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戦後の人間観の貧困がもたらしたこと

2006年11月29日 | Weblog
 戦後の洗脳支配の最たるものは、GHQの教育、言論界での単純で貧困な理想主義人間観の流布にあると思います。人間には善悪の二面性があるというのが古来からの日本人が脈々と受け継いだ人間観と思います。人間の心には邪悪な心が盗みや暴力をもたらして善なる心がそれを防ぎかつ道徳を産む、邪悪に走った人を憎む厳しさとその行為に至った人の心を悲しむ優しさがある。厳しさと優しさが絶妙のバランスがあったはずです。それが昨今の事件を見ると著しく崩れている。
 教育ママ等の家庭内の教育しつけでの過干渉が子供の自立性を奪い、いざその自立が求められる頃には引きこもり、極端な反発行為としての親殺し。学校教育では学力偏重教育で子供の人間観を偏狭なものにしている。子供の能力には学力以外にも遊びの中での指導性つまりガキ大将のもたらした子供の世界での社会的訓練等を評価する多様性があったはず。それらを子供ながらそれらを評価して付き合っていたはず。それらを今の教育環境が完全にないがしろにしている。子供が子供らしさを感じさせた時代の雰囲気がなくなている。子供としての通過儀式を経て徐々に大人になることを再認識すべきです。自立には多くの失敗があり、幾ばくかの成功がある。その失敗からの立ち上がりを励ます心の余裕が今の時代には感じられない。我が子にあってもましてや他人の子には。その偏狭さがぎすぎすした社会をもたらした。わが子と同様に叱り、慈しむ余裕がない。地域社会が子供を慈しみ育てる風土がなくなった。
 学校教育に学業指導以外に生活指導まで持ち込み、教師の対応が不可能にしている。学童の生活指導は親がするもの。家庭内の学童の生活まで介入するな。学校内での学校生活に対しての指導に限定せよ。父兄は高学歴化が進み、デモしか先生の言葉の流布とともに教師に対する尊敬心も極端になくなってしまった。おまけに家庭で学童の前で教師に批判がましい事を家で話す。尊敬する心なくして言うことを聞くわけがない。学ぶ心が希薄になる。
 そして学業の内容科目が外部要請とともにますます増加し、複雑化しそして授業時間が縮小する。落ちこぼれ達は救われることなく、再履修つまり落第させられることなく教育官僚である教師のノルマに付き合わされ落ちこぼれたまま進級進学し、ますます教育が形骸化する。それでも予算の消化の達成になる。学業の達成度をはかることが許されず、少子化が一層の入学試験の安直化に連なり、学業の劣化が進む。回路を組めぬ電気科卒、図面書けぬ機械科卒まででる始末。見事な不良品だ。教育の品質管理が出来ていないと言うことだ。
 共産主義下のソビエットの経済が破綻したのは品質無視のノルマ性にあり、競争無視で破綻した企業や個人を出さぬ体制が、止め処もない競争意識の無視欠落が経済を潰した。自由を与えず破綻も与えぬ組織は当然のこと個人の自由を与えず。寄らしむことなく、知らしむことのない社会はどのような惨たらしい歴史をもたらしたか思い起こすべき。旧文部官僚と日教組は学童を盾に学校に立てこもってきた。奴らを学校から引きずり出せ。教育情報の全面開示を要求せよ。下奴らの独善を打破せよ。教育の社会主義体制を潰せ。昨今の粉飾決済の企業や公共企業体の破綻、自治体破綻の夕張市を見るがよい。粉飾と隠蔽がもたらしたものは何か。学校も破綻させよ。学校に自由を与えよ。教育サービスの消費者に品質を明示させよ。サービスを選択する権利を与えよ。その競争から落ちこぼれや、破綻にどう備えるかを考えよ。破綻の用件を明確にせよ。
 バウチャー制度の導入は破綻を考えて、そして全国一律という極端なことをしてはならない。大都会ならば採用可能だろう。その他の地域には別な手だてを考えよ。通信教育にも可能性あり。地域社会が学校にもう一度関わるには、学校サポーター制度の導入を。地域社会には教師より経験豊富な社会人がいっぱいいるはず。教師の下請けではなく、新しい教師として体育、芸術、工学、工芸等の経験者を採用すべき。元サッカー選手、元野球選手等々の教師以上の才能実績を積まれた人が多いはず。少子化、人口減少、老齢化を憂う前に埋もれた才能の活用を考えよ。老人達には学童の通学時の事故を防ぐためにも朝の散歩を夕時の散歩をその時間帯にあわせて一緒におしゃべりしながら付き合ってもらうのもよい。そのお礼には学芸会等の招待もよし、給食に招待もよし。幼稚園には昔話の上手なおばあさんやおじいさんがよい。あのしわくちゃな手になぜられる不思議な暖かさ、入れ歯をガフガフ鳴らしながらのお話の妙が懐かしい。老若の交流の機会を増やせば、昔の暖かな町内の交流の機会が自然とできあがる。何時も見かけている子供だからこそ悪さを叱り、悪たれをつきながらも子供が従う昔ながらのしつけの場が出来る。失われて久しい程よい距離感をもたつきあいの再生が必要だ。絶滅危惧種のガキ大将、雷親父、口やかましいが面倒見の良いおばさんやおじさんの再生が望まれる。
戦後教育で失われたもの

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