この10年はとにかく走り続けた日々だった。
チュンサンが死んだ直後は、ほとんど記憶がない。ただただ泣いていたような気がするが、嫌な記憶は心が蓋をしてしまうものだと知った。ただ大晦日の日に、ツリーの下でチュンサンを待っている時に見た新年の花火が、悲しいくらいにキレイだったことを覚えている。
それからヨングク、チェリン、チンスク、サンヒョクと4人で行った湖でのお葬式。ユラユラ揺れる火を見ながらチュンサンとの思い出を思い浮かべてひとりチュンサンに語りかけた。ありがとう、愛してると伝えられずにごめんねと。チュンサンのことを誰もが忘れても、自分だけは忘れないようにしよう、大好きだった孤独な目をした少年と一緒に生きていこう、と心に誓った。
それでも、同じ風景の中に、彼だけがいないことを認められなくて、心はいつも叫んでいた。チュンサン、チュンサン、チュンサンと。
あの快活だった少女はなりをひそめて、三年生になると、ひたすら勉強に打ち込んだ。得意な絵を活かして、大学の建築科に進学することにしたのだ。母親には悪いけれど、何を見てもチュンサンを思い出してしまう春川を早く離れて、チュンサンのことも自分のことも誰も知らないソウルに行きたかった。
念願の大学に入学して、ユジンはいっそう勉強に打ち込んだ。周りがコンパだサークルだと浮かれるなか、ボランティアのサークルに所属して、平日は勉強とバイト、休日はバイトとボランティアに明け暮れた。恋愛はしようとも思わなかった。周りの男子学生は何かとちょっかいをかけてきたが、ユジンの目には全く映らなかった。ただ友達として、一緒に笑って過ごすだけだった。
ひたすらに頑張ったおかげで、大学を優秀な成績で卒業して、有名な建築事務所にも就職することが出来た。これで、経済的に独立することが出来た、母親に楽をさせてあげられる、と安心した。5年間ひたすらに先輩たちの後をついて、あらゆることを学んだ。デザインの社内コンテストに選ばれて、外部からもユジンを指名して仕事がくるようになった。
インテリアコーディネーターとして独り立ちできるようになったころ、先に退社していた先輩のチョンアさんたちに声をかけられて、会社を立ち上げることになった。ユジンはその会社に
「ポラリス」と名前をつけた。あの日チュンサンが教えてくれたポラリス。もう道に迷わないように、胸を張って生きていけるように、チュンサン見ていてね、そっとユジンは心の中でつぶやいた。
その中でサンヒョクだけは変わらず、ユジンのそばでいつも暖かく見守ってくれた。ユジンが泣きたいときはそっと肩を貸してくれて、楽しいときは一緒に笑ってくれた。10代のころは、男の親友も良いものだ、と思ったけれど、二十代になって二人の関係は微妙に変わってきた。周りの友人たちが次々と恋人になっていくし、周りの目も2人をそんなふうに見るようになってきた。何よりサンヒョクのユジンを見る目つきが次第に熱を帯びるようになってきて、これ以上親友という言い訳は通じないと感じはじめていた。自分がサンヒョクを男性として見れるのか、ユジンは悩んでいた。ひとりでずっと生きていくのも良いのでは、と思う日もあった。でも、この先付き合うとしたらサンヒョクしかいないのだろうなと思う自分もいた。
高校でも大学でも何人かの男性が、サンヒョクが側にいるにも関わらず、告白をしてきた。
もちろんユジンはそんな気になれず、断っていたが、男性たちが一様に
「寂しそうな君のことを守ってあげたい」と言うので、そんなふうに見られていることに、いつも驚きを感じていた。
大学を卒業して何年目かのとき、サンヒョクと遊びに出かけた帰り道、アパートの前で結婚前提の交際を申し込まれた。サンヒョクの真剣な目つきを前にユジンは本当に悩んだ。とうとうこの日が来たのかと覚悟を決めなければ、と思った。チュンサンが亡くなってから、いつもユジンを支えてくれたのはサンヒョクだった。そんなサンヒョクの優しさに応えなければいけないのではないか、サンヒョクとなら穏やかで楽しい家庭を作れるだろう、何よりわずかではあるがチュンサンとの思い出を共有する彼ならば、ユジンのチュンサンへの思い出を丸ごと引き受けて結婚してくれるのではないか、と考えてユジンは「はい」と言った。例えそれが自分の身勝手であっても。
そのときのサンヒョクの顔を忘れられない。この世の全ての宝物を手にしたような満面の笑みを見せて、ユジンを強く抱きしめてくれた。
ユジンは罪悪感を持ちながら、おずおずと彼の背中に手を伸ばした。
この時のサンヒョクの顔が、のちにユジンをずっと苦しめることになるのを、まだ彼女は知らない。
正式に交際するようになってからは、サンヒョクはより一層ユジンを大切にしてくれるようになった。ユジンの歩いた後に平伏してキスをするのではないかと友人たちはからかい、サンヒョクの母親は苦虫を噛み潰したような顔をした。
しばらくすると、サンヒョクは別れ際に必ずハグをするようになり、ユジンはなんとなく居心地の悪さを覚えながら笑顔で対応していた。
もう少したつと、今度は別れ際などにふいにキスをするようになった。それは頬だったり、手だったり、時には唇だったりもしたが、チュンサンの時のようなドキドキ感はなく、なすがままのユジンがそこにいた。申し訳ないと思いながらも、不意打ちでなければ、そっと知らぬふりをしてかわしたり、誤魔化したりすることもしばしばだった。こんな気持ちのままサンヒョクと結婚出来るのか、不安に思うこともあったが、サンヒョクの笑顔を見ると幸せな気分になるし、そばにいると楽しいと思った。
「ユジンは側にいてくれるだけで充分なんだ」と言われるたび、ユジンはこれでいいのだ、とチュンサンの思い出を胸に封じこめて、微笑み返すのだった。
母親がユジンをいつも心配して言う
「愛する人より愛してくれる人と結婚するのがあなたの幸せよ」ことばも、心の中で反芻した。
それでもときおり、チュンサンに優しいキスや力強く抱きしめられる夢や最後に見た泣いているチュンサンの夢を見て、枕が涙で濡れている朝もあったが、その回数は少しずつ減っていった。
いつしか、18歳のチュンサンの思い出は少しずつ色褪せはじめていた。ユジンは28歳になっていた。