若い人は「なんだそれ?」とちんぷんかんぷんだろうが、40代以上は「カセットテープの種類でしょ。懐かしいなあ」と青春時代を思い出す人も多いのでは。

ちゃんとした機材で録音すれば、音質の違いはハッキリと出る。しかし小学生や中学生に、その違いを聞き分けるのは至難のワザ。高価なTYPE IVの「メタルテープ」に録音して、「やっぱり、いい音をして居るなあ」と悦に入って居た人も居るだろう(私も購入したが、勿体無かったので、未使用の侭どこかに消えた)。

 

カセットテープは1970年代から80年代に掛けて音楽用の記録メディアとして人気を集めたが、ご存じの通り、その後は衰退して行く。90年代に入ってCDやMDが台頭し、2001年にiPodが登場した事で、カセットテープやデッキの生産を打ち切るメーカーが相次いだ。

日本レコード協会の調査によると、オーディオレコードのカセットテープ市場はここ10年で10分の1ほどに。マイナビが4年前に行った調査では、カセットデッキやラジカセを所有している人は1割程である。

「レコードやテープはオワコン。いまはスマホで音楽データを楽しむ時代でしょ」と言われて居る中で、カセットデッキを作り続けて居る会社がある。「TEAC(ティアック)」だ。3月末にダブルカセットデッキ「W-1200」(店頭価格:5万円前後)を発売した処、「2018年にもなってカセットデッキの新商品が出るなんて」「カセットテープの魅力を改めて堪能できる」と言った驚きのコメントが目立った。

嘗て子ども部屋にオーディオセットをどーんと構えている光景は珍しくなかったが、今は違う。CDプレーヤーすら持って居ない人が増えて居る中で、ティアックはカセットデッキを作り続けるのだ。

ティアックは、カセットデッキとCDプレーヤーの複合機「AD-850」も発売した。USBメモリーへの録音も可能で、懐かしいカセットテープやCDを活用出来ると言う。価格はオープンプライス。店頭では3万3千円前後(税別)になる。ティアック「AD-850」

カセット部は録音/再生に対応した2ヘッドタイプ。オートリバース機能は持たないが、ノーマル/クロームポジションテープの録音再生とメタルテープの再生が可能だ。±10%のピッチコントロール再生にも対応する。

CDプレーヤー部は、音楽CDのほかにMP3ファイルを記録したCD-R/RWの再生が可能。MP3再生時はID3タグやファイル名表示に対応し、楽曲タイトルやアーティスト名、アルバム名などが確認できる。プログラム再生やシャッフル再生、リピート再生など各種再生モードを備えた。

別売のUSBメモリーを接続すれば、カセットテープやCD、外部入力の音声信号をMP3(128kbps)で録音が可能。逆にUSBメモリー内のMP3ファイルやCDの楽曲をカセットテープに録音する事も出来るなど、メディア間のダビングに対応する。

フロントパネルにはマイク入力を装備。マイクの音声をカセットやUSBメモリーに録音する事は勿論、CDやカセット、USBメモリーからの再生音をバックにマイクの音声をミックス。それをUSBメモリーやカセットテープに録音するなど、カラオケの練習に適した機能も用意したと言う。

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自撮りです。寝起きの写真です。よろしく.....。

久々に本屋まで散歩して行って来た。。。

 

 

帰りにカフェラテとモンブランを食べて来た・・・。

 

 

東京を代表する4店のレコードショップのスタッフが卓を囲み、日本のレコード・ビジネスについて談論。

 
世界的にアナログ・レコードの売上が巻き返して居ると言う話を少し前からよく耳にする様になった。海外のメディアでは、レコードの販売数の劇的な上昇を示したグラフが頻繁に公開されており、レコード・ストア・デイには年々多くの新作やリイシューが発売され、一部のDJやレコード愛好家でなくても気軽にレコードにお金を出す層が増えて来て居ると言う印象を受ける様になった。しかし、日本国内ではどうなのだろうか?2014年の8月には、HMVが渋谷にレコード・ショップをオープンし、多くの人々を驚かせた。2014年の年末には、数年前に廃刊となったディガーの愛読本『レコード+CDマップ』がカムバックを果たしており、日本でもレコードへの関心は着実に高まって居る様に見受けられる。


とは言え、日本のレコード市場がかつての盛り上がりを見せて居ないのは明白だ。レコード文化の全盛期であったと言える90年代から2000年代前半を見てみると、当時、東京では渋谷や新宿と言った街にレコード・ショップが多数建ち並び、特に渋谷宇田川エリアは「レコード・ショップの聖地」と呼ばれ、各地からレコード好きが足繁く通って居た。しかし2000年代半ば頃からレコード・ショップは次々と店を畳み始め、2000年代の終わりまでには、個性豊かなレコード・ショップたちの多くが居酒屋やカフェへと姿を変えて居た。さて、現在の日本のレコード・ビジネスはいかなる状態にあるのだろうか?その答えを探るべく、東京のレコードショップ4店舗のスタッフに集まって頂き、RAの対談シリーズRoundtableを敢行した。

今回招聘したのは、新品・中古を幅広く取り扱い、関東圏に約40店舗を構えるdiskunionの渋谷クラブミュージックショップの原毅と、クラブミュージックを幅広く揃えた渋谷のTechniqueの佐藤吉春、クラブミュージックのみならずポップミュージックのレコードも豊富に取り揃えるJET SET下北沢店の中村義響、そしてハウスやディスコなどを中心に扱う渋谷のLighthouse Recordsの森広康晴の4名。日々レコード市場の動向を追っている彼らの目には、現状がどのように映って居るのか。また、今後この文化を廃らせない為にどう言った事に取り組んで居るのか。レコード・ビジネスの現在、そして未来を語って貰った。



日本において、レコード文化が盛り上がって居たと言えるのは、いつ頃だったと思いますか?

佐藤:90年代後半から2000年代初頭ぐらいまでじゃないですかね。96、97年ぐらいにレコードを買い始めたんですけど、その頃テクノが盛り上がって居たんです。僕はテクノから入ってるのでテクノ中心になって仕舞うのですけど、Sony Technoという企画が行われて居たり、メジャーでもテクノのCDが出て居たりしたんで、それに従ってレコード屋さんもどんどん出来てました。落ち着いて来たのは、新しいメディアとしてデジタルが出てきた頃ですかね。レコードだけでなくCDやパソコンなどDJツールの選択肢が増えたので、その影響を受けたと言う感じです。


中村:2000年代後半はアナログ・レコードのマーケット全体が右肩下がりでどこも厳しかった時期だと思うんですけど、それも2010年頃を境に下げ止まって居る実感はあります。JET SETでも、ニューディスコの隆盛期ならハウスとか、チルウェイヴ以降は一連のUSインディものだとか、ここ数年だと自社で制作している国内アーティストのアナログとか、その時々で以前よりもセールスを伸ばせるジャンルが出て来て。現状にあまりネガティブな感想は持って居ないんですよ。むしろ今はレコード文化の衰退ではなくて、円安がキツいですよね。とくにダンス・ミュージックみたいな12インチ・カルチャーのジャンルは売り辛くなったなと感じています。

佐藤:1枚1500円越えて来るとなかなか難しいですよね。レコードをはじめ音楽メディアってやっぱりユースカルチャーの部分が大きいので、若者の人達が買ってナンボだと思うんですけど、円安のせいで値段が上がると、買いたくても買え無いと言う状況になって行って。2年ぐらい前までは下げ止まったって印象でしたけど、円安と同時にまたお客さんが買いにくい状況にはなったと思います。

原:あと、アーティストのほうも枚数が履けないので、単価を上げて来てるんですよね。全盛期の90年代後半ぐらいは1000円ぐらいで12インチ1枚買えたんですよ。それが1500円になり、高いのだと2000円になったり。買う方としては買い辛い状況にはありますよね。根強いファンはずっと居ると思うので、そこまで悲観的に捉えて居ないですが、これに加え今の円安で今後打撃を受けるなとは思いますね。 今、アルバムで5000円とかありますからね。高いですよね。






佐藤:そうですよね。Theo Parrishとか。

中村:その価格帯になると、バイヤーも数字を入れる時に躊躇しちゃいますよね。

佐藤:こないだドイツのディストリビューターの方が来て、話を聞いたんですけど、ドイツでは返品制度があるんで、レコ屋は売れる分だけ売って、余った分は返せるらしいんですよ。ドイツでは法律で決まってる見たいです、返品を受付なくては行けないと。そのディストリビューターが言うには、300枚オーダーが入っても300枚全部送らないらしいんです。150枚帰って来る可能性があるんで、100枚、150枚などを送って、返品がないように調整しないと駄目らしくて。日本のレコ屋みたいに、精密に数字を入れるのとは違って楽だなと思いましたね。やはりどうしても在庫は抱えてしまうので。

中村:日本のレコード屋って商売としてなかなか酷くって、3枚売っても在庫1枚残ったら儲けが出ないですからね。その制度は羨ましいですね。

他に、今レコード店を運営する上で難しいと感じることはありますか?

佐藤:最近はWEB通販にシフトして居る人が多いので、お店を構える意味をきちんと考えて今後やっ行かないといけないと思いますね。今うちだとWEB通販で商品を取り置いて、取りに来る為だけにお店に来る人も少なからず居るんですが、お店用の試聴盤とか全部揃えてやって居ると、試聴盤がもう昔ほど活躍し無くなって来てリスクになって来るんですよね。現物を聴いた上で買いたいってお客様もまだまだ居るので、その辺のニーズには答えて居るんですけど。実店舗にとって、自分らのサイトが商売敵になって居る様な状況もあります。WEB通販で買って貰う程お店に来る人は減って居るので、その葛藤がありますね。


現在、通販と店舗での売上の割合はどのくらいなのですか?

佐藤:Techniqueは通販の方が多くなって来てます。

中村:JET SETも通販ですね。ウェブのインフラは早い段階から力を入れてやって来た介もあって、圧倒的にオンライン・ショップです。


店舗を構えていることの目的、理由とは何でしょう?

中村:前提としてあるのは、自分たちが育ってきたレコード・カルチャーへの意地と言うか。レコード屋に行ってレコードを買うと言う文化で育ってきたスタッフが多いので、そこに愛着がある部分はありますね。でももっと実利的な視点から言うと、実店舗が無くなるとカルチャーとしての発信力も求心力も弱くなる事が明白だからですね。お客様は勿論ですけど、お店に来てくれるアーティストやDJと対面で築き上げられるものって凄く一杯あるので、その場所がなくなると、自分たちのブランドも弱くなる。そこまで勘定してみると、リスクではあるけれども費用対効果で元が取れて居るのかなと。

森広:Lighthouseに関しては、オープン当初からずっとお店の方が売り上げが高い状態をキープしてます。わざわざ足を運んで貰うからには、何かしら喜んで帰って貰いたいと言う意識がオープン前からあったので、試聴機は4台用意して、長居出来る様にソファーや喫煙スペースも用意したりとか。あと、接客も重視してきたポイントですね。店舗があると、レコードだけじゃなくていろんな人や情報が集まって来るので、新しい広がりとか繋がりも作れたりしますし、いろんな可能性を秘めた空間として実店舗の存在価値があると思ってます。





中村:凄いですね!通販と店舗って。

森広:店舗があるのと無いのでは、働いている僕ら自身のモチベーションが変わって来そうな感じもしますね。あと、ダイレクトにお客さんの顔が見えるのもメリットだと思います。例えば、2008年のオープン当初は20代後半から30代が中心だったんですけど、ここ数年の間に当時の常連だったお客さんが少しずつ減ってきた分、それとは別に新しいお客さんが付いてくれて居て、最近は10代のお客さんとか学生の方も居る状況になって来たんですよね。少しずつ世代交代が進んでいると言うか。通販だとその辺りは中々見えずらいですからね。

原:当店の場合は中古商品を沢山扱って居るので、皆さんとは事情がちょっと違うと思います。処で皆さんはどのくらい中古を扱って居ますか?

佐藤:お店だと、うちの場合は半々ですかね。売上で言うと新品の方が上ですね。

中村:JET SETも下北沢店はスペースが限られて居るので、中古は少量しか扱って居ないですね。下北沢は中古レコード屋さんが比較的沢山ある街なので、そこは役割分担しても良いのかなと。京都の本店では中古も大きく展開して居ます。

森広:うちも店舗だけですが中古はあります。売上は新譜7対中古3ぐらいの割合ですかね。

原:diskunionの場合は売上の半分以上が中古なんです。それがあるから実店舗の運営がしやすいと言えますかね。なので、新品だけだと本当に大変だと思います。新品だけで続けてらっしゃるお店は相当努力して居るのだと思いますね。通販もやって居ますけど、店舗の売上のほうが断然上ですね。いかに中古をどんどん仕入れて、毎日じゃんじゃん出していくか、と言う事をメインにやってます。それにお客様がつい来てくれて居ると言った状況ですね。継続的に、ほぼ毎日来られる方もいらっしゃいます。

佐藤:休憩中に行きますもん、僕も。(笑)

原:レコ屋の方は一杯見かけますね。うちの従業員もよくTechniqueさんの方に行ったり。

中村:レコ屋の仕事の休憩中にレコ屋に行くっていう。ほとんど病気ですよね。

森広:下手したら自分の店よりdiskunionさんで払った金額のほうが大きいですからね。(笑)

原:有難う御座います

佐藤:処で皆さんに聞きたい事があるんですけど、海外のお客さん最近増えてません?

原:増えてますね。

中村:オーストラリアの方が多いですよね。





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では、今後の話をしましょう。レコード・ビジネスは今後どうなっていくと思いますか?また、レコード文化を盛り上げて行く為に、今後どうするべきだと考えて居ますか?

森広:今は円安や増税の影響もあって輸入レコードの販売は商売的に過酷な時期ではありますけど、これ以上市場が縮小する事はない様な気はしてます。若いお客さんや新しい層が増えている現状をポジティヴに捉えたい処ですね。レコードはDJだけのものでは無いですし、それぞれのライフスタイルの中にレコード鑑賞が根付いて行ってくれるといいですね。

中村:僕もあまりネガティブに捉えて居なくて、割とフラットなのかなと思っています。アナログと言うフォーマットを選択してくれる一定層がしっかり居ますし。有難い事に、今なんとなく「アナログって良いよね」っていう雰囲気は醸造されてますよね。そこで自分の仕事を通して今出来る事は、とにかく間口を広げる役割かなと。国内アーティストのレコードを沢山企画して、多くの人にレコードという文化に触れて貰って。レコードをビジネスとして継続して行く為の土壌を作って行きたいなと。

原:此方から色々仕掛けて行って色々なものを作り出して行く事が大事じゃないですかね。今まではすでに出てるものを仕入れて、売って行くのが殆どだったんですけど、「こう言うのが欲しい」、「こう言う音が聴きたい」と言うのを提案して、それを形にして行くと言うのをうちでは今やってます。こちらからアーティストにアプローチして、CDのアルバムにしか入って居ない様な曲を7インチで出すとか。全盛期には忙しくて相手をしてくれなかったようなアーティストが、最近では結構耳を傾けてくれるんですよ。(笑)それをどんどんやって行こうと考えています。あとレコードだけじゃなくて、うちはTシャツだったりとか、関連グッズ、カセット、本なども売ってますし、DJ機材も取り扱ってます。なのでトータル的に音楽をサポートして行こうと思います。

佐藤:うちはアーティストとの距離が近いので、曲のデモが良く届いたりします。それをレコードで出して世界に流通すると言うのは最近やってます。これまで培った海外のレコード屋とのネットワークを利用して、日本のアーティストと海外のレコード屋とのやり取りのお手伝いをし、海外での流通がスムーズになる様サポートして行きたいと思ってます。

コメント一覧

kiyasume
桜井丹九郎さん。書き込み有難う御座います。
この「冬物語」は韓国の人気ドラマのペ・ヨンジュ主演の
「冬のソナタ」に影響を与えて居る事で有名です。

このドラマ「冬物語」が公開されて居た頃は、私はまだ10歳ぐらいでしたが、
原田芳雄のカッコよさと、浅丘ルリ子の美しさに参って居ました。

時代が変わってもいいものはいいですよね・・・・・・。

まあ、公開当時、原田芳雄はまだ32だったし、浅丘ルリ子が35歳ぐらいだったのかな?....。まあ浅丘ルリ子は当時もう大女優でしたからね、、、
芳雄さんは頭角を現した頃だし・・・・。

私は原田さんを知って居たし。原田さんのお宅に伺った事があります。
芳雄さんを兄貴と慕って居ましたから....。
このドラマは最近になって2回も再放映されて居ますよ。。。
CS放送の日テレですが。再放送時、ビデオはもう無くなって
居るのでは無いかと懸念されて居ましたが、有ったのですよ。

ファンは狂喜乱舞しました。(笑)

今回、以前に簡単な紹介のものをあげて居ましたが、、
今回は全話挙げて見ました。3分程度のものですが、観て頂いて、、
有難う御座いました。

そうなんですよ。バッハやら、モーツワルトの曲を吹ける様に練習中です。
クラシックはブルースと共に2大ルーツ音楽ですから、、、
頑張らないとと思って吹いております。

丹九郎さん。来年も宜しくお願い致します。

良いお年をお迎え下さい......。
櫻井丹九郎
『冬物語』、、、、、、、、、、、、
1972年頃の映像ですか?
もう、昭和時代のロマンですねえ。
40歳台の人でも、知らないでしょうね。

浅丘ルリ子さん、、、
伝説の女優さんですね。痩せ形のかたですが、確かに美しいかたですね。

kiyasume様は、ブルースハ-プで、クラシック音楽の練習を
なさっておられるとの事、、、、、、、、どうか、頑張っていただきたいと思います。

今年は、貴ブログに、いろいろ落書きして、すみませんでした。
来年は、さらに良い年を、お迎えください。
御多幸を祈ります。
 
    【冬の夜に ブルースハ-プの 音(ね)は清く】 タンクロ-
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