気の病と共に生きる

病気になって17年。今病気になって生きている日々を綴る。

今夜の様子1

2021-11-19 18:18:42 | 日記

偶に騒がしい時がある。

親が慌ただしく煩い。

物音が気になるから余計に煩い。

頭痛も強まる要因。夫婦で口喧嘩みたいのもするので耳を塞ぎたくなる。

静まったと思うとわからない。

でも片親は優しい。理解や察しがある。それがどんなにか救いかと感じる。

しかしその救いはいつまでもあるわけではないのもこの年頃だから

もう覚悟が始まってる。

どんな病気を抱えていても自分自身にはできることがあると日々何か探すように

色々考えてる。

今夜の夕飯は、なんだろう?

今は実家で親と暮らしてるが、実はアパートでも別居する環境がある。

理由は、兄弟で上手くいかないから。

兄も病気をしていて、兄は自分に対しそして両親に対しマイナス思考をもっている。

もう8年ずっと続いてて、自分が大切な彼女と別れる要因になったのも兄が家族の仲を引き裂いたから。

兄は離婚し妻に裏切られ、酷く悪い精神状態で実家に戻ってきて、家族を傷め付け、脅し、家族の仲は引き裂かれた。

昔うちら兄弟は父親から虐待を受けていて、母が何度もやめてと父に言ったが、本人は聞く耳を持たず

虐待はエスカレートし、離れにある祖父母の家に逃げ込み、そんな毎日を幼少の頃あたりはくりかえしていた。

学校でも、いじめの対象になり、怯えていた。家に帰っても父親からの圧力は収まらない。ほとんど祖父母の家で過ごしていた記憶がある。

学校では、頭を殴られるのがあいさつ代わりで、昼食を奪われ、弁当を奪われ、体操の授業ではボールを顔面に投げつけられ、靴のロッカーに画鋲を細工され、芸術の授業でも作品を破壊されてもいた。

そんな学校生活でろくに勉強に集中できないでいた。高校生になってからも色々クラスメイトと馴染めなかったりして登校拒否も何度もしたり退学したくなったこともあった。

しかし親に止められた。「社会人になって苦しむのはお前自身だ!」と罵声と共に強く言われ、時には、甘ったれていると拳やペンが飛んできて何も反撃できず我慢していた。

これを見ると子思いな親だと思うかもしれないが、それはない。

子思いなら虐待しない。こんな暴力家庭に育った兄弟は、やはり大人になって暴言や暴力を何気なく吐いてしまう。それは無意識にやってしまうことだからなかなか直そうにも直らないようだ。

そして、えらいことに、こんな⇧タイトルと違う長文に変わってしまった。

もうしわけないと思う。

そして、今書いている最中にご飯が出来上がったので親が運んできた。

美味しそうだ。今夜は酢豚。

親は母。母は唯一理解者だ。以前は大切な彼女が最高の理解者だったが、もういない。

自分自身も料理はかんたんなものをするが、それはアパートで独り暮らしする際にはやるけど、

今は実家だからやってもらう側。ありがたい気持ちはある。感謝してる。

特に病気はつらいけど、ほかに不満があると言ったらあまり無い。父親も一緒に住んでるけど、

今は暴力や暴言は少なくなり本人も植木屋をして家を出ているので一緒にいる時間は少ないのであまり苦にならない。

美味しい酢豚が冷める、でもまだ書きたいことがあって打ち込みをとめられない。

本当に、常に思うけど、暴力をするのは楽だけど、食事を作るのは本当に大変。

あたりまえだけど。炊事、洗濯、食事、他は本当に気を遣う。

でも暴力は気を遣わない。ただ自分の感情次第でするわけだから。本当楽。

今夜はほかにもやることがあるから、もう酢豚をいただきます。

光過敏なので、酢豚の写真をうまく撮れないけど、自分なりのやり方で載せておく。

あと個人的に事情がありプライバシーの点からお皿を写せない。

読んでくれてありがとう、じゃあ、おやすみなさい。

 



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