泥より出でて泥に染まらず

人生を引き寄せ、好転させるには?自身が何十年も苦しみ抜いた経験と、様々な文献から日々考察していきたいと思います。

【76】自戒 ー 何でもかんでも人のせいにしないために

2023-06-13 07:15:00 | 引き寄せ
いつもご訪問くださり誠にありがとうございます。
本日は自分の現在の心境を記録しておくため、若干重めの記事となっております。何卒ご容赦くださいませ。
 
 
 
大石洋子先生のワークを実践していく中で、次のようなことをずっと考えさせられました。
 
 
ネガティブな思考のクセは、親から受けた愛情を勘違いして受け取ってしまっていることから来る。
 
 
つまり、「親のせいでこうなった」「親にあんなこと言われた」「こんなことされた」「家庭環境が機能不全だった」といったような負の記憶が、ネガティブなことばかり考える思考のクセを作り、それに準じた現実を引き寄せているというのです。
 
 
私も父親に対して、「この人からは全く愛情を感じない」と思っていました。たとえいい思い出があったとしても、それは打算的なものなんだろうと思っていましたので、「あの父親の愛を勘違いしている?いやいや、そもそも愛なんかあったか?」というところからスタートしました。
 
 
掘り下げていくと父親の口癖は以下のようなものでした。
 
「子供は投資だ」
 
「子供は話が通じないから嫌い」
 
「女子供は何もわかっとらん」
 
「何も知らないくせに生意気なことを言うな」
 
 
常に不愉快そうに家の中でタバコを吸っているのも嫌で、おかげで立派な「嫌煙家」になりました。
私や弟が何か失敗や失態を犯す度に、母親に「お前の教育が悪いんだ」と怒鳴りつけるのも、子供心にダメージを受けました。
また、父親が転勤族であったために、1~2年ごとに転校せざるを得ず、時に「よそ者」としていじめられたこともあり、極端な都会への憧れと後のジプシー精神を助長させる原因ともなりました。
 
 
「親ガチャ」という言葉は既に市民権を得ましたが、これは「自分で親を選べない」という前提でしょう。何なら「勝手に産んだんじゃないか。こっちはそんなの頼んでない」などという意見も含まれています。
 
私が「親ガチャ」に外れたとまで思わなかったのは、それでも大学まで出してもらったという恩義があるからでしょう。また、小学校5年生の頃から、父が単身赴任でほぼ家にいなかったこと。手前味噌になりますが、母が人格者であったということも救いでした。もし父がずっと家にいて、母親もいわゆる毒親だったらと思うとゾッとすることはあります。
 
 
以前の記事で「父親がトラウマの大本命」と申し上げたのはこのようなところにあります。
 
 
当然「父親のせいでこうなった」と思っていました。何なら、「俺の言う通りにしていればいいんだ!」と常に言われていたので、「それなら最期の最期まで俺の人生面倒みろよ!」とまで思っていました。
 
また、就職氷河期にもぶち当たり、私は「親ガチャ」というよりは、むしろ産まれた「時代ガチャ」に外れたと思っていました。
高度経済成長期とバブル期の膿を押し付けられたという完全なる被害者意識でもう頭はいっぱいでした。
 
こういったものをこじらせた結果、ネガティブな状態がニュートラルの位置に固定されるような精神状態となっていました。
このままではいけないと、引き寄せの法則にかじりつき、ポジティブに考えようとしましたが、気持ちがポジティブに傾こうとすると、自分自身で全否定してネガティブ状態へと戻すのです。「こんなポジティブ状態にだまされるな、幻だぞ」と言うのです。
 
当然ですが、手を動かさない引き寄せでは、この大否定の前には全くの無力で、長年この状態で生きてきました。
ネガティブな状態はネガティブなことしか生み出さず、ポジティブな状態はむしろ不快とすら感じていた記憶があります。
ついにそれが祟って心身共に壊れた時、ようやく自分の愚かさに気づいたのでした。
 
何を読んでも聞いても、ポジティブな心の片鱗すら見えないので、やはり手を動かすしかないと、まずはアファメーションを始めます。思考の仕方に一種の選択肢のようなものを構築するところから始めました。悪い言葉を封印し、ポジティブな考え方や行動を無理やりにでも心身に叩き込むことで、ネガティブへ引っ張られる謎の力に対抗してきました。
最近はようやくネガティブでもポジティブでもないニュートラルなプラスマイナスゼロの心持ちというものを軸に置けるようになってきました。これも休まず手を動かしてきた結果です。
 
 
引き寄せの法則を学習する中で、次のようなことを常に自問自答してきました。
 
「親ガチャ」や「時代ガチャ」に外れた。こう言っておけば「自分のせいじゃない。だから仕方ないじゃないか」と自己否定する自分を一時的には納得させることはできる。しかし、自分の本当の願いが叶うことは絶対にあり得ない。
たとえ、今日すぐに10億円の宝くじが当たったとしても幸せにはなれない。
 
「親ガチャに外れた」という言葉の裏には「何でこんな人生なんだ。不公平じゃないないか。自分だって幸せになりたいよ!」という悲痛な願いがあるからである。自分の人生を諦めたくないからこそこんなことを言うのだ。
 
そもそも自分が産まれてくるときに、この世で果たさなければならないことを実現させるために、自分で最適な器を選んできたという。だとすれば、他人や親のせいでもなく、全て自分のせいということだ。
 
百歩譲って「そんな胡散臭い話信じるか」と言ったとして、それで何か変わるのか。
「親ガチャ」、「時代ガチャ」に外れたかもしれない。しかし、このまま他人のせいにして「自分は不幸だ不幸だ」と幸せそうな人を妬んで、引きずり下ろすことに人生を捧げるのか。それが嫌なら、胡散臭かろうが何だろうができることをやるしかないだろう。
 
 
大石洋子先生のワークを通して、ついにこの世で一番嫌いであろう父親について向き合った時、それがどんなに間違いであったかと思い知らされたわけです。
 
「あの父親は高度経済成長期、バブル期でいい思いをしてきたじゃないか」
→ この時代は確かに高い給料をもらえて、ウハウハだったように見えます。しかし、その一方で会社のモラルが低く、がむしゃらにやるしかなく、今のように従業員は守られていなかったと聞きます。
 現代で言うところのあらゆる「ハラスメント」が横行し、就業時間もあってないようなもの。文字通り会社の歯車として「24時間働けますか」を地で行く状態。父は常々「こんな仕事やりたくなかった」と言っていましたので、それは今の私と変わらなかったでしょう。実際に父の同僚や知人には自ら命を断ったり過労死する方も多かったようです。そんな無法地帯とも呼べる社会でドロップアウトせず、必死の思いでやってきたのは、「家庭を守らなければならない」という気持ちに他ならなかったでしょう。
 

「あの父親は何でもかんでも祖母優先。母も私達子供は後回しだ。私達はそれに巻き込まれている」
→ 祖父が酒で暴れてDVもひどかったと聞きます。祖母は父を連れて何度も外へ逃げたそうです。そんな機能不全の家庭で育ちながらも、子供の私や弟に暴力を振るったことはありませんでした。通常親にやられたことは子供にもやってしまうところを、父はぐっと抑えていたということになります。また、「子供は母親を助けるために産まれてくる」とも言いますので、子供として母親を守ろうとするのは至極当然のことです。
 
 
このように深掘りをしていった結果、私の父に対する感情はかなり軟化されてきていると言えます。
何でもかんでも「父のせい」「時代のせい」と思うこともやがて消えていくことでしょう。
自分の人生は自分で創っている、全て引き寄せているのだと納得できました。
 
 
ネガティブがニュートラルな状態の初期段階では、アファメーションなどでニュートラルの正しい位置を再確認することがまず必要だと感じます。とにかくネガティブな言葉を封印し、無心でもいいから波動の高い言葉を口に出すこと。挨拶をする、感謝をするなど目に見えるものから変えていかなければまず思考が変わらない。
 そのままにしておけば、自己嫌悪や自己否定の「いつもの」日常に戻っていきます。世界を拒否してネガティブな感情しか生まれないような危機的な状況に陥った場合、立ち返るべきはまずこの段階でしょう。
 
 
以上、万が一にも揺り戻しが起こり、再びネガティブな闇に囚われた時に、自分が戻ってこれるように強めに書いてきました。
それほどに私の心はすぐに元に戻ろうとするからです。従ってこれは「自戒」です。
 
 
皆様におかれましては、こんなやつもいるのだと生暖かい目で見て頂ければ幸いです。
また、同じように苦しんでいる方がいらっしゃれば、何かのヒントとしてもらえれば、これほど嬉しいことはありません。
 
 
ここまでお付き合い頂き、ありがとうございました。
いつもご訪問頂き、スキ、フォロー頂けることに感謝致します。


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