8月は、人生初のことばかりで過ぎ去っていき、今日は早や秋分の日。
ようやく「今、自分のいる場所」の風景を写真に撮る気になったので、数年前に夫が植えた田んぼの畔の彼岸花の横を一歩一歩踏みしめながら「今、自分は、確かにここにいるんだ」という心根を張れたような気持ちになれました。
気持ちが浮つくと言うと、なんだか軽くて不真面目な雰囲気を想像しますが、それでも、まさに、気持ちが浮ついていたのでしょう。どこか落ち着かない葉月を過ごしたあと、連日、重機と一緒に体がよろけるほどの土木作業を経て、遂にはアタマでもろもろのことを考える余裕がなくなり、それが終わったら、今度は実家にあった大量の根のついた葉っぱのある草花の植え替えをしておりました。すべて、これから来てくださる方々をお迎えするための準備です。
植えながら、ここで新たに生きていってもらうからねと心で声をかけながら、黙々と手で土を触りながら、多少なりとも乱れて沈んでいた精神というものは徐々に整えられていくのだと、実感します。きっと程度の差こそあれ、誰もが、日々息苦しく、窮屈でストレスのたまる思いを感じるここ1年半。
時には、それぞれの地域でそれぞれの自然の中へ行きたくなるのは、それこそ自然なのでしょう。人間も自然の生き物のひとつなのですから。
何事もなければ、ここにいることで癒される思いは今よりきっと多くはなかったでしょうし、来訪したいと声をかけていただくご縁に対し、これまでも誠意を持って向き合ってきたものの、心から感謝の念が沸き上がる思いは今より少なかったはず。人生生涯修行中です。
今日は、実家の母が亡くなって50日目。
季節の節目と自分の節目が重なって、ひとつ区切りがついたので、明日からまた地道に歩いて参ります。
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