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WEB漫画「獣人ちゃんと愉快な仲間」まとめ

品川区と鉄道の歩み4

2009-01-26 21:41:55 | 東京
⑥「目蒲電鉄と開拓」:大正時代になると、京浜線(現京浜東北線)が大正3年に運行を開始。大井町駅が誕生します。これまで、品川、大崎、大井には鉄道の恩恵がありましたが平塚村などの郊外といわれた南西部の地域には交通手段がありませんでした。そんななか大正7年に田園都市会社が設立。郊外に都市生活者向けの住宅地を建設するため大正10年には現在の荏原地区、世田谷区、目黒区、大田区の土地159万平方メートルの土地を買収。宅地造成して昭和2年にかけて売却しました。田園都市会社はまちづくりのために自分たちで鉄道建設を計画。それが大正11年の目黒蒲田電鉄です。大正12年3月目黒~丸子(現沼部)、11月丸子~蒲田間(現目黒線)が開通。皮肉なことに大正12年9月には関東大震災も起こり、郊外のまちづくりに拍車がかかりました。昭和2年に大岡山~大井町間(現大井町線)、昭和4年には二子玉川までの全線が開通しました。

⑦「観光が目的の池上電気鉄道」大正6年に設立した池上電鉄は現在の東急池上線の母体です。大正3年に認可された当初の計画は目黒~大森間でした。しかし、目蒲電鉄と同時期の工事だったため、目黒案から五反田案へ変更。また大森ではなく蒲田に変更になりました。蒲田~池上間が大正11年10月、池上~大崎広小路間が昭和2年までに完成。翌年最後の難工事、大崎広小路~五反田高架駅も完成して昭和3年6月に全線開通しました。当初の発着駅は変更されましたが池上本門寺へ向かうお客さんを運ぶ目的は果たすことができました。その池上電鉄は昭和9年に目黒蒲田電鉄と合併しました。
私鉄沿線の開通が耕地整理事業を基盤に、農地の宅地化が一層進んで行くことになります。





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