気の病と共に生きる

病気になって17年。今病気になって生きている日々を綴る。

今夜の様子3 病気の原因2

2021-11-25 18:24:50 | 日記

こんばんは。夜になった。一日はあっという間に過ぎる。自分の感覚で言ったら暇な人も、忙しい人もあっという間に一日が過ぎていく感じはそこまで感覚的には変わらないと思う。自分はそんな気がするというだけですべての人がそうとは限らないけど。

今夜はいつもより夕飯が早めで今時計だと18時半過ぎ頃かな。今夜は牛丼(定番の牛丼って何かは良く知らないけど😅)。自分の中では牛丼に似てる別の言い方で、それを牛丼風と呼んでる。勝手に。

普段から本をあまり読まないし人とも殆どコミュニケーションをとらないためかあまり言葉も流行り言葉も知らない。それ以前にそういう事に興味があまりないといった方が正確かな。

それで今夜は怖い話をするつもりで話をする。ここから先は少し危険かも

この先は読んで病気になってしまいかねないので(←なんでここで丁寧言葉?)注意してください←

本当に病気になってしまった場合、責任も取れません、本当に本当に注意してください。ここから先を読まずに今日はこれで戻るボタンを押すか画面を閉じてください。特に感受性の強い人は絶対に読まないでください。本当に大変なことになります。以前も某勤め先で(アルバイトしていたことがあった)、同じ従業員が数人くらい自分の病状のせいで吐き気や頭痛、嘔吐を訴え欠勤あるいは退職しています。この先先述の断りを見たのにもかかわらず進んで読んであなたが病気になっても自分が責任を一切取れません。

 

では、過去の経緯について書く。丁寧言葉で書きます。

それは高校生の時です。

ある日(まだ入学して間もない日)学校の校舎の階段である人と急に目が合いました。そして数十秒間程自分とその人とで見つめあっていました。そしてその目が合って見つめあった直後その人と自分はまるで時が止まったかのように動きが止まりました。そのひとの目は細く鋭く顔全体的にこけしの様な姿をしていて、髪色はアッシュブラウンでした。そしてお互いに一言も会話せず過ぎ去って行きました。

そしてそれは授業中に自分自身を強く不安にさせました。⇧の場面は二人とも別々の教科を学ぶために数時限目の授業へ向かう途中の事でした。

自分にとっては最悪で災難の様でした。なぜかと言ったらそれは中学生時代から引き摺っていた心境から引き起こされた(その当時はわからなかったが)事態だったからです。

 

ちょっとこの先⇩は自分自身の過去の話を挟みます。

自分が小学生の頃から中学生のころまで酷く心身が傷つきその間にまるで悪魔に身を染められ人が変わり他人へ復讐を始めた自分もいた。しかしそれは後に自分へ返ってきた(後で知ったしそれがもしかしたら今の病気として返ってきてしまったのかも)。

それはどんな内容なのか詳しくはかけないが、その気も無いです。しかし多分その復讐された人もトラウマかノイローゼで悲惨な経験をしていたかもしれない。またはそのせいでその人は何かに対して今も極度のアレルギー反応を示しているかもしれない。

しかし結局報復が報復を呼ぶので、今更の事ではないです。はけ口が無かったのでそうしざるを得なかった状況だったので。しかし後悔や言い訳でそれは虚しいことです。話になりません。

言ってしまえば自業自得なのかもしれません。しかしどんなにか自分自身がその当時(学生時代に)悲惨だっただろうか。しかしそれは自分だけ分かっていて、親も多少はわかる?その当時の担任も多少はわかるだろうか?自分自身が被害者だと思わざるを得ないわけで、もうその現実は避けられなかったと思う。

早い話、他人を傷つければ、やがて自分自身へも痛みや苦しみが何らかの形で返ってくると言いたいのです。

それは自分が悪いことをしてないのに他人から傷つけられ、そしてその自分自身の苦しみの捌け先をそのまた悪いことをしていない他人へ向ける、その結果、他人のせいに出来ない結果となる。

悪いことをした本人に向けて復讐をしたらよかっただろうが(それは後にしたのだが)、その当時はどうしたことか、悪くも無い罪もない別の人に向けて傷をつけてしまったのです。今思えばその報いに今の病気として返ってきてしまったといっても過言ではないのかもしれない。本当にそう思う。

しかし今更色々と言葉を並べても手遅れで現実は何も変わらないままだ。つまり人を恨んだりしてもそれには意味がないのだ。大分話は逸れているが、それを踏まえて経緯を話したいのです。

しかしながら本当の悪人はいったい誰なのか自分にもわからないのです。本当にわからない。

自分を虐めた人もそれは過去に虐められた経緯を持つ人であるかもしれないし時にそれはその虐めた人も可哀想である存在だろう。自分も同じだ。自分がどんなにか苦しい立場にあっても、自分を虐めた側のその本人も虐めにあってその捌け先として罪もない自分をターゲットにしたのかもしれない。

自分自身が経緯を押し通しても、結局虐める側にも経緯(どうして虐めをしたのか)があるからそれを言い通す。そうなったときお互いさまになってしまう可能性が極めて高いのだ。

つまりそれをお互いにどうしようか考えあう方が正解なのかもしれない。「お前の過去なんて知るか!」と言ったらそれはお互いにその同じ言葉をのべてしまうことになる。同類同士の争いだ。

大分話が逸れてるので本題に戻ると、そのあと、校舎の階段で目が合ってお互いにとてつもなく気まずかったのだろう。そして授業中にもそのことが頭に過ぎっては授業どころじゃなくなり、その授業が終わり、同じクラスメイトが教室に集まる時間があるのでそこで一息した気がする、そして、その時にその相手が急に自分と目を合わせたくないような仕草を取ってきたのです。それがすべての始まりでした。

正確に言えば階段で目が合ったのが始まりですが、恐怖や不安がループする起点となったのはその相手からの自分(私自身)の目を遮る仕草が始まってからなので。そこをすべての起点としたのです。

それから次の授業中にプリントを後ろに回す際にもまた同じようにその目が合った相手が自分の顔を一目も見ずに(正確には相手が自分の顔を絶対見ないかのように伏目になって)プリントを受け取ってました。

最初は自分自身「なんで?見ないんだろう?自分の顔が気に入らないのかな?」などと単純に感じていました。しかしそんな事はほんの小さな序章に過ぎなかったのです。

その後、どんどんエスカレートしていきました。今度は、体育の授業で目が合った相手とその友達と2人で自分の所を伏目になって(正確には顔を絶対見られないように頭を真下へ伏せた状態)通り過ぎて行ったのです。

その時ばかりは自分も不安になりました。「あの時目が合ったのが原因か?」、「あの時そんなにきにしていたなんて気づかなかった」、「そんなに気になるものなのか?」とかなり自分ながら気にしてました。

しかしそんな中声も掛けられない心境になっていた。もう何を言ってもその事態は晴れ無そうだったので、それ以前に勇気もないし、そんな悪い事態をどうやって自分一人だけで解決できるものかもわからないので、どうしようもなくただただ時が過ぎ、その事態が悪化してその過ぎ去って行く時間を流し見してるしかなかった。

もっと自分が社交的で人をリードしていける人間だったらその人に「ごめんなさい、なんだかあなたの事が気になってなんかボーッと見つめてしまっただけです、変な意味はありません、気にしないでください」と一言でも自分の思いを伝えていることが出来ていたら。

と悔しい気持ちで堪らない。

その後、その目があった人は自分に対しもっと不安がらせるようなことを続けそれを一切やめませんでした。皮肉(不運?)にもその目が合った人は他の友達が複数いて、またその人達がグループになり自分のこと避けるようになっていきました。廊下を歩いている際にも、その人たちが自分だと気づいた時に一斉に目を何かで覆い隠すようにして、伏目にして、顔を真下に向けて通り過ぎていきました。

自分自身はもうその時、「もうどうしようもない」、「こんなこと誰にも相談出来やしない」、「恥ずかしい話なんか誰にも打ち明けられるわけない」、そう感じてどんどん自己嫌悪になっていきました。

「あの時階段で目が合ったことがこんなことにつながるなんて」と見た自分自身を責めだしていました。

その後も、同じクラスメイト同士での授業の際にも目が合った相手と数人の友達とで自分の所を伏目にして目を手やノートで覆い隠す仕草をとってきました。そしてその様子が次第に周りのクラスメイトの人達に発覚されていき、「やばい、どうしよう」と自分はどうすることもできない状態でした。

よくある「目が合って因縁を付けられた」という例があるが、まさしく自分自身もその相手に因縁を付けられ飛んだことに最悪な事態に発展してしまっているんだと悟っていた。

それもそれが異性だから(同性だって同じくらいかそれ以上やばいかもしれない)また尚更場合が悪いことも気づき始めていた。

そしてそれは毎日のルーティーンの様に続いていった。そして、そのことが原因なのか同じクラスメイトとしだいに付き合いが悪くなっていって、避けられるようになっていった。

もう「学校辞めよう」、「この学校に居られない気がしてきた」と思えてきた。

もちろん、自分からもその目があった人に対しなるべく目を合わせないあるいはその人と距離を置くなど避けるようにしていた。しかしそんなことをしても事態は全く変化がなく、その人と通路などで出合う度にその人に目を伏せられ、その人と友達との時にも目を伏せられ、その日々が過ぎ去って行ったのでした。

その頃から学園祭にも小旅行へも参加することが嫌になり、途中で早退したり欠席などが続くようになり、親に「学校行きたくない」と言い出し、「同じクラスメイトに無視される」、「女が目を覆って自分を嫌う態度をする」などと親に伝え、いろいろと問答になったが、どうすることもできず、ただただ、学校を退学して他の予備校へでも行こうと悩んでいた。

そして、今度は反対に自分自身に対し意識が向き始め、それを自意識過剰というのだろうか?

なんだか知らず知らずのうちに、半分無意識に用も無く目の前にいる人や周囲にいる人たちへ目がいってしまい(その当時自分自身の意思がどうであったか覚えていない)、その人と目が合うと、相手から「なに?何?こっち見てくんな!」、「あー見るなー!」、「あー見てくる、助けてー(友達に遮ってもらう)」と言われたのを思い出す。

あまりよく知らないが、今はもうその自意識過剰に対し考える余地も無い。けれど人間は弱い生き物なんだと痛感している。もう自分の意識がその坩堝(ドツボ?)に完全にハマっていてそこから抜け出せないので、意識も無意識もどちらでもない。もう夢でも人の目が気になるし。周りも物や動物も気になるしでもう意識を変えることが自分自身ではどうにもできない状態。

にしてもたったこれっぽっちの悩みを抱きかかえたまま晴らさずにいるだけで、こんなに今の様な地獄の様な病気に苛まれなくちゃいけないから。

本当に辛い。でもつける薬も無いし薬も効果が少ないし。人と一緒に生きるような希望も殆ど持てないし。

今のその主な病状の話をしてないが、どんな状況でどんな風になるのかという様に例にとって今後詳しく書きたいなと思います。

もう今夜はこれくらいにしておいて、いいのかもしれない。

⇧の様な状況になって、さてどうしたらその状況を変えることが出来たのか?

それは読んでくれた人がその状況で自分だったらどうしてたか私に言えることがあるかもしれません。

しかし、それにしても、私の様な体験談はあまり類がまれなこともあるのか、自分自身と同じような体験談を見聞きしたことがありません😅

しかし、自分に前居た彼女は自分とほぼ同じ症状を抱えていたので彼女とは話が分かりあえたのでしたが、もうその彼女は居ません。別れてしまった原因は少し前の記事で説明した通りです。

それでは今日は終わりです。

おやすみなさい。

私の事を考えてくれて読んでくれたあなたに感謝します。ありがとうございました。

 

 


今夜の様子2 病気の原因1

2021-11-23 18:47:02 | 日記

今カレーを食べ終わった。今夜は病気の原因を書くからと緊張して?いつもの半分の美味しさだった😅

でも好きなカレーだけあって全然不味いとか無いけど。あ、カレーの写真📷載せとこう。

それにしても音過敏というのは本当に嫌だし、辛いし、だからといってどうにでもなるものでもないのが現実。

今も隣の壁の向こう側にトイレがあるんだけど、特に嫌いな父親が居ると思うと物音がいつもの倍くらい気になって嫌な気分になる。

アパートにいる時だって、物音に過敏だから、常時ホワイトノイズで音を紛らわせ、こっちの音もむこうの音も遮れるようにしてる。それ以前はずーっと3年位イヤーマフとかノイズキャンセラーとかを使っていた。

でもイヤーマフ(耳栓)とかって長時間付けっぱだと取るときに耳が異常な程痛くなるんだよ。

自分は目が悪いから眼鏡👓を掛けてる(前はコンタクトレンズしてた)んだけど、その上から耳栓すると時間経つ度に耳の付け根が痛くなってくるんだよね。それがどんどん食い込んでって外すときには「痛っ!」ってなる。だから耳に病気もそうだけど皮膚病とかにもなりかねないし軽くて調節幅の広いイヤーマフをするとか工夫必要あるんだよ。

たまーに今も本当に我慢できなくてつらい時は軽くて装着時のキツさが軽めなイヤーマフをするときがある。でもけっこうあれって依存性が高いんだよ。ホワイトノイズもそう。あれは依存性が高い。

あーそうだった💡そー言えば小さい極小の耳栓を人ごみ行くときは付けるんだった。最近外出頻度が少なめだから付けてるの忘れてた😅

あと、最近物忘れがひどい。というか正確にはあまり物事に対して気力が無いというか没頭しない。あと以前より何か一つの事に集中する時間が少なくなったってのも関係してるかも。

実は以前もう自慢にならないけど(過去はコンサートに出てた)エレキギター🎸が趣味でそれに何十時間も練習に費やしてたことがあった。あの当時のコンサートに出演してた頃の自分と今の自分を比較したら雲泥の差の違いがあるかも😅

何がどう差があるかといたら、今は🎸を全くしてない1秒も弾いてない。以前は毎日最低数時間~10時間くらい練習してた。凄い集中力と気力を働かせてたと思う。あーあ、多分当時にyoutubeにギターのプレイ動画を載せまくってたらチャンネル視聴者もいたんだと思うと非常にもったいないことをしたとも思う。

あー、また話題が逸れてた😅

自分の今の病気の引き金になった経緯を書かないといけなかった。

振り返れば、保育園児の頃から同年の男子に弄りものにされてた記憶がある。覚えていることは...

名前が’かずくん’だった気がする。その人にある時耳をビーンって伸ばされて引きちぎられた様な記憶がって、それで今、何時も毎年夏ごろになると汗を凄くかくんだけどそんな時決まって右耳が痒くなるんだけど、触った時に耳たぶ👂の付け根が裂けるような痛みがして気分悪い。

そーだよ、きっとあの自分が園児の時にあいつに耳を引きちぎられた後遺症が残ってるんだって。

でももうそのかずくんという人が誰なのか今どこにいるのかもうそんなことはもういいってあまり考えないんだけど。

今はもう自分の病気に向き合うだけで手いっぱいで誰かを恨むとか復讐したりとか考え付かないしそれに拘りを持たない。

だからって此処に経緯くらい示しておかないと自分の歴史を残すのにも誰かがこれを見てくれるにも、価値が無いからね。

簡潔に書いたらわかりにくいけど、学生時代は義務教育の12年間(正確には9年間かな?)ずっと虐めに遭って苦しんだ記憶がある。今思えば学校へ行ったことで人生が9割型終わったんだと思うくらい。行かない方が人生もっとマシに生きていたと思う。

長くなるからまた次の回の病気の原因2で話そうと思う。

それと自分の病状がどんなものかといったら多分だけど自分の思い込みだけど日本人が1億5千万人位いるらしいけど、その半分以上の人が体験したことのない奇病レベルかもしれないって思う😅

だって異常なレベルで人の目が気になるから。それに物も気になる。動物も気になる。この世のすべてが気になる。自己視線恐怖だったり、脇見恐怖だったり、ほかに名前知らないけど多分重度の視線恐怖だと思う。もう生きている意味がほぼ無いレベル。しんだほうがマシなレベル。生きた心地がしないレベル。だけど今の時代は良くしたもんでネットで衣食住の殆どが完結するから有難い😊

いやでもそれ(ネット)無かったとしたらマジでヤバかったかも。もう死んでたかも。

でもいまこうして生きていられるのはネットがあるからだと思う。高校の時に少し情報科学の授業でタイピング位学んでおいたの今かなり役立ってるしあの時の経験が今の自分を前向きにしてくれてることにも感謝してる😂

思えばあの高校生の頃が今の病魔の決定的な発端を作ったんだろうとは思うけど、いい思い出もあれば悪い思い出もありそれがなんだか絶妙なバランスで混在していて、今自分がこう(重度の精神障害)なのが良くも悪くもないような感じがして。

なぜこんな視線恐怖が極めて強い状態に陥ったんだろう?って自分でも不思議な感覚。

だって大学に入ってほんの数か月中に発症って自分としては思ってもいなかったことだったし、何かある意味分も無く意味も無く学校を辞めた感じで。

まぁ確かにきっかけとなった原因は何かは見当つくんだけど。人目がもうあの大学へ入学した当初の頃から気になっていたんだと思う。自意識過剰が行き過ぎたその先にある奇病なのかなーって。

もともと自分は全く周りを気にしないタイプだった気がする、本当ごく普通の子だったと思う。

ただあまり周囲と調和するタイプではなくそうとは言え独りぼっちでもなく、自分にとって興味や関心がある物事へはちゃんと順応していけるような感じだったと思う。それに伴って周囲の輪にちゃんと溶け込んでいく感じだった。周囲の輪から全く逸れて独りぼっちのタイプでは決してなかった。良くも悪くもマイペースな性格で友達は多いことも無かったけど少なくも無かった。

小学生の頃は3年になってからかな?その頃異変があった記憶がある。それは差別に遭ったことだ。

あーまた話が逸れた、その話は次回だった😅

つまり人目が気になる要因になったのは何が問題だったのかということを書かないといけない。

例えばクラスの発表会などでステージで何かを一人きりで演じる時などにそれを見ている大勢の生徒がいるとしたら、その時初めてステージに立った時に赤面したり、緊張して上手く演じれなかったり作文を読み上げられなかったことがきっかけでその後、人前で恥ずかしくて上がってしまって上手く自分のいつもどおりにやっていることが出来にくくなったとしたら、それで悩みをかかえることになるかもしれない。

⇧に対しては、自分自身としては、そこまで悩まなかったって言う記憶がある。そこで場慣れするタイプなのかそれともそれ以前に場を踏む前に嫌で不安で参加せず(欠席して)にいなかったのかのどちらかでその先行きが変化しただろう。自分自身は多分だけど場慣れしていたせいか中学時代にも何かの催しの班長になったりそれを無理なくこなせてたし。先ずそういう面ではほぼ問題なかったと思ってる。

なのになぜその後人目が気になるようになったのかだ。一番その問題のない筈だったことに変化をもたらしていったのは何だったのかということだ。

多分長年続いた虐めだと思う。その詳しいことも次回書くつもり。

視線恐怖症。まさかこれで人生が270℃おかしくなるとは思わなかった😣

あたまが回らなくなったのでこれで今夜は終わり。また次回。

長文読んでくれてどうもありがとう。

おやすみなさい。

 

 

 


午後の様子1

2021-11-22 15:21:36 | 日記

ブログのことをすっかり忘れていた😅

なんだっけ?ふと思い出した、そういえば写真のファイルを偶々観てたらだった。

今は3時のおやつで、お菓子を食べてる。

鉱泉煎餅、ヤマザキビスケットのクッキー🍓、甘納豆だ。飲み物にミルク多めのコーヒー☕。

そう、自分お菓子が好きで、甘いもの好き。食べると幸せな気分になれる。

頭痛も和らぐし、辛いのを少しでも忘れることもでき、それに母とちょっと会話すると嬉しい✨

自分は色々と今まで過去苦痛を感じてきたけど(今も感じて生きてるけど)今は以前より自由に生きてるから前ほど苦痛を感じにくくなった気がする。

ただ今の時代というのは弱い人がより生きにくくなったとも思える。

色々と時代が進化して色々な物やサービスが豊富になって、それに合わせるように周りの人の生活や考え方とかその在り方とか変わってしまって。

それが低所得で障害を抱えているともなると(自分がそれに該当)たとえそういう世の中が進歩して豊かになりある意味平和になっても、いっきに所得が安定している人みたいに周りの事を変えられないから凄く困るし、悩ましいし。

たとえば衣料品とかファッションとか、身なりとか見た目とかそういうものは時代と共に変化することが多いけど、流行りとか巷で人気や注目、話題のファッションなんか意識はするものの、それっぽくするのにもお金もかかるし、それに飛び込もうとすると時間や気力が浪費してかえって疲労感が出る。

だから無理やり考えず、聞き流し、自分の身の丈に合った生き方を保つようにしてる。

周りから変わった人とか、目立った人とかに見られがちだけど、仕方ないから何とか平静を保とうとする、でもそれでも視線恐怖症の身(自分)からしたら耐えることが辛く神経が疲れる。

だから外へ出ても人目を気にすることが苦だからあまり都会とか人込みあふれる市街地などでは自分が居る時間を制限して、無理しないようにしてる。

あと、自分は薬があまり体に合わないのもあって副作用が出やすくいつもお医者から普通の半分以下の薬を処方してもらってる。肝機能にも影響出るし、以前肝機能障害で胆のうを切除したし服薬は無理が効かない。

だから上に書いた都会や市街地で人ごみに晒される時間を自分で調整しないといけないけど、そこに薬で症状や頭痛を軽くすることも難しいから。頭痛もある薬の影響もあるわでそこへもってきて視線恐怖で緊張して異常に汗ばんだり体が震えたり顔色も悪くなるわで困り果てる気持ち😵

そして⇧のことが起こると更に周囲の目線が気になりだす。そして被害妄想が強くなり、そして見てくる人の顔が歪みいっそう怖くも感じてそして早く一刻も早く家に帰りたくなる😖

その繰り返し、いつもその繰り返し。ほんと、だから外出は病状をますます悪化しかねないし、

気軽に外出できる人の様な感覚は全く考えられない。

どうしてそうなったのかということを次のブログで書く予定だけど、この記事の長さよりももっと長くなると思う😅

今日の午後の話はこれでおわり。また明日か明後日。

いや、でも午後のおやつは美味しかった😋食べちゃったから撮れなかった📷😅

代わりに何かあるかな📷。前昼食したのをじゃあ。記念に。

読んでくれてありがとう✨


今夜の様子1

2021-11-19 18:18:42 | 日記

偶に騒がしい時がある。

親が慌ただしく煩い。

物音が気になるから余計に煩い。

頭痛も強まる要因。夫婦で口喧嘩みたいのもするので耳を塞ぎたくなる。

静まったと思うとわからない。

でも片親は優しい。理解や察しがある。それがどんなにか救いかと感じる。

しかしその救いはいつまでもあるわけではないのもこの年頃だから

もう覚悟が始まってる。

どんな病気を抱えていても自分自身にはできることがあると日々何か探すように

色々考えてる。

今夜の夕飯は、なんだろう?

今は実家で親と暮らしてるが、実はアパートでも別居する環境がある。

理由は、兄弟で上手くいかないから。

兄も病気をしていて、兄は自分に対しそして両親に対しマイナス思考をもっている。

もう8年ずっと続いてて、自分が大切な彼女と別れる要因になったのも兄が家族の仲を引き裂いたから。

兄は離婚し妻に裏切られ、酷く悪い精神状態で実家に戻ってきて、家族を傷め付け、脅し、家族の仲は引き裂かれた。

昔うちら兄弟は父親から虐待を受けていて、母が何度もやめてと父に言ったが、本人は聞く耳を持たず

虐待はエスカレートし、離れにある祖父母の家に逃げ込み、そんな毎日を幼少の頃あたりはくりかえしていた。

学校でも、いじめの対象になり、怯えていた。家に帰っても父親からの圧力は収まらない。ほとんど祖父母の家で過ごしていた記憶がある。

学校では、頭を殴られるのがあいさつ代わりで、昼食を奪われ、弁当を奪われ、体操の授業ではボールを顔面に投げつけられ、靴のロッカーに画鋲を細工され、芸術の授業でも作品を破壊されてもいた。

そんな学校生活でろくに勉強に集中できないでいた。高校生になってからも色々クラスメイトと馴染めなかったりして登校拒否も何度もしたり退学したくなったこともあった。

しかし親に止められた。「社会人になって苦しむのはお前自身だ!」と罵声と共に強く言われ、時には、甘ったれていると拳やペンが飛んできて何も反撃できず我慢していた。

これを見ると子思いな親だと思うかもしれないが、それはない。

子思いなら虐待しない。こんな暴力家庭に育った兄弟は、やはり大人になって暴言や暴力を何気なく吐いてしまう。それは無意識にやってしまうことだからなかなか直そうにも直らないようだ。

そして、えらいことに、こんな⇧タイトルと違う長文に変わってしまった。

もうしわけないと思う。

そして、今書いている最中にご飯が出来上がったので親が運んできた。

美味しそうだ。今夜は酢豚。

親は母。母は唯一理解者だ。以前は大切な彼女が最高の理解者だったが、もういない。

自分自身も料理はかんたんなものをするが、それはアパートで独り暮らしする際にはやるけど、

今は実家だからやってもらう側。ありがたい気持ちはある。感謝してる。

特に病気はつらいけど、ほかに不満があると言ったらあまり無い。父親も一緒に住んでるけど、

今は暴力や暴言は少なくなり本人も植木屋をして家を出ているので一緒にいる時間は少ないのであまり苦にならない。

美味しい酢豚が冷める、でもまだ書きたいことがあって打ち込みをとめられない。

本当に、常に思うけど、暴力をするのは楽だけど、食事を作るのは本当に大変。

あたりまえだけど。炊事、洗濯、食事、他は本当に気を遣う。

でも暴力は気を遣わない。ただ自分の感情次第でするわけだから。本当楽。

今夜はほかにもやることがあるから、もう酢豚をいただきます。

光過敏なので、酢豚の写真をうまく撮れないけど、自分なりのやり方で載せておく。

あと個人的に事情がありプライバシーの点からお皿を写せない。

読んでくれてありがとう、じゃあ、おやすみなさい。